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永久螺旋 ―Unlimited Spiralー  作者: 天澤榧乃
第二章 仲冬
16/24

2

 翌朝、高瀬はいつものように登庁した。

 庁舎に入り、階段を使って、二階から三階へ上がる途中にあるという拡張空間への入り口を通る。現在の彼の職場は極秘の部署であり、それは特殊な拡張空間の中にあるのだった。二・五階と呼ばれるそのフロアは、しかし二階と三階の間にあるというわけではないらしい。その辺り、未だに彼は正しい情報を把握できていなかった。二・五階に入るときは階段を昇っていれば良いだけなのに、出るときは奇妙な傾斜の廊下を通る辺りからも、空間の構造が把握しづらい。入り口と出口が異なっているのだ、ということだけしか解らない。


 一瞬の気圧の変化と共に二・五階に辿り着くと、ガラス張りの総務の区画を通り過ぎ、全面磨りガラスの自動ドアの前で六桁のパスコードを入力する。ドアは音もなく開き、その中に高瀬を吸い込むように、音もなく閉じる。やはりこのドアにも特殊な魔法のようなものがかけられているのかもしれない。現代の科学技術で可能なことではないように思える。


 靴音が反響する廊下を進み、魔力捜査室へ。

「おはようございます」

 ドアを開けるとすぐに、室内にいた人々が高瀬に視線を集中させた。


 女性警察官の制服に身を包んだ少女のような人物は、空間管理室所属で、魔捜付きのテレポーターである結崎(ゆいざき)つづり。さらりとした長髪を後ろで束ねた白衣の男性は、情報分析室から魔捜に出張している分析官の黒峰(くろみね)(じゅん)。この二人は基本的に魔捜部屋に常駐している。

 それから、よくこの部署に出入りしている、報告書と思しき書類を持っている一匹狼めいた男性、記憶操作室のテレパスである城戸(きど)透流(とおる)と、螺旋目当てにちょくちょく姿を見せる記操(キソウ)の室長、二階堂(にかいどう)左近(さこん)の姿もあった。彼は今日も、高級そうな三つ揃いのスーツを上手い具合で品良く着崩している。彼の長身にそれがやたらと似合っているからタチが悪い、と高瀬は思う。


 特殊捜査部は、超能力や超自然的現象などを扱う部署なのだ。


 異動となった当初、そんなモノは信じていなかった高瀬だが、その意識はとうに変わっていた。身をもって体験してしまったことは、受け入れる以外になかったのだ。


「高瀬さん、螺旋さんの容態は……」

 一同を代表するかのように、つづりが心配そうな表情で尋ねた。今にも泣きだしそうである。

「あ、はい、昨夜、病院に行ってお会いしてきましたが……右足の骨折と、額に傷を負ったのみで、他に怪我はない、とのことでした。ただ、骨折は相当ひどそうでしたけど……」

「命に別状は、ないんだね?」

 少し余裕を取り戻した様子で、黒峰が確認する。高瀬は頷き、

「それは大丈夫そうです。あ、でも頭を打ったようですから、数日は様子見で入院されるのではないかと思うのですが……」

「歩道橋の階段から足を滑らせて落ちた、ってちらっと聞いたけど……」

 黒峰が腕を組む。

「あの螺旋さんがねぇ……」

「黒峰さんも、そう思われますか?」

「うん。螺旋さんに限って、それはないと思うんだ」

 城戸も無言で、ゆっくりと首を縦に振って同意を示す。

「僕も、螺旋ちゃんがそんなドジを踏むとは思えないね」

 いつも飄々とした二階堂までもが、眉を寄せて難しい顔をした。彼の左右で異なる色をした眼が、珍しく真剣な光を帯びていた。普段の彼の調子は軽めなのだ。仕事中に螺旋を食事に誘うことすら珍しいことではない。


 高瀬は少しの間迷ってから、おずおずと口を開く。

「……羽佐間さんは、その……嘘を、ついているようでした」

「嘘、ですか?」

 目をぱちくりさせて、つづり。

「はい。その話をしたとき目を合わせませんでしたし、そもそも目が泳いでいましたし。もしかして本当は――足を滑らせたのではなく、例えば何者かに突き落とされた、ということは、考えられないでしょうか……?」

 我ながら飛躍しすぎか、とも思ったのだが、魔捜のメンバーたちはそう思わなかったようだ。

「足を滑らせた、よりも、そっちの方が筋が通っているように思うね」

「でも一体誰が、何のために……?」

「…………」

「螺旋ちゃんをそんな目に遭わせるなんて、許せないな」

 魔捜部屋にいる五人が、それぞれ腕を組んで思考に沈む。

 重苦しい沈黙が、その場を支配した。


 その沈黙を破ったのは、部屋のドアが開けられる音だった。


「……え?」

 全員がドアに注目する。

「おはようございます」


 両手で松葉杖をついた螺旋が立っていた。やはり顔色が悪い。いや、彼女はいつも顔色が良くないが、今日は輪をかけて悪い。


「ど――どうしてここにいるのですかっ、羽佐間さん!」

「頭部CT検査の結果、異常もないということでしたので、退院してきました。それより何故ここに二階堂さんがいるのです? ここは魔捜ですよ。記操ではありません」

 さらりと涼しい顔で言ってのけると、不慣れな手つきで松葉杖を使い、自分のデスクへと向かう。そんな螺旋を、魔捜のメンバーと二階堂が、気遣わしげな視線で追う。

「ひどっ、冷たいなあ螺旋ちゃん。折角心配してるっていうのにさ」

 空気を軽くするかのように二階堂が言うも、螺旋は無反応だ。


 どう見ても、まだ静養が必要な身体である。蒼白な顔色がそれを証明しているかのようだ。それに、頭を打ったのならばいくらCT検査で異常がなくても、数日は安静にして様子を見た方が安心だ、と高瀬は思う。

 とにかく、退院の許可が下りたとは、思えない。

「……二階堂さん、記操の室長であるあなたがこんなところで油を売っていると、部下の方が困りますよ」

 デスクまで辿り着き、どうにか腰を落ち着けた螺旋が言う。二階堂の方に視線すら向けず、無表情のままだ。

「……お邪魔かな?」

「ええ」


 これは、高瀬がここに配属されてからというもの、割と頻繁に目にする光景だ。本気で口説いている、といういつかの二階堂の言葉は冗談ではないらしいことを、ここに配属されてからのまだ長くはない期間で実感していた。残念ながら、彼の想いは完全に空回りしているが。

 二階堂は苦笑を浮かべて、とても自然な様子で外国映画の俳優のように肩を竦めると、

「やれやれ、お邪魔なら仕方ないね、僕は戻ろう。城戸、報告はきちんとしておくように」

 部下の一人である城戸に向けた指示を残し、魔捜部屋を出た。ドアを出たところで何故か一瞬立ち止まったようだったが、ドアが閉じてしまったので彼の姿は見えなくなった。


「あの、羽佐間さん……」

 控えめに、高瀬が切り出す。

「その、まだ病院でゆっくりされた方がよろしいのでは……」

 つづりも激しく頷いて同意を示す。ぶんぶんと空気を振動させている音すら聞こえてきそうな勢いだ。

「そうですよ、螺旋さん。足だってかなり痛そうです……ここまで来るのも大変だったんじゃないですか?」

「――いえ、命に係わるような怪我ではありませんし、大丈夫です。それに、今日は……春日井さん? 何をしているのですか? 入ってきて下さい」


 螺旋の目が、魔捜部屋のドアに向けられる。その視線を追って、高瀬たちはここで初めて、一人の男性がドアの隙間から顔をのぞかせていることに気が付いた。服装はかなりカジュアルで、ネクタイも片蝶結びと特徴的だが、よく似合っている。先ほど二階堂が立ち止まったらしいのは、ドアの近くにこの男性がいたためか。


 視線を集めた彼は意を決したように入室すると、その場でぺこりと頭を下げる。

「ニューヨーク市警から研修でいらした、春日井(かすがい)伽羅(きゃら)さんです。しばらくの間、こちらで一緒に仕事をして頂きます」

 螺旋の紹介を受けて、春日井は改めて頭を下げた。なるほどさすがニューヨーカーだ、と、彼のファッションセンスに高瀬は感心し、納得する。

「えっと、駆け出し魔術師の春日井です、よろしくお願いします。それにしても光栄です。まさか世界的に有名な魔術師である羽佐間さんと、一緒にお仕事をさせて貰えるなんて」

 春日井はそう言って、少年のように目を輝かせる。大人びた外見とは裏腹なそれが、彼を年齢不詳にさせていた。

「そ、そんなに有名なのですか、羽佐間さんは……?」

 高瀬が思わず漏らすと、春日井は目を見開いて高瀬を見つめた。

「えっ、ご存知ないんですか!? えっと……」

「あ、すみません。自分は高瀬と言います。高瀬藍一郎です」

「高瀬さん、ですね。そりゃあもう、羽佐間さんの有名振りと言ったら半端じゃないですよ。最強の秩序の魔術師ですし、『螺旋の狭間に混沌還す、稀代の魔術師・羽佐間螺旋』なんてキャッチフレーズまであるくらいです!」

「はあ……キャッチフレーズ、ですか……」


 向こうで螺旋が、そんなものはありません、と言ったようだったが、春日井にも高瀬にも聞こえなかった。

 キャッチフレーズだなんて、どこぞのアイドルみたいだな、と高瀬は思い、ついステージに立つ螺旋の姿を想像しそうになった。

「……ないな」

 即座にそれをかき消し、心の中で螺旋に謝罪する。妄想にしてもあんまりだ。

「螺旋の狭間に混沌還す、稀代の魔術師・羽佐間螺旋」

 春日井は歌うように繰り返し、

「本当に光栄です、羽佐間さん」

 にっこりしながらまた一礼した。完全に心酔しているようだ。


 どうやらそのキャッチフレーズとやらに満足しているのは春日井だけらしく、螺旋は引きつった顔で目礼を返した。やめて下さい、と唇が動いたように、高瀬には見えた。

「……わたしは結崎つづりです。空間管理室所属なんですけど、ほとんど魔力捜査室にいます。ここに出張してるテレポーターなんです」

 螺旋の引きつった顔をちらりと気にしながら、つづりが名乗る。

「僕は黒峰準。僕も情報分析室から出張している技官で、いつもここにいるんだ」

「結崎さんに、黒峰さんですね。よろしくお願いします」

 春日井はにこやかに頭を下げる。


 その様子を見届けた螺旋は、報告書を持った城戸――目礼はしたものの、春日井に対して名乗る気配はない――とやり取りを始めた。もっとも、城戸はいつものようにテレパシーを介しての会話だったので、傍で見ている分には螺旋しか声を発していなかったのであるが。


 黒峰とつづりも、しばらく螺旋の様子を気にかけていたが、やがて仕方なく、といった様子で自分のデスクで端末に向かって仕事を始めた。


「ねえ、高瀬さん」

 手持ち無沙汰になったらしい春日井が、高瀬に話しかけてくる。

「何ですか?」

 この部署で役立ちそうなスキルが未だにない高瀬も手持ち無沙汰だったので、話し相手になることにした。

「えっと、それで僕は、何をすればいいんですかね?」

「さあ……」

 自分がすべきことすらまだ判らないのだ。他人のそれまで気が回るわけがない。高瀬は曖昧な笑みを浮かべて返した。

「えーと、たぶん、何かすることができたら、羽佐間さんから指示が出ると思いますけど……」

 二人は視線を螺旋のデスクに移す。

 城戸とのやり取りを終えた彼女は、デスクトップ端末で何か調べものをしているようだ。時々画面に熱心に見入っては、必要な書面をプリントアウトしている。城戸は魔捜部屋を出て、記操の本部に戻るらしい。


 そんな城戸を見送って、これはしばらく自分の出番はなさそうだな、と判断した高瀬は、デスクの一番下の引き出しを開け、分厚いファイルを取り出した。

「高瀬さん、それ、何?」

 春日井が興味津々といった様子で問いかける。ああ、と呟いてから、

「黒峰さんにお願いして用意して頂いた、この魔捜で過去に取り扱った事件をまとめたものです。何故か設立当初の分に関しては機密事項になっていて、記録を取り寄せられないらしいんですけど……その、自分には特殊な能力はありませんので、せめて勉強を、と思いまして」

 高瀬の説明に、

「へぇー……」

 目を輝かせた春日井が、ファイルを覗き込んでくる。


「さすが羽佐間さん。こんなにたくさんの事件を扱ってきたんですね。わお、論文が五つくらいは書けそうだ。そう思いません?」


 一体どういう論文で、どこで発表されるのだろう。そして同意を求められても、高瀬が頷くことはできない。

「はあ……ええと、ところで春日井さんも、魔術師、なんですよね……?」

 返事は濁して質問で返す。高瀬には知りたいことがあった。

「ええ、まだ駆け出しですけどね」

「その、失礼ですけど……やはり春日井さんも――偽名、なのですか?」


 初対面の人物に対してこの上なく失礼な質問だとは思いつつ、このチャンスを逃すと聞けない、と直感的に判断してしまったのだ。

 それに対して春日井はきょとんとし、ぱちぱちと瞬きをしてから、

「え、まさかとは思いますけど……本名だと思ってました?」

 不思議そうに言った。


 魔術師は、真名、即ち本名を明かすことを良しとしないらしい。それは魔捜に配属されたその日に、初対面の高瀬に対して螺旋から告げられたことだった。だから、羽佐間螺旋、という彼女の名も偽名なのだと。

 それで高瀬は、同じ魔術師を名乗る春日井の名について興味を抱いたのだった。

 結果、今の春日井の反応を併せても、魔術師業界――そんなものがあるのかどうかは知らないが――では、偽名は当然のことらしかった。

「……い、いえ。でも……そういうもの、ですか……?」

「そういうものです。魔術師ですからね。術名に重きを置くのは当然ですよ」

 春日井は謎めいた微笑を浮かべる。

「……まあ、偉大なる魔術師である羽佐間さんとは違って、僕なんかの術名には由来は特にありませんけどね。響きです、響き。ちょっと雰囲気あるでしょ? かすがいきゃら、って」

 不思議と卑屈さは感じさせない調子でそう締めくくる。その声音からは、純粋に螺旋を尊敬していることが伺えた。なるほど、と高瀬が相槌を打つと、春日井は何かを思いついた様子で、

「そうだ、高瀬さん」

 今度は無邪気な笑顔を見せた。

「専門知識の伝授なら、多少はお役に立てると思いますよ? 僕も魔術師ですからね」


 こうして高瀬は、春日井から悪魔や魔術について、基礎知識のレクチャーを受けることとなったのだった。


 そうして、どのくらいの時間が経っただろうか。

「――つまり、悪魔は、直接的に人体に影響を与える、というか……物理的に攻撃を加えることはできません。簡単に言うと、怪我なんかは負わせられない、というのが現在の見解です。傷口を広げる、とかいうやつはいますけどね。ああ、でもまれに、服の繊維くらいは切り刻んだりできる悪魔もいますね」

「ああ……」

 この部署で初めて担当した事件の黒幕、レラージュの配下とやらを思い出す。確かにそれは、螺旋のスーツの右袖を切り裂いた。

 春日井の説明は程よく噛み砕かれており、テンポも良いので判りやすかった。教職の才能がありそうだ。

 高瀬の悪魔や魔力に関する知識レベルが上昇したところで、人が立ち上がる気配がした。二人はそちら、螺旋のデスクに視線をやる。


「結崎さん」

 ティーセットを入れてある戸棚のガラス戸を、松葉杖一本で身体を支え、空いている方の手で不自由そうに開けながら、つづりに声をかけている。

「はいっ」

 呼ばれたつづりはぴょこぴょこと螺旋のデスクへ向かった。やっと開けた戸棚から、洒落た手のひらサイズの缶を取り出した螺旋が、それをつづりに手渡す。

「すみませんが、これを、未解(ミカイ)――未解決事件特別捜査室の、十六夜(いざよい)さんに届けて頂きたいのです。先日のお礼、と言って頂ければ判ると思います。本来ならば私が届けるべきなのですが――」

 つづりは缶を受け取って、

「その足じゃ大変そうですよね、わたしがお届けします。えっと、未解決事件特別捜査室の、十六夜さん、ですね……十六夜?」

 聞き覚えのある苗字に、首を傾げた。聞いていた高瀬も、おや、と思う。

十六夜と言えば、無表情ながらも陽だまりを思わせる声を持つ、刑事局参事官の苗字と同じである。


 しかし螺旋はそれについては何も説明せず、

「お願いします。では私は――少し、資料課に行ってきます。何かあればすぐに戻りますので」

 そう言い残し、ぎこちない動きで松葉杖を操りながら、魔捜部屋を出ようとする。彼女の言葉に何かが引っ掛かった高瀬は、咄嗟に口を開いた。

「羽佐間さん」

「……はい」

 口を開いたのは良かったが、後に続くべき言葉が見つからなかった。仕方なく、無難な言葉を探す。

「あ、そ、その――お気を付けて」

「……ありがとうございます」

 高瀬と目を合わせようとせずに言い、そのまま部屋を出ていった。何やら嫌な予感が、一瞬、高瀬の脳裏をよぎる。ざわりとした感覚が身体を駆け抜けた。だが、その予感の正体に、ついぞ辿り着くことはできなかった。


「えーっと、それじゃあ、わたしは螺旋さんのお遣いということで……行ってきますねー」

 澱んだ空気を浄化するかのように明るく言って、つづりも魔捜部屋を後にした。

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