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こちらからの物理干渉も可能だ、という自分の仮説を、信じるしかない。
「……あっ! まずい!」
春日井の小さな叫びに、はっとして螺旋の方を見やった。
だらりと下がった右手を、左手できつく押さえている。その白く細い指に、幾筋もの赤い線が見えた。
「……血!? あれ、血じゃないですか!」
高瀬の顔が青ざめる。見ると、重なっている内の一つの魔法円も、光が更に弱々しくなっていく。もう片方は、発光が強くなったように思う。
「高瀬さん、何とかなるって言いましたね。信じてみて良いですか?」
春日井が腕時計に触れながら言った。張り詰めた声だ。
「僕はまだ駆け出し魔術師です。あいつを封印するのは無理そうですが、時間稼ぎくらいならできます。あいつへの攻撃、お願いできますか?」
高瀬はゆっくりと頷き、安全装置を解除した拳銃を構える。
「自分の仮説が間違ってなければ、良いですけどね」
「……じゃ、行きますよ。せーの!」
春日井が螺旋の方へ、高瀬は男の方へ飛び出す。
相手は悪魔だから問題はないのだろうが、撃つぞ、と警告してからしっかりと男に狙いを定め、手にした銃の引き金を引く。立て続けに二発、発砲した。反動に耐える。その向こうで、春日井が螺旋を守るように、両腕を広げて彼女の前で立ったのが見える。左腕の時計が光を放っていた。
撃った弾の一発は外れてしまったが、一発は男の左肩に当たった。
「……当たった!」
だが男から出血はせず、彼の顔がゆっくりとこちらへ向けられる。やはり、人ではないモノらしい。
目が、合う。
ぞくり、とした。しかし、左目の色が先ほどの緑とは異なり、青くなっていることを確認する。春日井の話によれば、これで魔力の繋がりは絶たれたはずだ。
「春日井さん!」
それを伝えようと叫ぶ。だがその必要はなかったようで、魔法円の重なりが消えたことで、彼らはその状況を飲み込んだらしかった。
「…………」
肩を撃たれたはずの男は、しかし無機質な表情で高瀬を見つめている。螺旋や十六夜参事官の無表情に慣れているはずなのに、この男の表情はそれとは異なり、冷たく暗い。底なし沼のような不気味さを感じる。撃たれた痛みはないのだろうか。
何とかしなければ、と高瀬は思った。しかし、どうやって捕まえれば良いのか。拳銃を男に向けたまま、必死で思考を巡らせる。
ふと、男が、ぞっとするほど美しい微笑を浮かべた。急激に、体感温度が何度か下がった。
「――――」
何か言葉を発したらしいが、高瀬には聞き取れない。
「う、動くな!」
辛うじて叫んだが、次の瞬間、男はふっと霧のように姿を消した。
「っ!」
少しの間、その虚空を見つめていた高瀬だが、螺旋と春日井の方へ駆け寄る。
「羽佐間さん! 大丈夫ですか!」
螺旋の目の色が、元通りになっていた。魔法円も閉じられた。しかしその顔は血の気を失い、白い。
「……よく、ここが、判りましたね」
喋るのも辛いらしく、言葉が途切れ途切れだ。
「高瀬さん、喋らせちゃだめです、出血がひどい」
ほとんど床面に崩れているのを春日井に抱き起こされている螺旋の右腕から、事実、大量の血液が流れ出していた。
「…………!」
頭の中が、一瞬真っ白になった。いや、真っ黒だったのかもしれない。色というものが、消えた。
「だい、じょうぶです、これは――」
彼女の顔が珍しく、表情を浮かべている。しかしそれは、苦痛に歪んだものだった。
「大丈夫なわけないだろ! 何言ってんだ!」
高瀬は敬語も忘れて叫ぶ。
失血死、という言葉が、彼の脳内で点滅していた。どのくらいの血液を失うとその危険性が上がるのだったか。そして彼女は今、どれほど出血しているのか。
それでも螺旋が何かを言いかけたが、高瀬はインカムに向けて大声を出す。
「二階堂室長、魔法円は閉じられました! 結崎さん、羽佐間さんが大怪我を負って出血しています、すぐに下に降ろしてください! それと、救急車! 早く!」
インカムから、はい、というつづりの声が聞こえた。
次の瞬間、三人はそのままの体勢で、テレポートで地上に降ろされていた。少しだけ目が回る。
「皆さん、大丈夫ですか!?」
三人を同時にテレポートさせるのはかなり大変だったようだが――それに高低差があるのはあまり得意ではないらしい――つづりが気丈に声を掛ける。
「羽佐間さんが、血が……」
うまく言葉にできない高瀬の声に、螺旋の声が重なった。
「あれは、エフェクトです。彼の――ヴェパールという悪魔による、ただのエフェクト……」
呼吸すら苦しそうだが、彼女は説明を試みる。
「え……?」
見ると、確かに螺旋の右腕に、出血の痕跡はない。羽織っているコートは血に濡れているわけではなく、何事もなかったかのように乾いている。右腕を押さえていた左手の指に、血の痕跡もない。
「痛みを感じたり、出血して危険なのは――彼の、魔力の影響下に、あるとき、だけです。そこを離れれば、問題は……ありません」
それは逆に言えば、ヴェパールなる悪魔の力の影響下にあった間の出血は、無かったことにはできない、ということではなかろうか。事実、先ほど大量に血液を失った彼女は、ほとんど身体に力を入れられないように見える。春日井に身を預けたまま動けないようだ。顔色も戻らない。単なるエフェクト、で済んでいるようには思えない。高瀬を不安が支配する。
「螺旋ちゃん、それ本当に大丈夫なの?」
いつもの余裕が感じられない二階堂の問いに、螺旋は軽く頷いた。
「ええ、少し……魔力が、足りな、かっ――」
しかし最後まで言い終えず、春日井に抱えられたそのままの格好で、がくりと頭を垂れた。彼女の美しい黒髪が一房、顔にかかった。
そのまま、微動だにしない。
「螺旋さん!?」
つづりが悲鳴に近い声を上げる。
「嘘だろ……?」
二階堂と春日井も茫然としている。高瀬も言葉を失った。
華火が視た未来は、変えられなかったのか――
止まってしまった高瀬の思考は、しかしつづりの声で再び回り始めた。
「……脈、脈は、あります! 呼吸もしてる!」
目に涙を浮かべたつづりが、螺旋の手を取って確認している。一番冷静な反応ができていたのは、意外にも彼女だった。
それがきっかけとなって、彼らは動きを取り戻す。
「本当だ、魔力が底をついてるみたいですけど、意識を失っているだけです!」
春日井が腕時計の文字盤を螺旋に向けながら言う。何かを計測しているように見えた。
結界が一旦解かれたらしく、救急車のサイレンも遠くから聞こえてきた。
救急隊員への状況説明は、二階堂が巧妙に誤魔化しながらうまくやり――一緒に来た特捜の他のメンバーたちは、いつの間にか姿を消していた――螺旋は救急車で病院に搬送されることになった。高瀬が付き添うことに決まり、彼も一緒に救急車に乗り込む。
救急隊員が、目を閉じたまま動かない螺旋の手に機械を繋ぎ、脈拍などのデータを取り始めた。螺旋に呼びかけたり刺激を与えたりして、意識レベルも測っている。痛覚刺激にも微かに顔を歪めるだけの彼女の反応に対して、何やら数字を含んだ短い単語が飛んだ。高瀬には意味が解らず、不安が募る。きっとその数字は小さい方が良いのだろう、ということは推測できたので尚更だ。
搬送先は、麗都医大救命救急センターに決まった。
「羽佐間さん……」
見守ることしかできない高瀬は、それでも脈拍などが写し出されたモニターの数字がまだきちんと彼女の脈を拾っていることを理解し、少しだけ安堵した。
無事に病院に着き、全ての処置が完了したのが、午後十時を少し回った頃のことだった。
命に別状はないが、まだ意識が戻らないためICUで様子を見る、と高瀬は告げられた。
命に別状はない。高瀬は確認するように、口に出して言う。それが実感として認識できるまで、彼は繰り返した。
驚異の的中率を誇る予知能力者、真山華火の予知した未来は、こうしてどうにか、回避された。




