転生悪役令嬢は、幼馴染とデートする
「昼間の蛍はただの虫ね」
「そうだな」
富裕層向けの商店街の一角の店にあった蛍籠。庭に時々いる黒い虫にしか見えない。この店はどうしてこれを売ろうと思ったのだろうか。
前世の私は高校生ぐらいまで蛍とは光る虫だと思ってたのだけど、蛍の中でも光る種は少数らしい。高校の時の生物の先生が蛍好きで、陸生がどうの〜水生がどうの〜という話をしていたのだが、文系の私には左から聞いて右から消えていった。小説の登場人物から完璧に覚えられるのにね。
私は図鑑ぐらいでしか蛍を見たことがないけど、一般人が普通にイメージする蛍はゲンジボタルかヘイケボタルらしい。写真を見せられたが私には違いが分からなかった。なぜ蛍にバチバチと火花を飛ばしていそうなお家どうしの名前をつけたのか。一説には蛍の光は死者の魂だという説もあるらしい。なにそれ怖い。私は怖い話が嫌いなんだ。それなら壇ノ浦あたりに大量発生していそうだけども。
「あけたてば 蝉のをりはへ なきくらし よるはほたるの もえこそわたれ」
「え?」
しまった。声に出ていたか。蛍は古来より焦がれる恋のモチーフなのだ。
「前世の古典よ。切ない恋の歌なの」
「恋の歌?」
「ええ。昼は鳴く蝉に自分の泣き声を、夜は蛍火に焦がれる恋を投影するの。恋煩いってやつね」
そういえば鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす、なんていうことわざもあったな。あれこれ言う者よりも何も言わずに胸を秘めている者の方が心中の想いは痛切だっていう意味だったような。私は人の気持ちを察するのが得意じゃないから、秘められるぐらいならはっきり言ってほしいんだけれども。
でも、身分違いだったら秘めるしかないもんね。私と浩然は名家の子女どうしだから何の弊害もないけど、もしどちらかが平民だったり、下級貴族だったりしたら話は違っていたはずだ。
「どうしたんだ? 急に笑顔になって」
「私、運が良かったんだなって思って。もし浩然との身分が違ったらこうやって婚約したりも出来なかったでしょう?」
「そうだな。琳霞が同じ身分でなければ私は人攫いになっていたと思う」
深くは聞かない。こういう笑顔の時の浩然に深く突っ込んではいけないのだ。十年以上の付き合いがそれを語っている。
「そういえば、昨年の蛍狩りで詩人が詠んだ切ない恋の詩を、赦鸞がいたく気に入っていた」
その時は陛下はお姉様と絶賛両片思い中だったからね。切ない恋の歌はさぞ胸に染みたことだろう。
無事に想いが通じ幸せ絶頂の陛下は、よく浩然に惚気けているらしい。浩然は若干ウンザリしているが、何だかんだ陛下に弱いので大人しく聞いてあげてるんだとか。
陛下の母君は、この国の方ではない。先帝陛下の御世での貂慧族との同盟で献上された、異民族の娘だ。
帝国の北方・蒼天地方にはいくつもの遊牧民族が共存している。その中の一つが、貂慧族だ。
蒼天地方には過去に帝国に攻め込んだ民族も多くいて、帝国人の貂慧族への心証は良くない。一方貂慧族も、星陽人のことを「お高くとまった、いけ好かない民族」として嫌っている。当時の執政者は考えた。今は小競り合い程度でも、何かきっかけがあれば大規模な戦闘に発展しかねないー。
それを防ぐために結ばれたのが、帝国と貂慧族の同盟だ。その一環として帝国の公主が貂慧族の長の妻となり、族長の娘が先帝陛下の後宮に入った。
族長の娘は第二皇子を産んだが、それは他の妃の嫉妬を煽った。
ー異民族の娘が生意気な。
皇帝の妃嬪は皇后を筆頭に、上級妃、中級妃、下級妃と続いていく。異民族の娘は、通常ならば下級妃の最下位である才人になるはずだ。だが、娘を後宮に入れるのは貂慧族との同盟のため。だから、娘は中級妃・昭儀に叙された。貂昭儀である。
昭儀というものは本来、それなりに力を持つ貴族の娘しかなれないもの。その座を異民族の娘に与えたことに、他の妃は不満を募らせた。
そんな中生まれた第二皇子、すなわち陛下。これに焦ったのが韋賢妃だ。
韋賢妃の実家・韋家は四大貴族ではないがそれに次ぐ家柄。実家の後ろ盾とその美貌で最下位とはいえ上級妃の地位を射止めた彼女だったが、まだ皇子は産んでいなかった。
ーこのままではあの女に、この座を奪われてしまうかもしれない。
韋賢妃は上級妃の中では唯一、四大貴族の出では無かった。彼女はそのことに強い誇りを覚えていたのかもしれない。
韋賢妃は他の妃の貂昭儀への悪意を煽り、貂昭儀と陛下は命を狙われるようになった。事態を憂えた趙皇后によって陛下は逃がされた。その避難先が、皇帝の妹の嫁ぎ先であり、趙皇后と親しい李貴妃の実家でもある李家。浩然は不遇の時代も傍にいてくれた、唯一心許せる友なのだ。
趙皇后が韋賢妃一派を罰し、皇宮には平和が戻ったが、陛下を疎んじる者は消えなかった。そんな最中病弱だった皇太子が亡くなり、唯一の皇子となった陛下が立太子すると再び命を狙われるようになった。浩然の助けでなんとかなったものの、怖気付いた「皇帝」は「李 浩然」に泣きついた。
ーもうやだ! こんな目に遭うなら、皇帝になんてなりたくない!
ー皇帝になったら、この国の人を幸福にすることができるよ。飢える人がいない国を作ることだってできる。赦鸞、君はきっとそんな皇帝になれると思う。それに君のことは一生私が守るから。
実際、浩然は陛下の危機を何度も救ってきたらしい。そんな浩然に陛下が全幅の信頼を寄せるのは当然で、浩然が陛下を放っておけないのも当然なのだ。
ただ、浩然を通じて陛下とお姉様のイチャコラ話を聞くと微妙な気分にはなるが。問題点はそこだけかな。
「もし私が蛍だったら、君への恋で燃え尽きてしまっているだろうな」
はあ? 突然どうした? あと適切な距離を保ってください。心臓に悪い。
「浩然、近いから。公序良俗に反します。見なさい、近くの人たちが皆凝視しているでしょう。こういうことは二人の時にするべきよ」
「じゃあ今すぐ二人きりになろうか。近くに李家が懇意にしている宿があるんだ」
「そういうのはまだ早いから!」
「そういうことって?」
分かってるくせに、とぼけたフリをするヤツを思いっきり睨みつける。「涙目で上目遣いに睨みつけても食べたくなるだけだぞ」。うるさい。
「……いじわるしないで」
「人聞きの悪いことを言うな。意地悪なんてしていない。可愛がってるだけだ」
甘い微笑みで頬を撫でられ、黒曜石の瞳に吸い込まれる。……もうだめだ。息遣いさえも聞こえるようになったその時ー




