17 早乙女の秘密、螺旋の目覚め
羽佐間螺旋の意識の海に潜り込んだ弓狩は、ゆっくりと目を開けた。
彼女の意識の海の色は、深い蒼だった。
「……これだ」
そして、淡い光を放つ彼女の魔力の回路の一部に、小さな黒い蔦が絡みついているのを見つけた。城戸が言っていたのはこの蔦のことだろう。
「…………」
弓狩はゆっくりと、黒い蔦に右手をかざす。
「――〈焼け〉!」
弓狩の右手から紅蓮色の炎が吹き出た。炎は蔦を飲み込み、完膚なきまでに焼き尽くす。
次の瞬間、弓狩は光に包まれ、意識の海から切り離された。
「っ――」
* * *
螺旋の傍に立ち、目を閉じてその右手をかざしていた弓狩がはっと目を開けたのを見て、どうやら彼女は意識の海とやら戻ってきたらしい、と高瀬は理解した。
同時に、螺旋の白銀の髪が勢いよく伸び始めた。
「わ、わ、わ……!?」
声を上げて驚く弓狩と同様に、高瀬も内心は驚いていた。しかし弓狩とは違って声には出なかった。
「大丈夫、循環が再開した証拠よ。魔力が安定すれば元に戻るわ……ありがとう、弓狩さん」
伶那が安堵した表情で述べる。
「よ――良かったぁ」
弓狩はへたりとその場に座り込んだ。
「いやあ、さすが記操のホープだね」
二階堂がそんな言葉で弓狩を労う。城戸もゆっくりと頷いた。
「室長に褒められても全然嬉しくないです」
へたり込んだままで弓狩が言う。だが明らかに重圧から解放された様子だった。
高瀬も大きく息を吐き出す。
「ははっ、弓狩ちゃんキミさぁ……」
「まあまあサコンさんー、とにかくー」
「そうね、あとは本人次第……まあ、この子のことだから、循環が再開された以上はすぐに目を覚ますでしょ」
伶那がそう引き取った。
二階堂と城戸、弓狩は残されている他の処理のためにクリニックを去り、病室には螺旋と伶那、高瀬、そして早乙女が残されていた。
伸び続けていた螺旋の白銀の髪はその不思議な動きを止め、何事もなかったかのように元の長さに戻った――色が漆黒に戻ることはなかった。
魔力が安定した、ということか。高瀬は先刻の伶那の言葉を思い出していた。
「ユタカさんー、とお呼びすべきー、でしょうねー。ラセンさん、はー」
早乙女が間延びした口調のまま、切り出す。
「目を覚ますのは時間の問題でしょ、大丈夫」
「そう、ですかー。それならー、良いのですがー」
「…………」
伶那は静かな視線を早乙女に向けている。
「…………?」
その妙な静けさに、高瀬は僅かな疑問を覚えた。
「……職務のためとは言えー、部下にー、このようなー……」
「早乙女さん」
伶那は――否、これは夕鷹か――静かな空気を纏い、早乙女の言葉を遮った。
「…………」
早乙女はぴたりと言葉を止め、夕鷹の視線を受け止めた。
「……うーん、ここには高瀬くんもいるしなぁ、言っちゃっていいのかなぁ」
静かに腕を組み、夕鷹はそんな言葉を発した。
「……?」
高瀬は首を傾げ、
「……あ、ええと、席を外します、か?」
状況は理解しないまま、ただ必死で空気を読む。
夕鷹の言葉を受けた早乙女はしかし、何故かその表情を緩めた。
そして、
「――あなたはお気付き、なのですね」
あまりにも普通の口調で、彼女は言った。
「……!?」
高瀬は突如として口調を変えた早乙女に、その視線を向ける。
「これでもあたしは〈夜明けの魔術師〉の弟子ですから。まぁマズかったら城戸くん辺りが動くでしょ、言いますよ。早乙女さん、あなたの実体は、既にこの空間軸には存在しない。そうですよね?」
「……咲さ――深森さん? それ、どういう意味――」
高瀬の疑問はしかし、早乙女に遮られる。
「ご明察です。さすがは識見の魔術師ですね」
「ま、そこの高瀬くんとかも、違和感は抱いていたはずですよ? そうよね?」
言われて高瀬は、これまでの早乙女の――幽霊めいた神出鬼没さを思い出す。
「――実体が、空間軸に存在しない、って、ゆ、幽れ――」
「ふふ、純粋な幽霊ならまだ可愛いものです」
早乙女は少しばかり自嘲気味な笑みを浮かべる。
この人もこうして普通の調子で話せるのか、と、高瀬はぼんやりと思った。あの間延びした口調は何なのだ。否、それより――
「……どういうことですか?」
「私は以前、特殊捜査部の系譜に連なるとある組織を率いていました。そこで少々無茶をしまして。元々の実体――つまり人間としての器と精神――魂と呼べば解りやすいでしょうか――が切り離されました。現在この器――身体を使用してこちら側に存在できるのは、霊監室長であるヨルヒコさんの力によるものが大きいのです。片付けなければいけない事案がいくつも残っていましてね、まだこの空間軸を離れるわけにはいかなかったものですから」
早乙女は一息にそう言った。
「……?」
高瀬は半分程度しか理解できなかった。
「結果的にラセンさんに任せていた悪神への対応も、本来ならば私がすべきだったのですが――この器では限界がありまして。四年前の例の件も、今回も――私の責任なのです」
「……ま、そうお考えになるのはある程度理解できますけど――螺旋もただ命令に従って動いていたわけではないですよ。師匠の――宵宮暁音の件もありますし。だから――」
夕鷹は一度言葉を区切った。
「――全てがあなたの責任ではないです。確実に螺旋の意志でもありました」
「……はい」
早乙女は静かに頷く。
「……まあ、結果がこれですけど――これは秩序の魔術師・羽佐間螺旋自らが選んだことです」
「――はい」
「…………」
高瀬は口を挟まず、そのやり取りをを見守る。
「一応それだけお伝えしたくて。この空間軸に実体を持たないモノに迷われるの、識見の魔術師としては厄介なんで」
「……ありがとうございます」
早乙女は静かに頭を下げた。
「いえ、別に」
夕鷹はそれだけ応えた。
その時、螺旋の左手の指が微かに動いた。
「!」
高瀬がそれに気付き、つられて夕鷹――伶那と早乙女も視線を遣る。
「……ではー、私は失礼しますー。ユ――レイナ先生ー、アイイチローさんー、あとはお願いしますねー」
普段の口調に戻った早乙女がそう言って、その場から忽然と姿を消した。
「…………」
一瞬だけそこに残された虚空を見つめ、高瀬は再び螺旋に視線を戻す。
彼女がゆっくりと目を開けるところだった。
「――螺旋」
伶那が静かに呼びかける。
「羽佐間さん!」
高瀬の声には勢いがあった。
「……伶那さん、――高瀬、さん」
「――っ」
両目を開けた螺旋を見て、高瀬は言葉に詰まった。伶那も静かに螺旋に歩み寄り、その目を覗き込んだ――魔眼は発動していないはずの彼女の左目は、いつものやや色素の薄い茶色ではなく、蒼く染まっていた。
「……私は――生きて、戻ったようですね」
「あんたね……っ」
伶那も一瞬言葉に迷い、
「……本っ当に、馬鹿!」
しかしその表情には安堵がにじんでいる。
「……他に方法が、ありませんでした」
「だからって禁術使ってんじゃないわよ!」
「……ですから、他に、方法がありませんでした」
いつもなら淀みのないはずの螺旋の言葉は、やや途切れがちだった。それは迷いのためと言うよりも――
「羽佐間さん、まだ意識はっきりしてませんね?」
「……そんなことは」
螺旋は否定したが、その視線には力がない。
「……ま、外見にすら既にそれだけの代償を払っているくらいだし、まだ意識は不安定でしょうね」
伶那はそう言ってから、
「一度意識が繋がったんなら、もう大丈夫でしょ。あとは時間に任せるしかないわね。螺旋、寝なさい」
魔術師としてなのか医師としてなのかは高瀬には判然としないが――両方だろう――螺旋に命令する。
「……いえ、随分……眠っていた、ようですし」
螺旋は抗うが、
「ったく、じゃあ起きとけばいいわ。起きていられるのならね」
伶那の言葉を受けて一度ゆるゆると目を閉じる。数秒そのまま両目を閉じていたが、更に抵抗するようにまたゆっくりと目を開けた。
「いや羽佐間さん、眠いんすよねそれは。寝て下さい」
「……別に、眠いわけでは……」
言い終えると同時に、またゆるゆると瞼が下り、数瞬置いて目を開ける。
「……羽佐間さん、それ完全に、眠い人の反応なんすよ」
「……いいえ、眠い、わけでは……」
「いいから」
伶那が腕を組む。
「あんたは普段魔力で生活を補ってたわよね。で、今あんたの魔力の循環は万全じゃない。神降ろしももちろんだけど、普段のツケが回ってきたのよ。魔力回路はかなりダメージ受けてる。さっき意識が戻らなかったら永遠にそのままだったわよ。だから寝なさい――回復のためにも」
さらりと恐ろしい言葉が混ざっていたので、高瀬はぎょっとして伶那を見やった。伶那は気にせず、螺旋を見ている。
「……はい」
ついに螺旋は、大人しく頷いた。ゆっくりと目を閉じる。
「ったく、世話が焼けるわね」
「……自分は……もう少し、ここにいても構いませんか?」
高瀬が伶那に確認すると、彼女は腕を組んだまま頷いた。
「……ありがとう、ございます。少し……眠り……ます」
状況を理解しているのかいないのかそう呟いて、螺旋は再び眠りに落ちたようだった。
「……よし、この眠りの間に魔力はかなり安定するはず。高瀬くん、心配要らないからね。面会は十七時までだから適当に帰るのよ、そっちも色々残ってんでしょ? さてと、一応点滴は落としとくかな」
手早く処置をしながら言い残して、伶那は病室を出て行く。残された高瀬は、ベッドの傍にある椅子に腰掛けた。螺旋の眠りが穏やかなもののようなので、安堵する。完全に意識がなかったあの状態とは違うことが見て取れた。
「…………」
少しの間そうしていた高瀬は、思い出したようにスマートフォンを取り出し、黒峰とつづりにメッセージアプリを介して連絡を入れた。すぐに黒峰から返ってきた内容で、何故か既に彼らは螺旋が目を覚ましたのを知っていることが判った。
「……いや黒峰さん、どうなってんだよ」
何故かどんな情報でも把握している黒峰の、やけに爽やかな笑顔を思い出し、高瀬は独りごちる。
螺旋の微かな寝息は安定している。
その白銀に変わった髪が再び目に入り、色を変えていた左目も思い出す。
「本当に、この人たち……いや、俺も大概なのか」
高瀬は大きく息を吐き出してから、苦笑を浮かべた。
しばらく椅子に座って螺旋を見守った高瀬は、やがて立ちあがる。
「じゃ、羽佐間さん、戻ってますね」
小さく呟き、彼は病室を出た。そして警察庁の二・五階、魔捜部屋を目指した。




