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Break Time
名前を呼ばれた気がして、振り返る。
誰も、いない。その前に、暗くて何も見えない。
――気のせい?
暗闇の中で、首を傾げる。
――ここは、どこ?
途方に暮れていると、唐突に、頭の中を映像がよぎった。
生地をたっぷり使ったフレアスカート。モノクロの世界に突如として現れた、ピンクが混ざったすみれ色。女の人。
――さっき私を呼んだのは、このひと?
何故か全体像は掴めなくて、戸惑う。今気付いたけど、声が出せないし。
「……けて、くださいー」
耳に入ってきたその声には、どうやらエコーがかかっている。
――?
どうして、こんなに聴き取り辛いんだろう?
「おとしものにー……」
……落とし物?
「きをつけて、くださいー」
何がどうなっているのか、わからない。いよいよパニックに陥るかと思ったら、
ピピピピッ、ピピピピッ……
「わあっ!?」
びっくりして目を開けると、そこは見慣れた場所だった。私の部屋だ。
「なんだ、夢か……」
おかしな世界から、私を救ってくれたモノ――スマホのアラームを解除しながら、呟いた。今日は一コマ目から授業に出ないとマズいんだっけ。ちゃんとセットしておいて良かったな。
そんなことを思いつつ、伸びをする。
どうやら外は良い天気。けど、気温は平年よりも低いって、天気予報で言っていたような気がする。秋を実感する間もなく、季節は冬へとうつろっている。
私、秦野綾音は、都内の大学に通う二年生。現在、親元を離れて独り暮らし中だ。このアパートはちょっと古いけれど、大学に近い上に家賃も高くない。すごく助かる。
曰く付きなんじゃないか、と友達は言うけれど、今のところ実害もないし、たぶん大丈夫。ホラーは嫌いじゃないし。
……実際に幽霊に会ったことはないし、もし実際に会ってしまったあとで、同じことを言えるかどうかは、わからないけど。
そんなことより、たった今発生した問題の方が、重要だ。
朝食のパン、買い忘れてる!
幸い、寝坊を免れたお陰で時間に若干の余裕がある。近くにある、ちょっと話題の美味しいパン屋さんで何か買って行こう。
予定の修正をして、とにかく身支度を整える。急に気温が変化すると、着る物の入れ替えもできてないから困ってしまう。
どうにか支度を終えて部屋を出た。うん、時間配分は良い感じ。
大通りに出るよりも、裏道を通る方が近い。これは、サークルの先輩が教えてくれた情報だ。
昨日と比べて、何だか急に冷たくなった風に吹かれつつ、歩いていると――
「……ん?」
前方、それほど高くはないビルの屋上に、人影を発見した。
小さな会社の建物だったはずだけれど、
「……中学生?」
グレーっぽいセーラー服は、確か桜崎中学の制服だったと思う。さくらざき、という縁起の良い校名がまず人気だし、制服も、一見地味なのにラインの入り方がお洒落だったり、桜の花を模した校章が可愛いと評判だったような。
ということはあれは女子中学生なのだろうけど、一体何をしてるんだろう?
飛び降りる、とか、まさかそんなことはなさそうだけど、何となく興味を抱いて観察してみる。違う意味で、様子がおかしかったから。
あの子、何をしてるんだろう。何かを追いかけているように、見えなくもない。でも、何を追いかけているのか全然わからない。ここから見えるのは、全身から怒りのオーラを発している気がする、その中学生の姿だけだ。古ぼけた建物の屋上で、ひとり不審な動きをする女子中学生。
何だろう、この光景。
と、何かがその中学生を飛び越えた、ように見えた。
そんな気がしただけで、実際に物が見えたわけではないのに――放物線を描きながら落下してくる物体が、唐突に出現した。
「わっ……!」
それは、私が立っている場所から数メートル先に着地する。布……でくるまれた、それほど重くはなさそうな、何か。
……拾った方が、いい、よね……?
私はそう判断して、その物体に駆け寄る。しゃがんで、手を伸ばして――
「やめろッ、それに触っちゃ――」
物体に触れたのと、どうやらあの中学生がそう叫んだのが、同時。
その瞬間に物体からものすごい光が出て、
世界が、反転した。
「――だから僕は言ったんだ! 魔女め、僕にこんな格好までさせやがって!」
「はいはい、華火ちゃん、ちょっと落ち着こう」
声が、聞こえる。それと、人の気配。
そこで私は、自分が目を閉じていることに気付いた。目を開けなきゃ、と思うんだけど、何故かそんな勇気は出せない。
もし、私の予感が当たっていれば――とんでもないことになっている――ような、気がする。何だっけ、量子論、だったっけ。それによると、観測しない限り、その存在は確定されな――
『目を開けた方がいい』
確定されない――
『残念だが、逃げ道はない』
「誰!?」
耳から入ってくるのではない音声。それを音声と呼ぶかどうかは知らないけど、ともかく私の現実逃避を邪魔する、その音声の発生源に向けて叫びながら、私は目を開けてしまった。
視線の先には、全体的に黒っぽい印象の男の人が立っている。音声の発生源はその人のような気がするけど、彼は少し離れた場所に、私に背を向けて立っていた。その向こうに、白衣の男性――にしては色白だし髪も長い――と、先程の女子中学生が。『僕』という一人称だけど制服は女子のだし、声から判断しても女子だと思う。
それにしても何だろう、このいかにも、ちょっと昔のゲームを彷彿とさせるクオリティー低めのドット絵を、無理やり立体にしたような風景は。夢、かな。そうだ、きっとそう。ものすごく現実感のあるタイプの夢、なんだと思う。
ということは、一度起床したのは錯覚で、これはまだ、夢の中――
「残念ですが現実です。巻き込んでしまったようですね」
「わああっ?」
真横から聞こえた声にびっくりして、思いっきり首をひねってそちらを確認する。
黒っぽいスーツに身を包んだ、華奢な女の人が立っていた。
それまでまったく気配が感じられなかったので、文字通り心臓が飛び出たような衝撃を覚えてしまった。
手入れが行き届いている黒髪――これは相当な手間がかかるはずだ――とは対照的に顔色は良くない。身長に対する体重が足りない気がする。そして、何だか不機嫌そうなのは、声に抑揚がないからか。
……どことなく漂う、機械の雰囲気。そして私の思考は、ある単語に到達した。
アンドロイド。それか、人工知能。
「――私は魔術師です」
「はい?」
「魔術師の、羽佐間螺旋と申します」
……えーと。
展開について行けない。やっぱり夢だ。起きよう。起きなくちゃ。
私のそんな決意は、しかし、魔術師と名乗った女性の次の言葉で、あっけなく散ることになった。
「あなたは――ハタノアヤネさん、ですね」
銀縁の眼鏡をきらりと光らせての台詞は、二次元の世界とか、ドラマの中なんかだととてもかっこよく決まるはずだ。けど、実体験を通した結果、認識を改めようと思う。すごく怖い。どこから漏れたんだろう、私のプライバシー。
そんな様子を察知したのか、白衣の人と中学生、あと黒い服の男性も近寄ってきていた。迫ってきた気配にそちらを向くと、中学生と目が合う。
「……これ、あなたのだよね? 学生証」
「……あ」
バッグのポケットから出てしまっていたのか、確かに彼女の手に握られているのは、私の学生証だ。なんだ、魔術師と名乗った女性は、これを予め見ていたのに違いない。そうだ、手品にはタネがあるし、マジックには仕掛けがある。あ、魔術師って、マジシャンか何か?
「はい、無くさないようにね。僕は真山華火」
中学生――華火ちゃんから、学生証を受け取って、バッグのポケットに仕舞い直す。
「ありがとう。えと……秦野、綾音、です」
私の自己紹介は途切れ途切れになってしまったけれど……状況から見て仕方ない。そもそも現状の把握なんて、できていないままだし。
「巻き込んでしまって悪いね。僕は黒峰準。よろしく」
白衣の彼――うん、声から判断した結果、外見は中性的だけど、男性――は、言いながら右手を差し出す。えっと、握手? 軽く会釈しつつ、それに応じた。そして残る一人、黒っぽい彼は、同じく黒っぽい魔術師に何やら言われている様子。
「……ええ、お願いします。元の軸に戻るまでの間、黙っているわけにもいかないでしょう」
『面倒』
「そう仰らず」
『会話、苦手』
「ですが……」
『聞こえてるよな』
「え?」
私の疑問と、魔術師の疑問は、同時に音声化された。そして、黒っぽい彼の、感情のこもらない視線と、魔術師の僅かに驚きがこもった視線が、私に向けられる。
『城戸透流』
「……テレパシー?」
この黒っぽい彼――城戸さんは、どうやら声に出して喋っているわけではないようだ。
『ご明察』
そんな城戸さんと私を順番に見た魔術師――羽佐間さんが、一瞬だけ、微笑んだ気がした。
「こちらの予想を超えましたか」
そんなことを言ったようだけど、何のことだかは理解できなかった。
で。
自己紹介を終えて、ほのぼのしている場合ではないと思う。
見るからに異世界の様相を呈している、ここはどこ!?
そう言えばさっき、羽佐間さんが言った、元の軸、とか、戻る、とか、それはどういう……?
「さて――黒峰さん、位置情報は如何ですか?」
羽佐間さんの目が、黒峰さんに向けられる。その黒峰さんは、小さな端末機械をあれこれいじっていたけれど、
「GPSは機能しませんね。やはり軸の移動かと。その計算と誤差の修正まで、もう少し時間がかかりそうです」
……私には、何のことだかわからない。GPSが機能しない……って、電波状況とかそういうことかな? あ、私のスマホ、ちゃんとバッグに入っているんだろうか。慌てて確認してみる。
結果、
「……嘘」
バッグの中の所定位置に納まってはいるけれど――電源が、入らない。きちんと充電しておいたはずなのに!
「ああ、大丈夫。壊れたわけじゃない、ちゃんと使えるよ。戻れば」
……黒峰さんのフォローは、最後の『戻れば』で台無しになっている気がする。
だから、戻るって、何?
それが引き金になったかのように、華火ちゃんからは険悪なオーラが発散され始める。
「ふふ……魔女め、僕を地獄にでも送ったつもりなんだろうな。戻ったら潰す!」
……中学生がこんなにも邪悪な目をして良いんだろうか。心配になるくらい物騒な雰囲気を醸し出す華火ちゃん。
「おかしいと思ったんだ……式を間違えたとか言ってたけど、最初からこうするつもりで……」
剣呑な空気を隠そうともしない中学生を見ながら、羽佐間さんが呟いた。
「……念のため結束魔術を組んでおいて、正解でしたね」
けっそくまじゅつ? それは、複数人数で団結して行うマジック、とかなんだろうか。大がかりな手品、とか。
それぞれの口から出る言葉から、状況を理解しようとしたけれど、それは無理そうだ。さっきから疑問は増えるばかりで、何も解決してない。
このままでは、脳内が疑問符でパンクする、と判断して、私は意を決して口を開いた。
「あの――ここは、どこですか? 私、どうなっちゃってるんですか?」




