4 三人の室長たち
黒いコートに身を包んだ長身の男が、人気のない路地裏を歩いている。さらりとした金髪に、青い瞳。国籍は判らないが、欧米辺りにルーツがありそうな風貌である。
その顔立ちは恐ろしく整っており――整いすぎていた。
人間離れした、という形容がしっくり来るような容姿をしている――そして実際彼は人間ではなく、過日螺旋と対峙していたヴェパールという悪魔なのであった。
「…………」
ヴェパールは無表情で歩いていたが、ふと立ち止まり首を傾げる。そして右手で、左肩に触れた。
「……?」
何か違和感があるのか、その状態で左肩を二度ほど回した。しかしその違和感の正体には触れられなかったらしく、そのまましばし静止する。
冷たい風が吹き抜けた。金髪がさらりと音を立てて僅かに靡き、コートの裾がはためく。
「…………」
寒さに身を縮める様子もなく、再びヴェパールは歩き始めた。そしてその後は立ち止まらなかった。目的地があるのかないのか、判然としない。
ビルの上からヴェパールを見下ろしていた数羽のカラスが、威嚇するような鳴き声を発してから、バサバサと音を立てて飛び立った。
再び冷たく強い風が吹き、数枚の落ち葉を踊らせる。
数分後には、ヴェパールの姿は見えなくなった。
* * *
高瀬とともに一旦魔捜部屋に戻った螺旋は、その後一人で霊監――霊魂監察室を訪れていた。一色夜彦が室長を務めるその部署は、普段から照明が暗めである。一色自身も常にブラックスーツに黒ネクタイという出で立ちだ。霊魂を扱う一色にとって、それが美学めいたものであるらしい。
この部屋には普段から一色だけしか居ないのだが、数名の霊的存在が職員として在籍している、というウワサも渦巻いている。真偽は判らない。
「――で、羽佐間さん、本日のご用件は?」
螺旋を向かいの椅子に座らせた一色は、穏やかに問う。
「……以前、お願いしたことがありましたね。宵宮暁音の霊魂を、呼び出せるのかどうか」
「例の件ですね、もちろん覚えています――霊魂すらも残らない、そういうケースは稀ですから」
「――ええ」
「その宵宮さんが、どうかされましたか?」
「――もう一度、試して頂きたいのです」
螺旋はあくまで感情を乗せず、淡々と言う。一色は首を傾げた。
「もう一度? 何か、ありました?」
「少し――気になることが」
「判りました、試してみましょう」
穏やかに応じ、一色は目を閉じる。いわゆる降霊術と呼ばれるものである。派手な動きは一切なく、一色はただ目を閉じているだけだ。しかしそこにはかなりの集中が感じられる。螺旋も静かにそれを見守っていた。
「…………」
一色の頬を、冷や汗が一筋伝う。やや呼吸のペースが乱れた。
「――っ」
そこで一色は目を開ける。螺旋は静かな眼差しでその様子を見届けると、
「すみません、やはり――」
「……こちらこそすみません、宵宮さんの霊魂は――少なくとも私には捕捉できませんでした」
一色は呼吸を整える。
「通常なら何かしらの反応は返ってくるのですが――状況が、あれだった、でしょう」
「……ええ。やはり――魂ごと喰われた、そう捉えるのが適切ですよね」
螺旋も小さく息を吐く。
「……けれど、何かあったわけですよね? 羽佐間さんがこう出るくらいですし」
「考えすぎかもしれませんが――夢を、見まして」
その言葉に、一色の目が見開かれた。
「! 羽佐間さんが、宵宮さんの夢を、ですか?」
「――はい」
「それは――」
「ですがやはり――所詮は夢、と捉えるべき――」
「いえ、羽佐間さんクラスの魔術師が、宵宮さんの夢を見たのなら、それには意味があるでしょう、間違いなく」
一色は断言する。しばらくその場を沈黙が支配した。
それを破ったのは軽やかなノックの音と、
「一色くんさぁ、ちょっと確認したいことがあ――あ」
間髪入れずドアを開けてそんな言葉を投げた、記憶操作室室長である二階堂左近だった。
「おや、二階堂室長」
一色が視線を移して出迎える。
いつものように三つ揃いのスーツを上手い具合に品良く着崩した二階堂は、軽快なトーンから一転、
「――螺旋ちゃん、ごめん」
表情を一変させてぽつりとそう言った。
「……はい?」
螺旋は小さく首を傾げる。
「見るつもりは、なかったんだけど――」
「……ああ、いえ、問題ありません」
そのやり取りで、一色も全てを理解する。
「なるほど、全て見えましたか」
二階堂は他人の記憶に干渉することができる能力の持ち主であり、それゆえ記操の室長を務める人物である。それは意識無意識に関わらず、他人の記憶を見てしまうという側面も持っていた。その力を二階堂が濫用することは決してないが、常に完全な制御下に置くことも困難を極める。結果として、二階堂は他人の記憶を見続けてしまうという弊害とともに生きているのだ。その辺りの事情を知る人物は室長級以上に限られているため、周囲からは気さくで軽めの人間だと受けとめられているはずである。
「……本当にすまない。これは――」
普段の軽薄な調子からは想像もつかない声の二階堂に、
「構いません。どうぞお気になさらず」
螺旋は動じることなく、いつもの抑揚のない調子で応じる。
「けど、これ――」
「二階堂さん、問題ありません」
「……判った。あ、螺旋ちゃん、一か所だけ――シールドを張らせてもらっていい?」
「?」
「その名前は、外部に漏れるとマズいだろう? ――僕も含めて」
「……あ――」
「シールドを張ったら僕も忘れるから」
「……お手数をおかけします、お願いします」
二階堂と螺旋のやり取りを、一色は静かに見守る。螺旋の記憶のどこまでを二階堂が見た――状況的には見えたというのが正しいだろう――のかは判らない。しかしその内容に、機密に関するものが混じっていたのだろう。
そして、他人の記憶が見えてしまう能力の持ち主は二階堂だけではない。ずば抜けて高いのは二階堂だが、記操所属の能力者たちは他部署と比べてその傾向が顕著に高い。この特捜に所属している者ならばまだ問題になる可能性は低いが、すべての能力者が警察庁刑事局特殊捜査部に所属しているわけではない。街ですれ違うようなごく普通の一般人の中に、能力者が紛れていないとも限らない。そして能力者の全てが、倫理観を持ち合わせているとも限らない。
だから機密保持のために記憶にシールドを張る、二階堂が言っているのは恐らくそういう意味だ。一色は静かに息を呑んだ。二階堂は名前と言った。恐らく――羽佐間螺旋の真名である。
「サンキュ。じゃあ――これでシールド完了、それから――僕の記憶も消したけど、こればかりは自己申告だしなぁ、信用は得られないよね?」
後半でいつもの軽い空気を取り戻し、二階堂は微かに笑った。
「いえ、その程度の信用もなく全ての後処理を任せてなどいませんよ。ありがとうございます、二階堂さん」
「……これでチャラってことにしてもらっていい?」
「元より気にしていません、寧ろ――私の借りでしょう」
「じゃあ螺旋ちゃん、今度食――」
「それはお断りします」
「ははっ、相変わらず即答~」
二階堂はすっかりいつもの調子を取り戻し、笑う。
「……それでは、用は済みましたので私はこれで失礼します。一色さん、どうもありがとうございました。お手間を取らせました」
螺旋がすっと立ちあがる。
「いえいえ、お役には立てませんでしたけど……では二階堂室長、ご用件を伺いましょうか」
一色は穏やかな目を二階堂に向けた。
「――ああ」
その様子を横目に軽く会釈をし、螺旋は霊監をあとにした。




