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やがて処置室から漏れ聞こえるざわめきのボリュームが下がってきた。
「……高瀬くん」
ふいに上方から降ってきた声に、高瀬はゆるゆると視線を上げる。
「――二階堂室長」
「あっちはほぼ片付いた。結崎くんたちは帰した。細かいことは担当者がまだ処理してるけどね」
二階堂はいつもの軽い調子で状況を伝える。その色の異なる双眸に、やや疲れがにじんでいた。
「羽佐間さんは――まだ、処置を受けているようです」
高瀬はそれだけ説明する――それだけしか、解らない。
「……みたいだね。あ、そろそろ出てくるかな」
二階堂の視線が、処置室の出入り口に向けられた。やがて移動用のベッドに寝かされた螺旋と、数名のスタッフ、そして夕鷹が出てくる。
「――じゃあ、病室に運んで寝かせといて。すぐに行くから」
「はい、先生」
看護師が頷き、ベッドは病室に向かうようだ。
「高瀬くん――二階堂室長も」
夕鷹の視線が二人を捉えた。
「……もう大丈夫なはず。来る?」
二人は頷き、夕鷹のあとを追った。
「――というわけだから、焼き切れそうな魔力回路が回復したら目は覚ますと思うんだけど」
螺旋が眠っている病室で、高瀬と二階堂に対して一通りの説明を終え、夕鷹――伶那はそう言った。
神降ろしという禁術で莫大な魔力を一時的にその身に宿して行使した螺旋の魔力回路は、崩壊寸前ながらも生き残っており、それが彼女の生還の一助となったらしい。普段の生活も基本的にその魔力回路で補っている彼女にとって、魔力回路が生命線とイコールらしい。
「……ホント無茶しますねこの人」
目を覚ます、という言葉で一旦警戒を解いた高瀬は、息を吐きながら呟く。
「まあねぇ、螺旋ちゃんだからねぇ」
二階堂もそう漏らした。
「……ま、師匠のこともあったから、何をやらかすか解らないとは思ってたんだけど」
伶那は嘆息し、
「とりあえず今夜は眠らせましょ。順調なら、明日――あら、もう今日なのね――午後には回路はある程度回復するはずよ。高瀬くんも二階堂室長も、一旦帰れば?」
そう締めくくった。
「まあ……ここにいても僕らにできることもなさそうだしね。高瀬くんも疲れたでしょ、初めて魔法銃使ったわけだし」
「……いえ、それほど疲れはないですけど……普通の銃と基本的に変わらないんですよね、あれは?」
「ははっ、アドレナリン出てるねぇ、高瀬くん。ああ見えてそれなりに力が必要なんだよ、魔法銃」
二階堂にへらりと言われ、それがきっかけとなったように高瀬は一気に疲労を自覚した。
――そう言えばこのところ、あまりにも密度の高い日々を過ごしていたことを、今更のように思い出す。
「僕も一旦失礼するよ。部下がまだ頑張ってくれてるんでね」
二階堂はひらひらと手を振り、一度視線を螺旋に向け、何とも形容しがたい表情を一瞬だけ浮かべてから、伶那に向き直る。
「というわけでセンセ、あとはよろしく」
「はいはい」
「高瀬くんは帰って寝ること。あ、これは螺旋ちゃんから引き継いだ指揮官としての命令ね」
「……はい」
「よし。じゃあね」
二階堂は病室を出て行った。
「本っ当、相変わらず胡散臭いわね」
伶那はため息交じりに言って、
「まああの胡散臭い室長さんが言ってたように、高瀬くんは帰んなさい」
「了解です」
「螺旋のことはあたしが責任持って引き受けてるから大丈夫。それにきみも知っての通り、螺旋はそこそこのことじゃ折れないわ」
「……はい」
高瀬は頷き、二階堂と同じように螺旋に視線を向けてから、
「では、失礼します」
伶那に一礼してクリニックをあとにした。
「……まったく、世話の焼ける最強魔術師ね」
その髪色を白銀に変えた秩序の魔術師に目を向け、伶那は呟く。
「目を覚まさないと許さないわよ」
圧をかけるように、伶那は螺旋にそう告げた。当然それに応えることもなく、螺旋は静かに眠っていた。
* * *
一夜明け、二・五階の空気の質はがらりと変わったものの、慌ただしさは相変わらずだった。全部署を巻き込んだ悪神級案件に残された後処理は、並大抵のものではなかった。
室長が不在の魔捜部屋は、しかし魔術師なしにはその業務が回らないとされ、当面の間室長代行が置かれることになった。その任に就く者として、ニューヨーク市警の春日井伽羅が招聘されると高瀬は聞かされた。特捜、及び魔捜をある程度知っている魔術師というのが、春日井に限定されるためだった。改めて魔捜は羽佐間螺旋という魔術師ありきで運用されていたことを、高瀬は思い知らされた。
春日井は既に日本に向けて出発しているそうだ。
黒峰やつづりとともに、二階堂から手渡された書類を片付けていると、あっという間に昼を回っていた。
「……ふぅ、とりあえず一段落、ですかね」
つづりが言って、時計を確認する。
「お腹空いたと思ったら、もうこんな時間じゃないですかぁ」
「……本当だ」
黒峰も端末の時刻を確認したようだ。
「ですね」
結局一睡もしていない高瀬は、目をこすりながら小さく息を吐く。
「螺旋さん、大丈夫ですかね」
ふいにつづりが呟いた。彼女の状況については、朝一番に二階堂が説明している。
「……魔力回路とやらがある程度回復したら目を覚ますらしいですけど」
高瀬の言葉を受けて、
「まだ咲坂先生から連絡はないね」
黒峰が微かに眉を寄せた。
そこへ魔捜部屋のドアがノックされ、二階堂が姿を見せる。
「高瀬くん、これからセンセのクリニックに行くけど、どうする?」
「あ、行きます」
「わ、わたしも行きたいですっ」
つづりが勢いよく挙手すると、
「結崎くんは今度ねー」
二階堂は軽く笑ってそう制した。
「ええー!」
「結崎くんはほら、そろそろごはん食べてきたら?」
「わたしそんな腹ぺこキャラじゃないですっ! 螺旋さんが心配です!」
「ごめんごめん、そんなつもりじゃなくて、ほら、ずっと忙しかったでしょ?」
「それを言うなら高瀬さんも黒峰さんも、ずっと忙しかったです!」
つづりの抗議を二階堂はひらひらと躱した。
「まあまあ、小宮山ちゃんが待ってたよ」
「え、誉が? それを早く言って下さいっ!」
つづりはそう言って、
「じゃあわたし、出てきますね」
高瀬と黒峰に告げると魔捜部屋を出て行った。
「……じゃ、高瀬くん、行こうか」
「……はい」
本当に小宮山誉が待っているのかどうかは怪しいな、と思いつつ、高瀬は二階堂に従う。
「行ってらっしゃい」
黒峰の声が見送った。
伶那のクリニック、螺旋が寝かされている病室に到着した高瀬と二階堂は、まだ彼女が目覚める気配がないことを告げられた。
「……お宅に意識に潜れる能力者っていなかったっけ?」
伶那に問われた二階堂は、
「うーん、城戸とか弓狩ちゃんかなぁ」
高瀬も知っている名を挙げた。
「ここに呼べる?」
「呼ぼう」
二階堂は即答し、断りを入れてからスマートフォンを取り出す。すぐに城戸に繋がったようだ。短く用件を伝えると通話を終了した。
「すぐに来るよ」
「……どうもおかしいのよ」
伶那はそう言って、
「二度手間になるから、その二人が到着してからでいい?」
「はははっ、センセって相変わらず合理主義だねぇ」
「うるさいわね」
「本当のことじゃーん」
「そっちも大概、そういうところがチャラいのよ!」
「…………」
二人が軽口の応酬を繰り広げるのを聞きながら、高瀬は螺旋に視線を移す。呼吸はしているようだが、その目は閉じられたままだった。二階堂と伶那の会話に反応する様子もない。白銀の髪が一筋、ベッドから零れ落ちている。
二階堂はともかく、伶那がこの調子でいる以上は――命の危機は、脱したと見て良いのだろうか。
やがて病室のドアがノックされ、看護師に伴われて城戸と弓狩、そして早乙女が姿を見せた。
「おや、部長」
二階堂が姿勢を正す。高瀬もはっとしてそれに倣った。
「ラセンさんのー、様子をー、見に来ましたー」
いつもの間延びした口調で、彼女はそう告げた。
「……さて、じゃあセンセ、何がどうおかしいのか説明をお願いしていい?」
「言われなくてもするわよ」
伶那はやや棘のある視線を二階堂に遣ってから、一同に向き直った。
「神降ろしによって焼き切れる寸前だった魔力回路がある程度回復すれば、意識は戻ると踏んでたの」
そこまで言って、ちらりと早乙女に視線を向ける。特捜を束ねる部長のいる前で、敬語を使うべきかどうかを迷ったらしい。早乙女は特に気にしていない様子だったので、伶那はそのままの口調で続けた。
「魔力の回路自体は、どうにかではあるけど生きてるわ。で、魔力の供給自体にもそこまで大きな問題は見られない。源は生きてる。けど」
伶那は一旦言葉を切る。
「その魔力が循環していない。螺旋は魔力の循環で生命維持してるようなとこがあるから――それは止めろってずっと言ってるんだけど――回路を魔力が流れないと、恐らく目は覚まさない」
「……つまり、それって」
弓狩が控えめに口を開いた。伶那は頷く。
「きっと、〈意識の海〉に何か問題が起きてるわ」
「なるほど、それで意識に潜れる能力者をご所望だったわけだ、センセは」
「そういうこと」
「城戸」
二階堂は短く言って、城戸を見た。
『了解』
テレパシーで応じ、城戸は頷く。
そして軽く息を吐くと目を閉じ、眠ったままの螺旋に手をかざした。
「……蔦だ。回路に蔦が絡みついている。だから魔力が循環していない」
テレパシーを受信できるのは、二階堂と弓狩、そして早乙女だけだ、と気付いた城戸は、声に出してその情報を一同に伝えた。
「蔦――それは、悪神の仕業?」
伶那が問うと、
「多分」
城戸は頷いた。
「やれやれ、まだ残滓があるのか、あれの」
二階堂が肩を竦める。そして、
「――となると、弓狩ちゃん」
視線を弓狩に移した。
「は、はいっ」
「潜って焼き切れ」
その指示は城戸が声にした。
「っ――そ、それって」
弓狩の声が震える。
「それって、失敗したら、羽佐間さんは二度と――」
状況を理解するにつれて、高瀬の背筋も更に伸びる。
「目を覚まさないでしょうね」
伶那が静かに言い放った。驚くほど冷静な声だった。
弓狩は一瞬泣きそうな表情を浮かべ、しかしすぐに立て直す。
「……判りました」
そして、右手のグローブを外し、意識のない螺旋の傍に歩み寄る。
「ルイさんー、大丈夫、ですー」
早乙女の声に後押しされるように、弓狩は頷き、
「……羽佐間さん、失礼します」
右手を螺旋にかざし、目を閉じた。
「……〈潜ります〉」




