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靴音が不気味に反響する廊下を進み、自動ドアの前に辿り着く。来た時ほど長くは感じられなかった。こちら側には暗証番号を入力する装置はついておらず、ドアは文字通り自動で、音を立てずにスッと開く。その技術は現代科学で可能なのか、それとも超能力だか魔力だかでそうしているのか、高瀬は深く考えないことにした。
最初に降り立った、ガラス張りの部署の前だった。
「いるかなー……あ、いたいた! ほーまーれ!」
受付カウンターのような場所から身を乗り出し、奥のデスクで仕事をしている女性に手を振るつづり。
ほまれ、と呼ばれた女性は顔を上げ、
「あら、つづり。何?」
仕事を中断してこちらにやって来た。ふわふわした印象の、可愛い系だ。
「IDカードの新規発行をお願いしたいんだー」
「あ、新人入ったんだ」
そこで高瀬の方を向く。
「総務の小宮山です」
「総務のアイドル、誉ちゃんです」
何故かつづりが誇らしげである。
「ちょ、ちょっとつづり、それはやめてって言ってるでしょ!」
顔を真っ赤にし、つづりを止めるように開いた両手を差し出す誉。どこか小動物を思わせる動きだった。二人のテンションに着いていけない高瀬は完全に置いてけぼり感を味わっていたが、どうにか自己紹介を終える。
「えっと、高瀬さん。二・五階に入るには、こちらで発行する特殊なIDカードを携帯しているか、同等のシュ――呪、と言って、まあ簡単に言うと魔法をかけた物ですね。それを身に着けている必要があります」
まだ少し頬が赤く染まったままの誉の説明に、
「わたしはIDカードを持ってます。螺旋さんは、いつも着けてるクロスのネックレスに呪をかけてて、城戸さんもあのイヤーカフに呪をかけてますよ」
つづりが具体例を連ねた。
「一応、どちらでも好きな方でいいんですけど……どうされます?」
誉も段々落ち着きを取り戻してきたようだ。
「えーと……」
身に着けるものに魔法がかかっている、というのは何となく嫌だな、と考えた高瀬は、
「……IDカードでお願いします」
「わかりました、発行します。警察手帳と一緒にしておくと失くしませんよ。あ、受け取ったご本人以外には、二・五階へのキーアイテムとしての効果が発動しません。ですが万が一紛失した場合には、必ず届け出て下さいね。必ず、です」
言いながら誉は傍らの機械からカードを吐き出させ、高瀬に手渡す。
よくあるポイントカードの類と見分けはつかず、しかし何も印刷されていない、白紙のものだった。言われた通り、警察手帳の身分証明カードの下に押し込む。
それにしても、ここでは女性の割合がやたらと高いな。
心の声は、どうやらうっかり口に出てしまったらしかった。
「あー。ですよね。黒野室長の説によれば、超自然的、または霊的な能力は、そもそも女性に宿りやすい、とかいう話ですけど」
誉に言われ、思わず口に手を当てて塞ぐ高瀬だが、もう遅い。
「黒野さんが言うと、何でもそれらしく聞こえちゃうから不思議だよね……あ、高瀬さん、螺旋さんの前では、黒野さんの名前は出しちゃダメですからね!」
前半は頷きつつ言って、後半は慌てたように念を押すつづり。
名前を出すも何も、高瀬には、黒野さん、が誰のことなのか判らない。
「……羽佐間しつちょ……羽佐間さんも黒野室長も、本質は似てると思うんですけど、すごく仲が悪いんです」
誉は困ったように微笑んだ。室長、を言い直した辺り、螺旋の肩書き嫌いは筋金入りのものらしい。
「似ている、のですか?」
黒野さん、が気になった高瀬は、螺旋の無機質な機械を思わせる表情を頭に浮かべながら何気なく訊いた。誉はにこりと笑みを浮かべ、
「それはもう。例えるなら、そうですね……そう、学級委員長とスケバン、と言ったところでしょうね」
その比喩が気に入ったのか、満足気ですらある。
さて、どこから突っ込もう。それは似ていない、というところからか。それともやはり、スケバンという単語か。何故そんな単語が自然に出てくるのか。即座に的確な突っ込みを思い付けず、高瀬は歯痒い思いを噛みしめた。
とりあえず、螺旋に対しては特に、迂闊な発言に気を付けた方が良さそうだ。
「じゃ、戻りましょうか、高瀬さん。またね、誉!」
再び魔捜部屋を目指す二人であった。
「IDカード……我々はキーアイテム、とも呼びますが、それを持っていれば、通常通り二階から三階への階段を上がっているだけで、こちらのフロアに自動的に来られます。この拡張空間への入り口は、階段の途中にあるのです」
魔捜部屋に戻った高瀬は、螺旋から説明を受けていた。城戸の姿はもう、そこにはなかった。
「もし二・五階より上に行きたいのであれば、それを意識していれば二・五階に迷い込まずに、普通の階段として使えます。まあ、三階以上に行きたい場合は、手っ取り早くエレベーターを使うことが多いですが」
「はあ……」
「また、エレベーターでは二・五階に来ることができません」
「なるほど……」
「しかし――」
そこで、眼鏡の奥の螺旋の目が、冷たい光を帯びた。観月審議官の鋭い視線に、それはよく似ていた。
「高瀬さん、果たしてあなたは、明日もいらっしゃいますかね? これまでここに配属された刑事たちは、初日でギブアップして辞めた者ばかりですが」
高瀬は負けじと言い返す。
他の刑事がどうだったのか知らないが、自分は簡単に音を上げない自信があった。もっとも、仕事内容は、依然として理解しがたいが。
「捜一の――も、元捜一の刑事をなめないで下さい。自分は何としても、与えられた任務は完遂して見せる所存ですので!」
「……そう、ですか」
吟味するように言うと、螺旋は新しく紅茶を注ぎ足しに立った。
「……あ、コーヒーはそこだよ。紅茶よりコーヒー派なんだってね」
黒峰がコーヒーメーカーを指しながら言う。
「あ、はい。どうも……」
礼を言うと、高瀬は早速デスクに荷物を整理し始めた。
こうして彼の、魔力捜査室勤務としての生活が始まった。
だが、初日は特に何も起こらず、定時で帰宅できる運びとなった。拍子抜けである。いくら何でも、これでは初日で辞める理由はないだろう。
「……そうでした、パスコードも決めておかなければ、明日ここに入ることができませんね。六桁の数字を考えて頂けますか。ただし生年月日や電話番号、その他推測されやすいものは厳禁です。決めたらこの端末に入力して下さい。間違えないように。パスコードの再発行はできませんから」
帰り際、一応、と言った様子で螺旋に言われて、高瀬はパスコードを考える。
六桁の、しかも推測されにくく忘れない数字なんて、そう簡単に思い浮かぶものではない、と思ったのだが、案外すんなりと決まった。慎重に、螺旋のデスクトップ端末に打ち込む。
「入力しました」
「はい。では……」
操作を螺旋に替わると、彼女は何やら凄まじい指さばきでキーボードを叩き、最後にタン、とエンターキーを打った。
「これで完了です……帰り道はまだご存じないはずですね。着いて来て下さい、ご案内します」
そうして、二人は魔捜部屋を退出した。




