19 代償、あるいは
羽佐間螺旋がゆっくりと意識を取り戻し、その瞼を持ち上げたとき、真っ先に目に入ってきたのは咲坂伶那の姿だった。
次いで、高瀬藍一郎、城戸透流の姿も見えた。
「……?」
螺旋は僅かに疑問の表情を浮かべ、
「ここ、は?」
小さく呟く。ぼんやりしていた意識を必死でたぐり寄せ、把握できる限りの全ての出来事を思い出した。
「あ――」
「ったく、おかえり、螺旋」
伶那が呆れたような、だが安心したような声音で告げる。
「……はい、伶那さん」
静かに応じ、螺旋はその色の異なる双眸を伶那に向けた。
* * *
螺旋が完全に覚醒するのを見届け、高瀬は心底ほっとした。
「……はい、伶那さん」
伶那の呼びかけに応える螺旋の声音は、しっかりしていた――普段通り温度を持たない、だが静かな声だった。
「……何があったのか、何をしたのか――全部思い出せる?」
「……全部、ではないかもしれません」
「禁術の件は?」
「――行使したところまでは覚えています」
「その後は?」
「……悪神は、切り裂いたような気はします」
「……で?」
「……ミネルヴァが」
「…………」
「……叔母様のミネルヴァを、見たような気がします」
「――それから?」
「……あとは、よく……覚えていません」
「……そう」
一通り彼女の記憶について把握すると、伶那は頷いた。
「――ただ」
螺旋は静かに口を開く。
「それなりに代償は払ったことは把握しています」
「――っ」
その白銀の髪と、蒼く変わった左目を見ながら、高瀬は息を呑む。
――禁術の、代償。
悪神を消滅させるために行使した――するしかなかった、神降ろしとかいう禁術の、普通ならその命と引き換えだという代償を――羽佐間螺旋は命を繋ぎ止め、しかしその外見を変えてしまうことで、払ったのだろう。
――否。それだけ、か?
いくら彼女が最強格の魔術師と言えど、外見の変化で済んでしまうのか?
高瀬の疑問を感じ取ったらしい伶那は、螺旋に向けていた目を高瀬に遣った。
「……ま、あの場に師匠が現れたってことなら。それに螺旋自身も規格外ではあるのよ、実際」
「……伶那さん、叔母様があの場に現れた、とは……」
「覚えてないのね、まったく。一度力を使い果たしたあんたを黒野さんに引き渡したのは、師匠だそうよ。詳しいことは後で春日井くんにでも聞いて。悪神は既に消滅してるし――暁音さんも、らしいわ」
「……春日井さん? 何故……?」
珍しく螺旋は様々な疑問に囲まれているらしい。無理もない。十日も眠り続けていたし、そこから目覚めたばかりである。室長代行として春日井伽羅が呼び寄せられたこともまだ知らないはずだ。
「ああもう、面倒ね。高瀬くん、その辺りの説明は任せるわ。その前に城戸くん、念のため〈意識の海〉も確認しといてくれる?」
城戸が頷き、螺旋に軽く会釈をしてから手をかざした。
そして、
「……問題ない」
短く言う。その視線を白銀の髪に向け、そして蒼い左目を一瞬だけ見遣り、
「…………」
しばらく沈黙を放ってから、かざしていた手を戻した。
「OK、ありがと城戸くん。十日も寝続けてたのはちょっと焦ったけど、〈意識の海〉にも問題ないならもう大丈夫ね」
伶那は息を吐いた。
「……やっぱり咲坂さんも焦ってたんじゃないすか……」
耐えられないほど長く感じたこの十日間を振り返りつつ、高瀬は力なく突っ込む。
「うるさいわね、こっちだって禁術が行使されて、しかも生還するなんて前提で動いてないのよ。当然前例もないし。魔力供給源も回路も循環も生きてるなら、あとは待つしかなかったのよ!」
抑えていた不安を放出するように、伶那は高瀬に噛みついた。軽い八つ当たりである。
「……はい」
とりあえずそれをそう受け流し、高瀬は螺旋に目を遣った。
「まあ、ご無事なら何よりですよ、羽佐間さん」
城戸も静かに頷いた。
* * *
黒野漆は、羽佐間螺旋が目を覚ましたのを病室の外から見届けると、うっすらと笑みを浮かべてそのまま踵を返した。
クリニックに彼女のゴシックロリータは異様に浮いている。
だがすれ違う看護師やスタッフはある程度彼女とも面識があり、静かに会釈をするだけで誰も特に何も言わなかった。
「……あらぁ」
向こうから二階堂左近が歩いてくるのを認め、漆は心底楽しそうに笑みを浮かべる。
「やあ、漆ちゃん……螺旋ちゃんは」
二階堂の息はほんの少し上がっていた。どうにか時間を捻出し駆け付けたようだ。
「もう大丈夫そうね。ただ――ふふっ」
いつもの意地悪そうな笑みを浮かべ、漆は続けた。
「あなたの出る幕はなさそうね。識見の魔術師もいることだし、あとは青年に任せておくといいわ」
「……高瀬くんか」
二階堂は少しだけ眉を下げ、笑った。
「ふふふっ、勝ち目はないと思うわよ?」
「……ははっ、違いない。城戸の報告は、外で待つとするかぁ」
「そうなさい。私は戻ることにするけれど」
そして二人は連れ立って、出口への通路を歩む。
「――これで本当に終わったと思うかい?」
ふいに、二階堂はその表情をやや引き締めて疑問をこぼす。
「とりあえずは、ね。魔なんていうものは、いくらでも湧いてくる。彼ほどではないにしても――ふふふ、時間の問題でしょうね」
漆は童話の猫のような笑みのままで、そう答えた。
「……まあそれはそうか。ま、一段落したのなら、それは重畳ってところかねぇ」
「……ええ、そうね」
歌うように漆が応え、二人はクリニックを出る。
「じゃあ、私は先に本部に戻るわぁ」
ゴシックロリータを翻す漆に手を振ると、二階堂は自動ドアの近くに設置されたベンチに腰掛け、城戸が出てくるのを待つことにした。




