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「では、黒峰さん、結崎さん、留守を頼みます」
夜八時。全ての準備を終え、螺旋は立ちあがる。高瀬もそれに続く。
「はい……絶対に、無事で戻ってきて下さいね」
テレポーテーションが制御できないつづりは、過日のヴェパールの件と異なり、今回はいつものように魔捜部屋で待機だ。一度同行を申し出たが、その理由で却下された。
「こっちからサポートできることは、回線を通じて行います」
黒峰も通常通り魔捜部屋に残る。
「お願いします。それでは――高瀬さん」
「はい!」
高瀬は無意識に、装着したホルスターに触れた。
各部署の担当者たちとともに、数台のワゴン車に分散して乗る。いつもより台数が多い。ちらりと二階堂や城戸、弓狩の姿も見えた。高瀬たちと同乗する内の一人は確か、別の事件の際にも一緒だった空管の人間だ。名前までは把握していないが、見覚えがある。
埠頭に近づくに連れて、何となく暗くなっていくようだった。不審に思った高瀬を察したのか、結界です、と螺旋が小さく説明した。これまでの事件よりも――規模が大きい。
「…………」
高瀬は鼓動が早くなるのを自覚しながら、向かう先を見据えた。
やがて、静かに走行していたワゴン車がスピードを落とし、停車する。
「到着です」
運転を担当していた男性が告げる。
「……行きましょう」
「はい」
高瀬たちは車を降りる。他の車両からも特捜部員たちが降り立っていた。事前に指示を受けているらしく、持ち場と思われる場所に音もなく散っていく者も多い。
既に辺りには、言い表しようのない嫌な空気が漂っていた。高瀬がこれまで魔捜で関わってきた事件現場には、思えば共通してこの感覚を含む空気が立ちこめていた。
全体の指揮を執るのは今回も螺旋のようだ。インカムを装着し、
「各自、持ち場に着きましたね」
確認のように短く言う。
「――では、開始します。基本的には魔捜の領域内で対処しますが、事前にお伝えしたように想定が通じない可能性があるため、場合によっては指揮権を二階堂さんに移行します。よろしいですね」
インカムを装着している者たちからはそれぞれ、はい、と返ってきたようだ。高瀬や他の部署の職員たち――直接螺旋の声が聞こえる範囲にいた者たちも同様に返事をする。二階堂たち記操メンバーもその範囲に立っていた。
「では、高瀬さん」
「はい」
螺旋に目を向けられ、高瀬はホルスターから拳銃を抜く。
「行きますよ」
「はい」
倉庫エリアの、嫌な空気の密度が高い方向へ向けて、二人は歩きはじめた。
足を進めるごとに、落ちている小石やネジのような物が飛び跳ねて邪魔をしてくる。明らかに重力に逆らっている。これが――バシンとかいう悪魔の干渉か。
――紗雪のペンケースも、こんな風に飛んだのだろうか。
「……場が安定しませんね。厄介です」
「銃弾まで干渉を受けたりしないでしょうね」
「……それはさせませんよ」
小声でやり取りしながら進むうちに、空気の密度が最高潮に達した。螺旋が足を止め、高瀬もそれに倣う。
僅かに螺旋の周りの空気が動き、
「……ですから、羽佐間さん!」
ほぼ前触れなく投げられた彼女の眼鏡を、高瀬は反射でキャッチした。想定内の行動とは言え、
「
眼鏡を投げない! 自分今、拳銃持ってんですよ!」
「素晴らしい反射神経ですね」
「聞いてます!? 俺の話!!」
魔眼を発動させるために、螺旋は目を閉じてから何故かいつも眼鏡を投げる。高瀬が何度止めても、破損しても経費で落ちると譲らない。
「ホントに何の儀式なんすかそれ!」
「別に儀式というわけではないのですけど――ね!」
言い終えると同時に、彼女は左目だけを開いた。緑色に輝いているのは、魔眼が発動した証である。周囲を五芒星や難解な文字が埋め尽くしていく。式の発動、だったか。悪魔の動きを封じる力を宿しているはずだ。
実際、密度の高い空気はそこで凍り付いたようだった。跳ねていた小石たちが妙な動きを止め、重力の法則に従う。相変わらず圧倒的な魔力である。
しかし。
「っ!」
その凍り付いた空気を――空間を割るように、そこにヴェパールの姿が現れた。
黒いロングコートと金髪を靡かせ、ヴェパールは圧倒的な存在感を放ちながらその場に立った。
高瀬はとっさに銃口を向け、安全装置を解除する。螺旋はインカムに向け、ヴェパールです、とだけ短く告げた。
螺旋の左目の魔力が発動している間、通常は悪魔は動くことなどできないはずである。しかしヴェパールは空間を切り裂くように突如として出現し、仁王立ちになり、左肩をくるりと回した――動いて、いる。
高瀬は前回の件を思い出す。あの時螺旋の力はヴェパールにコピーされた。その結果として、彼女自身が魔法円に縛り付けられていた。それは避けなければ、と、高瀬は一応警告を発してから発砲する。照準は完璧だった。しかしヴェパールは、人間業ではない動きで銃弾を躱した――螺旋のこの強力な魔法円の磁場内で、信じられない速さで銃弾を躱した。
「……ちっ!」
高瀬が思わず舌打ちしたのとほぼ同時に、螺旋が魔眼を発動させたまま右方向に跳躍した。ヴェパールの視線は螺旋を追う。
今だ。
高瀬は再度引き金を引いた。螺旋に気を取られていたヴェパールは、今度は銃弾を受けた。血は出なかったが、その衝撃のためだろう、数歩よろける。長身ゆえかそのよろめきは動きがやや大きく、隙を作るには充分だった。
それを見逃すはずもなく、螺旋は左目の魔力の段階を上げたようだった。輝度が上がる。呼応するように魔法円が輝きを増し、更に範囲を広げた。
「高瀬さん!」
螺旋の声に応えるように、高瀬はよろけたヴェパールにもう一度狙いを定めた。能力のコピーは、絶対にさせない。引き金を引く。反動に耐える。脇腹に銃弾を受けたヴェパールは視線を高瀬に寄越し、その冷たい瞳で睨み付けてきた。怪我まではしないが、銃弾を喰らった衝撃は感じているものと思われる。高瀬はヴェパールの視線に思わずぞくりとするが、耐える。
螺旋はその間に、完全にバシンを制圧したようだ。この場の法則に逆らうようなヴェパールの動きは感じられるものの、空気の密度は下がっていく。高瀬からやや離れた場所でその魔眼を発動させていた螺旋は、赤く輝く右目も開いた。こちらは魔法円に完全に悪魔を縛り付ける術の発動、だったか――空気の密度がどんどん下がる。ヴェパールもここで、ついに動けなくなったようだった。
「……混沌より出でし者――」
いつもよりも力を込めて右手の人差し指と中指をバシンの気配やヴェパールの方へ向けて揃えて伸ばした螺旋は、その呪文のような言葉を発する。少し呼吸が重い――大丈夫なのか。高瀬が固唾を呑む中、
「――混沌へと――還りなさい!」
魔法円が集束を始める。
「…………」
ヴェパールも封じられるのだろうか。高瀬は銃を構えたままで様子を窺う。集束し切る寸前、ヴェパールはぞっとするような微笑を湛え――そして、次の瞬間、その場に二枚の紙片が落ちた。
いつものようにそれが悪魔の紋章だとするならば――
「羽佐間さん! 封印……できましたね!?」
螺旋はまだ答えず、二枚の紙片に足早に歩み寄り、拾い上げる。右手の人差し指と中指で挟む。息が上がっている。
「……螺旋の狭間へ」
余力がないためか囁くように言い、一枚の紋章は通常通り霧消した。しかし。
「――っ」
もう一枚の紋章は彼女の手から舞い上がり、空間の切れ目から突如として現れた細い手に奪われた。
「なっ――」
必死でそちらに銃口を向けた高瀬だが間に合わず、その細い手は謎の空間に吸い込まれるように消える。
「……やはり」
螺旋が呟き、次の瞬間、その身体がぐらりと傾いだ。
「ちょっ、羽佐間さん!」
高瀬は慌てて駆け寄り、螺旋を支える――軽い。信じられないほど、軽い。魔力で生活を回せるのだか何だか知らないが、これはさすがにあんまりである。
「無茶するなって言いましたよね!」
「……無茶はしていません」
「いや倒れかけてんですよ! 今!」
「――倒れていないでしょう」
「この状態で説得力ないっすよね? 自力で立てます?」
「……立て、ます」
螺旋は高瀬の支えから逃れ、どうにか立て直して息を整えた。少し姿勢が揺れている。それでもインカムに向け、
「バシンの封印は成功しました。ヴェパールは何者か――いえ、悪神に奪われました」
状況を説明する。
「悪神は撤退、行方に関しては現在追える状態ではありません。ひとまずメインの作戦は終了です、以降記操に引き継ぎます」
「……羽佐間さん」
インカムでの通信を追えた螺旋に、高瀬は静かな目を向けた。
「その悪神とやらの話、詳しく聞かせて頂けますよね」
「――ええ、その時が来たようですから。準備が整い次第――皆さんに共有します」
「……本当に、厄介な匂いしかしないんですけど」
「否定はしません」
「……はぁ」
高瀬はため息を吐いた。飽和状態の日々の収束は、しばらく望めなさそうだ。
「とにかく、本日の目的は達成です。最低限ではありますが」
呼吸を整えながら――しかし中々落ち着かない――螺旋は呟き、
「そうですね……戻りましょうか。大丈夫ですか?」
高瀬もそれを引き取る。
「……ええ、大丈夫です。高瀬さんこそ大丈夫ですか」
「自分は全然大丈夫ですよ、突っ込みで忙しいですけどね。これ、眼鏡です」
「……ありがとうございます」
先刻キャッチしてポケットに仕舞っていた眼鏡を返し、ついでに拳銃もホルスターに戻した。螺旋も眼鏡をかけ直す。
そして、他の職員たちが待つワゴン車の方へと戻っていった。
嫌な空気はやや浄化されていたが、不穏さは完全には消え去っていなかった。ヴェパールの紋章のあの様子を見たゆえの心理的なものかもしれないし、悪神の影響下にあるせいかもしれない。どちらなのかを判断する余力は、既に高瀬にもない。
特捜の職員たちが待つ場所まで戻ると、螺旋は二階堂たちと何か会話を交わし、そして特捜本部へ引き揚げる者たちに合流した。高瀬もそれに続く。
二階堂たち記操や、空管の担当者のうちの数名はまだこの場に残るはずだが、高瀬の二度目の長い一日はやっと終わりを告げたのだった。




