11 運命の夜
その後も魔捜、否、特捜全体が慌ただしい空気に包まれていたが、不自然なまでにヴェパールや悪神に関する情報は入らないまま、一日が終わろうとしていた。
ただ、情報が入らない、ということを悲観的に見ている者はいなかった。黒峰の言葉を借りるならば、収穫が得られないことが収穫、ということか。
「――では、今日はここまでにしましょう」
終業の時間を迎え、螺旋が言った。
「本番は明日の夜です。本日できることは全て終えました。皆さんは明日に備えて下さい」
「はいっ」
つづりが元気よく応える。彼女は今日一日、空管や情管、他の部署と魔捜をテレポーテーションで往復していた。高瀬は彼女に手渡された書類などをその都度処理し、つづりのサポートに回ってもいた。螺旋からの指示があればそれに従った。目立った動きがなかったとは言え、そこそこハードな一日ではあった。
「了解です」
高瀬もそう応じたものの、やはり気を抜くと緊張が押し寄せてくる。あのぞっとするような美しさを持つヴェパールを相手にすることももちろん、背後にいる悪神、そして――魔法銃。数か月前の自分が、どうしてこんな現実が待っている可能性を予想できただろう。
補助能力とやらも既にほぼ受け容れているとは言え、深く考え始めると現実に戻れなくなりそうだ――高瀬はつい最近まで、超能力など持たない一般人のつもりで生きていた。そもそも本来ならば、警察庁にこんな部署が実在しているなんて認めてはいけないはずだったのだ。気付けば――すっかり適応してしまった。
現実と非現実の境界が、以前ほどはっきりしていない。否、全てが現実なのか。
「そんなに迷わなくていい」
帰り支度を整えた城戸がふとそう呟いた。
「……はい?」
それが自分に向けられた言葉だと気付き、高瀬は聞き返す。
「難しく考えなくていい。目の前のこと、それだけ」
「……あ、ありがとうございます」
「…………」
高瀬の礼には言葉では応えず、城戸は魔捜部屋の一同に向けて黙礼し、去って行った。
「あっはは、高瀬くん何か悩んでた? いいこと言うねえ城戸くんは。そうそう、目の前のこと、目の前のこと。さて、僕も今日はちゃんと帰るかなぁ」
黒峰が大きく伸びをして、端末の電源を落とす。
「そう言えば螺旋さん、咲坂さんが外で待ってるらしいです」
「夕鷹さんがですか」
「はい、さっきファイルを転送したときの返事に書き添えてありましたよ。どうせ今日もまともに食べてないだろうから、って」
「…………」
螺旋が静かに目を逸らす。
「そう言えば螺旋さん、今日もおひる食べてなかったですね?」
つづりが人差し指を顎の辺りに当てながら、記憶を辿るように首を傾ける。
「わたしたちがおひるに出るときも、確か螺旋さんはここに残ってましたし」
「……確かに。昨日も咲坂さんにちゃんと食べろって言われてましたよね?」
高瀬もつづりの援護に回る。螺旋は観念したように息を吐くと、
「……非効率ですが、仕方がありませんね」
完全に諦めた調子でそう言った。
「よしっ、じゃあ咲坂さんのところまで、螺旋さんを連行です!」
つづりが元気に言って、
「な、結崎さん……!?」
微かに感情を発露した螺旋の背中を押し始める。
「はーい、決戦に備えてちゃんと食べましょうね、螺旋さん!」
そして一同は、翌日に待ち構える重大案件を敢えて気にしないかのように、連れ立って魔捜部屋を――二・五階をあとにした。
* * *
そしてついに、その夜がやって来た。
日中に室長会議が開催され、かなり細かい連携策や戦略が練られたようだった。高瀬たちにも必要な詳細は全て、螺旋の口から伝えられた。
室長会議で螺旋が魔捜部屋を留守にしている間は、黒峰もつづりも、そして高瀬も、各々に課された仕事を片っ端から仕上げていた。城戸や華火も頻繁に出入りした。
――そして、午後七時。
第一陣となる空管と記操の担当者が現場――廃ビル周辺に入った。人払いや結界の生成を徹底するためである。二陣に分かれて現場入りするというのは普段とは異なる動きであり、事の重大さを物語っていた。二階堂と城戸、それに高瀬が先日初対面を果たした弓狩瑠依も、第一陣としてそこに加わっている。
螺旋、高瀬、つづり、そして華火と、いつものように現場には出向かない黒峰は、まだ魔捜部屋に留まっていた。
「――いよいよ、ですね」
つづりの声は微かに震えていた。
「……うん」
華火も心なしか、いつもより素直な様子である。
「……さすがに今回は、状況の前倒しなんてことにはならないでしょうね」
高瀬はこれまでのことを思い出しながら呟く。
「今回はプレコグ全員、いつにも増してかなり注視してるからな。これ以上状況が加速するっていうなら……さすがに誰かは何か視えるだろ」
「……なるほどです」
「それに、最悪状況が前倒しになっても――それに対応できるだけのことは、室長会議で決定してるらしいからな。うちの室長もそう言ってた。僕らも指示を受けたし」
普段よりも、高瀬に対する言い方に棘が少ない。
「ええ、あらゆる可能性は想定し尽くされています――最終的には悪神が相手ですから、裏切られる可能性も皆無ではありませんが……」
螺旋が静かに言い放ち、
「特捜全部署の連携が整っています、過度に恐れる必要はないでしょう」
そう締める。
「それにしても」
黒峰が端末から目を上げた。
「ホント、ここまで情報に気配を出さないっていうのは敵ながら素晴らしいね。数瞬のヴェパールの目撃情報はたまに上がったけど――毎回すぐに消えるし、それ以上追えなかった……手がかりは何も得られない。攪乱ってところかな」
実際、一昨日の監視カメラの時と同様に、黒峰が何度か声を上げて螺旋をデスクに招いてはいた。高瀬も二度、その画面を確認している。
「ふん、あんな目立つのが街を歩いてて、急に消えたりしたらそこそこ人目に付くはずなのに――誰も気付いていない」
華火が吐き捨てるように言う。
「監視カメラには映ってるのに、変ですよね」
つづりの言葉に、
「まあ、ヴェパールの――いや、悪神の、かな――こっちへの挑発ってところなんだろうね」
黒峰が分析を述べた。それが妥当だということなのだろう、螺旋が小さく息を吐きながら頷き、立ちあがる。
「……さて、こちらもそろそろ時間ですね。行きましょう」
午後八時が迫っていた。第二陣となる魔捜、異次捜、そして未解の担当者――螺旋たちと漆、智歩の出陣の時間である。現地で夕鷹とも合流する予定である。
「はい」
短く応じて、高瀬たちも立ちあがる。
既に高瀬は、魔法銃のホルスターを装着して準備を整えていた。
「じゃあ、くれぐれも気を付けて」
黒峰に見送られ、螺旋、高瀬、そしてつづりと華火が魔捜部屋を出た。
ワゴン車は静かにその廃ビルの近くに停車した。
降り立った高瀬たちを、いやに密度の高い空気が出迎える。
「…………」
高瀬もこれまでの経験から、肌感覚として理解していた。ヴェパールは、既にこの場にいる。姿は見えないが――これはそういったモノが場を支配している空気だ。
辺りは静まりかえっており、頑丈な結界が張られていることが判った。
「ふふ。混沌のノイズが聞こえるわ」
月明かりに銀髪を光らせ、漆が歌うように言う。そのゴシックロリータのドレスは、すっかり夜に溶け込んでいた。使い魔である猫たちの姿は見当たらない。既に任務に就いている、とか言っていたか。
「うわぁ、嫌だなぁ」
隣に降り立った智歩が苦笑いを浮かべた。その手には透明で大きな音叉が握られている。彼女は武器としてそれを使用するとのことだった。
「あらぁ探索者、あなたには聞こえないの?」
「バカか、魔女。柊さんの管轄は時空だろ。ノイズが走ってるのは魔女の管轄の次元なんだろ。管轄違いじゃんか」
華火が大人顔負けの冷ややかさで言う。高瀬に対する当たりの強さとはまた違った温度だと、今になって高瀬は気付いた。
「ふふふ、生意気ねぇ。嫌いじゃないわよ」
「僕は嫌いだ」
「お二人とも」
低温の火花を散らし合う漆と華火の間に、温度を持たない螺旋が割り込む。
「……ごめんなさい、螺旋さん」
華火はすぐにそう言い、
「ふふっ、相変わらず堅いわねぇ」
漆は楽しそうに目を細めた。
「……大丈夫なのかなぁこれ」
つづりが漏らした不安に、高瀬も微妙な表情で同意を示す。
――ヴェパールの逮捕、そしてその後に待ち受けるであろう悪神に挑むのは、このチームなのである。
「……どう考えても――相性が最悪なんすよ」
「うんうん」
高瀬とつづりが密かにため息をついているところへ、
「螺旋」
そんな声とともに近づいてくる足音が聞こえた。咲坂伶那――否、深森夕鷹である。濃紺のコートに身を包んでいた。
「――夕鷹さん」
「それから、皆さんも――魔術師兼医師、深森、夕鷹です」
その名を印象づけるように区切りながら、ゆっくりと夕鷹は名乗った。




