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螺旋の声には、いつものように温度がなかった。ほぼ淀みもなかった。
しかしそれゆえに、その重みに場が支配された。
「……ヒトを……しかも魔術師を喰う、なんて、あり得ないはずなんですけど」
能力を行使して実際にその映像を視たのであろう智歩が、苦い顔をする。
「表に出されている――って言っても、あくまで僕らの世界での表なので、実質裏ですけどね――とにかく記録上、そういう悪魔や類似する存在はないことになってますね、さらっとデータを洗った結果ですけど……あ、螺旋さん、今回はちゃんと手続き踏んでます、大丈夫です」
黒峰は一旦きちんと螺旋に視線を遣って言ってから、続ける。
「けど確かに、情報に不自然な穴はあるんです。かなり精査しないと気付かない穴ではあるけど――不自然な穴は存在してますね、僕がアクセスできる範囲でも、既にいくつか」
黒峰がアクセスできない範囲があるのだろうか、逆に、と、高瀬はちらりと黒峰を窺った。その気になれば、否、ならなくとも、うっかり権限を越境するのが黒峰である。
「霊魂すら残さずに喰われる、とは、そういうことなのでしょう。実際私も、叔母が悪神に喰われた記憶については断片的にしか所持していません。この目で実際に見たはずなのですが……伶那さんとも一緒に」
「――――」
その場面を想像した全員が絶句する。螺旋の抑揚のない声が、それでも充分にその状況の凄惨さを想像させた。
「あくまでこれまでの個人的な捜査と調査から、私が立てた仮説によるものですが……あれは――恐らくですが、根源的には他の悪魔と変わらなかったのだと思います。ですが何らかの理由、いえ、素質が――あったのでしょうね、他の悪魔や同等の存在、そして――魔術師を喰らうことで、己の力を増幅させてきた存在だと考えています。現在は――神格級でしょう」
「ふふ、だから悪神というわけね」
「……あたしが追えた範囲では、その悪神はヒトの器を得て以降――時の流れに逆行するように若さを手にしてる。しかも数百年とか、その存在が始まってからを考えると千年とかかな、信じられないほど長い時間をかけて。それが――魔術師を喰ってきた結果……そういうことですか、羽佐間さん?」
智歩は苦い物を口に含んでいる調子で確認する。螺旋はええ、と頷いた。
「…………」
城戸は相変わらず、無言で壁にもたれたままだ。
「現在は何と名乗っているのかまだ判明していませんが……あれは現在、悪魔を使役する存在になっているはずです。また、本来ヒトの姿はとらない悪魔が――ヴェパールが、四年ほど前にはヒトの姿を得ていることも、そして本来持ち合わせていないはずの他者の能力の複製という力を得ていることも……あの悪神が大きく関係しているのだろうと考えています」
「……ヴェパールのあの姿は、その悪神が与えたっていうことですか? 羽佐間さんの魔力をコピーする力まで……?」
やたら長身で金髪の、不自然なまでに整った男を思い出しつつ、高瀬は問う。
「私はそう考えています」
「ふふ、まあ、そう考えるのが自然よね」
螺旋の言葉を漆が補強した。
「神格級の存在ならば――それも可能だろうしね。ったく、こんなのが現れるなんてね……巧く隠れていたっていうわけか。螺旋ちゃん、悪神は――そいつは、自分の空間を持ってるわけだよね?」
二階堂も軽い調子ながら、苦い顔で言った。
「そうでしょうね、次元か、時空か……いえ、何にも属さない、自己の世界を造り出している可能性が高いでしょう。そのためこちらからの観測が難しいのでは、と」
「確かに、何にも属さない世界は――干渉はおろか、観測が困難ですからね……情報網に引っかからないのも頷けます。その悪神っていうのは随分昔から――神格級になる以前から――存在していたみたいですけど、自分だけの軸の世界に隠れていたのなら……こちらで捕捉できないのも納得ですねぇ」
黒峰がデスクトップ端末の前で腕を組んだ。
「けどそれが、こっちである程度捕捉できる程度には――その世界から干渉を始めたってことでしょ?」
智歩の言葉に、再び束の間の沈黙が下りた。
「……ヴェパールが再びこちらに干渉してきた際――四年前の例の件ではなく、高瀬さんがこちらにいらしてからのことですけれど、あの件以降、悪神の気配がし始めました。確信したのは先日のバシンの事件の際ですが」
螺旋の抑揚のない声を聞きながら、そう言えば、と高瀬は思い出す。度々耳にした『状況の加速』という言葉があった。あれか。
「……自分の補助能力とやら、何か関係している……のでしょうね?」
「うーん、それだけでもないような気もしますけど……」
つづりが顎に片手を添えて首を僅かに傾ける。
「まあ、無関係とも言えない、微妙なところだろうね」
二階堂も何度か頷きながら言った。
「ふふ、補助能力だけではその真価を発揮しないし……魔術師の力と噛み合った結果、ということかしらぁ」
漆は無駄に楽しそうだ。螺旋が嘆息する。
「…………」
城戸はちらりとそんな漆――と、二匹の猫たち――の方へ目を向けて、しかし何も口には出さなかった。
「ちなみに確認ですけど、四年前の件って――あのイレギュラーの件、ってことで合ってますよね?」
黒峰が神妙な面持ちで問うた――黒峰はその件についてはある程度知っているのだな、と高瀬は確信する。高瀬が早乙女部長から聞き、そして補助能力について螺旋から説明された際に彼女自身からも聞かされた事件の話である。早乙女はその件は極秘扱いだと言っていたし、高瀬が螺旋の秘密に到達する初めての部下だと言っていたが――その初めての部下とは、やはり直属の、という意味合いだったのだろうか?
「はい」
螺旋が首肯すると、
「……えっと、多分去年のヴェパールのときに高瀬さんが言ってた過去の大きな事件、のことだとは予想してるんですけど、わたしは詳細は知らないんです。聞いても構いませんか?」
つづりが控えめに口を挟んだ。つづりは全ては知らないらしい。
「あー、そっか、あの件はこれまで、微妙に情報制限かかってたっけ」
二階堂が思い出したように頷く。
「そうですね、特捜としての公式見解はイレギュラーの発生ですし――世界の前提と齟齬が生じるため、観月審議官や早乙女部長のご判断もあって、全ての共有はされませんでした。改めてご説明します――既に早乙女部長からの許可も得ていますし」
そして螺旋は、四年前に使い魔を喪うことになった件――ヴェパールの事件のことを話した。特捜が組織されたばかりの頃で、各部署の規模も小さく、連携も取れていなかったことや、結界も充分とは言えなかったこと、そして封印現場に子供が迷い込んだことや、その子供に向けて放たれたヴェパール――その頃には既にヒトの姿をとっていた――の攻撃を受け、彼女の使い魔であるラインハルトが命を落としていること、そして――その際に螺旋も右腕を負傷していること。
先日高瀬が聞かされた事実が、改めて全員に共有された。高瀬が見たことのあるあの大きな傷――あれは高瀬にとって魔捜での最初の事件の際だった――は、当然のようにその場で見せられることはなかった。人に見られたくない傷だと、彼女自身も言っていた。
「……気にはなってたんです。螺旋さん、いつでも長袖だし、真夏でも紫外線対策にしては隙がなさ過ぎますし。そのときの傷痕を――隠すためだったんですね」
話を消化し終えて、つづりがぽつりとそう言った。高瀬は改めて、古傷を目撃したことを黙っていようと決意した。
漆と智歩、そして二階堂は、それぞれ室長という立場もあるからだろう、ほとんどの事情を把握していたようだ。
城戸は知らされていなかった部分もあったらしく、部分的に目を細めながら話を聞いていた。
黒峰に関しては全て知っていたフシがあるが、その入手経路がどの程度合法なのかは高瀬には判断できない――したくない。黒峰は善人であるし高瀬も信頼しているが、情報のこととなるとブレーキが利かない一面がある。とにかく有能すぎるのである。黒峰に暇を与えてはならない、というのが密かな全員の共通認識であった。
「――いずれにせよ」
やや間を挟んで螺旋が口を開き、一同は改めて彼女に目を向ける。
「これまでに把握している文献と、そこから導かれる仮説が正しければ……悪神はそう遠くない未来に、こちらに直接手を出してくるでしょう。語られていない歴史を繰り返す訳にはいきません。これ以上悪神が力を得れば、世界の均衡は崩れ――我々の世界は、あちらに取り込まれてしまう可能性があります」
「ふふふ、均衡は、保たなくちゃね」
「……ああ、そうだね」
「――悪神を、消滅させます」
「……羽佐間さん、それ」
「私の力だけでは無理でしょう。けれど――」
「ふふ、まあ、力を貸すことはやぶさかではないわよぉ。混沌側としても――均衡が崩れるのは困るもの」
「あたしも――できる限りのことはさせて下さい。未解としても放置できない案件ですし」
異次捜の室長、未解の室長がそれぞれ正式表明した。
「もちろん記操としても全面協力するよ、螺旋ちゃん」
記操室長の言葉に、部下である城戸も一度だけしっかりと頷く。
「螺旋さん、やりましょう」
「わたしも全力を尽くします!」
「自分もです」
黒峰、つづり、高瀬も応じる。
「――ありがとうございます。悪神が自らの世界を造り出している以上、決戦の場はあちら側――我々の軸ではない可能性もあります。その場合は――黒野さん、柊さん、お二人の力が不可欠です」
「もちろんです!」
「あらぁ、魔術師、珍しいことを言うわねぇ、ふふふ」
「……よろしくお願いします」
「……ところで螺旋さん、咲坂さんへの共有はどの辺りまで行います?」
伶那との情報共有の窓口を担っている黒峰の確認に、
「――今お話したことは、全て」
螺旋は短く応じた。
「――全て、ですね、了解です」
黒峰の眼鏡がきらりと光った。さては――異例のことだな、と、高瀬は静かに確信した。




