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永久螺旋 ―Unlimited Spiralー  作者: 天澤榧乃
第二章 仲冬
15/24

1

(幕間からの温度差にご注意ください)

 羽佐間(はざま)螺旋(らせん)は、数時間前から降り続いている冷たい雨の中を帰路についていた。

 それまで淡々といつも通りに振舞っていたものの、ここ最近の魔力の消費は激しく、身体が疲労と消耗を訴えている。今夜は久々にまともに眠れる気もしていた。


 腐れ縁の友人で現在は主治医でもある咲坂(さきさか)伶那(れいな)が知ったら激怒するだろうが、処方されている睡眠薬は今夜は飲まずにいようと思う。そもそも魔術師にとって、化学的に調合された薬は有害な物なのだ、というのが、彼女の師匠筋にあたる人物の持論であった。純粋な魔力を供給するに当たって化学物質は妨げになる、というのが、彼女の口癖のようなものだった。


 だから薬に頼らず済むように体調管理はしっかりなさい、と言いつけられたものだが、現在の螺旋はそれを守れているとは言えない。睡眠も食事もまともにとれなくなってしまっている。それは魔力で代替できるからなのだが、伶那に言わせると病気らしい。確かに不健康だという自覚もあるし、実際回復が完全には追いついていないのが現状である。さすがにそろそろ何か口に入れるべきなのだろう。最後にきちんとした食事を摂ったのは、何日前だったか……。そこまで考えると、ずいぶん前にそれ以上歳を重ねることのなくなってしまった師匠の、呆れ顔が浮かんだ。


 とりとめのない思考と共に、歩道橋の階段を昇る。夜も遅い時間だが、車の通りは多いし街も明るい。眠らない街、というフレーズを思い浮かべた辺りで、やはり相当疲れている、と実感した。

 そんな彼女とは裏腹に、こんな時間でも街ではきらびやかなイルミネーションが瞬いている。クリスマスがすぐそこに近付き、街は華やいでいるのだった。

 しかしその輝きは、彼女の疲れを癒やしてくれるわけではない。そういった物に大した感動を覚えなくなってしまったのは、いつ頃からだっただろうか……もういい、くだらない考えはその辺で止めておこう。疲労感が倍増する。


 階段を昇り切り、道路の上を渡る。傘で視界が悪いが、前方から人の気配がしたので欄干すれすれまで避けて歩いた。すれ違いざまに、それは背の高い男だと判った。その男は傘も差さずに歩いているが、それ以上考えるのは面倒だった。この男が明日風邪をひいたとしても、それは自分の責任ではない。それに、他人のことを言える立場でもないのだ、今日に限って言えば。

 歩道橋を右に折れ、階段を降りようとしたときだった。

 もう痛みは感じないはずの右腕の古傷が、張り裂けそうなほどに激しく痛んだ。


「――っ!?」


 同時に、何かの気配を感じ取る。彼女がしばしば相手にする、よくないモノの気配だ。

 ――さっきの男?

 振り返ろうとした瞬間に、背中に重い衝撃を受けた。これは――魔力の波動だ。

 瞬時にそれだけは察知したが、傘や荷物で手がふさがっていたため、階段の手すりに伸ばそうとした手は間に合わない。せめて受け身を取ろうとしたが、それよりも先に、次の衝撃が螺旋を襲う。

 最早彼女に判るのは、自分が今、階段を転がり落ちているのだ、ということだけだった。

 そして螺旋の意識は、深く冷たい闇の底へ、沈んでいった。


     *    *     *


 直属の上司が意識不明で救急搬送された、という報せが高瀬(たかせ)藍一郎(あいいちろう)にもたらされたのは、日付も変わろうという頃のことだった。確かに彼女のスマートフォンには、緊急時連絡先として高瀬の番号が登録されている。所属は警察庁ではあるものの、その部署は秘匿されており、しかも直属の上司は偽名で生活を送っている。高瀬が配属されるまでどうしていたのかは知らないが――実際、配属後に彼女の元に残った部下は高瀬が初めてらしい――一般社会へのカムフラージュの意味も込めて高瀬の番号が登録されることになったのだった。ちなみに彼はその機能に唯一の肉親である妹の番号を登録しているが、彼女に家族はいないのだろうか。否、いないわけはないのだが、しかし彼女にはそうした、血の繋がり、などといった言葉は似合わない気がしてしまう。


 いや、今はそんなことを延々と考えている場合ではない。


 どのような状況で搬送されたのかは、一切不明なのだ。意識がないことと、病院名を知らされただけである。電話の相手もかなり混乱しているらしかったが、もう少し細やかな情報を的確に伝えてほしい、と思った。


 最悪の事態を想像した高瀬は真っ青になりながら、羽佐間螺旋が搬送されたという麗都(れいと)医大救命救急センターに急いだ。

 走りながら、つい二、三時間ほど前のことを思い出す。そう、それまで高瀬は螺旋と行動を共にしていたのだ。

 正確には、螺旋の他に、警察庁刑事局特殊捜査部に所属する各部署の人間と共に、である。悪魔を、逮捕という名目で封じるためだ。


 その逮捕劇は、雨の中で行われた。


 古びた倉庫街で怪奇現象が相次いで発生し、その場所は心霊スポットとして有名になりつつあった。季節外れもいいところだが、冬でも、しかもクリスマスや年末年始が近付いて人々が浮かれていても、そうした場所に需要があるらしい。暇な人もいるのだな、と思った。


 心霊現象マニアというのは至る所にいるはずで、そのくらい放っておいても問題ないのではないか、と高瀬などは思ったのだが、どうやらそうもいかないらしかった。螺旋や高瀬たち、魔捜(マソウ)――魔力捜査室は、霊監(レイカン)、と略される霊魂監察室なる部署――高瀬が見る限り、所属は室長一人だった――からその件を持ち込まれた。

 幽霊の仕業ならば霊監の管轄だが、様子がおかしく、悪魔の仕業である可能性も高まったため合同捜査を行うことになったのだ。悪魔の仕業ならば魔捜の管轄、というわけだ。数日間の合同捜査の結果、怪奇現象を起こしているのは、サミジーナという悪魔であるらしいことが判明した。その時点で霊監は手を引き、魔捜がその事件を引き継ぐことに決まった。


 霊監の室長である一色(ひとしき)という男性は、毎日ブラックスーツに黒ネクタイをきっちり着こなしており――螺旋によれば、それが一色の常であるらしい――高瀬は合同捜査の間中、何だか落ち着かなかったので、霊監が手を引く段になったとき軽く安堵を覚えてしまった。決して一色の人格に問題があったわけではない。むしろ物腰の柔らかい好人物であることはその数日間でよく解ったのだが、いつでもそのまますぐに葬儀に参列できそうな雰囲気は高瀬に緊張感をひしひしと与え続けていたのだった――。


 螺旋の講釈によれば、サミジーナは、死者の霊を自在に操ることができる偉大なる侯爵、とかいう話だったように思う。悪魔というモノには侯爵だとか伯爵だとか長官だとか、そういったヒエラルキーなるものが存在しているらしいが、彼にその区別はつかない。例えば現在の彼にとって真っ先に思い浮かぶ『長官』と言えば、警察庁長官でしかない。


 そして今日、夜を待ってから倉庫街周辺に担当部署の者が結界を張り、螺旋と高瀬の二人がそこに足を踏み入れた。

 傘や雨具は邪魔になると言い、雨に濡れるのにも構わずに迷いなくまっすぐ歩いていく螺旋の背中を、風邪をひかなければ良いが、と心配しながら高瀬がやや遅れ気味に追いかけ、とうとう悪魔、サミジーナを追い詰めた。


 急にその目を閉じ、眼鏡を投げるという螺旋の行動を予期していた高瀬は、それが地面に叩きつけられる寸前でキャッチする。

「だから羽佐間さん! 血税を何だと思ってんですか!」

 壊れても経費で落ちる、という理由で眼鏡を大切に扱わない螺旋を叱るが、彼女はどこ吹く風と聞き流した。

 高瀬が眼鏡に異常がないかどうかを確かめている間に、螺旋は左目を開く。瞳は緑色に輝いていた。その魔眼の力を発動させている間は、色が変わるのだそうだ。


 地面に、五芒星や難解な文字のようなもので構成された魔法円が、光を放ちながら現れた。悪魔が暴れている気配はないためか、彼女は今回、右目は使わなかった。右手の人差し指と中指を揃えて伸ばし、魔法円の中心に向ける。

「混沌より出でし者、混沌へと還りなさい!」

 温度のない声を合図に、魔法円は集束していき、やがて一枚の紙片を残して消え去った。

 つかつかとその紙片に歩み寄り、まるで三本足の人間が逆立ちでもしているかのような奇怪な図形――サミジーナの紋章、らしい――が描かれたそれを、先ほど使ったばかりの人差し指と中指で挟む。

「螺旋の狭間へ」

 彼女が唱えると、それはあっという間に霧散した。しかしそれは消滅したわけではなく、この世界と混沌との、螺旋の狭間に閉じ込められただけなのだ、と、彼女は言う。そしてそれが、彼女の名――術名、と呼ばれる偽名――の由来なのだ、と。


「……ご苦労様でした、高瀬さん。今日はもうこのまま帰って頂いて構いません。私は少々、事後処理がありますので――それでは」

「お疲れ様でした、羽佐間さん……あのこれ、眼鏡です」

「……ありがとうございます」

 無感動な表情で眼鏡を受け取った、それが、螺旋を見た最後だ。

 それにしても、と高瀬は思う。本当に、この魔捜という部署に自分は必要とされているのだろうか?

 今日だって、したことと言えば精々、螺旋の眼鏡を受け止めたくらいである。早乙女とかいう部長が挙げた条件だか何だか知らないが、まさか眼鏡を拾うために選抜されたとは思いたくなかった。断じて。


 そして時間は、現在へとジャンプする。

 ――あれから一体、何があったというのだろう?


 息も絶え絶えになりながら、それでも麗都医大救命救急センターに辿り着くと、自動ドアが開くのももどかしくセンター内に入り込む。静かな早足で歩いていた看護師をつかまえ、早口で螺旋の容態を尋ねた。

 すると意外にも、処置は既に終了しており、救命のICUではなく一般病棟に入院した、という答えが返ってきた。すっかり毒気を抜かれた高瀬は、半ば上の空で部屋番号を聞き出すと、その穏やかそうな看護師に礼を言ってから病室のある階を目指す。

 ナースステーションに顔を出すと、面会時間はとうに過ぎているにも関わらずあっさりと面会許可が下り、拍子抜けしながら病室へ向かった。

 意識不明、という連絡を受けたため気が動転していたのだが、何かの間違いだったのだろうか? そんなことを思いつつ。


 教えられた病室は個室だった。プレートに、螺旋の名前が書かれているのを確認し――さすが警察庁のデータベースからも本名が抹消されているだけあって、病院でも、偽名である『羽佐間螺旋』の文字列が並んでいる――ノックをして返事を待つ。

 ……待つつもりだったのだが、螺旋に対する心配の方が勝ってしまい、返事が来る前に勢いよくドアを開けてしまった。


「羽佐間さんっ!」


 必要最低限まで落とされた照明の中、上半身の部分をやや起こした白いベッドに身を預けていた螺旋が、若干眉をひそめてこちらを向いた。細い銀縁の眼鏡は、今はかけていなかった。魔眼の力を隠しておくためのレンズであり、それに度は入っていないのだそうだ。視力が悪いわけではないという。

「……高瀬さん、ここは病院です。消灯時間も過ぎている深夜です。大きな声を出すのは、あまり感心できませんね」

「あ、す、すみません……」

 螺旋の声のトーンがいつも通りだったので、高瀬はひとまずほっとした。それとなく彼女の様子を観察する。


 右足を骨折したらしく、ギプスを嵌めた状態で吊られていること、額に怪我をしたらしくガーゼを当てられていること、そして病衣を着せられている他は、いつもの彼女通りだった。ただ、照明の関係もあるのだろうが、いつにも増して顔色が良くない気もした。

「その……自分が受けた連絡では、意識不明、ということだったものですから、つい。あの……何があったのですか、羽佐間さん?」

「ええ……実は、あ――」


 口を開いた螺旋だったが、はっとしたようにその口を閉ざし、視線を泳がせる。いつも無表情な彼女にとって、それは珍しい行動だった。


「…………?」

 その挙動に不審を抱く高瀬の目と、螺旋の目が一瞬だけ合った。彼女の視線は、すぐに高瀬から外される。

「――あ、雨、が」

「はい?」

「つい先ほどまで、雨が降っていましたね」

「……あ、ええ。そうですね」


 話を逸らす気だろうか? 高瀬は更に強い不審を抱かざるを得ない。

「そ、それで、その……歩道橋の階段で……足――足を、滑らせてしまいまして。そのまま……」

 階段を転がり落ちた、ということらしい。

「意識が無かったのは……途中で階段に頭をぶつけて、脳震盪を起こしたらしく、ですね……」

 何となくしどろもどろだ。そしてそれは、ドジを踏んだ羞恥のため、という様子ではない。

「羽佐間さん、失礼ですが……それは――本当ですか?」


 いつもの螺旋の振舞いとはかけ離れた結果である。この人が、いくら滑りやすい状態の場所を歩いていたとはいえ、実際に滑って転がり落ちるとは思えない。

 百歩譲ってそんなことが起きたとしても、せめて受け身くらい取り、頭への衝撃は避けられるはずである。仮にも警察官だ、それなりの訓練はしているはずだ。彼女の性格も考えて、サボっているとは思えない。ただその細すぎる体つきを考えると、訓練中にどこかが折れてしまいそうで、それはそれで心配だが。


「……本当でなければ、病院なんかにいませんよ、高瀬さん」

 目を合わせずに言う彼女を見て、高瀬は確信する。

 この人は――羽佐間螺旋は、嘘をついている。

 しかしそれがどういう嘘なのか、そして嘘をつく理由は何なのか、それは見当もつかなかった。

「ええと……他にお怪我は……」

 螺旋の嘘についてはそれ以上深く追求せず、否、追及することなどできずに、高瀬は話題を変える。


 螺旋が、この人が明確な意志をもって嘘をついている以上、高瀬にはそれを暴く術がない。

「特にないようです。片足の骨折程度で済んだのは、幸いでした」

 充分な大怪我であるらしいことを、厳重に固定されたギプスが物語っているのだが、高瀬は何も言わないことにした。

 確かに、骨折だけで済んだのならば、不幸中の幸いというものだ。

 打ちどころが悪ければ、命を落としていても不思議はないのだ。

「――恐らく、緊急時連絡先の登録から、高瀬さんに連絡が行ってしまった、ということですよね。夜分に申し訳ありませんでした」

 ようやくこちらを向いて、螺旋。

「あ、いえ……」

「私は――大丈夫ですので」

 病室を辞するよう促しているかのような彼女の声音に、それではお大事に、と一礼すると、高瀬は病院をあとにするしかなかったのだった。

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