3 弟子の未来
ヴェパールからそう報告を受けたサミュエルは、にいっと笑った。
「ははっ、そうか、日本にそんな魔術師がいるのか」
中世ヨーロッパの貴族のような出で立ちのサミュエルは、自らの屋敷として構えた空間の居室で、足を組み直す。
この空間は、人間の住まう世界とは次元軸を異にしている。サミュエルがその力で生み出した、彼自身のための世界であった。
「ヴェパール、よくやった。次の獲物は――それにしよう」
ぞっとするような声が響く。影のような姿を持つ――影のような姿しか持たないヴェパールはゆらゆらと揺れると、またどこかに姿を消した。
「――日本、か。そう言えば、いつか喰った老人も、そういう名前の国にいたっけな」
サミュエルは机に肘をつき、もう片方の手で持ったワイングラスを口元に運ぶ。グラスの中身はワインではないのだが。
「あの老いた魔術師も、それなりに力になったから――今回も期待しても良いかな? それとも……ぬか喜びする羽目になるかな? さて、どっちだろうね。ははっ。あはははっ」
サミュエルの冷酷な笑い声が、しばらく辺りを支配していた。
* * *
それから二年の月日が流れた。
サミュエルはまだ、二年前に狙いを定めた獲物を取り込めてはいなかった。何かと邪魔が入り、獲物に辿り着けなかったのだ。こんなことは初めてだった。腹立たしさを隠せずに、別の国の魔術師を喰った。何人か喰った。しかし思うほどに力は得られなかった。
数々の悪魔を使役しながら、ヒトの住まう世界に干渉を強めた。彼が自分のために作り出した世界だけでは満足などできないからだ。
もっとこの力の及ぶ範囲を広げ、そしてもっともっと強い力が欲しい。否、力だけではない。何でも欲しい。手に入れられるものは、何だって――
その欲望は留まるところを知らない。何かを手に入れれば手に入れるほど、どこか虚しさが募る。満たされないからだ。
他の魔と同じように混沌から湧き出た存在に過ぎなかったサミュエルは、悪魔でありながらその存在格を引き上げていた。彼自身にその意識はなかったし、魔術師たちもそれをはっきりとは認識していなかった。
ただ、一度ヒトの姿を得て以降、魔術師や悪魔や他の何かを喰らう度に若返るという、摂理に反するものを積み重ねてきた結果として――サミュエルは特異な存在へと変質していたのだった。幸か不幸か、サミュエル自身はそれに気付いていなかったし、魔術師たちも――宵宮暁音も含めて――まだそれを知らなかった。
* * *
宵宮暁音の屋敷では、中学生になった夕鷹と螺旋が修行を続けていた。
相変わらず修行時はドレスの着用が常であった。しかしそれが単なる暁音の趣味だけではないことを、この頃には夕鷹も螺旋も理解していた。動きを制約された中で最も効率良く魔力を循環させることや、重心を取ること――様々なことに、ドレスでの修行は有用であったのだ――但し、暁音の趣味によるものが大きなことも同じように否定できなかった。二人の身長が伸びる度にそのサイズのドレスが増えたし、年齢に見合うデザインも増えたし、そうでなくてもとにかくドレスは増えた。暁音の衣装室は、無限に拡張され続けている。
たまに螺旋や夕鷹にそれを指摘される度に、暁音は穏やかな笑顔でその指摘を封じた。ミネルヴァは慣れたものといった様子で澄ましていたし、ラインハルトは静かに――ほんの少しだけ呆れたように――微笑んだ。
二人の目覚ましい成長に、暁音は安堵してもいた。もうほぼ一人前と呼んで良いだろう。
「師匠、ちょっといい?」
その日の修行を終え、螺旋とラインハルトを先に屋敷の中に返してから、夕鷹は暁音にそう切り出した。
「なぁに?」
「……あのね、あたしね……」
夕鷹は言葉を選ぶように、少しの間そこで言いよどんだ。
暁音は急かすことなく、微笑みを湛えたまま夕鷹の言葉を待つ。
「……あたし、魔術師でもあろうとは思うんだけど……医療の道を、目指したいとも思ってて」
「ええ」
「……螺旋が、さ。無茶するじゃん?」
「ふふ、そうね」
「螺旋の魔力がすごいなんてもんじゃないのは、ずっと傍で見てきたから知ってるの。けど――無茶するじゃん、螺旋は」
「夕鷹は本当に、よく見ているわね」
「まあね。それで……螺旋はこの先、もっと無茶すると思うんだ。ほら、今だって、寝ることまで魔力で補ってるでしょ? あと食べることとかさ」
「あれは止しなさいと言っているのだけど……あの子は、そういう子ね」
暁音は困ったように微笑む。
「でしょ? だからあたし――螺旋に何かあったとき、魔力以外にも助ける手段を持ちたいの。あたしの魔術じゃどうにもできないことも、それなりにあるし」
「……そう。夕鷹、もう決めたのね」
「……うん。魔術の修行もちゃんとする。けど……あたし、医者になりたい」
「そう。それなら――私よりも夕鷹の師匠として適任がいるわね。魔術師でありながら医師でもある人よ。今度紹介するわ」
「……え、師匠、反対しないの?」
夕鷹は困惑したように言った。
「あら、何故反対する必要があるの?」
暁音はゆるやかに首を傾げる。
「え、いや……だって、ずっと魔術師になるために修行させてもらってきたのにさ……」
「あらあら、魔術師業だけで生活していけるような社会じゃないでしょう? それに、可愛い弟子が進みたいと思った道を、師匠が閉ざすなんてもってのほかだわ」
「師匠……!」
夕鷹はきゅっと暁音に抱きつく。
「まあまあ、夕鷹ったら」
暁音もふわりと夕鷹を抱きしめる。
「けれど夕鷹、一つだけ確認したいのだけど……螺旋のためだけにその道を選ぶわけではないわよね?」
「うん。もちろん螺旋を守りたいのもあるけど……それだけじゃない。あたしが、医者になりたいって思ったの」
「安心したわ。大丈夫よ夕鷹、あなたは何だってできるわ。とても賢いレディだもの」
「師匠……」
「……ああ、けれど、そうね、そうなると――医師として生きることになるのなら、普段は術名よりも真名で暮らす方が良いでしょうね。その方が――何かと都合が良いわ。今度紹介する次の師匠も、そうやって生きているの」
「……判った。けどね、師匠、その次の師匠のところに行っても……あたしは師匠が――暁音さんが、一番の師匠だと思う」
夕鷹は年相応のはにかみを見せる。
「あらまあ、嬉しいことを言ってくれるわね」
「だってあたし、師匠のことがだーい好きだもん! ミネルヴァもね。もちろん螺旋とラインハルトも、あたしの家族よ」
「ふふふ、ですって、ミネルヴァ」
「ふふ」
「……さて、じゃあ屋敷に戻りましょうか。螺旋とラインハルトが待っているわ」
「うん!」
夕陽を受けながら、二人と一羽は屋敷へと歩き出したのだった。




