10 華火からの言葉
白いVネックのセーターに、ほのかにピンクがかった紫のフレアスカートのいつもの姿で、特殊捜査部部長である早乙女が立っていた――これ以外に服は持っていないのか。そしてこの時間ともなると、上着がなくてはさすがに寒くないのだろうか。高瀬はしっかりとコートを着込んでいる。
「うふふー、お久しぶりですねー」
「あ、は、はい、お疲れ様です」
「ラセンさんもー、ウルシさんもー、チホさんもー、それからサコンさんもー、皆さんがいらっしゃるのでー、今回は大丈夫だと思うのですがー」
相変わらず間延びした口調だが、内容はそこそこ重いらしいことを高瀬は理解する。
「ヴェパールへのー……いえー、悪神への鍵はー」
そこまで言って早乙女は、その大きな瞳に深淵を宿した。
「アイイチローさんも担っているのでー」
「!」
「二日後の夜はー、しっかりヴェパールを片付けて下さいねー」
「は!」
高瀬は最敬礼で応じる。
「ヴェパールを片付けることがー……大きな鍵にー、なりそうですー」
「はい!」
「うふふー。ではではー、決戦に備えてー、しっかり休んで下さいねー」
「ありがとうございます、部長もお疲れ様で――あれ?」
言いたいことだけ言って、また早乙女は忽然と姿を消した。
――幽霊。
またその単語が脳裏にちらつく。
「……まったく」
胸の内に渦巻く感情を、正確に表すことのできる言葉は見つけられない。高瀬は言葉の代わりに深い息を吐ききってから、コンビニを目指して歩き出した。
* * *
その翌日。
ヴェパールの出現予知を明日の夜に控え、二・五階に満ちる空気の緊張も更に高まっていた。
魔捜部屋には朝から、様々な人物が出入りしている。作戦が魔捜主導で展開されるためらしかった。
城戸も朝から魔捜部屋に張り付いているし、二階堂も既に三度ほど訪れてはまたどこかへ出た。軽い調子を維持してはいたが――二度目に訪れた際に例によって螺旋を食事に誘い、即座に断られていた――その目にはやはりいつもの余裕があまりなかった。
漆と猫たちもふらりと顔を見せて螺旋と何かやり取りしていたし、智歩も朝一番に訪れてから端末を介して螺旋と何らかの情報を交換しているようだ。先ほどまで霊監こと霊魂監察室の室長、一色夜彦も立ち寄っていた。珍しいことである。彼は相変わらず、ブラックスーツに黒ネクタイという出で立ちだった。
黒峰は夜明け前に一度帰宅したらしいのだが――白衣の下の服が昨日とは違うので着替えたことが覗える―― 高瀬が登庁してきた時刻には端末に向かっていた。徹夜をしたことは確定だろう。しかしこれと言った収穫はないらしい。
「まあ、収穫がないことが収穫だよねぇ」
疲労の色などにじませず軽やかに言うが、それが逆に怖かった。ナチュラルハイ気味である――そしてこの案件はまだまだ、現時点ではピークを迎えていないはずである。螺旋が眠らないのは魔力でそれを補填できるからだが、黒峰には魔力はないはずだ。つまり彼の場合は純粋に徹夜明けであり、しかしその処理能力の精度は少しも落ちていない。その意味では黒峰も化け物だ。今更ではあるが。
「ヴェパールも悪神も、本っ当にうまく隠れてるんですね」
つづりが困ったように眉を下げて言うと、
「だね。けど、昨日の監視カメラにも一瞬映ってたみたいに、ヴェパールはたまにその姿を見せてる。一方でその痕跡をこっちにまったく辿らせない軸に潜んでいるってことは、そういう軸――世界が存在するってことの逆説的な証明になるわけだよ」
両手は端末のキーボードを凄まじい勢いで操りながら、黒峰の声が応える。
「……悪神の、独自の世界、でしたっけ」
高瀬がぽつりと漏らすと、螺旋と黒峰が頷いた。
と、そこへ再びドアが開けられ、
「螺旋さん」
華火が顔を覗かせた。足早に入室する。
「真山さん。どうされましたか」
「明日の夜九時のことだけど――怪我に、気を付けて」
「……怪我、ですか」
応じながら螺旋は恐らく無意識だろう、左手を右腕に持って行った。
「……この前みたいなことに、なる可能性がある」
華火の表情に僅かに不安がにじんでいる。
恐らく昨年末のことを言っているのだろう。ヴェパールのエフェクトだか何だかで、螺旋はその古傷から大量に出血していた。ヴェパールの影響下から脱出した際にその出血の痕跡は消えたので確かにエフェクトではあったのだろうが――影響下にあった際の出血もまた事実だったようで、彼女は直後の処置の際に輸血を受けていたはずである。どの辺りまでがエフェクトとやらで、どの辺りまでが現実なのか、高瀬には未だに判別できない。螺旋もそれを説明しない。
「――気を付けます。ありがとうございます」
「ううん。僕にできることはしたいし」
「……あれは、羽佐間さんの力がヴェパールにコピーされた結果、でしたよね?」
高瀬の確認に、
「ええ。その上であれの持つ力である――いえ、更に悪神に強化された力、ですね――傷口を化膿させるエフェクトをかけられました。結果として、そもそもがヴェパール由来の傷である古傷が開いてしまった、といったところでしょう」
螺旋はやけに淡々と、その分析を伝える。
「……いやそんな他人事みたいに言わないで下さいよ、死にかけてたじゃないすか羽佐間さん」
あまりに無感動な螺旋にそう伝えると、彼女はほんの微かに小首を傾げた。高瀬は嘆息し、つづりも苦笑を浮かべる。黒峰と城戸は一瞬だけ目を合わせた。
「……あと高瀬、その魔法銃は使える」
突然華火の顔が高瀬に向けられた。
「!」
「だからしくじるな」
「――判りました」
「……じゃあ、僕は戻るよ」
再び螺旋を向いてそう言うと、華火はくるりと背を向けた。
「わざわざありがとうございます、真山さん」
「ううん、気にしないで」
右手を軽く挙げてから出て行こうとした華火に、例によって入り口付近の壁にもたれて立っている城戸が静かな視線を遣った。
「……城戸さん?」
華火が城戸を見上げる。
「何? え? ああ、うん」
その様子を見て、華火もテレパシーを受信できるらしいことを高瀬は理解した。考えてみれば彼女はプレコグ、つまり予知能力者なのだし、そういったものを感知する能力に優れているのかもしれない。それにしても相変わらず、城戸は声を発するのが苦手なようだ。必要最低限しか声にはしない。
「……うん。ありがと。それじゃ」
華火はそれだけ言って、魔捜部屋を退出した。
春日井伽羅の言うように信頼の裏返しなのだかどうだか定かではないが、しかし自分に対する物言いだけ、無駄に棘がある、と高瀬は思った。
だが非科捜トップクラスのプレコグであるという彼女が言うのであれば――魔法銃の携行は最適解と呼べるのだろう。現在は規定通りに魔捜部屋の保管庫に入れてある魔法銃の存在を、高瀬は意識した。




