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 翌日。

「……よし」

 庁舎の二階の階段を上がり、踊り場の手前でそう気合を入れた高瀬は、恐る恐る歩を進め始めた。

 無事に二・五階のフロアに入れるのだろうか、と不安で堪らない。傍から見ると変な人だと思われるかもしれない。誰も階段を利用していなかったのが幸いだ。

 一瞬だけ、気圧の変化のようなものを感じた。耳が塞がったような感覚である。

 それが収まると、

「……おお、すげぇ」

 総務の区画が見える、昨日最初につづりに連れられてきた場所に立っていた。二・五階から出るときに通った奇妙な傾斜の廊下は、入るときには通らない仕組みらしい。どんな構造なのかは理解できないが、無事に出入りできさえすれば文句はない。

 総務の方へ軽く挨拶をしてから、自動ドアのパスコード入力装置の前に立つ。昨日決めた六桁を慎重に打ち込むと、無事に、例によって音もなくドアが開いた。

 魔力捜査室、のプレートがかかった部屋まで歩き、扉の前で深呼吸。

 昨日は何も起きなかったし、この部署の雰囲気をほんの少し味わった程度だ。本格的なスタートは、今日とみるべきだろう。

 期待している、と言いつつも、そこに全くそんな感情を乗せていなかった螺旋を、見返してやりたいという気持ちもあった。自分はそんなにヤワではない。言い聞かせるように頷いて、ドアをノックし、開けた。

「おはようございます!」

 一礼し、頭を上げようとしたとき、カシャン、と、ガラスか何かが割れたような甲高い音が聞こえた。

「え……?」

 驚いて目をやると、陶器の欠片と、ごく淡い琥珀色の液体が床に広がっているのが見えた。どうやら、ティーカップの残骸らしい。

「あれ……?」

 そのまま視線を上に向けていくと、気のせいだろうか、ほんのり涙目でその残骸を見ている螺旋の姿が目に入った。報告書のような物を持った城戸もいるが、こちらは昨日と同じ無表情である。

「……おはようございます、高瀬さん……。いらっしゃいました、か……」

 気を取り直すのに時間を要したらしい螺旋が、遅れ気味のテンポで言う。

 自分が今日もこうしてやって来るとは、やはり思っていなかったのだ。驚いてティーカップを落としてしまったのだろう。

「す、すみません、その、何やら高そうなカップを……」

「いえ、結構です……物には……執着、しないことを……信条としていますから。どうぞ……お気になさらず……うるさいですよ、城戸さん。お気に入りだなんて、決して……そんなことはありません!」

 言って城戸を睨む螺旋だが、先ほどから城戸は何も言葉を発していない。決してうるさくなどない、と不思議に思っていると、

「ああ、城戸くんは、精神感応能力者、って言っただろう? つまり、テレパス。テレパシーで直接、螺旋さんに話しかけているんだね。ちなみにテレパシーを受信できるかどうかは、潜在能力が関わっているらしい。誰とでもテレパシーで会話できるわけじゃないんだ」

 自分のデスクで成り行きを見守っていた黒峰が説明してくれた。

「はあ、なるほど」

 その間に棚から新しいティーセットを取り出した螺旋が、すっかり感情を抑え込んだ声で、

「……本当に、いらしたのですね」

「当然です。マソウ、と言いましたよね、この仕事もしたいと思いましたし」

「いらっしゃらないと思っていましたから、城戸さんをお呼びしていたのですが、その必要はなかった、ということですか――とりあえず、今日のところは」

「自分の記憶を消して、捜査一課に戻すため、ですか? でしたら心配はご無用です、羽佐間さん。自分はここで、刑事としてやっていきたいと考えています……必要とされている限り、ですが」

 言いながら、本当にここで刑事としてやっていけるのかどうか、という不安は拭い切れない。それでもそんな思いはにじませずに、高瀬は言い切る。

「……そう、ですか」

 やや頭を傾けて、考えるように言ってから、螺旋はティーポットにきちんと計量した茶葉を入れた。高瀬は自分のデスクに着席する。

 そこへ唐突に、二つの人影が現れた。あまりの驚きに立ち上がり、声を上げそうになったのは高瀬だけで、螺旋も城戸も黒峰も、平然としている。

「螺旋さん、大変です!」

 現れた二人の内の片方は、つづりだった。

「非科捜のプレコグが、悪魔の動きを察知しました!」

「ヒカソウ?」

 耳慣れない単語に、すかさず黒峰の注釈が入る。

「非科学捜査研究室、のことだよ。文字通り……と言っても、『非』『科学捜査』ではなくて、『非科学』で『捜査』する、と捉えないと、彼らは怒るけどね……いわゆる現代科学で説明のできないこと、つまり螺旋さんや城戸くん、つづりちゃんの能力なんかを研究したり、プレコグ――予知能力者が、この特殊捜査部管轄の事件を予期したり、そういうところだね、簡単に言うと」

 前半はよく理解できなかったが、超能力の研究や活用をしている部署なのか、と、高瀬は自分なりに解釈した。

「視たのは僕だよ、螺旋さん」

 もう一人の人影が言ったが、そちらを見て、彼は更に驚いた。

「こ、子供!?」

 しかも、僕、という一人称に相反して、どう見ても女子である。これが僕っ娘というやつか。

「失礼だな、僕はもう十四歳だ、子供扱いしないでほしいね、高瀬」

 じろりと睨まれた。

 充分に子供である。そして何故自分の名前を知っている。どうして呼び捨てにされねばならない。言いたいことは山ほどあるのに、気圧されてしまい口には出せなかった。

「彼女はプレコグの真山華火(まやまはなび)ちゃんだよ。非科捜の所属でね、能力が高いから、特別にこの任に就いているんだ。れっきとした職員なんだよ」

 黒峰の説明は丁寧だが、高瀬は疑問を抱かざるを得ない。十四歳と言えば義務教育の真っただ中だし、そもそもいくつかの法律に抵触していないか、それは。

 しかし、敢えて何も言わないことにした。これまで関わりがないと思っていた、否、信じてすらいなかった、超能力や悪魔といったものが、実在するというのだ。自分の常識など、通用するとは思えない。

「――何が視えたのですか、真山さん?」

 何事もなかったかのように話の流れを変えたのは、螺旋。

 華火も、高瀬のことなど忘れたかのように、それに応じた。

「まず視えたのは学校。校名までは判らなかったけど、視えた子供たちの年齢からして、小学校だね。その子供たちの間で騒ぎになる。だから、そのくらいの年齢の子たちが喜びそうなこととして具現化すると思うよ。いや、もうしているのかもしれない。ごく近い未来か、進行中のこととして察知したからね。でも今のところ、これ以上は……」

「そうですか。ご苦労様でした、真山さん」

「ふふ、これが僕の仕事だからね。けど、螺旋さんにそう言ってもらえると嬉しい」

 華火が笑顔を見せた。先ほどのきつい視線からは想像もつかないほど、それは可愛らしい笑顔だった。

 やはり子供である、と、高瀬が思った瞬間、

「高瀬、ここでお前が僕を子供扱いすることも、判っていたからな。覚えとけよ」

 再び鋭い視線と共に、言葉が突き刺さった。向こうで城戸が、ふっと口元だけで微かに笑ったように見えたが、それは高瀬の思い込みかもしれない。

「す、すみません」

 少なくとも迫力は大人顔負け。高瀬は素直に頭を下げた。

「ふん……じゃ、僕は戻るよ、螺旋さん。また何か視えるかもしれないしね。とりあえず視えたことを早く伝えるために、つづりさんのお世話になったんだ」

「えへへ、お世話しました」

 つづりが得意気に胸を張る。

「それじゃ」

 華火は螺旋に向け、敬意のこもった一礼をし、今度はテレポートではなく自分で歩いて魔捜部屋を出ていった。つづりは部屋に残るようだ。

「――では、指示を出しますよ」

 螺旋が静かに、それでいて有無を言わせぬ口調で言う。

「真山さんがあのように仰っていたからには、近々必ず何かしらの情報が入ってくるでしょう。黒峰さんはその情報を、逃さずキャッチして下さい。結崎さんは、いつでもテレポートができるよう待機を。高瀬さんも、ご自分のデスクで待機して下さい。城戸さんには無駄足を踏ませてしまいましたね、すみません。ご苦労様でした、記操に戻って下さって結構です。以上」

 てきぱきとした指示に、全員が――城戸も小さい声ながら――はい、と返事をし、高瀬は言われた通り椅子に座った。

 黒峰は彼のデスクの端末に向かって何かを打ち込み始めたし、つづりも自分のデスクに向かい、タブレット端末のような物を使いながら待機している。

 指示を終えた螺旋も、忙しそうに自分の端末の画面に向かっていた。

 端末を操作する音以外は聞こえなくなり、この部署で役立ちそうなスキルを持ち合わせていない高瀬は、何となく手持ち無沙汰になってくる。

 さすがに、やはり自分は場違いなのではないか、と不安になってきた頃、

「螺旋さん!」

 黒峰が緊迫した様子で声を上げた。


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