5 ささやかな邂逅
螺旋が魔捜部屋に戻ったちょうどその時、黒峰が小さく声を上げた。
「……あ」
「どうなさいました、黒峰さん」
「モノの移動を呟いているアカウントの一つなんですけど、持ち主の通っている大学名が出てますね」
「どちらですか?」
「帝和大学、みたいです。えーとメディア欄を見てみます……あ、確かに周辺で撮ったような写真も載っていますね。投稿内容からも、実際の学生かと」
「……帝和大学、ですか?」
高瀬は驚いたような声を上げた。
「ん? 高瀬くんどうかした?」
「あ、いえ、そこ……妹が……」
「……確か紗雪さん、でしたか」
即座に螺旋の記憶が引き出される。
「はい、そうです」
「あ、この前、春日井さんとも一緒の時にお会いした――」
つづりも思い出したようだ。
そこへノックの音が響く。螺旋が応じると城戸が顔を見せた。そのまま無言で入室してくる。精神感応能力者であり、基本的に会話が苦手らしい城戸は、普段あまり言葉を発さない。テレパシーを受け取れる螺旋には、必要事項はテレパスで伝えている。
「高瀬くん、妹さんいたんだ? 何となく、仲良さそうな気がするね」
紗雪とは面識のない黒峰が面白そうに言い、高瀬は曖昧に頷いた。確かに兄妹仲は良い。
「それより、帝和大学のその学生の投稿はいつのことなんですか?」
高瀬が話を戻すと、
「八分前だね、ノートが目の前で変な方向に飛んだらしい」
「……高瀬さん、行きましょう。城戸さん、急ぎでなければご用件は後ほど伺います」
螺旋がコートと黒いバッグを取る。
「はい!」
高瀬も上着を羽織った。
「……? 城戸さん……はい? 二階堂さんが……? ……そうですか、善処します」
恐らくテレパシーで何か伝えたのであろう城戸に、螺旋は抑揚のない声でそう告げて、
「では少し出ます」
黒峰とつづりに言うと、高瀬を伴って魔捜部屋を出た。
「……高瀬さん」
靴音が不気味に反響する廊下を歩きながら、螺旋が静かに切り出す。
「はい?」
「……大丈夫ですか」
僅かに戸惑いのようなものが滲む声音だった。
「……補助能力、の件……ですよね」
高瀬は苦笑しながら応じる。
「まあ……先ほど羽佐間さんが席を外されて居るときに多少考えましたけど……急にそういう能力に覚醒したとか、そういうわけでもないんでしょう?」
「――そう、でしょうね」
「生まれつき、みたいなもの、なわけですよね?」
「――恐らくは」
「だったら……まあ……仕方ないかな、と」
実際、高瀬が達した結論はそれだった。この特殊捜査部に配属されて初めて、魔術師だとか超能力者だとかいう存在と実際に関わるようになってしまったわけだが、そういった存在はそれまでの高瀬が出会わなかっただけで、普通に自分と同じようにこの社会で生活していたわけである。能力こそ常識からは外れるが、逆に言えばそれ以外は一般人と何ら変わりない――螺旋に関しては食事や睡眠といったものまで魔力で代替しているらしいから、その点については普通ではないが。
特捜所属としての日常にうっかり染まってしまった結果かもしれないが、そこまで問題視するようなことでもない気がしてしまったのだ。
ただ、人体には物理干渉できないはずの悪魔からの攻撃を、この能力のせいでこちらも――実戦を担当する螺旋も――受けてしまっているのではないか、という不安は拭えずにいる。こちらからの物理攻撃が可能になるのは良いことなのかもしれないが、諸刃の剣ということだろう。しかし螺旋は、それならば今後はその前提で戦略を立てると言った。ならば、その辺りは任せて構わないと高瀬は判断した。
「……適応能力が高いですね」
螺旋はやや嘆息しながらそう呟いた。
「そうですか?」
「ええ……高瀬さんがこちらにいらした際にもお伝えしたように――魔捜に配属された刑事は皆、初日で去りました。正直なところ、高瀬さんがこれまで残っているのは想定外です」
そんな螺旋の評価に、高瀬は思わず噴き出してしまった。螺旋は立ち止まり、無表情のまま微かに首を傾げた。高瀬もつられて立ち止まる。
「……笑うところでしたか」
本気で理解していなさそうな螺旋に、
「いえ、すみません、何でもないです。そのとき言ったでしょう、必要とされる限り、自分はここでやっていきたい、って」
「……そうでしたね」
「補助能力とやらは想定外ですけど……それが、自分がここにいる意味になるなら……全力を尽くしますよ」
「…………」
螺旋は納得したのかしていないのか、沈黙で応じる。高瀬は自分自身の声にしたその言葉で決意を補強されたように感じながら、二人してまた歩き出した。
「それにしても、今回、悪魔が関わっているとすれば――どんなやつの可能性が高いんですか?」
「そうですね――まだ断定はできませんが、バシン、もしくはセエレ――移動に関連する悪魔でしょうね。範囲や、結崎さんの術式への干渉も加味すると、公爵であるバシンである可能性が高いでしょう。ただ――」
「ただ……?」
「事象発生の範囲が広すぎます。SNSの複数の書き込みも――地域に偏りはない、と黒峰さんが仰っていましたね」
「そう言えば、はい」
「通常は――そのような同時多発的な事象が発生することは、稀です」
「…………」
「……少々面倒なことになるかもしれませんね」
どこか諦めのようなものが混ざった声で、螺旋は呟いた。
帝和大学構内は学生たちで賑わっていた。自分が実際に学生だった頃を、高瀬は思い出す。そんなに昔のことではないのに何故かやけに懐かしかった。
「さて」
螺旋が立ち止まる。
「投稿をしていた学生が誰なのか、ということまでは特定できていません。ひとまず数を当たってみるしかないでしょうね」
階級も役職も嫌い、魔術師を名乗る彼女であるが、この辺りの意識は刑事そのものではないかと高瀬は思う。
「そうですね。あそこにいるグループ、当たってみます?」
「そうしましょう」
ベンチとその周囲に群がっている男子学生数名の方へ向かおうとすると、
「……え、お兄ちゃん、何で?」
少し離れた場所からそんな声が聞こえた。
「……紗雪?」
「紗雪さん?」
高瀬と螺旋は揃ってそちらへ目を向ける。数名の友人と一緒にいた紗雪がこちらへ駆けてきた。
「あ、羽佐間さんもこんにちは! え、で、何で?」
紗雪が首を傾げ、その拍子にポニーテールも揺れる。
「あ、いや――捜査で?」
「何で疑問形?」
「捜査だ」
どうにか兄としての威厳を保とうと、高瀬は断言口調で言い直した。紗雪はふうん、と首を反対側に傾げる。再びポニーテールが揺れる。
「――少々、ある事件の裏付けを行っておりまして」
螺旋がしれっと嘘を吐いた。否、嘘ではない。
「そうなんですか? それにしても羽佐間さん、相変わらず細いですね、ちゃんと食べてます?」
明るく問う紗雪に、螺旋は曖昧な微笑で返した。まあまともな食事は摂っていないのだろう、と高瀬は思う。生命活動を魔力で回すような人物だということは、納得はしていないが心得ている。病み上がりであることに間違いないはずで、その辺りが心配ではないと言えば嘘になる。しかし高瀬がどうこうできる問題でもない。幼なじみだか腐れ縁だかの医師、咲坂伶那が定期的に面倒を見ている、と信じたかった。
「……紗雪、ちなみに聞くが……ノートが急に飛んだとかいう話――」
聞いたことないか、と続けようとした高瀬の言葉を、
「えっ待って、お兄ちゃん知ってんの? 私も! 私もペンケースが飛んだんだけど!」
紗雪の声が覆う。
「……は?」
「は? じゃないよ、私もさっき、教室移動する前に、ペンケースが飛んだの! 落ちたんじゃないからね? 席に置いてあったペンケースが、ひゅんって飛んだの!」
「……紗雪さん」
螺旋が静かに割り込む。
「その件、詳しくお聞かせ願えますか」
「あ、はい。授業が終わって、講義室を出るのにノートとか荷物をまとめようとしたんです。そしたら、ペンケースが……ひゅんって」
「飛んだのか」
高瀬が引き取ると、
「うん」
紗雪は頷いた。
「でもおかしいでしょ? あり得ないでしょ? ペンケース自分で動かないもんね?」
「まあ……そうだな」
悪魔のことを言うわけにはいかず、高瀬はそう返す。
「そういうことが起きたのって、紗雪の他には?」
「直接見たわけじゃないけど、今朝会った後輩がそんなこと言ってたし、今日変にザワついてるのって多分それが理由だと思う」
「……羽佐間さん」
高瀬は隣の螺旋を見た。
「……ええ」
螺旋は頷く。
「ペンケースが飛んだ時、他に何か気付いたことはありませんか。感覚的なものでも結構です」
「気付いたこと、ですか……? うーん、びっくりしたからよく覚えてなくて。でも、何となく……何となくなんですけど……」
「構いません」
「……何だか、嫌な感じはしました。どういう風にって聞かれるとちょっと詳しく説明できないんですけど……」
「なるほど、嫌な感じ、ですか。大変参考になります。ありがとうございます」
どことなく満足そうに応じ、螺旋は謝意を述べる。高瀬にはこの情報にどれだけの価値があるのかは判らなかったが、螺旋は何かを得られたのだろう。
「……お兄ちゃん」
紗雪はふいに高瀬を見やった。




