102話 久しぶりに朝から彼女とデート
久しぶりに、主人公は朝から彼女とデートをすることになった。
ここ最近は、こども家庭庁の担当のお姉さんによる特別授業につきっきりで、放課後も休日も、なかなか自由な時間を取れなかったのだ。
待ち合わせ場所に着くなり、彼女はじっと主人公の顔を見る。
「ようやく私とのデートを思い出したのね」
「忘れてないから。この前の夜も一緒にカラオケ行っただろ」
「でも最近、毎日のようにきれいなお姉さんと一緒なんでしょう?」
「言い方!」
「しかも、二人きりで特別授業」
「その言い方やめろ!」
久しぶりのデートだというのに、彼女は相変わらずだった。
最初に二人が向かったのは、都市部の大きな公園だった。
並んで歩きながら、彼女が主人公をいじり、主人公がすかさず突っ込む。
そんな、いつものやり取りをしながら歩いていたのだが――。
ふと、主人公は足を止めた。
「……なんか、変だな」
「何が?」
「いや……ここ、きれいすぎないか?」
改めて周囲を見回す。
芝生は、見事なほど均一に刈りそろえられている。
歩道の脇には雑草らしい雑草がほとんど生えておらず、空き缶や菓子の袋といったゴミもまったく落ちていない。
ベンチもきれいに磨かれており、落書き一つ見当たらなかった。
「公園なんだから普通でしょう?」
彼女は不思議そうに答える。
「いや、普通っていうか……」
そこで主人公は、あることに気づいた。
そういえば、この世界に来てからずっとそうだった。
道路にも、ほとんどゴミが落ちていない。
歩道の植え込みはいつ見てもきれいに手入れされ、空き地で雑草が伸び放題になっている光景も見た記憶がない。
街路樹の枝も、きちんと整えられている。
駅前も、住宅街も、公園も。
どこへ行っても、不自然なほど整然としていた。
「この世界って、町がやたらきれいなんだな……」
――いったい、誰が掃除しているんだ?
主人公の頭に、そんな疑問が浮かぶ。
「さっきから何言ってるの?」
「いや、こっちの話」
「記憶喪失になると、公園の芝生にも感動するようになるの?」
「そこまで重症じゃない!」
彼女からすれば、これが当たり前なのだろう。
主人公は再び公園を見回した。
そして、もう一つ違和感に気づく。
「そういえば……ホームレスもいないな」
「ホームレス?」
彼女が首をかしげる。
「ほら、家がなくて、公園や駅なんかで生活してる人だよ。前の世界……じゃなくて、俺の記憶だと、都市部の大きな公園では見かけることもあったんだけど」
すると彼女は、何を言っているのか分からないとでも言いたげな顔をした。
「当たり前でしょう。家がないなんて、ありえないわよ」
「……は?」
「住む場所がなくなったら、行政が用意してくれるじゃない。仕事も勝手に紹介してくれるし、住む場所だって用意されるわよ」
「そんな簡単に?」
「簡単っていうか、それが普通でしょう?」
彼女は当然のように答える。
「仕事をすれば、普通に生活できるだけの給料ももらえるし。だから、食べるものにも困るような貧しい人なんていないわよ」
「……マジかよ」
主人公は思わず周囲を見回した。
確かに、これまでこの世界で、路上生活をしている人間を一度も見たことがない。
ボロボロの服を着て物乞いをしている者も、空腹で倒れている者もいなかった。
「仕事がない人は?」
「国が勝手に仕事を用意するわ」
「家がない人は?」
「家を用意してもらえばいいじゃない」
「金がない人は?」
「働けば普通に暮らせるでしょう?」
あまりにも当然のように返され、主人公は言葉を失った。
「……すごい世界だな」
「何が?」
「いや、なんでもない」
主人公には少し不気味に思えるほど整った風景も、この世界の人間にとっては、ごく普通の日常だった。
その後、二人は昼食を取ることにした。
向かったのは、この辺りでは有名なハンバーグ店だった。
店の入口で、それぞれ携帯を読み取り機にタッチする。
ピッ。
小さな電子音が鳴った。
《入店を確認しました》
それだけで入店手続きは完了する。
店員に人数を伝える必要もない。
現在空いている席が携帯に表示され、二人は指定された席へ向かった。
席に着くと、それぞれの携帯に自動的にメニューが表示される。
「私はチーズハンバーグ」
「じゃあ俺は普通のハンバーグで」
それぞれ料理を選び、注文を確定する。
その瞬間、支払いまで同時に完了した。
主人公も最初こそ戸惑ったものの、今ではこの仕組みにすっかり慣れていた。
この世界の飲食店には、基本的に「食事の最後にまとめて会計する」という習慣がない。
注文した人が、注文した時点で自分の分を支払う。
そのため、男女で食事をしても、男性が必ず女性の分まで支払うという文化もなかった。
基本は完全な割り勘――というより、最初から一人ずつ別会計なのである。
もちろん、誰かがおごること自体はできる。
主人公は携帯を操作しながら言った。
「今日は俺がおごろうか?」
彼女が驚いたように主人公を見る。
「珍しい。何か悪いことでもした?」
「なんでそうなる!」
「お姉さんと何かあったとか?毎回デート行ってるし」
「ない!」
「怪しいなぁ。まさか、お姉さんを彼女にするつもりじゃないよね?」
「だから何もないって! お姉さんとは年も離れてるし!」
主人公は少し黙った。
そして、照れくさそうに彼女を見る。
「……俺が好きなのは、お前だから」
「え?」
「好きだよ。愛してる」
今度は彼女が固まった。
いつもならすぐに何か言い返してくるはずなのに、顔を赤くしたまま視線をそらしている。
「……急にそういうこと言うの、ずるくない?」
「いつも俺ばっかりいじられてるから、たまにはいいだろ」
「……まあ、許す」
「なんで上からなんだよ」
主人公が携帯を操作すると、彼女の注文分の支払いを自分に変更できた。
「じゃあ、遠慮なく」
「少しは遠慮しろよ」
その直後、彼女はすぐにメニューを操作する。
「じゃあ、デザートも追加していい?」
「遠慮って言葉知ってる!?」
「知ってるよ。使うかどうかは別だけど」
「最悪だ!」
そんなやり取りをしながら、二人は昼食を楽しんだ。
午後からは、ショッピングセンターへ向かった。
服を見たり、雑貨を見たりしながら、特に目的もなく店を回っていく。
途中、二人は大きな衣料品店に入った。
主人公は男性もののコーナーを眺めていたのだが、ふと隣を見ると、彼女の姿が消えている。
「……あれ?」
周囲を見回す。
すると少し離れた女性もののコーナーで、彼女が何やら真剣な顔をして服を選んでいた。
「何してるんだ?」
主人公が近づくと、彼女は振り返った。
その手には、淡い色のブラウスとスカートが握られている。
「これ」
「うん」
「似合うと思う」
「そうか。じゃあ買えば?」
「あなたに」
「なんでだよ!」
主人公は即座に突っ込んだ。
彼女はブラウスを主人公の身体に当てながら、真剣な顔で確認する。
「ほら。サイズもちょうどよさそう」
「確認するな!」
「色も似合いそう」
「似合わなくていい!」
「顔がきれいだから、普通にいけると思うんだよね」
「俺は男だぞ!」
「知ってるよ」
「知ったうえで勧めてるのが一番怖いんだよ!」
彼女は主人公の抗議などまったく気にせず、今度は別の服を手に取った。
「こっちは?」
「選択肢を増やすな!」
「ワンピース」
「見れば分かる!」
「かわいいよ?」
「俺にかわいさを求めるな!」
彼女はしばらく主人公とワンピースを見比べた。
そして、妙に納得した顔でうなずく。
「やっぱりいける」
「何がいけるんだよ!」
「たぶん私より似合う」
「それはそれでお前が悲しくならないのか?」
「ちょっと腹立つ」
「じゃあやめろ!」
ところが彼女は服を戻さなかった。
そのまま何着か追加して、主人公へ押しつける。
「はい」
「はい、じゃない」
「試着室、あっち」
「行かないからな」
「一着だけ」
「嫌だ」
「お願い」
「嫌だ」
「今日のお昼、デザートおごってもらったし」
「それとこれに何の関係があるんだよ!」
「お礼に、かわいい姿を見せてあげようと思って」
「俺が見せる側なの!?」
彼女は両手を合わせた。
「一回だけ」
「絶対嫌だ」
「一回だけだから」
「その言い方をする人間は信用できない」
「写真撮らないから」
「今、写真撮るつもりだったことが判明したぞ!」
主人公が警戒して一歩下がる。
しかし彼女は逃がさなかった。
「ほら、行くよ」
「待て待て待て!」
主人公の背中を押し、そのまま試着室の方向へ連れていく。
「俺は着ないからな!」
「大丈夫。店員さんに聞いたら試着していいって」
「いつ聞いた!?」
「あなたが男性もの見てる間」
「最初から計画してたのかよ!」
どうやら彼女が突然いなくなったのは、そのためだったらしい。
数分後。
主人公は試着室の中で、深いため息をついていた。
「……なんで休日にこんなことしてるんだ、俺」
結局、根負けして一着だけ着ることになってしまった。
選ばれたのは、シンプルなブラウスと膝丈のスカートだった。
派手な服ではない。
むしろ普通に街を歩いていそうな格好だった。
それだけに余計に困る。
主人公は鏡を見る。
「…………」
違和感がある。
当然ある。
あるはずなのだが――。
「……思ったより普通なのが一番嫌だな」
自分でも認めたくないが、完全に似合っていないわけではなかった。
主人公は恐る恐るカーテンを開ける。
「……着たぞ」
待っていた彼女が主人公を見る。
「…………」
無言になった。
主人公は眉をひそめる。
「何だよ」
「ちょっと待って」
「何を?」
彼女は口元を押さえた。
肩が震えている。
「おい」
「ふっ……」
「笑うな!」
「だって……」
「お前が着ろって言ったんだろ!」
「想像以上だった」
「何が!?」
彼女は主人公を上から下まで眺める。
「普通にかわいい」
「やめろ!」
「なんか悔しい」
「だから何でお前が悔しがるんだよ!」
彼女は携帯を取り出した。
主人公の目が鋭くなる。
「おい」
「何?」
「今、何をしようとした?」
「時間を確認しようかなって」
「カメラ起動してるぞ!」
「ばれたか」
「約束と違うだろ!」
主人公が慌てて携帯を奪おうとする。
彼女は笑いながら後ろへ逃げた。
「一枚だけ!」
「駄目!」
「記念に!」
「何の記念だよ!」
「彼氏が初めてスカートをはいた記念」
「そんな記念日を作るな!」
店内で追いかけ回すわけにもいかず、主人公は必死に顔を隠した。
「撮るなよ! 本当に撮るなよ!」
「分かったって」
「絶対だぞ!」
「じゃあ心のカメラに保存しておく」
「それも消せ!」
彼女は楽しそうに笑っている。
主人公は大きなため息をついた。
「もう着替えるからな」
「えー」
「えー、じゃない」
「次、ワンピースもあるよ」
「着ない!」
「こっちのスカートも」
「着ない!」
「じゃあこれ」
彼女が新しく差し出したのは、ひらひらしたフリルのついた服だった。
主人公は一秒だけ見た。
「論外!」
「絶対かわいいのに」
「俺をどこへ向かわせたいんだよ!」
「新しい可能性?」
「開拓しなくていい!」
主人公は逃げるように試着室へ戻った。
しばらくして、元の服へ着替えて出てくる。
「もう女性もののコーナーには近づかないからな」
「残念」
「何が残念なんだよ」
「結構似合ってたのに」
「忘れろ」
「将来、結婚したら着てもらおうかな」
「勝手に将来の予定へ組み込むな!」
くだらない会話をしながら、二人は店を出た。
主人公にとっては、久しぶりの普通の休日だった。
子ども家庭庁。
特別授業。
国家試験。
最近は、頭の中にそんな言葉ばかりが浮かんでいた。
だが今は、それを考えなくていい。
ただ彼女と一緒に歩いて、食事をして、くだらないことで笑っている。
――途中で女性ものの服まで着せられたが。
「……普通の休日だったよな?」
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
それでも主人公は、不思議と悪い気はしていなかった。
今日は、このまま一日ゆっくりできそうだ。
そう思った、そのときだった。
ピロン。
携帯が鳴った。
「……ん?」
主人公は何気なく画面を見る。
そして、そこに表示された名前を見た瞬間――表情が固まった。
《子ども家庭庁 お姉さん》
「…………」
隣にいた彼女が、横から画面をのぞき込む。
「……お姉さん?」
「お姉さんだ」
「せっかくかわいい服まで着たのに、お姉さんのところへ行くんだ」
「残念だなぁ」
「何が一番残念なんだ?」
「ワンピースを着せられなかったこと」
「そっちかよ!」
彼女は少し考えてから、楽しそうに笑った。
「じゃあ、今度ワンピース買ってあげるね」
「買わんでいい!」
「まあ、あなたのサイズなら私も着られそうだし」
「結局、自分用かい!」
久しぶりのデートは――やはり最後まで、普通では終わらなかった。




