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「……ならば、自分の答えは変わりません」
「――ありがとう、ございます」
「?」
「無論、保護プログラムの申請はいつでも可能とします。現在の判断を撤回されても構いません。ですが、留まって下さるのなら――助かります。恐らく我々には――高瀬さんの力が、必要です」
「……! はい」
高瀬の返事に、螺旋の目元がやや緩んだように見えた。気のせいかもしれなかったが。
それから再度空気を引き締めて、螺旋は続ける。
「それともう一つ、お話すべきことがあります」
「……何でしょうか?」
「――私の過去の話になるのですが……」
「――それって、もしかして」
早乙女部長から聞いた話を思い出す。
「ええ――既にあらましは早乙女部長からお聞きになっているかと」
ならば四年ほど前の出来事のはずだ。
螺旋は高瀬から視線を外し、壁の向こうを見るような目つきになった。
「四年前、この特殊捜査部が組織された頃の話です。魔捜が取り扱う悪魔案件の他にも、霊魂、異空間、異次元――様々な案件が発生し始めていました。特殊捜査部が組織されたのはその辺りに理由があるのですが、現在のような体制ではありませんでした。まだそれぞれの部署の規模が小さかったですし、現在のように連携体制も整っていませんでした」
一切の感情が乗っていないような口調だ。
「…………」
高瀬は黙って続きを待つ。
「当時――私にはラインハルトという使い魔がいました。魔捜の所属はラインハルトと私、それだけでした」
「……それって――実質、羽佐間さん一人ってことですよね?」
「まあ……そうですね。使い魔は――ヒトではありませんから」
現在も魔捜――魔力捜査室の正式な所属は、室長である螺旋と、警視庁から人事交流で出向という名目――この点からして正式な所属と呼べるのかどうか判然としないが――の高瀬だけだ。黒峰は情分――情報分析室から、つづりは空管――空間管理室からそれぞれ派遣されている言わば支援要員である。人員が足りているとは呼べない気もする。しかし螺旋の実力や、黒峰やつづりの個々の能力を考えるとそれで充分なのかもしれなかった。
それを考えるとやはり、その四年前の段階では組織とは呼べないのだろう。
「特捜が組織される前から、そう言った事件は日常に紛れて発生していたのです。私もそうですが、例えば二階堂さんや黒野さんなども、特捜ではなく一般に公開されている部署からそれぞれの案件に対応していました。ですがそれには限界があり、閾値を超えた結果、組織的な対策が必要と判断され――この特殊捜査部が組織されました」
確か黒峰から聞いた話でも、螺旋は特捜が設立した初期からのメンバーのはずである。それに、螺旋の幼なじみだか腐れ縁だかの医師、咲坂伶那が以前、螺旋はかつて警備局に所属していたと言っていたことがある。あれは高瀬がこの魔捜に放り込まれたその日だった。その頃に裏で悪魔が起こす事件に対応していたということなのだろう。
「……そんなことまで覚えていらっしゃいましたか、まったく、伶那さんも余計なことを」
螺旋は静かに息を吐いた。そして、
「ええ、そうです。その当時からラインハルトと共に、悪魔の封印を行っていました――昔から追っている悪神がいましてね、本来的にはその流れなのですけど」
感情を宿さない、しかし芯のある口調で続ける。
「――そして、あの事件が起きました。現在のように連携が取れていませんでしたから、人払いが徹底できておらず――当時のヴェパールを追い込んだ先に子供が迷い込みました」
「…………」
早乙女部長から聞いた話と一致する。高瀬の呼吸が無意識に浅くなっていた。
「あの当時からヴェパールは、ヒトの形をとっていました。私が魔眼を発動させる前に――あれはその子供を狙いました。そして――」
螺旋が一瞬言葉を切る。そして、あくまで淡々と続ける。
「ラインハルトがとっさに、その子供と――私を庇いました。子供は無事でしたが、ラインハルトが重傷を負いました。人体には物理干渉できないのが前提とされますが、ラインハルトは――人間ではありません、使い魔です。干渉は避けられませんでした」
「っ――」
「ヴェパールは攻撃を重ねてきました。私も魔眼を発動させましたが――間に合いませんでした。ラインハルトはそこで、命を落としています」
「…………」
沈黙が下りる。どう返すべきか、高瀬は思考を巡らせる。
――と。
「……ん? 待って下さい、羽佐間さん」
早乙女部長の話、そして何より高瀬自身が実際に確認している件について、今の螺旋の話では触れられていない。
「羽佐間さん、その――羽佐間さんの右腕の怪我は……その時に負ったのではないのですか?」
「…………」
螺旋はしばらく黙っていた。
そして、
「……そうです」
短く肯定した。
「……なら羽佐間さん、ヴェパールはその時点で、人体に物理干渉しているじゃないですか」
「――ええ」
「…………」
脳内が混乱してくる。ならば先日のヴェパールの件に関して、螺旋がエフェクトなのだか現実なのだかは未だに判然としないが、出血するという物理干渉を受けたのは、高瀬が補助能力者であることに由来するのか、それとも他に何か原因があるのか――
その混乱をどこまで読み取ったのかは解らないが、螺旋は静かに続ける。
「――当時の特捜としての公式な見解は、イレギュラーが発生した、というものです。そしてこれまでの世界的なデータを見ても、基本的な前提は覆りません。ただ――」
螺旋は言葉を探すように、ほんの少し目線を動かした。
「遡れるだけの文献から最新までの情報を組み合わせた結果、法則までは判明していませんが、稀に人体が被害を受ける事例はいくつか確認されていますし、元々ある傷口を広げる悪魔も存在します。ですがこれは私個人の見解ですが――恐らく同一の悪魔――いえ、悪神が、直接的または間接的に関係していると考えています。私は――個人的にも、その悪神を追っているのです」
そう言えば先ほども、螺旋はそんなことを口にしていたか――
「悪神……それは、悪魔とはまた違うんですか?」
「そうですね、根源的にはそう変わらなかったのではないかと考えています。ですが、あの悪神は――力を取り込む器があった。故に、止まらなくなったのではないか、と。結果として、神格級の上位存在になってしまった――」
「……?」
既に混乱を極めている高瀬には、もうそれ以上の情報を処理する余力が残っていないようだ。疑問符に囲まれていることに気付いたのか、螺旋は言葉を止める。
「……すみません、これはまた別のお話になってきますので、日を改めます」
「いえ、こちらこそすみません」
「高瀬さんが謝る必要はありません。思ったほど動揺されなかったので、つい余計なことまで話してしまいました」
「あの……」
「はい」
「その使い魔――ラインハルト、でしたっけ? その方は、今どうなっているんですか?」
螺旋が逮捕という名目で封印する悪魔は、この世界と混沌との螺旋の狭間に閉じ込められるらしい。それが彼女の、羽佐間螺旋という偽名――術名の由来になっていると聞く。つまり、命――と呼ぶのかどうか定かではないが――まで取られているわけではない。
「命を落としたと仰いましたけど、本当に……消滅というか、いなくなってしまってるんですか?」
「……?」
質問の意図が理解できない、と言うように、螺旋は僅かに首を傾げる。
ややあって、
「……心配、して下さっているのですか」
どこか自信なさげに問うた。
「ええ、まあ、はい。そうです」
高瀬は頭を掻く。
「……ありがとう、ございます。私も最近まで知らなかったのですけれど――魂は、別の次元に運ばれたようです。ある程度は、私との主従関係の記憶を保持したままで」
「そう、ですか」
「――高瀬さんは、おかしな……失礼しました、不思議な方ですね」
「はい?」
「高瀬さんご自身の現状としてそれどころではないのでしょうに――ラインハルトを気遣って下さるとは」
「いやまあその補助能力者とか何とかは当然理解しきれてないですけどね!? けど、四年前の件も、あまりにも後味悪すぎるのは嫌なだけです」
高瀬の言葉に、ほんの僅かに螺旋の表情が和らいだように見えた。
「そうですか。では、話は以上です。繰り返しになりますが、保護プログラムの申請の判断は自由です。現時点の結論が変わっても、お気になさる必要はありません。それは高瀬さんの権利ですので」
「はい」
返事をしながら、それでもこの結論を変えることはないのだろう、と高瀬はどこか自分を俯瞰したように見ていた。
「何か気になることがあれば、いつでも聞いて下さって構いませんし、できる範囲で対応します。とは言え補助能力についてはまだ研究途上で、解明されていない部分も多いのですが」
「はい」
「……現時点で、何かありますか?」
「いえ――正直今は、何が解らないのかも解らないですね」
苦笑を浮かべた高瀬に、螺旋は短く、でしょうね、と返した。
「では、戻りましょうか」
「はい」




