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暫くの間、場には沈黙が流れていた。
……どうして皆さん、私から目を逸らすんですか……!
気まずい沈黙を破ったのは、魔術師、羽佐間さんだった。
「詳しい位置に関しては情報不足のため説明できませんが、ここはいわゆる――異次元、です」
「異次元……」
「空間構造式から判断すると、三次元ではあるようですが、本来我々が存在している軸の世界ではないようです」
全然わからない。まず、単語の意味からわからない。それは、説明になっているんだろうか。そして問題なのは、
「その、さっきまでいた場所に戻ることって、できるんですよね?」
このファンタジーとかゲーム的な世界から、抜け出せないのは困る。下手に動くと、自動的にモンスターとのバトルなんかが始まってしまいそうな、こんな世界で生きていける気はしない。夢なら、本当に早く覚めて欲しい!
「螺旋さんに任せておけば、大丈夫だよ。綾音さん」
……中学生に励まされた。この子、さっきまでものすごく邪悪なオーラを発していた気がするけれど――螺旋さん、という単語以降、その雰囲気は180度変わっている。そしてその言葉には、何の根拠も無いのにやたらと説得力があって、私は無駄に安心感を得てしまった。
けど、もう一つ確認したいことがある。私には知る権利があるはずだ……たぶん。
だから私は、再び訪れるであろう気まずい沈黙を覚悟して、尋ねた。
「一体何が起きているのか、説明して頂きたいんですけど……」
羽佐間さんたち四人は顔を見合わせてから、素早く何か話し合った。断片的に耳に入った単語は、魔女、とか、記憶、とか、式、とか、消す、とか。
その瞬間的な話し合いを終えて、揃って嘆息。
話せば長いのですが、という前置きを、全く裏切らない長さの話を羽佐間さんから聞き終えて、それでも私は半分も理解できなかった。というか、どこまで信じて良いのかわからない。
羽佐間さんたちは、警察の人らしい。
そこからまず、全然信じられない。聞くところによると、なんと華火ちゃんまでも、中学生ではなくて職員だとか。桜崎中学の制服は、魔女とか言う人に無理やり着せられたのだと言う。
で、鍵はその魔女とか言う人が握っている、らしい。そもそもの原因は、その魔女と言う人が作ったのだそうだ。
その魔女さんも警察関係者で、異次元の捜査を行う人、だと言う。SFか何かの話かと思ったけれど、羽佐間さんはもとより、黒峰さんも城戸さんも華火ちゃんも、至って真面目な表情を崩さなかったので、笑い飛ばすことすらできなかった。
冗談が通じる空気感ではないことも考えて、受け入れるしかないのかもしれない。夢オチの気配はその辺りで完全に断たれた。完膚無きまでの破壊力だ。
羽佐間さんが言うには、次元の移動にも様々な方法があるらしいのだけれど、魔女さんの場合は式を使うらしい。
数式の式です、と、彼女は言った。
問題の核心はどうやらその辺で、魔女さんは打つべき式を間違えてしまった、のだそうだ。
その式を解体するために華火ちゃんが呼ばれ、私が目撃した、一人で不審な行動を取っていた女子中学生――華火ちゃんの姿は、その解体作業に関わっていた時のものだと説明された。
……式の解体、というのは、よくわからなかったけれど。
そしてその式がまたややこしくて、暴れた、らしい。式って暴れるものなんだろうか、という疑問は、受け付けてもらえなかった。
その式が具現化したのが、あの布にくるまれた物体だそうで、それに触れてしまった私は、次元の移動に巻き込まれた、と言う。
単純に考えると、あの物体に触れたのは私だけだったはずだから、飛ばされるにしても、私一人の移動になりそうだけれど、
「螺旋さんは賢明なんだよ。もしもの時に備えて、式と僕、それから城戸さんと黒峰さんを関連づける魔術――結束魔術を組んでいた。式の移動と僕の移動は関連づけられるから、綾音さんを追いかけて僕が移動する。それは自動的に、黒峰さんと城戸さんを引っ張って、魔術の大元、螺旋さんを移動させる。元の軸に戻るために必要な能力は、最低限確保されてるんだ」
華火ちゃんの説明によると、そういうことらしい。
能力。
認めるしかなかった。彼女たちは、いわゆる――超能力を、持っている。
「まあ……元の軸に戻った時点で――綾音ちゃん、君の記憶は、言い辛いけれど、改竄されることになるんだ。僕たちは秘されるべき存在。誰かの記憶に残るのはまずい。秘密を守るための措置で、そしてこれは、実は君を守るための措置でもある。僕は情報の分析が専門だけど、だからこそ敢えて言う。知らない方が幸せなことは、確かに沢山あるんだよ」
どこか遠くを見ながら話す黒峰さんは、微笑んでいるような、涙を堪えるような、どちらとも取れる表情をしていた。
眼鏡の奥にある目から、そのどちらなのかは読み取れない。
その表情に呑まれてしまって、私は肝腎な部分に気付かなかった。記憶の改竄、というのが、何を意味するか、ということに。
どこか感傷的な空気が漂う中、ぴくり、と、華火ちゃんが何かに反応した。
「螺旋さん!」
鋭い声が発せられる。それを受けて、羽佐間さんは徐に目を閉じ、眼鏡を外し、それを投げた。
「……高瀬が怒るよ」
ほんの少し緊張を解いて、華火ちゃんが言う。
「魔力を隠すためにレンズを強化したのですが、頭痛の原因になったのです。あれは壊してしまった方が、世の中の為ですよ」
両目を閉じた羽佐間さんが返すけど、世の中の為に……なるんだろうか?
今ひとつ状況が飲み込めない私は、眼鏡が飛んでいった方を見やる。
不思議な植物が群生している中に落ちていった眼鏡は、もう見付けられそうにない。
その時、黒峰さんが持っている端末機械から、電子音が響いた。視線を戻すと、ディスプレイに流れる何かを眺めている黒峰さんが見えた。凄まじい早さでスクロールしていく、夥しい――数字のようだ。私には読み取ることすらできない。辛うじて、数字であろうことが判る程度だ。
「解析結果が出ました。軸の特定と現在位置、及び、移動ポイントの特定、完了です……作業は一旦終了します。綾音ちゃん、こっちへ」
ディスプレイの灯りを落として、黒峰さんが私の手を引いた。
「物理的には、僕は非力なんだよ。戦闘には向かない。城戸くん、よろしく」
『……そこから動くなよ』
城戸さんが、黒峰さんと私の前に立つ。
いやいやいや。私の耳は聞き逃さなかったぞ。
戦闘って、何!?
私が疑問を口に出す前に、変化は起こった。
それまで明るかった空が、急激にその明度を下げていく。雲が広がった、とかそういうのではなく、ただただ暗くなっていく。同時に、空気が重くなった。何だか息苦しい。
――わたくしの世界の調和を乱すのは、どなたでしょう?
重い空気が震えて、頭の中にそんな声が流れ込んだ。口調は丁寧だし、物腰も柔らかい印象を受けるのに、ひどく、冷たい。その声は――どす黒い。
「番人……いえ、統治者ですね? こちらへ来たのは、我々の本意ではありません。調和を乱す意志など無いのです」
目を閉じたままで、羽佐間さんが言う。
――敵意は無い、と?
「ええ、微塵も」
――それにしては、強大な力を感じますが?
「制御しきる自信はありません。……ですからこうして、目を閉じています」
危うい空気が、じわじわと広がってくる。
大丈夫、なのだろうか。
――では、その目を開けて頂けますか?
「やめといた方が良いと思うよ。もし発動したら、大変なことに――」
――あなたには頼んでいませんよ。お子様に出番はありません。
華火ちゃんに向けたであろう、その言葉が、この場の空気を更に異質なものに変えてしまった。
「僕を――」
華火ちゃんの、襟足だけが長い髪の毛。それが、文字通り逆立った。どす黒いという形容の上を行くような、これ以上ないくらいの黒いオーラが、瞬時に広がる。
「子供扱いしたな――」
逆鱗に触れた、って、こういうことを言うんだろうな……なんて、暢気に考えている場合ではなさそうだ。
――敵意は、無かったはずでは?
容易に想像できた。この声の主が、何か武器を持っているとして、今その武器の切っ先は間違いなく華火ちゃんに向けられている。その破壊力は、凄まじいものに違いない。
掠っただけでも、原型を留めていることは不可能なくらい――強大な威力を持っている。
その上。
華火ちゃんの方も、オーラ的に引けを取っていない。マンガに出てくるような効果音の文字を着けて良いくらいの、気迫のようなものを感じる。
つまり、この場はとてつもなく、この上なく、危険だ!
恐らく、その時。
羽佐間さんは、閉じていた目を開けて、その力を発動させた。
複数の記号や文字を組み合わせた、ゲームに出てくる魔法円をもっと複雑にしたような物が、仄かに発光しつつ広がっていく。あっという間に、視界を埋め尽くしたそれは、私は勿論、謎の声の主と、華火ちゃんを怯ませるには充分すぎた。
空間が、静止する。
「……右目も使う必要はありますか? 私は、それは得策ではないと考えますが」
あくまでも静かに告げる、羽佐間さん。
比較するまでもない。
チートを通り越して、寧ろ羽佐間さんの方がバグなんじゃないか。
ここまでくると、驚きを通り越して呆れる、ということを、私は身をもって体感した。
「……本来自分が存在する軸以外では、魔力の制御は難しい、と聞いたことはあったけど、実際に暴走するのは初めて見たよ……へぇ、螺旋さんが制御できないなんて、驚いたな」
黒峰さんも、形容するのが難しい表情で、羽佐間さんの後ろ姿を眺めている。けど、その右手は、端末機械に何かを入力しているようだ。ちらりと見えたディスプレイには、グラフのようなものが表示された後に、『計測不可』の四文字が表示された。この状況を数値化しようとしている黒峰さんにも呆れてしまうのは、私だけではないはずだ。
怒気の権化と言っても間違いなかった華火ちゃんは、
「ら、螺旋さん、ごめんなさい……」
顔色を失っていた。無理もないと思う。
それ以上に気の毒なのが、
――た、たた、大変申し訳ございませんでした、あなたは『すべてを統べる者』でいらっしゃいますね! ご無礼をお許し下さい、何でも致しますゆえ!
威厳も落ち着きも失って、ひたすら土下座でもしているかのような、声の主。相変わらず姿は見えないから、どんな姿勢かはわからないけれど。
羽佐間さんはと言えば、相変わらず抑揚のない声でさらりと言った。
「少し、こちらの世界の道案内をして下さると、助かりますね」
……最早私には脅迫にしか聞こえない。この人を敵に回した瞬間、死亡フラグに埋もれる羽目になるんだろうな。
――仰せの通りに。我が名はラインハルト。我が主、わたくしはどのような姿を取るべきか、ご命令を。
「……誇り高き夜色の鴉の姿を」
――夜色の、鴉……もしやあなたは……失礼致しました、御名を、お聞かせ下さい。不肖ラインハルト、あなたにお仕え致します。
「私の名は羽佐間螺旋。魔術師です」
――我が主、ラセン。わたくしはこれより、あなたの支配下に入ることを宣言します。
そんな遣り取りが終わると、視界を埋め尽くしていた数式や図形が、徐々に消えていった。
すべてが消えてしまうと同時に、羽佐間さんの右肩に、何故か赤いリボンを蝶ネクタイのように結んだカラスが出現した。もしかして、これが……?




