2 夜明けの魔術師
「さあ、二人とも」
宵宮暁音は、ボリュームのあるロングスカートをふわりと翻しながら小さな二人の弟子を振り返った。
「今日はどっちを着たい? こっちの青いドレスかしら? それともこのワインレッドがいいかしら?」
「師匠、いつも思うんだけどさ、ドレスを着て修行する必要ってある?」
「ドレスを着ると動きが制限されるので非効率です」
小さな二人の弟子たちは口々にそう応える。
薄茶色の髪を結い上げた――もちろん結い上げたのは暁音である――利発そうな少女と、美しい黒髪をそのまま下ろした静かな少女。幼き日の咲坂伶那こと深森夕鷹と、羽佐間螺旋であった。
「ふふふ。淑女たるもの、いかなる状況でも優雅に魔術を使えることはとても大切なのよ」
暁音はたおやかな笑みを浮かべて二人の疑問に答える。
「……単に師匠の趣味だよね?」
夕鷹が半眼になるのももっともで、現在三人がいるのは暁音の衣装室であった。空間拡張系の魔術で広げられたその部屋には、数え切れないほどの多種多様なドレスが収納されている。暁音自身が着るための大人サイズのものも豊富にあるが、夕鷹と螺旋のために用意された、小学校高学年程度の女子向けのサイズのものの方がより多くあった。
「……一週間前に比べて少しドレスが増えています。衣装室も更に拡張していませんか、叔母様」
螺旋も静かに言う。
「バレているわね、暁音」
「ラセン、ドレスの数を把握していらっしゃるのですか?」
口を挟んだのは、純白の梟と漆黒の鴉である。梟の名はミネルヴァ、鴉の名はラインハルト。ミネルヴァは暁音の、ラインハルトは螺旋の使い魔である。夕鷹は使い魔を使役してはいない。夕鷹自身が特にそれを望まなかったためだ。それで言えば、螺旋も使い魔を使役することを望んだわけではないのだが、有り余る魔力が自然と使い魔を生み出した。それはそういう縁なのだ、と、暁音は説明した。
「ふふっ。さあ、そんなことより、夕鷹はどっちを着るの? 螺旋は? あら、それともこのドレスじゃなくて、別のを着たいのかしら?」
圧のある笑顔で、暁音が中世ヨーロッパ風の重厚なドレスを持った両手をずいっと差し出す。暁音の家系は、本格的で上質なドレスを趣味で集められる程度の財力を持っている名家でもあった。実はいわゆる生粋のお嬢様である。
「……もう、仕方ないなぁ。じゃああたしはワインレッドの」
「……私は青い方にします」
しぶしぶと言った様子で、夕鷹と螺旋がドレスを受け取る。
「……って、重っ」
「…………」
「ふふ、二人ともよく似合うと思うわよ。さ、それじゃ、着替えましょうね」
暁音は満足げに頷いて、二人を促した。
宵宮暁音は、夜明けの魔術師という二つ名を持つ魔術師である。大魔術師の家系に生まれ、祖父からその強い力を受け継いだ。その祖父は暁音が幼い頃、謎の死を遂げている――否、そう理解しているが、遺体は発見されていない。
異常な事態が発生したことだけは理解しているが、その全容を彼女は知らなかった。知らされなかった。
幼少期より血縁の者から魔術の手ほどきを受け、すぐにその才覚を現した暁音は、時代を象徴する魔術師の一人となり、二人の弟子を取った。
夕鷹は、魔術とは縁もゆかりもなかった家系に突如誕生した魔術の才のある子供で、親戚に頼まれて弟子に迎えた少女だ。
螺旋は、暁音の兄の娘である。ちなみに兄は、一族直系にも関わらず魔力を受け継がなかったが、実はそれは特段珍しいことでもなかった。
魔術師の家系にゆかりのない血筋に強力な魔術師が生まれることもあるし、大魔術師の家系であれば必ず魔力を宿すわけでもない。ただ、魔術師の家系であれば他よりも魔力を持つ可能性がほんの少し上がることがあり、結果として系譜は受け継がれやすい傾向にある、その程度だ。
暁音は姪である螺旋のことも、血の繋がりはない夕鷹のことも、分け隔てなく接していた。どちらも優秀な可愛い弟子であることに変わりはない。
夕鷹の入門がほんの少し先であったこと、螺旋は学年的に夕鷹より一つ下であることから、螺旋は夕鷹を姉弟子として慕っている。夕鷹は適度に支えつつリードしていくのが得意な気質であったし、螺旋は既に異常なまでの才覚を現しながらも謙虚さを忘れない性質であった。二人の関係性はごく良好である。
「やっぱりとてもよく似合うわ、二人とも。さあ、それじゃあ今日の修行を始めるわよ」
二人の弟子にドレスを着せ終え、暁音はふわりと微笑む。
「……師匠、重い。ドレス重いし、それに窮屈」
「…………」
夕鷹は顔をしかめ、螺旋は無言でその重みに耐えている。
「どんな時でも、レディは優雅に振る舞うものよ」
「もうー、仕方ないな。やるわよ螺旋」
「はい」
「では今日は、素早く魔術を発動させることを覚えましょう。夕鷹は特に感覚が優れているから、触れることで魔力を発動させるのが向いているわね。螺旋は特に目が優れているから、あらゆるパターンを式として目に組み込んで、見ることで適切な式を発動させる――そういうやり方が向いていると思うわ」
暁音自身はふわりとした穏やかな人物であるが、その修行内容は厳しいものであった。緻密さと最大火力が同時に要求される。ほんの十二歳ほどの少女たちには過酷な修行ではあったが、二人とも師匠である暁音を尊敬していたし、確実に実力の成長を感じられる内容でもあったので逆らったりすることはない。それは二人に類い希なる向上心があることの証明でもあった。
――それでも、
「……はあ、はあ、はあ……師匠……もう、無理……」
「……動きの制約が……思った以上に……」
その日の修行を終える頃、屋敷の結界内に作り出された屋外修行場では、夕鷹がドレスのままで地面に仰向けになり、螺旋もその場に座り込んでいた。ドレスはボロボロになっている部分もあり、修行の激しさを物語っていた。
修行の様子を静かに見守っていたミネルヴァとラインハルトも、それぞれの主の元へと寄ってくる。
「ふふ、よく頑張ったわね、二人とも。無駄な動きが随分減ってきたし、即応力も育っているわ。それじゃあこれで、今日の修行はおしまいよ。お茶にしましょうか」
暁音は微笑みながらそう言って、二人にさっと両手をかざす。その魔力によってドレスは元通り綺麗に修復され、夕鷹と螺旋の疲労も軽減された。
「やった、師匠、今日のお菓子はなぁに?」
「今日はマドレーヌを用意しているわよ」
「……マドレーヌ、ですか」
「もちろん美味しい紅茶もあるわ。アールグレイにしましょうか、アッサムのミルクティーがいいかしら?」
「……私はアールグレイが良いです」
三人は連れ立って、屋敷の中へと戻っていく。
やがてダイニングルームで支度が調うと、三人と二羽はそれぞれの席についた。
テーブルの上には黄金色のマドレーヌの載ったプレート、可愛らしいチョコレートを重ねた小皿、ティーポットやカップなどが綺麗に並べられている。
マドレーヌは暁音の手製であった。
「師匠のマドレーヌ、大好き! いただきます!」
夕鷹は目を輝かせながらマドレーヌを手に取り、螺旋は無言で控えめにそれを手に取った。
「……いただきます」
実は螺旋は甘い物が苦手である。ここにいる全員がそれを知っている。
暁音はそんな螺旋をにこにこと見守っている。
「螺旋、別に無理しなくていいんじゃない?」
夕鷹の言葉に、
「いいえ、夕鷹さん。これは叔母様が私たちのために用意して下さった物です。誰かの心を無下にしてはいけません」
大人びた言葉を返しながら、螺旋は小さく小さくマドレーヌを一口だけ囓った。そしてすぐにアールグレイが注がれたティーカップに手を伸ばす。
「……いや思いっきり紅茶で誤魔化してるじゃないのよ」
「……美味しいです、ありがとうございます叔母様」
「ふふふ。二人とも立派なレディになるわね」
暁音はとても嬉しそうに弟子たちの様子を眺める。
「ラセン、ご立派です」
「……もう少し子供でいてもいいのに」
ラインハルトとミネルヴァはそれぞれそう評した。
――と、ふと、暁音は何かの気配を感じた。
「…………」
ちらりと気配のした方に視線をやる。
「……叔母様?」
目敏くそれに気付いた螺旋が僅かに首を傾げた。黒髪がさらりと揺れる。
暁音は少しの間、その気配らしきものに視線を向けていたが、やがて、
「――ふふ、ごめんなさい、何でもないわ。夕鷹、チョコレートもお上がりなさい。もちろん螺旋もよ。お兄様から頂いたチョコレートよ」
柔らかな笑みとともに二人に向き直る。
「……お父様から……」
「あ、それ絶対美味しいやつ! いただきます!」
和やかなティータイムが再開される。
その様子を、ミネルヴァとラインハルトは何も言わずに見ていた。
その日の真夜中。
暁音は書斎で古い魔術書を読んでいた。
螺旋と夕鷹は二人の部屋で眠っているはずだ。ラインハルトもそこにいるだろう。
「暁音」
ミネルヴァが静かに呼びかける。
「なぁに、ミネルヴァ?」
「大丈夫なの?」
「何がかしら?」
「……私が気付かなかったとでも思っているの?」
「…………」
暁音は書物から目を上げ、ミネルヴァをまっすぐに見つめる。
「……そうね。お祖父様のことだけれど……私なりに伝手を辿って調べてきたことがあるの。もしかすると……何か大きなことに巻き込まれたのかもしれないわ――想像を絶するような、何か……嫌なことに」
「…………」
今度はミネルヴァが黙る。
「……あの子たちを巻き込みたくはないのだけれど――そうもいかないかもしれないわね」
「……暁音」
「……今すぐ何かが起こるわけではないと思うわ。そういう気配はないし。けれど――それまでに、あの子たちを一人前に育てないと。本当は、もっとそれらしい少女時代というものを過ごさせてあげたいのだけれど……」
「…………」
「……きっと大丈夫、私は夜明けの魔術師ですもの。そして螺旋も夕鷹も、私の自慢の弟子よ――大丈夫」
「……ええ、そうね」
祈りのような暁音の言葉に、ミネルヴァはそっと頷く。
そしてまた屋敷には、静かな夜が戻った。暁音は無言で魔術書をめくり、ミネルヴァも時々羽繕いをしながら暁音の傍でじっとしていた。




