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翌日。
あまり眠れないまま朝を迎えた高瀬は、早めに登庁して魔捜部屋でコーヒーを飲んでいた。
一晩経っても、昨日の出来事が消化しきれていない。飽和状態のままである。それでも魔捜に、ここに在籍を続けるという意志は変わっていなかった。適応力が高い、と螺旋が言っていたか。そうなのかもしれない。それとは違う何かなのかもしれない。
昨年の秋の終わりのことを思い出す。本当に唐突な異動の辞令だった。あれからまだ三か月と少ししか経っていないのか。
「……人間は適応する生き物だって言うしな」
マグを片手に誰にともなく呟いたところで、
「……おはようございます。早いですね、高瀬さん」
魔捜部屋のドアが開き、螺旋も登庁してきた。
「羽佐間さん、おはようございます」
「……昨夜はお休みになれなかったようですね」
「え? どうして――」
「……隈が出ています」
言われて高瀬は思わず目元をこする。今朝身支度を調えた時には気付かなかった。そこまでヤワでもないはずである。まさかからかわれたのか?
「……そう言う羽佐間さんこそ、どうせまたろくに寝てないんでしょう?」
「…………多少は眠りました」
「何すかその不自然な間は! それ信用できないんすよ経験上!」
「問題はありません」
螺旋は静かに移動して自分のデスクに座ると、紅茶の用意を始めた。高瀬は軽くため息を吐く。
「……今夜でしょう、バシンとやらの逮捕は。無茶しないで下さいよ」
「善処します」
段々と不毛なやり取りに思えてきた。情報過密と寝不足のせいで頭が回っていないのかもしれない。高瀬はコーヒーを二口飲んだ。
そうしている間につづりと黒峰も出勤し、新たな一日が始まった。
ネットやSNS上でのモノの移動に関する情報は、ある程度の記操や情分、情管による介入が行われたこともあり、爆発的な拡散は抑えられていた。黒峰の寄与も大きい。
「ふふっ。ちょっと燃えますね、こういう制御のし甲斐のある案件は」
目を輝かせながら黒峰は端末に向かっている。それに集中している間はさすがに余計なことはしないだろう、という意味で、高瀬たちは安堵している面もあった。
昨日の室長会議により、バシンの逮捕――封印に向けた連携方針も決定したとのことだった。コンテナ埠頭倉庫エリアの一角を結界で封鎖し、そこでバシンを封じる予定らしい。室長会議の文脈で使われる『予定』とは、もうほぼ決定事項の意味だ。既に空管と記操の担当者が準備を始めているとのことだった。咲坂伶那は呼ばれる予定ではなさそうだった。扱いは一般人だとか言っていたから、当然のことかもしれない。
「あ、螺旋さん、モノの移動に関するSNSの情報が、港湾エリアに集中し始めました」
「――餌を撒いておきましたので。今日は忙しくなりますよ」
螺旋がさらりと言う。
昨日高瀬が対峙したヴェパールは、螺旋を狙っている様子だった。ヴェパールが直接そう言ったわけではないが――彼、と呼ぶのか何なのか、ともかく彼は一言も言葉を発していない――高瀬は直感的にそれを感じ取った。
「……羽佐間さん、その餌というのは……」
拳銃を装備しながら高瀬は問う。総務の武器庫から手順を踏んで持ち出した物は、各自自分の所属部署の保管庫で保管できることになっている。
「魔力の痕跡です」
「……じゃあやっぱりバシンも、螺旋さんを狙ってるんですか?」
つづりも嫌な予感を受け取ったようだった。
「狙っているというよりは――引き寄せられると言った方が正しいでしょう」
「引力だねぇ」
黒峰の言葉は反射的に打たれた相づちなのか、分析が加えられた結果のものなのかは判別できなかった。そもそも彼は今、端末の向こうで繰り広げられる情報に注力しているはずである。こちらの会話にも神経を注ぎ続けていられるのかどうか怪しい。だが黒峰なら、やりかねない。
「狙われていると言うなら、結崎さんもそうなのでは?」
「へ? わたしがですか?」
「空間座標の認識か何かの……何かで干渉受けてるわけですよね?」
高瀬には正確なところは理解できないのであるが。
「あー……結果的に能力は干渉受けてますけど、これはわたし個人って言うより、空管認識そのものへのノイズですから。わたしは狙われてはないですよ」
「……なるほど」
未だにテレポーテーションの仕組みは解らないので、高瀬はそう濁した。
「高瀬、理解した振りして誤魔化してると、後で痛い目見るぞ」
突如としてドアが開き、華火が姿を見せる。
「真山さん」
「……ま、超能力の正確な理解なんて難しいか。僕ら自身にも解らないことは山ほどあるしな。ところで螺旋さん、ヴェパールってさ、人を喰う、なんてことないよね?」
「…………ないはずですね」
確かにあれは人を食った態度ではあったな、と高瀬が回想している間に、妙な間を挟んで螺旋は答えた。
「だよね、悪魔の分際でそれはない。ちっ、やっぱり幻覚か。変なモノばっか視せやがって。ここまで能力狂わされるの、ムカつく」
華火が髪を掻きむしりながら歯ぎしりをする。
「……空間座標だけでなく時空座標にもノイズが飛ぶなんて、これ、大元――」
「真山さん、ありがとうございます。早急に事態の収束を図りますので、非科捜に戻っていて下さい。祁答院さんにもよろしくお伝え下さい」
黒峰の言葉を遮るように、螺旋がそう被せた。
「……判った。高瀬……しくじるなよ」
去り際に鋭い視線を高瀬に向けてから、華火は魔捜部屋から退出する。
その気配が消えた後で、螺旋は黒峰に目を向ける。その視線を受けて黒峰は、
「――すみません、つい」
何かに思い当たったようだった。
「いえ。真山さんの能力は一人前以上です。但し、彼女がまだ年齢的には十四歳の少女であるという事実も忘れないで下さい。只でさえ重責を負わせているのです、我々大人が守れる部分に関しては――守るべきです」
「はい。迂闊でした、すみません」
「?」
つづりが首を傾げている。高瀬も必死で考えを巡らせ、
――悪神。
その存在に思い至った。詳しいことは判らないが、無関係では――ないのだろう。
「まずはバシンの逮捕に集中します。話はそれからです」
「はい」
確かに一度に相手にできる数には限りがある。バシンだかヴェパールだか悪神だか、とにかくその全てを一遍に片付けることなど、いくら稀代の魔術師と呼ばれる螺旋であっても不可能だろう。
――全てを一遍に?
何とも言えない悪寒が高瀬を襲った。
もしもそんな事態が発生したら――否、逆に――発生しない保証はあるのか?
「…………」
黙り込んだ高瀬の思考を読み取ったかのように、
「……とにかく目の前のことに最善を尽くしますよ、高瀬さん」
螺旋がいつもの温度のない声を放った。
「……はい」
想定しておくことは大切だ。しかし、それに縛られてとっさの判断ができなくなることは避けたい。何事も――起きてみなければ、判らない。
少しの間、言いようのない不安に襲われた高瀬だったが、それからは螺旋たちとともに各部署との調整が重なり、あっという間に夜を迎えた。




