第5話 — 横存在の魔法探求
モモちゃんは昼食後、台所の椅子に座っていた。
お腹いっぱい。
とてもいっぱい。
腕を組んでテーブルに置く。
その上に頭を乗せる。
沈黙。
ぶぅぅぅっ……
「モモちゃん、大丈夫ですか?」
「横になりたいだけだよ……」
「部屋が遠すぎる……」
「ここにいるしかないね」
「縦存在にならないために」
ロボちゃんは数秒間沈黙した。
「ベッドまではたった八メートルです」
「その通り!」
モモちゃんは頭も上げずに指を一本立てた。
「八メートル分の不要な存在だよ」
「意味が分かりません」
「つまり君は私に賛成なんだね」
「そういう意味ではありません」
「応援ありがとう」
「応援していません」
「私の幸福を気遣ってくれるなんて感動的だね」
「気遣ってもいません」
「チッチッチッ……」
「感情表現が下手だね」
沈黙。
とても沈黙。
モモちゃんは相変わらず部屋の方向を見つめていた。
まるで登れそうもない山を見つめる探検家のように。
「遠すぎる……」
「八メートルです」
「ほとんど別の大陸だよ」
「違います」
「君は昼ご飯の後に歩いたことがないんだね」
「私は歩きません」
「その通りです」
その時だった。
モモちゃんが固まる。
目が見開かれた。
そして。
椅子の上で勢いよく背筋を伸ばした。
「ギャハハハハ……」
「どうしましたか?」
「天才的なアイデアを思いついた」
「嫌な予感がしてきました」
「魔法を覚えるよ」
沈黙。
「魔法は存在しません」
「それこそ縦存在が私に信じさせたいことだね」
モモちゃんはスマホを手に取った。
検索を始める。
「初心者向け魔法」
「浮遊方法」
「本物の呪文」
「重力を倒す方法」
「上手くいきません」
「ふむむむ……」
「おっ!」
「見つけた!」
「何をですか?」
「浮遊魔法を覚えればいいだけだよ」
「そうすれば部屋まで飛んでいける」
「浮遊魔法は存在しません」
「人類は真実を知る前に諦めてしまったんだよ」
「意味が分かりません」
「ちゃんと説明が書いてある」
モモちゃんはスマホを顔の近くまで持っていった。
そして音読する。
「『結果を明確にイメージすること』」
「簡単」
「『精神を集中させること』」
「簡単」
「『信じること』」
「簡単」
「『呪文を唱えること』」
「超簡単」
「魔法はそういう仕組みではありません」
「つまり君は魔法の存在を認めるんだね」
「そういう意味ではありません」
モモちゃんは返事を完全に無視した。
目を閉じる。
深呼吸する。
コホン。
コホン。
「我が身体よ浮遊せよ……」
「ベッドまで……」
「横向きのまま……」
沈黙。
「アラカザム……」
何も起きなかった。
「シャザム……?」
何も起きなかった。
「アブラカダブラ……!?」
沈黙。
モモちゃんは片目だけ開けた。
自分の足を見る。
まだ床の上だった。
「ふむむむ……」
「発音を間違えたのかもしれない」
「たぶん違います」
モモちゃんは部屋の方を見た。
それから自分の足を見る。
そしてもう一度部屋を見る。
「チッチッチッ……」
「縦社会に屈せず浮遊する方法が分かったよ」
「どうやってですか?」
「簡単」
モモちゃんは指を一本立てた。
「椅子にベッドまで運んでもらえばいいんだ」
沈黙。
「意味が分かりません」
「それは君の意見だね」
モモちゃんは椅子の座面をしっかり掴んだ。
足を土台に乗せる。
深呼吸する。
「ギャハハハハ……」
「魔法の時代が始まったよ」
ぴょん。
椅子が数センチ前へ進んだ。
ぴょん。
「私はとても賢いからね……」
ぴょん。
「後は……」
ぴょん。
「部屋まで辿り着いて……」
ぴょん。
椅子はさらに少し前へ進んだ。
ほんの少し。
本当に少しだけ。
だが確かに進んだ。
「縦存在を打ち倒すんだよ」
ぴょん。
「やっぱりね」
ぴょん。
「社会は諦めるのが早すぎたんだ!」
「それは魔法ではありません」
「じゃあ私の浮遊をどう説明するの?」
「それは重力です」
「魔法ではありません」
「私は反対だね」
「浮遊なら空中に留まる必要があります」
「その通り!」
モモちゃんは自分を指差した。
「私はまだ修行中なんだよ!」
ぴょん。
ぴょん。
ぴょん。
椅子はゆっくり進んでいく。
とてもゆっくり。
「普通に歩けばいいと思います」
「十秒もかかりません」
「十秒分の不要な存在だよ」
ぴょん。
「もう少しで到着する……」
「まだ一メートルも進んでいません」
「ネガティブだね」
「それは計測です」
ぴょん。
ぴょん。
ぴょん。
モモちゃんの顔は徐々に赤くなり始めた。
額には小さな汗が浮かぶ。
それでも続ける。
強い意志を持って。
まるで偉大な魔法使いの修行のように。
少なくとも本人はそう思っていた。
三十分後。
ぴょん。
沈黙。
とても沈黙。
モモちゃんは汗だくだった。
肩で息をしている。
そしてついに。
椅子が部屋の入口を越えた。
「モモちゃん」
「なに……?」
「普通に歩くより時間がかかりました」
沈黙。
「私はそれを進歩と呼ぶんだよ」
「それも意味が分かりません」
「歴史書には載ると思うけどね」
その後も英雄的なぴょんを何度か繰り返し――
ついに。
ベッドが目の前に現れた。
モモちゃんは目的地を見つめる。
約束の地。
横存在の楽園。
「ついに……」
そのままベッドへ倒れ込んだ。
ぽふっ。
沈黙。
とても沈黙。
そして。
ゆっくりと天井へ向かって指を突き上げる。
腕は疲労で震えていた。
「圧倒的な勝利……」
「はぁ……」
「完全勝利……」
「はぁ……」
「モモちゃんのね……」
「競争は存在していません」
「その通り」
モモちゃんはうなずいた。
今にも閉じそうな目で。
「私の勝利に異論を唱える者はいないんだよ」
「あなたは椅子で部屋まで移動しただけです」
「歴史だね」
「これは歴史なんだよ」
「違います」
「違わないよ……」
「だから今は私の非存在を堪能させてほしい」
五秒後。
モモちゃんはもう眠っていた。
「……」
「……」
ロボちゃんは数秒間沈黙した。
「現在14:37です」




