5
収穫もなく悄然として戻ってきた三人に、黒峰がおかえり、と声をかけた。彼の声もやや沈んでいたから、外出中に新たな情報が入った、という期待はできそうにない。力なく応えながら、高瀬は自分のデスクに座る。
彼の思考は相変わらず、螺旋の秘密について巡らされていた。再び何かの尻尾を捕まえそうになったとき、彼女の声が脳内で鮮明に再生された。
――あまり、人に見られたくない、傷ですから。
「そうか!」
今度こそ答えに辿り着いたような気がした。はっきりと思い出せる、螺旋の右腕にある大きな傷痕。
「た、高瀬くん? どうした?」
驚いて問いかける黒峰に、高瀬は質問で返す。
「黒峰さん、羽佐間さんは――この特殊捜査部が組織された当初から、こちらにおられるのですか?」
「あー……うん。確か設立当初からのメンバーだったと思う。ちょっと待って……うん、間違いない」
手早く端末を操って確認した黒峰の言葉を聞くと、高瀬は次の質問を繰り出す。
「その頃の羽佐間さんをよく知っている方って、どのくらいいらっしゃるんでしょうか……黒峰さんに用意してもらった過去の事件のファイルも、設立当初に関しては機密扱いでした。その頃のことを、知りたいんです。たぶん――知らなきゃいけないんです」
「うーん……。早乙女部長なら、あるいは……」
黒峰は難しい顔をした。
早乙女部長。自分がここに配属されるきっかけになった、条件を指定したという人物。
「……自分が直接お会いすることは……できませんか?」
「それは難しいだろうね」
一刀両断された。
やはり特殊な部署の長ともなると、そう簡単にお目通りは叶わないのか。ここで諦めるわけにはいかないのに。
しかしそこへ、黒峰の口から思いもよらぬ言葉が続けられた。
「早乙女部長は神出鬼没だから、どこにいるか把握するのが難しいんだよ。だから、話をするならもっと上」
人差し指を立てて、上に向ける。
「……上?」
「そう。ここの創設にも関わってる、観月審議官に直談判、っていうのがベストじゃないかな」
全く邪気のない笑顔を浮かべた。
「み、観月審議官、ですか!?」
クラスが急に引き上げられて、高瀬は目を見開く。
「何なら、テレポートでお連れしましょうか、高瀬さん?」
つづりの申し出を丁重に断り、高瀬は一人、二十階にある審議官執務室へ向かって歩き始めた。
警察庁刑事局の審議官。それでいて、実質的には警視総監や警察庁長官を軽く飛び越えて、警察社会の実権を握っている女帝と名高い彼女に対して、この特殊捜査部はどれだけフランクに接しているのだろう、と考えると、軽くめまいを覚えた。
観月審議官の執務室の前に到着して、そこで高瀬は逡巡していた。
螺旋の経歴に詳しいわけではないが、確か魔捜の室長となる前は、警備局に所属していた、と、彼女の友人だという女性が口にしていた。
彼女の右腕にあるあの大きな傷が、刑事局特殊捜査部設立後に付いたものならば、これから自分が取る行動は間違っていないだろう。
だが、それが警備局にいた頃に付いた傷だとすれば?
それは螺旋の秘密を、いたずらに広めてしまう結果しかもたらさないのではないだろうか。
ノックをしようかどうしようか、と、高瀬は迷っているのだった。
「そこで何をしているの? 用があるのなら入りなさい」
突然、ドアの内側から投げかけられた芯の強い声に、高瀬は飛び上がる。紛れもない、観月審議官その人の声である。まだノックもしていないのに、自分の行動などお見通し、ということか。
とにかくこうなったからには、もう逃げ場はない。高瀬は覚悟を決めると、ドアを開けた。観月審議官と十六夜参事官が、それぞれ自分のデスクからこちらを見ていた。
「やっぱり高瀬ね。黒峰からさっき連絡があったわ」
「……失礼します」
高瀬は頭を下げる。
「で、どうしたの?」
観月審議官は腕を組み、高瀬を見やった。その圧倒的なオーラに気圧されそうになりながら、高瀬は慎重に言葉を選ぶ。
「その……お尋ねしたいことが、ありまして」
「何?」
「実は……羽佐間さん――羽佐間警視の、み、右腕の……」
言ってしまって良いものだろうか、と段々不安になってきた高瀬は、そこから先を続けられない。そうして部屋に舞い降りた沈黙を破ったのは、観月の落ち着いた声だった。
「――見たのね、あの傷を」
「は、はい。実は昨日から、羽佐間さんの様子がおかしくて……その、現在、行方不明でして。それで自分は――あの傷と、何か関係があるのではないかと思い、できればお話をお聞かせ願えないかと……」
もごもごと紡がれる高瀬の言葉に、観月がぴくりと反応した。
「行方不明?」
「はい。一時間半ほど前に、資料課に行く、と部屋を出てからの足取りが掴めません。資料課に行った様子はなくて、どうやら庁舎を出たらしく……探していたのですが、見つけられません」
それを受けて、審議官は思案顔になる。無表情な十六夜参事官も、僅かに不安をにじませていた。
「羽佐間、傷、行方不明……」
微かな呟きが、高瀬の耳に入ってきた。やがて観月が顔を上げる。決然としたその表情には、一点の迷いも感じられない。
「どうやらこの件は、私から話すより、早乙女から直接話させた方が良さそうね。結崎!」
この場にいないはずのつづりの名を彼女が口にすると同時に、
「はい!」
室内に瞬時につづりが姿を現した。
「十六夜、位置情報」
女帝の指示を受け、彼女の侍従長である十六夜が端末を操作する。
「監視システムによりますと、対象人物はN84BD地点です。周囲に人影はありません」
「すぐにテレポートさせなさい」
「N84BD地点――認識しました……えいっ!」
直後、高瀬の目の前に、何かがどさっと落下した。
「ひゃあーっ!」
落下したのは人間――女性だった。その女性は些か間の抜けた悲鳴を上げ、いたたたた、と腰をさすりながら起き上がる。
「何をするのですかー! これはツヅリさんの仕業ですねー? ……ん? あわわ、審議官、参事官と……アイイチローさんではないですかー」
「あなたは……!」
強制的にテレポーテーションをかけられて現れた彼女は、他でもない、高瀬が魔捜へ異動を申し渡された日の朝に接触した、不思議な女性だった。
白いVネックのセーターに、ほのかにピンクがかった紫のロングスカートは、紛れもなくあの時と同じ服装である。
「ええと……この方は……」
まさか、と思いながらも、高瀬は観月に問いかける。
「特殊捜査部の部長、早乙女よ」
返ってきた答えに、息を呑む。
この人物が、部長……?
「早乙女。例の件について、高瀬に説明する時が来たようよ。そうね、ちょうど第三会議室が空いているわ、使いなさい。結崎、悪いけどあなたはここに残って」
観月の指示に、意外にも早乙女は機敏に応じ、呆気にとられて動けない高瀬を引っ張って歩き始めた。
「あ、わわ、すみません、歩けます。歩けますから引っ張らないで下さい!」
「急ぎますよー、アイイチローさん。第三会議室はー、たぶんこっちですー」
ずいぶんと間延びした口調だが、そこから感じられるのは緊迫感だ。どんな話が飛び出してくるのか判らないが、引き返す、という選択肢はない。
高瀬はしっかりと、覚悟を決めた。
「――さて」
第三会議室に辿り着き中に滑り込むと、早乙女部長は素早く部屋の外を見渡してからドアを閉め、内側から鍵までかけた。
この秘密は、高瀬が思っているよりも、数段大きなものらしい。
早乙女は鍵を閉めたその動作のままで高瀬を振り返ると、大きな瞳で高瀬の目をじっと見つめた。
「アイイチローさんー、秘密はー、きちんと守って頂けますねー?」
まるで、この世界――否、この宇宙のありとあらゆる深淵を見つめてきたかのような、どことなくブラックホールを連想させるその瞳に、文字通り吸い込まれそうになりながらも、高瀬はしっかり頷いた。
「……その、それで、部長。羽佐間警視の、ことなのですが……」
高瀬が慎重に口を開くと、気のせいだろうか、彼女はどことなく嬉しそうに応じた。
「うふふー。ついにー、ラセンさんの秘密まで辿り着く部下さんがー、現れましたねー。でもー、アイイチローさんー。警視、と呼ぶとー、ラセンさんは怒ると思いますよー」
何やら楽しげにうふふと笑う早乙女に、部長の前だから一応階級を付けただけですよ、と言いそうになりながらも、ぐっとその言葉を飲み込む。言ってしまうときっと、本題に辿り着くのが遅くなる。
「……あー、それよりー、今は傷のこと、でしたねー」
無言で頷くと、早乙女は視線を遠くに投げながら話し始めた。
「あれはー……そうですねー、特殊捜査部ができて、間もない頃のこと、でしたからー……今のように各部署との連携もー、ままならない状態にあった頃のこと、ですねー」
彼女の話によると、当時は魔力捜査室、と言っても、実質的に所属は螺旋ひとりと、その使い魔だけだったそうだ。使い魔、というのが厳密に何を意味するのかはよく解らないが、ファンタジー小説や映画などからの知識に当てはめれば、ある種の助手、あるいは忠実なしもべのようなものなのではないか、と高瀬は考えた。
優秀な魔術師である螺旋は、たった一人で――正確には一人と一羽、と早乙女は説明した。使い魔とは鳥かウサギなのだろうか――数々の悪魔を封印していたらしい。
しかしあるとき、異常事態が発生した。
直接、人体に傷を付けることのできる悪魔が現れた、というのだ。
「……ま、待って下さい、部長。自分が聞いたところによりますと、悪魔は人体に直接的に攻撃を行うことはできない、ということでしたが……」
「そうですねー。それが現在の一般的な見解ですがー、イレギュラー、とでもいうのでしょうねー。現れた、のですよー」
早乙女の話は続く。
螺旋とその使い魔による徹底的な捜査の結果、彼女は次にその悪魔が現れるであろう場所を絞り込み、特定した。
それは、とあるビルの屋上だったそうだ。
今と違い、人払いや結界などの連携が充分にできておらず、螺旋とその使い魔が屋上まで悪魔を追い詰めたとき、そこに子供が迷い込んでしまったらしい。
「そんなことが……」
「……起きてはいけないこと、起きるはずのないこと、だったのですけどねー……組織に不備があった、ということですー」
早乙女の声には、自責の念がにじんでいた。この特殊捜査部の長として、後悔を抱いていることは間違いなかった。
追い詰められた悪魔がその子供に攻撃を放ったのと、螺旋がその子供をかばうように間に入ったのが、同時だった。
「――それで、羽佐間さんは……あの大怪我を……」
「……それだけでは、なかったのですねー……」
怪我を負って一瞬怯んだ彼女に対して、悪魔は追撃を仕掛けてきたという。その攻撃から螺旋を守るために、
「ラセンさんの、使い魔さんがー……犠牲になった、のですー」
「…………!」
確かに、螺旋が現在、その使い魔とやらを連れている様子はない。黒峰に用意して貰ったファイルにも、使い魔に関する記載は一行もなかった。その事件で喪った、ということか――
「それからー、ラセンさんはー、その悪魔をずっと追い続けているのですよー」
「…………」
話を聞き終え、高瀬は黙り込んだ。
――もし、今回の一件に、その悪魔が絡んでいるとすればどうだろう。
物理攻撃で、螺旋を歩道橋の階段から突き落としたとすれば……?
当然彼女は、それこそ徹底的な調査に乗り出すだろう。
それが――悪魔の狙いなのではないか。繋がった、気がした。
「部長、ありがとうございました」
「いいえー」
彼女はやはりどこか嬉しそうに言ってから、表情を引き締め、
「でもー、今のお話はー、くれぐれも内緒、ですからねー?」
釘を刺すように言う。高瀬は頷いて頭を下げる。その頭を上げたとき、部屋から早乙女の姿が忽然と消えていた。
「!?」
最初に会った時もそうだった。少し目を離した隙に見失ってしまった。もしかすると彼女も、テレポーテーションの使い手なのだろうか。何と言ってもこの特殊な部署を束ねる人物である。何らかの能力を有していても不思議はない。
溜息をついてから、会議室を出る。再び審議官の部屋を目指した。
ふと思い浮かんだ一つの可能性が正しいことを祈りつつ、執務室のドアをノックすると、観月審議官の声に促されるままドアを開けた。
つづりは魔捜部屋に戻ったらしく、部屋の中にいたのは観月審議官と十六夜参事官の二人だった。
「あの、審議官」
高瀬は控えめに切り出す。そもそもこれから行う申し出は、観月審議官に向けて行って良いものだろうか。部の責任者である早乙女に向けて行うべきではなかったか。しかし早乙女の姿は消えてしまった。直属の上司である螺旋も行方不明である現在、許可を得る相手は彼女しか残されていないようにも思う。
「早乙女との話は終わったようね。何?」
意志の強い瞳を向けられ、思わず足がすくむ。
「じ……自分に、拳銃の携帯を――許可して頂けませんか?」
高瀬の精一杯の言葉を受け、観月はしげしげと彼を見た。
「…………」
真意を計りかねたのだろう、彼女はしばらく無言だった。十六夜参事官も、無表情のまま黙っている。嫌な沈黙だった。やがて、審議官は小さく嘆息してから口を開いた。
「……高瀬。あなたが今所属しているのは、特殊捜査部よ」
「は、はい」
やはり無理なのだろうか。しかし、ここで折れてしまうわけにはいかない。高瀬に残された、唯一と言って良い切り札なのだから。
「ちなみに、理由は?」
目を細める観月に、高瀬の背中を冷や汗が一筋、伝い落ちた。
「現在、羽佐間さん……羽佐間警視が追っているであろう悪魔についての情報から推測しますと――その悪魔は、物理攻撃を仕掛けてくることが、可能なようです。ならば、こちらからの物理攻撃も、通用するのではないか、と考えたからです。自分は特殊能力を持ち合わせておりませんので、もしかすると拳銃なら、その――」
段々自信を失っていく高瀬を見て、観月はふっと口の端を持ち上げた。
「試すようなことを言って悪かったわね、判ったわ」
「……へ?」
あまりにあっさりした観月の返事に、高瀬は耳を疑った。
「ただ高瀬、勘違いしているようだけど……」
そんな言葉に、思わず身構える。
「特殊捜査部の刑事は、常時、拳銃の携帯が許可されているわよ。扱う事象が事象だもの、その程度は、ね。早乙女や羽佐間から聞いていないの?」
全然聞いていない。まったくの初耳だ。彼はあんぐりと口を開けた。
「情報の伝達システムに問題がありますね、審議官」
春の陽射しのような侍従長の声に、女帝はそうね、と返した。
「……確か羽佐間は拳銃を嫌っていたと記憶していますから、話さなかったのでしょうか」
無表情のまま、十六夜が首を傾げる。
「そうだったわね。まったく、折角まともな部下が続いているのだから、権利についても説明しておいて貰わないと困るわ。高瀬、特捜での拳銃の管理は、特捜の総務が行っているの。手続きはそちらでしてちょうだい」
審議官の言葉に最敬礼を返すと、彼はすごすごと二・五階のフロアを目指した。確か降りていくときのその拡張空間への入り方は、昇るときにただ階段を普通に昇っていれば良いのと同様に、階段を降りていけば良いはずだ。エレベーターでは出入りできないその空間に入るために、高瀬は二十階から律儀に階段を降りた。
後で考えてみれば、三階までエレベーターを使っておいて、そこから階段を降りれば楽だったのかもしれない。




