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「あれー? お兄ちゃんじゃない?」
第二小学校の近くに差し掛かったとき、背後からそんな声が聞こえた。
「その声は……」
振り返ると、紗雪がこちらに駆けてくるのが目に入る。
「あ、やっぱりお兄ちゃんだー……って、はっ! 何でそんな美人さんと一緒なの? お兄ちゃん、勤務中にデート!?」
「馬鹿なことを言うな、失礼だろ! こちらは俺の上司だ、紗雪。それより、勤務中と判っているなら声をかけるんじゃない」
たしなめていると、螺旋が、
「構いませんよ、高瀬さん。妹さんでいらっしゃいますか?」
「初めまして! 兄がお世話になっております、妹の紗雪です。将来は刑事になりたいと思っています!」
「お兄さんと一緒に仕事をしています、羽佐間です。初めまして」
変わらず温度を感じさせない声だが、高瀬に対するときよりほんの少し柔らかく感じるのは気のせいだろうか。何故だろう、ちょっと紗雪がうらやましい。
「わあ! かっこいい! 綺麗! ……でも、何だかとっても細いというか、失礼ながら顔色も良くないというか……あんまり寝てなかったり食べてなかったり、しませんか?」
伶那を彷彿とさせる紗雪であった。螺旋も意識的なのか無意識なのか――おそらく後者だ――微かに苦笑を浮かべている。
「こら紗雪、お前本当に失礼だぞ……」
その推測は当たっているが、という言葉を飲み込みながら、高瀬。
「だって本当にそんな感じだもん。あ、そうだ」
言って紗雪は、バッグの中をがさごそとかき回し、クッキーの入った小さな袋を取り出した。可愛くラッピングされている。
「これ、食べて下さい」
「え……」
「お前な、今俺たちは仕事中で……」
高瀬は更にたしなめる。それに彼は、そのクッキーがどういう物か知っていた。紗雪の趣味の手作りクッキーで、一見すると良くできた物である。しかし、『かなり』や『とても』という修飾では到底言い表せないくらい、甘いのだ。料理が苦手な高瀬であるが、それでも砂糖だけでこんな甘さが出るわけがない、と断言できるほどである。兄の贔屓目で見ずとも料理の味付けセンスは普通、いや、もしかするとそれ以上なのに、どうして菓子類だけこんなに甘くできるのか、高瀬には理解できない。
「だーめ。羽佐間さん、これ、食べて下さい。倒れちゃったりしたら大変ですから。食べるまで私、離れませんよ」
「…………」
差し出されたクッキーを見る螺旋の顔が引きつっている。もしかすると、魔術師を名乗る彼女のことだから、どういった物か予想がついているのかもしれない。しかし紗雪は、笑顔でクッキーを差し出したまま動かない。
「で、では……ありがたく頂戴しましょう……」
引きつった笑顔で小袋を受け取り、螺旋はそれを口にした。苦行に耐えているかのように高瀬には見えるが、紗雪はそう受け取っていないらしい。螺旋がテディベアの形の型抜きクッキーを三枚、きちんと食べ終えたのを見届けると、満足そうな笑顔を浮かべた。
「良かったー。刑事さんは体力勝負なんですから、ちゃんと食べなきゃだめですよ? あ、待ち合わせに遅れちゃう。それじゃあ、失礼します!」
そして風のように――否、嵐のように、ポニーテールを躍らせながら走り去っていった。
見送りながら螺旋は、素早くバッグの中から細い水筒を取り出し、静かに口に運ぶ。恐らくお気に入りの紅茶だろう。
「あの、羽佐間さん、もしかして甘い物、苦手なのでは……」
だとすればあのクッキーは地獄以外の何物でもない。紗雪の兄として、高瀬は責任を感じた。
「いえ、折角のご厚意を、無下にはできませんから」
「いや、寧ろあれは、厚意というより好意でしょうね」
「はい?」
「すみません、こちらの話です」
「そうですか」
人心地ついたらしく、水筒をバッグに仕舞う。
「では、行きましょうか。第二小学校は、この角の先です」
目的の小学校に到着し、来意を告げる。
管轄内の刑事だ、という偽りの身分は疑われることもなく、すんなりと校舎内に通された。危機管理意識に疑問を抱く高瀬だが、少なくとも刑事であることに間違いはない、と、どうにか自分を納得させる。
「刑事さんも大変ですねえ。おおかた、うちの学校のオバケ騒ぎのことでしょう? そんなことまで調べるなんて」
中年の男性教頭は、本気とも皮肉ともつかぬ口調で言った。
「いえ、不審者が侵入している可能性もありますし、子供さんたちに何かが起こってからでは遅いですから」
にこりともせず、淡々と言ってのける螺旋。もう少し人の好さそうな顔ぐらいすればいいのに、と、高瀬は思う。表情と言葉が一致していない。
「――つきましては、こちらの児童たちにお話を伺いたいのですが、構いませんか?」
「は、ええ、まあ……」
自分が話を訊かれると思っていたらしい教頭は、戸惑ったように返事をする。
現在体育館で、自習になった体育の授業中の児童たちからなら、この時間でも問題ない、という許可を得て、螺旋と高瀬は教頭に案内されながら、体育館へ向かった。
先を歩く教頭に気付かれないように、螺旋は眼鏡をずらし、レンズを通さずに辺りに目をやる。
「……やはり、いますね。間違いないようです」
「何か仰いましたか、羽佐間さん?」
隣を歩く高瀬が不思議に思って尋ねたが、
「いえ、こちらの話ですよ」
先ほどの自分と同じように躱された。根に持つタイプなのかもしれなかった。
体育館に着くと、子供たちが緊張するかもしれないから、という理由をつけて、螺旋は教頭を帰す。ここでやっと、高瀬に出番がやって来た。
「高瀬さん、今この学校で起きている怪奇現象について、子供たちから詳しく話を訊いてきて下さい」
「判りました……あの、羽佐間さんは?」
「私は子供が苦手ですから」
しれっとのたまい、螺旋は体育館の入り口から動こうとしない。
気付かれないように深い溜息をついてから、高瀬はドッジボールをしている子供たちの方へ歩いていく。
「君たち、ちょっといいかな?」
人の好い笑顔を浮かべて言うと、子供たちがわらわらと集まってきた。
「僕は、この辺りの警察署から来た刑事なんだけど……」
「ええー! おじさん、刑事さんなの?」
「すげー!」
何がすごいのかはよく判らないが、子供たちは一斉にきらきらした目を向ける。
「お、おじさん……」
まだまだお兄さんで通るはずの高瀬が傷付いていることなど、気にする由もない子供たち。小学三年生から見ると、自分はもう充分におじさんなのだろうか、と落ち込み、再びこっそり溜息をつく。
「……それで、ちょっと訊きたいことがあるんだ。構わないかい?」
気を取り直して言うと、子供たちは元気に頷いた。先ほどの人の好い顔は、ショックのためやや崩れ気味だったが、子供たちは気付いていないか、気にしていないようだった。
「はーい!」
「何でも訊いていいぞ、おじさん!」
「えーと……今この学校で、何か不思議なこととか、起きてないかな?」
質問がなされると、一瞬子供たちは静かになった。
そして、次の瞬間には、わっと声が上がる。
「おじさん、幽霊を逮捕してくれるの?」
「おじさんじゃないし、幽霊は逮捕できないけど……怖いことでも起きているのかな?」
前半はなるべく小さな声で言う。だが普通の大きさの声で言ったところで、子供たちは気付かなかっただろう。にぎやかだった。なるほど、確かにこのエネルギーを取り込めれば、悪魔とやらも万々歳だろう。
彼らから返ってきた答えは、しかしやはり、高瀬にはよくある怪談の類にしか思えなかった。
夜になると不気味な笑い声が聞こえる、誰もいないはずの教室に電気が点いているのを見た、という、事前情報と同じものに加え、理科室の人体模型が動いただの、音楽室のピアノが勝手に演奏を始めだの、そう言ったものばかりだ。
学校の七不思議の定番である。
少し変わったところでは、光る物体が流れ星のように飛んでいくのを見た、というものがあり、子供はそれを『火の玉』と称していた。
それらを螺旋に報告すると、意外にも彼女は満足そうに頷いた。
「よく判りました。それでは戻りましょう。ご苦労様でした、高瀬さん」
「ばいばい、お姉さん、おじさん」
子供たちの声に送り出されながら、高瀬は思っていた。
自分よりも螺旋の方が明らかに年上なのに、この扱いの差は何なのだ、と。




