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警察庁刑事局、拡張空間である二・五階の特殊捜査部フロアには、重い空気が立ちこめていた。
その空気の中心が、秩序の魔術師と呼ばれる羽佐間螺旋が室長を務める魔捜こと魔力捜査室であった。大きな嵐を予感させる嫌な静けさが、その空気の正体である。
魔捜の所属である高瀬藍一郎と、所属は別部署であるが魔捜に常駐している、情分――情報分析室所属の技官、黒峰準や空管――空間管理室所属のテレポーター、結崎つづりの他にも、数名の人物が集まって人口密度を上げていた。
比較的頻繁に出入りする記操――記憶操作室の室長、二階堂左近とその部下であるテレパスの城戸透流に加え、今日は異次捜――異次元捜査室室長を務める混沌の魔女、黒野漆とその使い魔である二匹の猫たち――黒猫のクロエと白猫のシャルロット、そして未解――未解決事件特別捜査室の若き室長、時間軸に対する干渉能力の持ち主である柊智歩までもが出張ってきている。それにしてもこの部署の能力者は何でもありだな、と、柊の能力の説明を受けた高瀬はぼんやりと思った。時間とは神の領域ではなかったのか。
「――さて、螺旋ちゃん」
二階堂が口を開いた。この場にいるメンバーの最年長が彼である。いつものように高級そうな三つ揃いのスーツを上手い具合に着崩しているし、言葉も軽い調子であったが――その目はあまり笑っていなかった。
「ヴェパールの紋章が奪われた件――いや、もっと大きな何か、かな。そろそろ全員で作戦を立てる頃合いだと思うんだけど」
螺旋はそれを受け、静かに頷く。
「ええ、それで皆さんにもご足労願ったわけですが」
「羽佐間さん、過去に何があったのか、あたしはある程度は把握しちゃったんですけど……これは相当――マズくないですか?」
智歩が不安げに眉をひそめる。智歩の能力は、過去の閲覧や干渉に秀でているらしい。未来に関しても、彼女にはそれが可能とのことだ。ただし未来を確定させることはできない。時空探索者とも呼ばれる彼女は、その能力を使って過去に発生した各種未解決事件に、ある程度の干渉を行っている。敢えて解決まではしない事件も多いが、世界の整合性を保つための調整は行っているのである。智歩は能力を行使し、螺旋の過去を視たのであろう、と高瀬は推測した。
「探索者、相変わらず慎重ねぇ、ふふふ。まあ――いつにも増して愉快なことになりそうなのは、間違いないわね」
ゴシックロリータを纏った漆は、童話の猫のような笑みを浮かべて歌うように応じる。使い魔の猫たちが漆の足元でじゃれている。
「黒野さんの言う愉快って嫌だなぁ……」
智歩は苦笑を浮かべた。城戸も魔捜部屋の入り口付近の壁にもたれて、小さく息を吐いている。
「……未解って現状、大きな案件は抱えてないんですか?」
黒峰の問いに、智歩は頷く。
「うん。今はまだあたしの出番まではなくて、だからしばらくは魔捜への協力優先で行けるかな。ちょっとした調査はちはちゃんとたけるんにお願いしてるけど、それがまとまるまでは二人に任せといて大丈夫だろうし」
部下だという四條千早と、協力者として在籍している十六夜尊の名前を出した。黒峰はなるほどです、と応じる。
「……あの、能力者の皆さんだけで解ってないで、説明して頂けますかね……?」
高瀬はおそるおそるといった様子で控えめに主張する。
「まあ高瀬さんも補助能力っていう能力の持ち主ですけどね~」
敢えて空気を軽くするように、つづりが明るく言う。そう、あくまで一般人のつもりでいた高瀬自身にも、螺旋の魔力の磁場内にいる前提で、悪魔への物理干渉が可能になるという補助能力とかいうものがあることが判明したのだった。
「……いえ、でもこれ別に、過去が解るとかじゃないんで」
高瀬は何とも言えない表情で呟いた。
「封印したはずのヴェパール、の、紋章ですか? それが――謎の手に奪われたところは見たんです。見たんですけど――あれはどういうことなんですか?」
先日バシン逮捕――封印の際に現れたヴェパールは、確かに一度紙片に姿を変えた。普段ならそれは、螺旋による呪文のような一言で、悪魔が封じ込められる螺旋の狭間とやらに送られるはずだった。実際バシンに関してはそれが成功している。
ただ、ヴェパールの紋章――その紙片は、突如として空間の切れ目から現れた細い手に奪われている。それを実際に目撃したのは、高瀬と螺旋だけだった。
――あの手は、子供の手、か――?
「――そうですね、何からお話しましょうか……やはりまずは、悪神のこと、でしょうか」
「悪神……」
いきなり核心が出てきた。
そもそも昨年末のヴェパールの事件の頃から、様子が変わっていたことを高瀬は思い出す。通常悪魔はヒトの姿をとらない、と、ニューヨーク市警所属の魔術師である春日井伽羅も言っていた。だがヴェパールは異様に整いすぎたヒトの姿をしていたし、螺旋がその干渉を受けて大量に出血するという事態も発生した。彼女は単なるエフェクトだと言っているが、その影響下から抜けた後、運び込まれた病院で輸血を受けている――物理干渉を、受けている。
それが高瀬の補助能力由来なのかどうかは判らない。彼自身は、それが関係しているのではと危惧しているが、確かに高瀬や春日井が到着する前に、あの場で螺旋は既に出血していた。高瀬の補助能力が及ばないはずの場所で、螺旋は物理干渉を受けていたことになる。ゆえにその詳細は高瀬には判断できない。それは螺旋にとっても同じなのかもしれなかった。
そして、先日のバシンの件で、螺旋は高瀬に自らの過去――右腕の大きな傷を負うことになった経緯と、その際に喪った使い魔に関する話を打ち明けた。
そこで出てきたのが――悪神である。
もっともその際に、悪神についての詳細を彼女は語っていない。否、説明されたところで高瀬にそれを受け取る余裕などなかった。高瀬の補助能力というものについて明かされたのも、その時であった。非能力者、つまり一般人のつもりで生きてきた高瀬にとって、それはこれまでの人生においてトップクラスと呼べる大事件だったのだ。
けれどその補助能力とやらも――仕組みや詳細はよく解らないものの――螺旋にも半ば呆れられるような早さで割とすんなり受け容れ、記操による保護プログラムの適用、つまり魔捜所属としての記憶を改竄された上で元々所属していた警視庁捜査一課に戻される、という処置は受けないままで、高瀬は魔捜に所属し続けている。今後も、辞令が下りない限りではあるが、高瀬は魔捜に留まりたいと考えている。
そして螺旋や他部署の特捜メンバーとともにバシンとの対決に赴き、高瀬はそれを目撃したのである。
準備が整い次第話す。その際に螺旋はそう言った。高瀬も覚悟は決めていた。
――そしてその準備が、整った。
魔捜部屋の人口密度が上がっている理由は、それである。
「――悪神。僕の、というか記操の方でも、ある程度は情報を掴んでる。ただ螺旋ちゃん、この情報がおかしいんだよね。普段僕らが扱う情報は――人の記憶なわけだけど、この悪神に関して掴めた情報ってさ、ほぼ誰の記憶にも存在しない、ってことなんだ」
二階堂の口調はあくまで軽い。軽く肩を竦める仕草にも余裕が感じられる。しかし、その色の異なる双眸にいつもの余裕がない。
「そうですね……あくまで私の仮説ですけれど、あの悪神と出会った者は――魂ごと喰われるため……記憶としては残らない、ということでしょう」
「あなたの師匠のように? ふふっ」
漆の歌うような声に、場の空気が温度を下げた。
「螺旋さんの師匠……? それって」
つづりがぽつりと呟く。
「……それは、羽佐間さんの協力者というか姉弟子というか……咲坂さんも、関係してくるわけですか……?」
バシンの事件の際に明かされた事実に触れながら、高瀬も慎重に口を開いた。
黒峰と城戸、二階堂、そして智歩は黙っている――どこまでかは判断できないが、知っている、のだろう。先ほどの二階堂の口ぶりからして、全てというわけではなさそうだが。高瀬は静かに螺旋の言葉を待った。
「ええ、私の師匠であり――彼女は私の叔母に当たるのですが――そして伶那さんの師匠でもある、夜明けの魔術師と呼ばれていた宵宮暁音は――悪神に喰われた魔術師の一人です」
終章は21エピソードほどに分割して掲載します。
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