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「な、え、うわ……」

 高瀬は大混乱に陥っていた。それまでいたはずの審議官執務室の様子とは全く異なる光景が、目の前に広がっていたからだ。

「二・五階、特殊捜査部に到着ぅっ!」

 つづりが元気な笑顔で言うが、それに着いていける高瀬ではない。

「どう、どうな、どうなっているんです、これは! 今、どうやって移動を……」

「そんなの、わたしのテレポーテーションに決まってるじゃないですかぁ、やだなぁ。高さがあって、しかも拡張空間へ向けて、っていうのは、結構大変なんですからね?」

「テレポーテーション? そ、そんなものが実際にあるわけ……」

「あはは、じゃあどうやって一瞬でここまで来たって説明するんですか? 世の中には、科学だけじゃ解明できないことが山ほどあるんですよ」

「…………」

 つづりの言葉の意味を考えながら、高瀬は恐る恐る周りを見渡した。実際に体験してしまったらしい今となっては、彼女の言う超能力を、頭ごなしに否定もできない。それならばまず反論はせず、周囲の様子を把握するのが賢いように思えた。

 目の前にはガラス張りの大きな部屋があり、中の様子は簡単に見て取れる設計だ。どうやら事務的な仕事をしている部署らしい。警視庁の総務課に似た雰囲気を感じられた。制服を着た警察官たちが、各々のデスクに向かって仕事をしている。

 そこで高瀬は、はたと気付いた。つづりは何と言った? 二・五階、と言わなかったか? 二階でもなく、三階でもなく、二・五階。

「てん、ご?」

 小数点とはどういうことだ。建造物において、その小数点は何を意味するのだ。

「結崎さん……」

「何ですか?」

「あの、今、二・五階、と言いましたか?」

「そうですよ」

「二階なんですか、三階なんですか?」

「二・五階です」

「冗談ですよね」

 キングス・クロス駅を思い浮かべてしまう。

「……魔術学校行き特急でも発車するんですか?」

「うーん、どうなんでしょう。わたしは、それはまだ聞いたことないですけど……」

 本気と受け取ったらしいつづりが、小首を傾げて考え込んだ。高瀬は益々困惑する。

「あ、そっか」

 疑問符をこれでもかと浮かべる高瀬を見て、つづりは納得がいったようで、

「高瀬さん、観月審議官のお話は、ちゃんと聞いてましたよね」

「はい、それはもう」

「特殊捜査部は、極秘の存在です。その本部があるフロアに、そう簡単に踏み込まれたら大変でしょ? だから、この庁舎の二階と三階の間に、特殊な空間を造り出してるんです。だから、二・五階」

「な、なるほど」

 と一旦納得しかけて、

「……空間を造り出す!?」

 納得できない部分に気付いてしまった。しかしつづりは、耳に入っていない様子でくるりと反対方向を向き、

「さて、と」

 大きな自動ドアの前に立った。

事務仕事をしているらしい区画と違うのは、その自動ドアには暗証番号を入力する装置が付いていて、全面磨りガラスのそのドアの向こうに何が広がっているのか、全く分からないということだった。なるほど、極秘の部署とは言いえて妙だな、と頭の片隅で思う。

「高瀬さんが行くのはこっちです。とりあえず、今回はわたしが……」

 つづりが手早く数桁の数字を打ち込むと、スッ、と音もなく自動ドアが開いた。

「さ、早く」

「……はい」

 高瀬がそちら側へ足を踏み入れたのと同時に、また音もなくドアが閉まった。


 先を歩くつづりの靴音と、自分の靴音だけが、妙に反響している。

 廊下の両側に、個室に繋がっているであろうドアが見えるが、捜査一課のように騒がしくはない。寧ろ全く、声らしき声は聞こえないし、誰ともすれ違わない。

 さすがに不気味に感じ始めたところで、つづりは止まった。

「はい、ここ」

「…………」

 ドアに掲げられているプレートを見る。


『魔力捜査室』


 観月審議官の言葉通りだった。

「さてと、準備はいいですね? ノックしまーす」

 何の準備なのかは解らなかった。と言うよりも、考えたくなかった。ようやく念願である警視庁の刑事になって一年と少し、まさかこんな非現実的な単語が冠された部署への異動が待っているとは、夢にも思わなかった。

 魔力。魔力捜査室。警察が認めてはいけないものではなかったか。それなのに何故、自分は今こんなところに立っているのか。

 高瀬のそんな思いを知る由もなく、つづりは至って気軽にドアをノックする。

螺旋(らせん)さん、開けまーす」

 そして、返事も待たずにドアを開けた。

「…………」

 中の様子を見て、高瀬は更に呆然とする。一番奥のデスクに座っている人物は、ノックの音に気付いていたのかいないのか、今まさに、とても優雅な仕草でティーカップを口元に運んでいるところだった。

 他にも室内にはいくつかのデスクが並んでおり、その内いくつかは実際に使用されている形跡があるが、現在その部屋にいるのは、ティーカップを持った女性だけである。

「……お待ちしていました。高瀬さんですね」

 温度を感じさせない声。手入れの行き届いた豊かな黒髪と、白い肌のコントラストが印象的だ。冷たい目に更に拍車をかけるようなシャープな銀縁の眼鏡と、落ち着いた色味のスーツを纏っている。

 機械のように整った、と形容できそうなタイプの美人だった――またしても女性である。先ほど事務仕事の区画で見かけた以外には、警察庁に男性はいないのか、と、若干不安になってきた。

 そこで、はっと我に返る。

「そ、捜査一課……警視庁刑事部より、本日付けで異動になりました、高瀬藍一郎巡査部長であります。よろしくお願いします」

 この挨拶は本日何度目なのだろう、と、どこかぼんやりと考えた。

「……私はこの魔捜――魔力捜査室の室長、羽佐間螺旋です。もちろん偽名ですよ。階級は警視ですが、私は階級を重視していませんので高瀬さんもお気を遣わなくて結構です。それでは、デスクは空いているところをご自由に――」

「……って、ちょっと待って下さい!」

 ここはさすがに突っ込まねばならないだろう、と、高瀬は必死で、流れるようにすらすらと言葉を紡ぐ螺旋を遮った。

「偽名とは、しかも『もちろん』偽名とは、一体どういうことですかっ! 我々公務員に、偽名は許されないはずですよ! 公安の潜入捜査でもあるまいし……!」

「そう言われましても、私は魔術師ですから。魔術師が真名――本名を明かすことは、好ましいことではありません。現在はこの警察庁のデータベースからも、私の本名に関しては抹消されていますよ」

 こともなげに一息にそう言ってしまうと、呆気にとられる高瀬を無視して、またティーカップを口に運んだ。思わず見惚れてしまうほどに優雅な所作だ。

「いや、魔術師ではなく、室長は警察官のはずで――」

「室長と呼ばないで下さい!」

「ひっ!」

 美人が怒った顔が恐ろしいというのは本当だ、と、高瀬は身をもって学んだ。

「もう一度言いますが私は魔術師です。魔術師にとって術名、即ち魔術師としての名前が何よりも大切なものなのです。羽佐間螺旋。羽佐間か螺旋か、お好きな方でお呼び頂きたいですね」

「で、では、羽佐間警視――」

「警視、もいただけません。確かに職業は警察官ですから階級としては正しいのですが、行っている仕事は魔術師の仕事です。魔術師に『警視』という階級は存在しません」

 何だこの面倒な上司は。内心、高瀬は頭を抱えた。これまで相手にしたことのないタイプの上司である。このままでは、話が全く前に進まない。

 考えた挙句、

「それでは、羽佐間さん、でよろしいですか?」

「……そうですね、良いでしょう。先ほど何か言いかけておられましたね。何ですか?」

「…………」

 話す前に、この人が自分で全て言ってしまったではないか。即ち、自分は何が何でも魔術師である、と。

 どうやらここは、そういうことが認められてしまう部署らしい。つづりのテレポーテーションだって、未だに信じきれないが、しかし最早、否定できる要素は残されていないように思えた。

「ええと……こ、紅茶がお好きなのですね!」

 やけになった高瀬は、全く別の話題を繰り出す。

「……ええ。ですがあなたには差し上げませんよ」

「は?」

 真面目に切り返されきょとんとする高瀬に、つづりもまた神妙な顔で、

「螺旋さんの紅茶はね、キャッスルトン農園の最高級ダージリンなんです。知ってます? なんと、100グラムで一万円以上する高級品! 螺旋さんのお気に入りなんです。だから簡単には分けてもらえませんよー」

 冗談とも本気ともつかぬ調子で情報を追加する。

「……いえ、自分はコーヒーが好きですので、それは構いませんが……」

 思わず自分まで同じトーンで応じてしまってから、そんなことを話している場合ではないことに気付く。やけになるものではない、ということを改めて学んだ高瀬である。こほん、と誤魔化すように咳払いをしてから、

「羽佐間警……じゃなくて、羽佐間さん。あの、この魔力捜査室の職務内容に関して、自分はまだ何一つ存じ上げません。ご指導頂きたいのですが……」

「そうですね。仕事熱心なのは良いことです。それでは説明を始めましょう」

 ティーカップを載せたソーサーをデスクに置くと、螺旋は立ち上がった。膝下丈のタイトスカートを履いていることが判る。

「観月審議官からは、どの程度までお聞きになりましたか?」

「えー……何やら、悪魔、ですとか、魔力、ですとか、そんなキーワードだけ伺いましたが……それは本当でしょうか」

「本当ですよ」

「はあ……」

 あまりにもさらりと言われたので、高瀬は毒気を抜かれた。冗談ですよ、という言葉を期待していたことに気付く。

「リアリストばかりの警察官に、信じなさい、といきなり言う方が酷なのでしょうが――」

 螺旋の言葉に、いや、貴女も警察官ですよね? と突っ込みたいのを、高瀬は必死で堪えた。そんなことをすれば、また話が止まってしまう。

「悪魔は存在します。そして悪魔が起こした犯罪も刻々と、人間が起こす犯罪件数に近付いているのです。種類が違うので、一般的には『犯罪』と認識されないことが多いのですが」

 螺旋はここで一呼吸おく。それから高瀬を見て続けた。

「そこで我々の出番というわけです。魔力をもって悪魔を封印する。それがこの魔力捜査室の一番の職務ですね。あとは関連事件の調査や、悪魔の仕業であるという確固たる裏付けを取ったり……そんなところです」

 普段なら、こんな御伽噺は信じない。

 しかし、つづりのテレポートを体験してしまった高瀬は、段々と空気に染められていた。決して進んで認めたいわけではないのだが、それでも、科学で説明のつかない世界を、認めるしかないようだった。

「では……」

「何ですか」

「何故、自分のような……つまり、リアリストで超常現象なんて信じていない自分のような者が、こちらに異動することになったのでしょうか?」

 最大の疑問である。できることなら、平和な警察官人生を歩みたいものだった。いや、職業柄、平和という言葉はそぐわないのかもしれないが。

「――ここに来る前」

「は……?」

「ここに来る前、審議官から条件を聞いたはずですね」

「あ……はい」

 口が堅いこと、勤務態度が真面目なこと、忍耐強いこと、だったか。

「聞いての通り、普通なら仕事内容すら理解しがたい、微妙な部署です。ですから配属されてもすぐに辞めてしまう刑事が多すぎます。それでは困りますから、こちらでいくつか条件を挙げさせて頂きました……もっとも、その条件を指定したのは私ではなく早乙女部長ですが。それに当てはまったのがあなただった、というわけです。超常現象を信じているかいないかは、今のところ関係ありません。それは仕事を続ければ判ることですから」

「…………」

「高瀬さん、悪魔は実在します。それを取り締まるのが、我々、魔力捜査室、通称『魔捜』の仕事です」

 あくまで無表情に、抑揚もなく淡々と続ける螺旋から視線を外せないまま、高瀬は戸惑っていた。

 だが、どうやらこれは現実だ。まさか審議官の執務室で突然眠り込み、夢を見ているということもないだろう。

 だとすれば、これは自分に与えられた仕事だ。つまり彼にとって、それは全うせねばならないことである。高瀬は覚悟を決めた。

 そんな彼に一瞥をくれ、

「期待しています」

 温度のない声で言った。言葉とは裏腹に、何も期待していないことが高瀬にも解った。

「……ですが、もし……」

 観月審議官の言葉を思い出しながら、おずおずと切り出す高瀬。

「もし、自分が……辞めたい、と言った場合」

 そこでドアが開き、二人の男性が入ってきた。視界の端にそれを捉えた高瀬は、安堵を覚えた。この庁舎に入ってから初めてまともに見かける、男性の警察官、もしくは職員である。

 片方の男性は何故か白衣を着ていて、細い黒縁の眼鏡をかけていた。全体的に色素が薄いように感じられる。

 もう一人は、表情が欠落している、とでも言おうか。他人とコミュニケーションを取ることを拒絶しているかのような雰囲気を漂わせている。一匹狼、と呼ばれるタイプなのかもしれない。左耳に光っている銀色のイヤーカフが特徴的だった。

「あ、君が今度の新人?」

 白衣の方が話しかけてきた。

「は、はい。高瀬です。本日付けでこちらに配属になりました。よろしくお願いします」

「礼儀正しいねぇ。僕は黒峰(くろみね)――ああ、黒峰(じゅん)。警察官ではなくて、情報分析室の技官なんだ。情分の技官は各部署に出張して、専門的なデータをスムーズに処理するのが仕事でね。いつもこっちにいる。よろしく」

 手を差し出されたので、先ほどのつづりの一件を警戒しつつ握手を交わした。何も起こらなかったので安心する。

「……ジョウブン?」

「ああ、略称だね。特殊捜査部――特捜の部署は、漢字二文字または三文字に略して呼ぶことが多い。魔力捜査室が魔捜と呼ばれるようにね。覚えておくといいよ」

 黒峰は親切に教えてくれた。

「……その場合」

 螺旋の声が割り込んだ。先の自分の問いに対する答えだと気付き、高瀬は背筋を伸ばす。

「あなたが辞めたいと言った場合ですが……キソウでこちらの部署に関する記憶を消された上で、元の所属、高瀬さんの場合は警視庁刑事部捜査一課、強行犯捜査五係でしたね。そちらに戻されます。何の不具合もないようこちらで手配しますので、ご心配なさらず」

「キソウ……? 機動捜査隊、ですか?」

「いえ、こちらのキソウ――記憶操作室の記操です。彼も記操の人間ですよ」

 言って、考えてみれば入室してから一言も発していない、表情のない男性を見やった。

城戸(きど)さん、自己紹介をお願いします……ええ、面倒でしょうがお願いします。彼は今日こちらに来たばかりの新人ですから」

 城戸と呼ばれた人物は、軽く嘆息してから、小さな、だが意外に聞き取りやすい声で名乗った。

「記憶操作室、精神感応能力者の城戸透流(とおる)。いつもここにいるわけじゃない。事後処理のために来ただけ」

 それだけ言って、また黙り込んでしまう。

「は、はあ……」

 目も合わせないところからして、人と会話をするのは苦手らしい。

「気軽に、とおるっち、と呼ぶといいよ」

 黒峰が笑顔で言うが、からかわれているに違いない。そっと城戸を伺うと、静かな殺気をにじませた目をしていた。絶対にそうは呼ばないぞ、と高瀬は誓った。

「……あ、そう言えば……」

 荷物はどこに行ったのだろう、と気になった。つづりに視線を向けると、

「デスクはどこにします?」

 心得た様子でそう訊かれ、高瀬は入り口に一番近い場所を希望した。螺旋はご自由に、と短く言って、自分のデスクに戻り、またティーカップを手にした。

「では行きます! 認識……えいっ!」

 次の瞬間、そのデスクの上に段ボール箱が出現した。先刻つづりに預けた際、運んでおきます、ではなく、運びます、と言っていた理由はこれか、と、超能力に侵され始めた脳で思う。

「……ありがとう、ござい、ます」

「いえいえー、お安い御用です、このくらいの荷物なら」

 あくまで明るいつづりであった。

「……あ、それと、もう一つお伺いしたいことがあるのですが……」

「何でしょうか?」

「結崎さんが言うには、ここは二・五階、だそうですが、その……明日から自分は、どうやってここに来れば良いのでしょうか……?」

「ああ、そうでしたね。総務でIDカードを受け取らねばなりません。結崎さん、お願いできますか?」

「はい! では高瀬さん、行きましょう」

 今度はテレポートではないらしく、つづりは魔捜部屋のドアを開けて廊下に出た。

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