8 共有
二・五階の魔捜部屋に戻ると、それぞれのデスクで黒峰とつづりが出迎えた。
「螺旋さんからちらっと連絡があったけど、ヴェパールに会ったって?」
黒峰の問いに、
「はい、ええと、妙な場所に……引きずり込まれまして……」
どう説明したものかと言葉を選びながら返す。
「灰色の……どこか閉じたような……」
「高瀬さん、上下感覚は狂いませんでしたか? めまいみたいなのってなかったです?」
つづりが小首を傾げながら問う。彼女は魔捜付きのテレポーターであるが、本来の所属は空管――空間管理室である。ちなみに二・五階という拡張空間の保持などは、空管が執り行っている。つまりつづりはその筋に詳しい。
「はい、立っていることに問題はなかったです。あれが地面だったのかどうかは判らないですけどね……」
「なるほどです。大体の時間の流れって判ります?」
「体感ではそれほど長い時間ではなかったと思います。ですが戻って時刻を確認したら二十分くらい経ってましたね」
「なら――異空間かつ閉鎖空間だった可能性が高いですね。準拡張幻影空間とかですかね?」
言いながらつづりは黒峰に視線を向けた。
「その可能性が高いと思う。ちょっとデータ漁ってみよう、ええと……」
黒峰は目にも留まらぬ早さで端末を操作し、しばらく様々な画面を見比べていたが、
「けど、これまでの案件に、そういうことが可能な悪魔の存在はないみたいだね。ちょっと全世界のデータを漁ったけど、少なくとも――」
「全世界!?」
高瀬とつづりの声が重なる。どうやら黒峰は、特捜で処理してきた物だけに留まらないデータを漁っていたらしい。
「……あ、いや」
「――黒峰さん、全世界横断データベースにアクセスする際は事前にいくつかの手順があったはずですが」
入り口から温度のない声が聞こえ、高瀬たちは揃って振り返った。
「――あ」
螺旋が静かに入室してくる。黒峰は額からたらりと冷や汗を流した。
「当然、正式な手順は踏んでいますね」
完全に、質問というよりも確認のニュアンスである。
「いやー……その……ちょっとだけ……ほんのちょーっとだけ、グレーです、か、ね?」
「……事情が事情です、今回だけ目を瞑りましょう。但し以後は気を付けて下さい」
嘆息混じりの螺旋に、黒峰は肩を落とし、
「すみませんでした……これ、螺旋さんまた――早乙女部長とかに何か言われます、よ、ね」
「魔捜内で起きたことに関しては私の責任です」
「ごめんなさい」
「……次回からは必ず正式手順を踏んで下さい」
「はい」
そのやり取りを気に掛けつつ、高瀬とつづりは静かに視線を交わした。部長の早乙女は神出鬼没であり、用があっても見つからないことが多い。見つからないどころか、急に目の前から姿を消す印象しか高瀬にはない。しかし確かに何度か螺旋が呼び出されていることは事実だ。しかも高確率で黒峰が関係している。
黒峰は優秀な技官であるが、有能すぎる。悪意なく権限外の情報に触れがちである。悪意がないからタチが悪い。高瀬が以前ちらっと耳にしたウワサでは、黒峰の本来の所属である情分の室長ですら彼を手に負えず、扱いに関して螺旋に丸投げしているらしい。逆に言えば黒峰を扱えるのは螺旋だけなのだろう。基本的に黒峰は好人物であり、高瀬も信頼しているが、たまにうっかり越境するのである。
高瀬が知る早乙女の口調はのんびりと言うか間延びしていて、螺旋を――誰かを叱責するようなイメージは具体的には思い描けないのだが。
「……高瀬さんはご無事だったようですね」
螺旋は視線を高瀬に移した。高瀬は頷く。
「悪魔が作成した幻影空間にヒトを引きずり込む……しかも実体があった、ということですか……」
どの時点から聞いていたのだろう、螺旋が戻ってきていることには気付かなかったが。高瀬は一瞬その疑問に囚われたが、口には出さなかった。黒峰もつづりも似たようなことを思っているらしかった。そしてそれは結局、永遠の謎となってしまうのであった。
「……やはり……ヴェパールだけの力ではない、のでしょうね」
少しの間思考に沈んだ後、螺旋は小さく呟いた。
高瀬はどこかぼんやりと、今日の登庁からこの時点までに起きたことを振り返る。あまりにも情報量が多い。既に密度が飽和している。
しかし、それでも。
思考はあるやり取りに辿り着いた。
悪神を追っている。螺旋は確かにそう言っていた。個人的にも、という言い方がささくれのように引っかかったことを覚えている。ただそれを黒峰やつづりの前で言っても良いのかどうかは判断できなかった。第一、高瀬の補助能力云々の話を彼らも既に知っているのか、高瀬は判らない。
「……羽佐間さん、その……」
だから高瀬は慎重に言葉を選びつつ、
「えーと……自分の……あの、今朝の……」
「……そうですね、申し訳ありませんでした、扱いに関して申し上げるのを失念していました。特捜内で共有するかどうかは、高瀬さんが選んで下さって構いません」
「判りました、なら――共有します」
高瀬が答えると、螺旋は今朝高瀬に話したのとほぼ同じ説明を、黒峰とつづりに向けて行った。ただし保護プログラムに関しては触れなかった。そして彼女自身の過去の件についても触れなかった。ただそれは黒峰たちが知っている前提なのかもしれない。つづりが特捜に配属されたのは確か二年前だと聞いているし、黒峰もこれまでのやり取りから、設立からそう期間を経ずに在籍していることが覗える。高瀬よりも遥かに長い期間、彼らは実質――本来の所属部署はそれぞれ異なるが――魔捜に所属している。知っていても不思議ではない。
――否。高瀬が早乙女から螺旋の過去に関する話を聞いたとき、彼女は高瀬が螺旋の過去に到達する初めての部下だ、と言っていなかったか? それは直属の部下という意味なのか。それとも、事実上部下である――本来は別部署の所属だが、実質的に魔捜に常駐している黒峰やつづりを含めてのことなのか。
悪神とやらの話は、ここで出しても良いのか。
考えた末、高瀬は言葉を飲み込んだ。
「へぇ、高瀬くんが補助能力者……」
螺旋の説明を聞き終えた黒峰は、興味深そうに呟く。先ほどまでの反省の色はもうほぼ見えない。切り替えが早い。
「補助能力者って、まだ殆どその実態が解明されてないですよね。情報が少なすぎるんだけど、こんなに近くにいたとはねぇ」
「なんだぁ、高瀬さんもこっち側だったんじゃないですかぁ」
つづりは無邪気な笑みを浮かべて明るく言うが、
「……いえ、テレポーテーションもテレパシーも未来予知も魔術も使えません、使いません」
完全に異能者側だと思っているわけではない高瀬は、とりあえず否定しておく。
「まあ僕は否定するのも視えてたけどな、高瀬」
再び入り口から声が聞こえ、一同はそちらを向いた。非科捜――非科学捜査研究室所属のプレコグ、真山華火が腕を組んで立っていた。
華火は年齢的には中学生であるが、正式な職員として在籍している。一人称が『僕』の少女である。そして何故か高瀬に対する当たりがキツい。春日井伽羅によればそれは信頼の裏返しらしいのだが。
「真山さん、何かありましたか」
螺旋が問うと、
「螺旋さん、ヴェパール……厄介な現れ方をするかもしれない」
華火はやや眉をひそめながら答えた。
「全部視えないのが悔しいんだけど――未来が分岐してるんだ。つづりさんも能力干渉受けてるだろ?」
「うん。テレポーテーション、ズレるんだよね」
「非科捜のどの班も解析とかでバタバタしてるよ。僕の力も何か影響受けてるかもってさ。同時刻に複数の分岐が視えるなんて、これまでなかったしね。しかもどれも微妙にぼやけて、はっきり判らないんだ」
ため息交じりに華火が言う。その仕草は完全に大人である。
「だからあまりにも不確定要素ばっかで、そうなるともう未来視って呼べないから普段ならこういうの報告しないんだけど――現状、だからこそ報告して来いって、室長に言われて」
「なるほど、祁答院さんが……確かにいつもとは状況が異なります。真山さんの能力に、これまでこういったことは起こらなかったはずですね」
螺旋の言葉を受けた華火は頷き、
「うん……何て言うかさ……幻覚を視せられてるみたいだ」
どこかしょげているようだった。
「――状況が、加速しすぎていますね」
「?」
小さく呟いた螺旋に高瀬は視線を向けたが、それには気付かなかったのか、螺旋の視線は華火に向いたままだった。
「ご報告ありがとうございました、真山さん。戻っていただいて構いません……お疲れのようですからご無理をなさいませんよう」
「ありがとう、螺旋さん――螺旋さんも、気を付けてね。この前ほどじゃないんだけど……嫌な予感がするんだ」
「ええ、ありがとうございます」
「……じゃ、戻るね」
「華火ちゃん、テレポートで非科捜まで送ってあげたいんだけど……」
つづりはなるべく明るく振る舞いながら、
「ズレるから、今日はやめとくね」
「ふふっ、気にしないでつづりさん。ありがとう。それじゃ」
華火は困ったように笑ってから背を向け、魔捜部屋を去って行った。




