101話 子ども家庭庁の福利厚生
休み日の土曜日。今日は彼女とゆっくり過ごせると思っていた主人公のスマホに、こども家庭庁のお姉さんからメールが届いた。
『今日は特別よ。15時には家に帰ってきてね』
その一文を見た瞬間、主人公は嫌な予感しかしなかった。
これまで、お姉さんの言う「特別」が、本当にうれしい特別だったことは一度もない。授業時間が一時間延びるとか、休日なのに呼び出されるとか、断れば国家試験の話を持ち出されるとか、だいたい主人公にとっては迷惑な意味での特別だった。
家にいてしばらくすると、玄関の前に一台の黒いタクシーが止まった。
「まさか、これに乗れってことじゃないよな……」
そうつぶやいた直後、運転手が主人公の名前を確認した。
残念ながら、そのまさかだった。
タクシーに乗せられ、連れていかれたのは町で最も大きな高級デパートだった。入口では、お姉さんが笑顔で待っていた。
「今日は特別な授業だから、ちゃんとした服を着ないとね」
「授業に服装って関係あるんですか?」
「あるの。今日は特別だから」
説明になっていなかった。
主人公は高級そうな衣料品店へ連れていかれ、店員たちに囲まれた。何着ものジャケットやパンツを試着させられ、最終的には値札を見るのも怖いほど高そうな一式を選ばれた。
「これ、俺が払うんですか?」
「大丈夫。私が払うから。こう見えても給料いいんだから」
「その給料の使い方を絶対に間違えてません?」
主人公の疑問には答えず、お姉さんは満足そうにうなずいた。
購入したばかりのジャケットとパンツに着替えさせられると、再びタクシーへ乗せられた。
次に到着したのは、この町で一番といわれる高級ホテルだった。
入口には大きなシャンデリアが輝き、床は鏡のように磨かれている。主人公は、自分の靴音が響くだけでも怒られそうな気がした。
ホテルのレストランでは、見たこともないような料理が次々と運ばれてきた。
小さな皿に、さらに小さな料理が美しく盛りつけられている。
「これ、一口でなくなるんですけど」
「高級料理は味わって食べるものなの」
「味わう前になくなりました」
それでも料理はどれも驚くほどおいしかった。主人公が夢中で食べていると、お姉さん高級なワインが入ったグラスを傾けながら説明した。
「先生にはね、年に一度だけ、このホテルにペアで無料宿泊できる福利厚生があるの。いつも最終試験につかっているのでお得意様でもあるの」
「へえ。じゃあ、旦那さんと来ればよかったんじゃないですか?」
主人公が何気なく尋ねると、お姉さんは笑顔のまま答えた。
「いないわよ」
「……彼氏は?」
「いないわよ」
「友達は?」
「それ以上聞いたら、今後の授業を一時間延長するわよ」
「すみませんでした!」
主人公はすぐに謝った。
夕食が終わると、お姉さんは部屋のカードキーを取り出した。
二人が案内されたのは、ホテルの最上階にあるスイートルームだった。
広いリビング、大きなソファ、町を一望できる窓。浴室まで主人公の家のリビングより広そうだった。
「すごい部屋ですね……」
主人公が窓の外を眺めていると、お姉さんは主人公にキスをした。
「それじゃあ、特別授業を始めましょうか」
「こんな高級ホテルまで来て、結局特別授業なんですか!?」
「もちろんよ。今日は時間を気にしなくていいから、普段できないところまで徹底的に教えてあげる」
主人公はようやく理解した。
高級な服も、豪華なディナーも、スイートルームも、すべては主人公を逃げられなくするための前座だったのだ。
「これ、福利厚生じゃなくて強化合宿ですよね?」
「今日は特別よ」
お姉さんは満面の笑みで答えた。
主人公にとって、地獄の休日だったのだ。
そして月曜日。
主人公が教室に入ると、友達がすぐに声をかけてきた。疲れた表情していたためだった。
「休みの日、何してたんだ?」
主人公は机にかばんを置きながら、疲れ切った声で答えた。
「こども家庭庁のお姉さんに、高級ホテルへ連れていかれた」
その瞬間、周囲にいた男子たちが一斉に振り向いた。
「高級ホテル!?」
「しかも、あのお姉さんと二人で!?」
「いいなあ!」
「何がいいんだよ……」
主人公はげんなりしながら椅子に座った。
友達は興奮した様子で、次々と質問してくる。
「どんなホテルだった?」
「町で一番高いところ」
「食事は?」
「高級なコース料理」
「部屋は?」
「最上階のスイートルーム」
それを聞いた友達は、ますます目を輝かせた。
「最高じゃん!」
「俺と代わってくれよ!」
「先生と高級ディナーを食べて、スイートルームに泊まるなんて夢みたいだな!」
主人公は机に突っ伏した。
「お前らは、何も分かっていない……」
「何が不満なんだよ?」
「食事が終わったあと、朝まで特別授業だった」
「朝まで?」
「とにかく厳しく、激しかったのだ」
友達の笑顔が少しずつ消えていった。
「夜景も見たんだろ?」
「夜景を見ながら授業した」
「ベッドは?」
「とにかく大きかった」
「さすがスイートルームだね……」
主人公は深いため息をついた。
「しかも、お姉さんは一睡もしていないのに、朝までずっと元気だった」
「怖っ……」
「朝食を食べてから、昨日の復習までされた」
教室に重い沈黙が流れた。
だが、一人の友達だけは、まだ少しうらやましそうにしていた。
「でも、高級ディナーは食べたいな」
主人公はゆっくり顔を上げた。
「休みなしはきついぞ」
「……やっぱりいいや」
その日、主人公は午前中の授業中、何度も居眠りをして先生に注意された。
しかし、担任が事情を聞くと、小さな声でつぶやいた。
「また、あの人か……」
どうやら、こども家庭庁のお姉さんの暴走は、学校の先生たちにも知られているようだった。




