2 告知
靴音が微妙に反響する廊下を歩きながら、螺旋と高瀬は会議室を目指す。
「羽佐間さん……? 魔捜部屋では、マズかったんですか?」
高瀬が小声で問うと、
「いえ……そういうわけではない――とも、言えないのでしょうね」
「?」
螺旋にしては歯切れの悪い返事に、高瀬は不安を覚える。螺旋はそれ以降口をつぐみ、高瀬も何も言えなくなる。二人の靴音だけが不気味に響く。
やがて会議室の前に辿り着き、螺旋と高瀬はそこに入った。螺旋に促されるまま近くの席に座り、高瀬は、
「……羽佐間さん、お話というのは……」
再び静かに問うた。螺旋はすぐには答えず、立ったままで視線を少し遠くに投げた。拡張空間であるこの二・五階には基本的に窓がない。あったとしてもその外に映っている景色は偽物らしい。そしてこの会議室は魔捜部屋と同様に、窓を持たない部屋だった。
螺旋の視線は、壁の向こうを見ているようだった。
「……先日」
「はい?」
「先日の――ヴェパールの、事件の際ですが」
その言葉で、あの出来事が鮮やかに再生される。ニューヨーク市警から来た魔術師の春日井伽羅、プレコグである真山華火の緊迫した表情、金髪の恐ろしく温度の低い美しさを持つ男、そして、命を落としかけたようにしか見えない螺旋。
あれからまだそれほど時間が経っているわけではない。考えてみれば、三週間もしない内に螺旋が何もなかったように復帰していることの方が異常に思えてくる。食事や睡眠すら魔力で補えるとかいう螺旋の、その魔力自体が底をついていたと聞いている。それがどういうことなのか正確には把握できない高瀬であるが、背中を冷や汗が伝った。
「……あの件が、何か……」
自分で思っている以上に掠れた声が出た。螺旋はそこで視線をまっすぐに高瀬に向ける。
「高瀬さんは、ヴェパールを銃で撃っていますよね。普通の拳銃で」
「……はい」
「…………」
一拍置かれた沈黙で、また冷や汗が伝うのが判った。
「高瀬さん」
「……はい」
「これから私が申し上げることは――恐らく高瀬さんの認識を揺らします」
「……はい?」
「受け容れられないようであれば、記操による保護プログラムの適用も考慮します」
「記操の保護プログラム? 羽佐間さん、何を――あ、そ、それってまさか、自分の記憶を書き換えるってことですか!?」
「はい、その必要があれば」
「一体何を――」
「いいですか、高瀬さん」
螺旋は高瀬と目を合わせたまま、感情を乗せない、しかし静かに強い声で言った。
「通常、悪魔に対して普通の拳銃の弾が当たることなど、ないのですよ」
「――っ!?」
ざわりと肌が粟立つ。
「そ、それは、どういう……」
聞いてはいけない。これ以上深入りするべきではない。本能がそう警告している気がするが、口から勝手に言葉が漏れた。
「高瀬さん、あなたは――悪魔に対して物理干渉を可能にする、補助能力者である可能性が極めて高いです」
「っ」
世界の音が途切れた。心臓が早鐘を打つ。
これまでのことが走馬灯のように蘇る。警視庁捜査一課での日々、突然の警察庁への異動、聞いたこともない部署、魔術師を名乗る上司、テレポーター、テレパス、悪魔――確かに自分にもいっそ何か能力があればと願ったことはあった。しかしそれはある意味自棄になった結果であって、本心から超能力者になりたいと願ったわけではない。高瀬にとって周囲が異常すぎただけだ。自分はごく普通の刑事である。そのはずだ。訳のわからない超常部署に放り込まれた一般人のはずだ。
「そ、れは――」
辛うじてそれだけ声に出す。螺旋は視線を切らず、それを静かに受けとめる。いつものように表情は浮かんでいない。
「…………」
その螺旋の無表情を見ている内に、動悸が治まってきた。
羽佐間螺旋。秩序の魔術師と呼ばれているらしい、とてつもなく強力な魔術師。警視でありながらその名前は偽名であると言うし、階級という概念を嫌っている。静かで、無機質で、感情はあまり読み取れない。確かに莫大な力――魔力を持っていることも、この数か月で高瀬なりに理解した。いくつもの現場に、高瀬は間違いなく立ち会ってきた。
そこまで思考が到達したところで、高瀬はふっと息を吐いた。
「……補助能力者、って、どういう存在ですか?」
高瀬の問いに、螺旋はほんの僅かに片眉を上げる。
「――思ったよりも……取り乱しませんね」
「……まだ理解はできてないですけどね」
「……補助能力者というのは、まだ報告例は少ないのですが……いわゆる超能力や魔力を持つ我々のような存在の能力を、文字通り補助する力を持つとされる存在です。そして高瀬さんは――私の魔力を補助する力を持っていると考えられます。ヴェパールの件……高瀬さんは銃撃し、それはあれに当たりましたね。あのときあの場は、私の魔力――あれにも複製されていましたが――の磁場の中にありました。そういう場であれば、物理干渉が可能になる……そういった能力かと。詳細は非科捜が分析を進めていますが、最終結果が出るのはまだ先になるでしょう」
「…………」
高瀬はあの時のことを思い出す。こちらからの攻撃が可能なのではと考え、観月審議官に銃の携帯の許可を求めたのは高瀬自身だ。そして春日井に、螺旋とヴェパールの魔力の繋がりを断つ役割を申し出たのも高瀬だ。物理干渉が可能だと仮定してのことだった。
それはつまり、
「……あの時……もし、自分がその、補助能力者ではなかった場合――それ、つまり――」
「……銃弾が当たることはなかったはずです」
螺旋は温度を持たない声で応えた。
「…………」
ならば、本来ならば真山華火のあの予知は、回避することができなかった、ということになる――羽佐間螺旋の死、という予知を。
高瀬は無意識に唾を飲み込んだ。
それから、静かに大きく息を吐く。そして、
「――なら、自分が補助能力者だったとしたら」
「はい」
「――自分が魔捜に来たことにも意味があったってことになりますよね」
「……はい?」
螺旋は首を傾げた。高瀬は微かな笑みを浮かべ、
「信じたくない気持ちがないって言えば嘘になりますけど。無意味な配属ではないってことでいいですよね」
「……高瀬さん……保護プログラムの適用は――」
「必要、ありません。自分は魔捜に留まります」
「今ここで全てを決める必要はありませんが……」
螺旋はやや戸惑っているようだ。
「確かに全部は受け容れられてないと思いますけど、今更戻れないですよ」
高瀬は困ったような、けれど決意も感じられる微笑みを浮かべる。螺旋はそんな高瀬を数瞬見やって、
「――そうですか」
微かに安堵したような返事をし、続ける。
「保護プログラムに関しては保留にもできます。時間が経てば気が変わることもないとは言えません。補助能力者となればこれまでの想定より危険度が上がる可能性もありますし、プログラムを受けたいと思った際には改めて申し出て頂けますか」
「判りました」
応じてから高瀬はふと、ある疑問に到達する。
その瞬間、ひやりとした感覚が全身を包んだ。血の気が引く。
「あの、羽佐間さん――悪魔って、人体への物理干渉はできない、という認識ではなかったですか?」
春日井からのレクチャーにもそのようなものがあったはずである。
「……基本的な、見解では――そうですね」
螺旋の歯切れが悪くなった。
「あの――あの時、羽佐間さん――血が出ていましたよね?」
「……それは」
「こちらからの物理干渉が――自分の補助能力とかいうやつで可能になって、それ、つまり――向こうからの――」
「高瀬さん」
螺旋が遮る。それで高瀬は確信した。
「――羽佐間さん、あれ、あの時のあれ――自分がいたせい――」
「高瀬さん」
先ほどよりも強い調子で、螺旋が遮る。
「高瀬さんや春日井さんがいらっしゃる前に、私は既にエフェクトをかけられていました。あれは私の単独行動が招いた結果です」
「ですが――」
「高瀬さんのせいではありません。高瀬さんたちがいらっしゃらなければ、私は生きてこの場にいることはなかったでしょう」
「…………」
高瀬は口をつぐむ。恐らくその補助能力とやらで悪魔側からの物理干渉もある程度可能になっていると考えるのが自然だ。しかし螺旋は、少なくとも今はそれを認めないだろう――そしてそれは恐らく、高瀬に配慮してのことだ。
高瀬の心がここでやや揺れた。
「この補助能力――羽佐間さんたちの足を引っ張ることにはなりませんか……?」
「なりません」
螺旋は即答する。
「……本当ですか?」
「このままこちらに留まって下さるのであれば――今後は高瀬さんが補助能力者であるという前提で戦略を立てます」
螺旋の瞳には揺らぎがない。
やや時間をかけてから、高瀬は再度決意を固めた。




