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純白の翼を持つ梟と、漆黒の翼を持つ鴉が音もなく飛び交う。その先には美しい黒髪の女性が立っている。ひどく懐かしく、それでいて痛みを伴う光景だと、羽佐間螺旋は思った。梟も、鴉も、そしてその女性も、螺旋は知っている。だからこそこれは夢なのだと気付いた。黒髪の女性がこちらを振り返る。やや生ぬるい風がその髪を靡かせ、ボリュームのあるスカートの裾が翻った。
「―――」
女性が何か言っている。その声は風に邪魔をされてはっきりと届かない。
「――、――――」
表情も窺えない。けれど女性は、何か伝えようとすることを止めない。何か意味があるのだろうが、螺旋にそれを推し量る術はない。
風が不穏さを増し、辺りに靄が立ちこめてきた。梟も、鴉も、女性も、靄の向こうに消えてゆく。夢から覚める直前なのだろう。
――と。
「――けて――」
微かに、女性の声が届いた。その声は紛れもなく、螺旋がよく知る女性の声だった。
「――けて、 」
そこで世界は反転し、羽佐間螺旋ははっと目を開けた。もう呼ばれることのないはずのその名で呼ばれたのはいつ以来だろうか。記憶を辿ろうとして、意図的にそれを止める。呼吸が浅い。ベッドに横たわってはいたものの、眠りに落ちていたのはほんの束の間のようだった。咲坂伶那に知られたらまた叱られるだろう――そんなことよりも。
「……叔母様……」
螺旋は小さく呟いた。夢の中のあの女性は、螺旋の魔術の師匠であり叔母である宵宮暁音に違いなかった。
「…………」
螺旋はしばらく無言で虚空を見つめ、呼吸を整え、そして、ベッドから身を起こした。夜が明けるまではまだ時間がある。少し前に負った怪我からは回復したものの、まだどこか本調子ではない。底をついていた魔力に関しては支障のない程度に戻っている。その循環にも大きな問題はない。しかし万全な状態だとは言えないことも事実である。魔力で睡眠を補う余裕はないので眠った方が良いのだろうが、再び眠りに落ちるのは無理そうだったし、そうしたくもなかった。もう一度静かに息を吐いてから、紅茶を淹れるためにベッドを離れた。
* * *
高瀬藍一郎が二・五階の魔捜部屋に入ると、結崎つづりが首を傾げていた。
「おはようございます、結崎さん。どうしました?」
「あ、高瀬さんおはようございます。いえちょっと……空間座標の認識がうまくいかないんですよねー」
「……?」
つづりはテレポーターである。空間座標の特定が出来れば基本的にその場所に自由に移動できるはずだった。
「変でしょう? ズレるんです」
「ズレる?」
「そう、ズレます」
つづりは本気で困った表情を浮かべる。高瀬自身にはそう言った能力がないので返答に迷っていると、
「おはよう、何がズレるって?」
ドアが開いて黒峰準が入ってきた。黒峰は情報のエキスパートだ。
「あ、黒峰さん。空間座標がズレるんですよ、テレポーテーションに失敗しちゃうんです」
「つづりちゃんが……?」
白衣を羽織りながら、黒峰は怪訝そうな表情を浮かべる。
「座標の認識自体はできるんです。できるんですけど、テレポートさせるとズレが出ちゃうんですよ。おかしいですよね?」
「……妙だね」
「妙なんですか?」
高瀬にはまだ今ひとつ理解が進まない。ただ、テレポーテーションがズレるというのは確かに問題だろうとは認識できた。そこへ再びドアが開き、室長である羽佐間螺旋が入室してきた。療養のため少しの間入院していたが、年が明けてからしばらくして現場に復帰している。骨折は完治したようだが、やはりあまり顔色が良くない。いつものことだとも言えるのだが。
「おはようございます」
「螺旋さん、おはようございます! 聞いて下さい、おかしいんです、テレポーテーションがズレるんですよ!」
螺旋の姿を認めたつづりは一気に距離を詰め、直訴する。
「……詳しく聞かせて頂けますか」
自分のデスクまで移動しながら螺旋は抑揚のない声で応じる。つづりはそれに着いて移動しながら、
「空間座標の認識は問題なくできていると思うんです……えっと、直接見て頂けますか? 今からわたし、ここから高瀬さんのデスクまで――高瀬さん、そこに立って下さい、はい、そこです。そこまでテレポートしますね。いいですか? 見てて下さいね? えいっ、認識!」
つづりの左目がチカッと光る。そしてその場から姿が消え、
「……ああ、ほら、ちょっとズレましたよね?」
高瀬から少し離れた、コーヒーメーカーが置いてある棚の近くに出現する。
「なるほど」
螺旋は静かに頷いた。高瀬にもようやく意味が見えてきた。確かにこれまでのつづりのテレポーテーションの様子を考えると、つづりが出現するのは高瀬の真横辺りになるはずだ。つまり、意図した場所に誤差なくテレポートできるはずである。しかし実際にはそこからズレが生じている。
「……確かに座標上で微妙なズレが出てるみたいだね」
黒峰が手元の端末を操作しながら呟いた。端末には座標の細かな情報が表示されているのかもしれない、彼ならやりかねない、と高瀬は思う。
「……結崎さん、このファイルを――そうですね、CI58W26地点にテレポートさせられますか?」
螺旋が右手に持ったファイルを示す。
「はい、いきます……認識!」
螺旋の手からファイルが消え、黒峰のデスク――からやや離れた虚空に移動し、重力に抗えずにばさりと音を立てて床に落下した。
「……落下地点、CH46V58地点。誤差の範囲から少しばかり逸脱してますね」
端末を見ていた黒峰が即座に解析したらしい。
「もー、何でー!?」
つづりは泣きそうな顔になる。
「……結崎さん、これはいつからですか?」
「気付いたのはついさっきです……今日はまず情管に寄らなきゃいけなくて、それでここに移動するときに気付きました。おかしいなって思って何度かやり直してたんですけど、全部ズレるんです」
ならば高瀬が入室したときに見たつづりはその何度目かのやり直しの後だったのだろう。
「……本当についさっきじゃないですか、それ」
「だからそう言いましたっ」
「……それまでは特に問題はなかったのですね?」
「はい……って言っても、昨日の業務終了前にテレポーテーションを使ってから今朝までは使用してないので、ズレが発生した正確な時刻はわかりません……」
つづりは明らかにしょんぼりした様子を浮かべて報告する。
「判りました――黒峰さん」
螺旋は黒峰に視線を移し、
「他に同様または類似の現象が起きていないか、情報を集めて下さい」
「了解です」
「結崎さん、この件を非科捜に報告しましょう。行きますよ」
「はいっ」
螺旋はつづりを伴って魔捜部屋を出て行くようだ。ドアの手前で振り返り、
「高瀬さん、念のため外回りの準備をしておいて下さい」
高瀬にも指示を飛ばした。
「はい」
応じて、高瀬も準備を始める。螺旋とつづりはそのままドアの外に消えた。
黒峰は複数台のデスクトップ端末を起動する。眼鏡のレンズにいくつもの画面が反射していた。こうなると黒峰に外界からの音はしばらく届かない。いつでも外に出られる準備を終えると、高瀬はデスクの一番下の引き出しから取り出したファイルをめくり始めた。魔捜が過去に扱った事件をまとめた物で、高瀬は時間があればそれを読み込む習慣が付いている。要するに、待機態勢に移行した。他のメンバーと違って特殊能力を持ち合わせていない高瀬にとってはそれが日常の業務の一つだった。
どのくらい時間が経ったか――それほど長い時間ではなかったはずだ――魔捜部屋のドアが開き、螺旋とつづりが戻ってきた。つづりの表情は相変わらず浮かないが、泣きそうな表情からはやや回復している。
「黒峰さん、何か情報は得られましたか」
螺旋の問いに、
「それっぽいものはいくつか。それぞれ関連付けられてはいませんが、SNSでモノの移動に関しての投稿が見られますね。真偽に関しては現時点で断定できませんけど、日付が変わって以降、類似の投稿が急増しています。『鍵を失くしたと思ったら訳のわからない場所から出てきた』とか『バスルームに枕が落ちてたんだけど何で?』とか……拾える範囲ではそのレベルのものが多数あります。地域に偏りは見られませんね、同時多発に近いかと」
「バスルームに枕……?」
高瀬は不審そうに繰り返す。その状況はなかなかにシュールである。
「今のところ個別の閲覧数はそこまで多くありませんが、この様子が続くなら――時間の問題でしょう」
「なるほど」
螺旋は静かに頷き、眼鏡を直す。
「結崎さんのテレポーテーションに生じるズレも、結崎さんの術式を考えるとあり得ないことです。空間座標に何らかの干渉が発生している可能性がありますね」
「…………」
そこへ、再び魔捜部屋のドアが開けられた。
「はぁい、秩序の魔術師」
顔を覗かせたのは異次捜――異次元捜査室の室長である黒野漆だ。『混沌の魔女』という異名を持つ能力者で、いつもゴシックロリータ風のドレスに身を包んでいる。螺旋とは犬猿の仲であるとウワサされているが、そういう単純なものではないらしいことを高瀬は何となく感じ取っていた。足元には優美な白猫と黒猫が付き従っている。彼女の使い魔らしい。ここは警察庁であるはずだが、誰もその辺りは突っ込まない。童話に出てくる猫のような笑みを浮かべる漆に、
「……黒野さん」
螺旋は僅かに眉をひそめる。
「何のご用ですか」
「あらぁ、用がなくちゃ来ちゃいけないの?」
漆は歌うように応じる。
「黒野さんと私では、管轄が違うでしょう」
「相変わらず堅いわねぇ。少し面白いことになっているから伝えに来たのだけれど、ふふ」
「……面白いこと、とは」
「知りたい? 知りたい?」
高瀬、黒峰、つづりはやや距離を取りつつ螺旋と漆のやり取りを見守る。どことなく走っている緊張感に似た何かに気圧されるためだ。
「…………」
螺旋は言葉を返さず、静かな視線だけを漆に向けた。
「ふふ、本当に堅いわねぇ魔術師。つまらないけれど……いいわ、教えてあげましょう。次元にノイズが走っているわ」
「ノイズ、ですか――次元に」
「ええ、そう。とても素敵に混沌としているノイズよ。美しい音ね」
「次元のノイズがですか。相変わらず悪趣味ですね、黒野さん」
「あらぁ、魔術師ほどじゃないわよ、ふふふっ」
足元の猫たちが漆にすり寄る。その二匹の猫に愛おしげな目線を向けてから、
「それだけ伝えておこうと思って」
漆は童話の猫のような笑みを螺旋に向ける。
「……そうですか、ご丁寧にありがとうございます」
螺旋はあくまで低温で応じて漆の視線を切り、高瀬たちに向き直った。
「――室長権限を行使します」
その一言で場の空気が更に張り詰める。
「早乙女部長からの指示はまだですが、結崎さんのテレポーテーションのズレ、SNS上で拾われる情報、及び黒野さんのお話は全て関連があると見て――悪魔の関与を想定し、捜査を開始します」
「はい!」
高瀬と黒峰、つづりの返事が揃った。
「ふふ、愉快なことになりそうねぇ。楽しみだわ。それじゃあ、私は帰るわよ、精々頑張って頂戴……クロエ、シャルロット、行くわよ」
漆はドレスの裾を翻し、二匹の猫を従えて軽やかな靴音を響かせながら去って行った。
「それでは――黒峰さんは引き続き情報を集めて下さい。時間の問題と仰いましたね。情管、情分と連携しつつ、必要であれば記操とも組んである程度の制御をかけることも念頭に置きましょう。結崎さんはこちらで待機、非科捜からの詳細な分析結果が届くまではテレポートはしないようにして下さい」
「はいっ」
「了解です」
二人の返事を受け取ると、螺旋は高瀬に視線を向けた。
「――高瀬さん、少しよろしいですか。お話しておきたいことがあります」
「? はい、何でしょうか?」
高瀬は不思議そうに応じる。螺旋の声はいつもより更に静かだった。
「……そうですね、少し場所を移しましょう。会議室が空いていたはずです、そちらへ」
「……? はい」
「では、黒峰さん、結崎さん、少し外しますのでお願いします」
「はいっ、判りましたっ」
つづりの声に見送られ、螺旋と高瀬は魔捜部屋を出た。




