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永久螺旋 ―Unlimited Spiralー  作者: 天澤榧乃
第一章 晩秋
10/24

10

 その瞬間、何が起きたのか、すぐには解らなかった。


 高瀬の肩を、ぐっと渾身の力で床の方へ押さえつけた螺旋。その螺旋の腕を覆っていたスーツの袖が、なくなっていた。


 それがどうやら、この悪魔――レラージュとやらの配下の悪魔が放った矢で切り裂かれたためらしい、ということを、ようやく飲み込む。螺旋に伏せさせられなければ、自分に直撃していたことが、容易に想像できた。人体に危害を加えることはできない、と聞いたばかりだが、やはり、未知のモノから攻撃を受けるのは、怖かった。


 しかし、露になった螺旋の右腕を見た高瀬は、再び息を呑まざるを得なかった。

 その右腕には、大きな古傷があったのだ。


「羽佐間さん……その傷は……」

「……今は関係ありません。それよりも、悪魔が上に逃げています。行きますよ、このまま屋上へ追い詰めるのです」

「はいっ」


 二人はまた走り出す。頻繁に飛んでくる光の矢を避けながら、しかし確実に上へ、屋上へと近付いていた。

 第二小学校の北校舎は四階建てである。階段を駆け上がり切ると、さすがに二人とも肩で息をしていた。

 目の前には、屋上に通じる扉。

 螺旋は呼吸を整え、高瀬に目配せをすると、インカムに向けて言った。

「予定通り、悪魔を屋上へ追い詰めました。これから逮捕します」


 そして両目を閉じたかと思うと、いきなり眼鏡を外し、投げ捨てる。


「ちょっ、羽佐間さん、眼鏡が壊れるじゃないですか! 何で投げるんすか!」

 思わず敬語が崩れた。螺旋は目を閉じたまま、

「邪魔だからですが」

「投げて壊れたらどうすんですか!」

「壊れても経費で落ちますよ」

「血税を何だと思ってるんだ! 無駄遣いしないで下さい!」

「うるさいですね、行きますよ」


 そのまま屋上のドアを開けた。

 それから、左目だけを開く。その瞳は緑色に輝いていた。

 その瞬間、屋上の隅々までに、五芒星や、高瀬には判読できない文字のような模様が浮かび上がる。空気の硬度が増した気がした。魔法円とか魔法陣とかいうやつだな、と、昔遊んだゲームを思い出す。

「…………!」


 そんな彼にも、その魔法円の中央に、うごめく何かが見えた気がした。

「こ――これで、その、悪魔は……逃げ場を失ったわけです、か……?」

 理解の及ばない世界に追いつくための質問の途中で、魔法円の中心に不穏な動きが感じられる。何となく嫌な風が吹いたようだった。

「まだ動くとは、しつこいですね」


 言って、螺旋は右目も開ける。こちらは赤い光を帯びている。悪魔は完全に魔法円に縛り付けられたらしく、動きは感じられなくなった。

 その力――魔力、と呼ぶのだろうか――の凄まじさは、高瀬にも理解できてしまうほどだった。華奢な身体に、彼女はこれほどまでの力を秘めているというのか。

 高瀬が茫然としていることなど気にする風もなく、螺旋は右手の人差し指と中指を揃えて伸ばし、まっすぐ魔法円の中心に向けた。


「混沌より出でし者、混沌へと還りなさい」


 その呪文のようなフレーズをきっかけに、魔法円が外側から段々狭まってゆく。中心付近で一旦その動きを緩めてから、一気に集束した。

 最後に残されたのは、円の中に複雑な図形とアルファベットが描かれた、一枚の紙切れのようなものだった。


 その紙切れに歩み寄り、拾い上げる螺旋。

「羽佐間さん、それは一体……?」

「レラージュの紋章です。悪魔はこの中へ封じられました」

「なるほど」

 その紋章の回収が、悪魔の逮捕ということなのだろう。

 そう思っていると、螺旋は右手の人差し指と中指でその紋章を挟み、


「螺旋の狭間へ」

 短く唱えた。


「え?」

 紋章は、一瞬にして霧散する。

「…………」

 回収ではなかったのか! これではまるで――


「逮捕ではなく死刑だ、そう思われていますね?」

 そう言って高瀬を見た螺旋の眼の色は、元に戻っていた。

「い――いえ……」

 図星を指されて言葉を継げない高瀬に、彼女は構わず続けた。

「よその軸ならば、よその次元ならば、確かにこの方法は不適切です。しかし、ここは――ここは、我々の世界です。彼ら、つまり悪魔に、干渉する権利はないのです。我々は、我々の世界を守らねばなりません」


 瞳が、冷たい光を帯びていた。自分とは異なる世界を、彼女は見ている。高瀬はそう思った。

「それに、完全に消滅したわけではありません。この世界と混沌との螺旋の狭間に、閉じ込めただけです――私の術名の由来ですよ」

 言い終えた彼女の瞳から、冷たい光は消え、感情のこもらない顔に戻っていた。そして何事もなかったかのうようにインカムに向け、


「終わりました。記操以外の職員は、本部へ引き上げる準備を開始して下さい」

 冷静なトーンで指示を下す。


 そこで高瀬はふと、変化を感じ取った。空気が変わったような、そんな気がするのだ。具体的に、と問われるとその説明は難しかったが、それでも、肌で感じ取る空気の密度が、下がったような気がする。

「……気のせい、だよな?」

「さて、我々も戻りますよ。あとは記操の仕事です」

「判りました。あ、羽佐間さん、これを……」

「?」

 高瀬は、自分の背広を螺旋に掛けてやった。日に日に寒さが増してきているということもあったが、何より、肩から裂けてしまった彼女のスーツが隠していた、大きな傷跡が人目を引くからだ。

「では羽佐間さん、降りましょう」



 校舎を出ると、生まれつきなのか、それともカラーコンタクトでもしているのか、左右の眼の色が異なる長身の男性が立っていた。高級そうな三つ揃いのスーツを上手に着崩している。下手をするとただただチャラくなるところを、絶妙なバランスで品良く見せている辺り、かなりの上級者である。

「やあ螺旋ちゃん、ご苦労様」

「いえ。二階堂(にかいどう)さん方は、これからが本番ですね。後をよろしくお願いします」

「キミもご苦労だったね、高瀬くん」

「あ、いえ……あの……」


 この方はどなたですか、という視線での問いかけを察し、螺旋が説明した。

「記操の室長、二階堂左近(さこん)警視ですよ」

「お、お疲れ様です!」

 室長、警視、という単語に反応して慌てて敬礼をすると、二階堂はひらひらと手を振って、

「それよりさ螺旋ちゃん、今度食事にでも行こうよ」

「お断りします」

「はは、いつもそれだもんなあ。これでも僕は、本気で口説いてるんだぜ?」

 職務中に女性を口説いてどうする、何やってんだあんた、と、上の人間に対して口に出せない自分を情けなく思う高瀬だが、螺旋はさらりと躱し、

「日付が変わる頃には完了しますか」

「……ああ。明日の朝にはもう、この学校に蔓延していた怪奇現象関連の記憶は、すっかり消えてしまってるさ。儚いものだね、記憶って」

 二階堂は肩を竦めた。その仕草がやけに板についていて、外国の俳優でも眺めているかのようだった。

 そして彼は、表情をやや真面目なものにして、しかしどこか飄々とした空気を漂わせながら、校舎の中に入っていった。


「……ありがとうございました」

 歩き出しながら、ふいに螺旋に言われ、

「え?」

 慌てて後を追いかけながら聞き返す。

「背広、助かりました……あまり――人に見られたくない傷ですから……」

「あ、いえ……」

 何かあったのだろうか、と、思う。

 過去の事件か何かに、その傷は関係しているのだろうか、と。

 だが、それは触れてはいけない疑問に思えたため、高瀬は何も訊くことができなかった。


     *    *     *


 次の日。

 変わらず出勤した高瀬に対して、螺旋も再びティーカップを割る失態を繰り返さず、この部屋に彼がいることに、黒峰もつづりも慣れてきているようだった。

 そこへ、ノックが響いて城戸が顔を出す。

「昨日の事後処理の報告」

 それだけ言って、あとはテレパシーで螺旋と話し始めたようだ。時折螺旋が一人で、城戸に向けて小声を発している。



 自分はまだまだだ。

 高瀬はそんなことを考えていた。

 何の能力も持たない自分に、この部署で何ができるのか。それはまだ判らない。それに昨夜だって、螺旋に守られたばかりだ。足を引っ張っているだけなのかもしれない。

 だが、ここを辞めたくない。そう思っていた。


 魔術師を名乗る螺旋、テレポーテーションで自在に移動し、また移動させるつづり、情報を使いこなす黒峰。この魔力捜査室の人々は、普通ではない人物ばかりだ。城戸や華火の能力も興味深い。この特殊捜査部には、そういう能力を持った人間が、他にもたくさんいるのだろう。その中で自分も、何か少しでも役に立てれば。


 そんなことを考えながらコーヒーを注ぐと、注ぎ終えたばかりのカップが手の中から消えた。

「ん?」

「えへへ、コーヒーいただきまーす!」

「あっ、ちょ、何するんですか結崎さん! 今、テレポートさせましたね!?」

「あはは、このくらい日常茶飯事だよ、高瀬くん。最大の防御法を教えてあげよう。マイカップを用意することだよ」

 黒峰に言われて肩を落とした高瀬は、今日中にでも、ここに置くためのマイカップを買いに行くことに決めた。余計な出費は避けたいところだが、コーヒーを淹れる度にこんな目に遭っては堪らない。

 もう一度自分のためにコーヒーを注ぎながら、それでも、自分はこれからもここにいることを選ぶのだろう、と思っていた。

 記憶を消された上で、元いた警視庁捜査一課に戻る? 冗談じゃない。



『辞めなさそうだな、高瀬刑事』

「そうだと良いのですが」

 城戸と螺旋の間でそんなやり取りがなされたことは、誰も知らない。




To be continued...

次回より幕間、「混沌迷路の歩き方」を4回に分けて掲載したのち、第二章に入ります。

「混沌迷路の歩き方」は唯一のコメディパートです。その後の落差をお楽しみいただければと思います(?)

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― 新着の感想 ―
ストーリが面白かったので一気にここまで読んできてしまいました。 とりあえず1件目の事件解決ですね。 また時間のある時に改め手続きを読みに来させてもらいます。
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