第3章第3話 ~弟子入りを望む少女 3~
2022年7月8日に内容を修正しました。
孤児院内の一室。私がマルシャル院長の案内で通されたその場所は、彼女が常日頃執務等を行っているであろう院長室と思われる場所であった。
「―――どうぞ。こんなモノしかありませんが」
「いや、ありがたく頂こう」
マルシャル院長がティーカップに飲み物を入れ、ソーサーに乗せて私の目の前にあるテーブルの上に置く。
匂いからしておそらく紅茶だろう。そう思った私はカップの取っ手を摘まむように持つと口許へ運び、その中身をゆっくりと飲み込む。
「ふぐっ・・・!?」
「(苦っ・・・!?)」
・・・が、自身の舌に感じられた苦味に思わず顔を顰めてしまった。中身は予想した通り紅茶ではあったし、一応ストレートの紅茶はそこそこの苦みがあるという事を知識で知ってはいたが、しかし予想以上に苦味が強く、また渋味も嫌に感じられて思わず噎せかけた。
「こちらをお使いになりますか?紅茶が飲み辛い人にお出ししている、『スイートイエロー』の花の蜜を煮詰めた作ったシロップです。如何ですか?」
「・・・頂きます」
「(・・・あ、甘い。これなら飲めるな)」
そんな私の表情から色々と察したのだろう。マルシャル院長はスッと黄味掛かった白い蜜が入った一つの瓶をテーブルの上に置いた。
彼女の厚意に甘える様にそれを受け取った私は、備え付けられていたスプーンでその蜜を掬って紅茶に入れ、ある程度混ぜた後に再び紅茶を口に含み、先程よりも苦味や渋味が中和されて飲みやすくなったそれにホッと一息零した。
「どうやらお気に召したようですね?」
「ああ・・・しかし『スイートイエロー』の花の蜜を煮詰めると甘くなる事は知っていたが、此処までの甘みを出すとはな・・・・・・」
驚きの表情をほんの少し浮かべながら私がそう嘆息すると、マルシャル院長がちょっと驚いた様子を見せた。
「あら?フェルヌスさんは『スイートイエロー』の蜜の特性をご存じだったので?」
「まあ、な。昔それでお菓子を作ろうとしていた時期があったんだ。ただその時は、煮詰めた蜜が想定していた甘さにならなくて断念してしまったんだがな・・・」
そう。マルシャル院長に話した通り、一時期私はとある依頼を受けてお菓子を集中して作っていた時期があった。
その依頼とは特定の花の蜜を使ってお菓子を作ると言うモノで、当時はその依頼で出されていた報酬が欲しかったこともあって、結構熱中してお菓子作りに取り組んでいたのだ。
そしてその過程で『スイートイエロー』の花の蜜を使う事があり、元から多少の甘さがあるその蜜を煮詰める事で更なる甘さが引き出せることを知った私は、お菓子の材料として使えないかと試行錯誤を繰り返した。
・・・が、その出来は想定していたよりも幾段か下回るモノだった。試しに作ったクッキーやケーキは確かに甘く作る事には成功したのだが、どこか”あと一歩だけ物足りない”と感じさせ、私の主観では微妙だと判断してしまうモノであったのだ。
紅茶を飲みながら当時の事を思い出した私は、その時の事をマルシャル院長に話し、それを聞いた彼女は「なるほど」と頷いた。
「そういうことでしたか・・・。ええ、ご存じの通り『スイートイエロー』は煮詰めるとその甘さが増す花の蜜です。それだけでも十分に甘いと思える物なのですが、実は苦みのある物と混ぜると甘さがより増す特性もあるみたいでして、ウチでは子供達が嫌う苦みのある食べ物に混ぜるなどして、食べ易くする為に使ったりしているんです」
「アレにそんな特性があったのか・・・・・・今度試してみよう」
そう言いつつ紅茶を飲み干した私は、それから数秒の間を空けた後に再び口を開いた。
「さて、世間話はここまでにして・・・そろそろ私を呼んだ理由を聞かせて欲しいんだが、良いだろうか?」
「ええ、構いません。こちらもそろそろ切り出そうと思っていましたので」
自身がこの場呼ばれた理由である”本題”を聞かせて欲しいと言う私に、マルシャル院長は了承するように頷くとゆっくりと話し始めた。
「貴女を此処へお呼びしたのは他でもありません。貴女がこの孤児院で暮らしている子供の一人であるクーリィの師であるからです」
「私があの子の師だから・・・?それが何の理由に―――いや待て、まさか先程貴女に渡した荷物に何か関係が・・・?」
「お察しの通りです」
ふと自身がこの部屋に案内される直前の光景を脳裏に浮かばせ、マルシャル院長もまた私の考えに同意する様に頷く。
「私の下に届けられたこれは、あの子に、クーリィに関わりのある人物に関係する品なのです」
「・・・関わりのある人物という事は、あの子の両親か・・・もしくはその親族からの・・・?」
「いえ、私の知る限りにおいてですが、あの子に血縁のある者がいるという話は耳にしておりません。・・・私の言う彼女に関わりのある人物とは、あの子が以前暮らしていた孤児院を運営していた院長の事なのです」
「・・・何?」
「(以前暮らしていた、だと?つまりクーリィは元々この孤児院で暮らしていた子供ではなかったという事か?)」
その言葉を耳にした私は、思わずどういう事だと無言で話の続きを催促する。
それを察したマルシャル院長はクーリィの生い立ちを語り始めた。
「あの子がこの孤児院に来たのは今から約半年前の事。それまで彼女はこの国の隣国である『グレフェン王国』の王都のとある孤児院で暮らしていました」
「『グレフェン王国』と言うと・・・確か武芸が盛んな国だったな。以前、この町の図書館で調べ物をしていた時にあの国に関する記述を目にしたことがある」
『グレフェン王国』とは、現在私達がいる『アルゴノブル王国』から見て東の山岳地帯を越えた先にある国であり、武芸に秀でた者達を数多く輩出している事で有名な国だ。
”強者”を尊ぶ風習のある国だという事で、強ければ強いほど敬われる傾向があり、それは王侯貴族から平民に至るまでの共通認識でもあるらしく、異種族であることや身分の優劣よりも優先されているのだそうだ。
ちなみに、かの国が言う”強者”とは戦闘能力の高い者の事だけを言っているわけでは無いらしく、それ意外にも頭の良い者や芸事が達者な者等、何かしらの一芸に秀でている者も同様に優遇されているらしい。
また国全体がそういった気風である為か、これまでの『グレフェン王国』の歴史の中で二百人近い”英雄”の称号を持つ人物や、少なくない数の”勇者”の称号を持つ人物が現れているらしい。
「”国民の平均的な強さ”、という部分に関しては諸外国を圧倒。しかし自分達から戦争を仕掛けたことが無い良識のある国でもある、だったか・・・」
「随分と詳しく調べられたようですね。ええ、彼の国に対する認識はそれで間違いありません。それに付け加えるとすれば福祉事業についても彼の国は優秀な政策を行っており、その一部を我々『エクセシリア教』の教徒達が担わせて頂いております」
『エクセシリア教』が主に担っている福祉事業とは、孤児院の運営から怪我人や病人の治療、国民のメンタルケア等であり、それは国内全域での活動なのだとと語るマルシャル。
そこまで彼女の話を聞いた私は「意外と手広くやっているんだな」と思いつつ、しかしそれが事実だとすれば当然の様に浮かんでくる疑問を彼女へと切り出した。
「だが、それなら余計に分からない事がある。どうしてクーリィはわざわざ他国であるこの国の、しかも辺境と呼ばれているこのライファ領にやって来たんだ?」
「それは・・・・・・」
その問い掛けに、一瞬言葉を詰まらせるマルシャル院長。
そして一秒か二秒程押し黙った後に、彼女は重い溜息を吐きだしながらその口を開いた。
「それは、彼女が暮らしていた孤児院が運営出来なくなったからなのです」
「・・・運営できなくなった?」
「ええ。・・・私もあの子がいた孤児院の院長からの手紙を見て知ったのですが、より具体的に言うと、孤児院を運営する資金が無くなってしまったが為に畳まざるを得なくなったようなのです」
「・・・?どういうことだ?」
マルシャル院長の言うその理由が理解出来なくて思わず首を傾げる。
そんな私の様子を見て、先に孤児院がどのように運営されているのか、から話した方が理解しやすいだろうと判断したのか、マルシャル院長は順序立てて説明してくれた。
「私達『エクセシリア教』が運営している孤児院ですが、その運営資金を得る方法は大きく分けて三つあります。まず一つ目は所属している派閥から送られてくる活動費。続いて二つ目が国からの援助金。そして最後の三つ目が個人の善意からなる寄付です」
その他にも、治療を行った際に貰うお布施―――伏せた言葉を使わない場合は治療費―――や冒険者ギルドでの依頼を受ける等をして資金を得たりもしているそうだが、その辺の詳しい話は今は省かせて頂きますと彼女は言う。
「そして件の孤児院が運営できなくなった理由ですが、所属している派閥及び国から送られる筈の活動費と援助金の両方が止められてしまった事が原因のようなのです」
「・・・は?止められた?」
まるで、打ち切られたとでも言いたげに語るマルシャル院長に私は思わず聞き返した。
「ええ、私もその話を知った時は貴女と同じ反応をしました。最初はそれ等が届くのが遅れているのではないかとも考えたりしたのですが・・・さすがにそれが二ヶ月以上も続いていたとなると・・・・・・」
「おいおい、それは・・・」
「ええ、明らかにおかしいと思います。実際その事について、彼女がいた孤児院の院長である『ジュライオ神父』という人物―――実は私の古い知り合いなのですが―――は自身が所属する火と戦いを司る男神『フレゴル』様を崇めている派閥に問い合わせを行ったそうです。・・・まともな返答は返されなかったそうですが」
そう語るマルシャル院長の表情は、不可解だという感情を一切隠してはいなかった。
「一応、彼が運営していた孤児院にはある程度の蓄えもあったようなのですが、運営を続けるには到底足りず、資金を得るためにあちこちを走り回っていたそうです。ですが・・・」
「それも半年で限界を迎えたという事か。いや、この場合は半年もよく持った方とでも言うべきなのか?・・・しかし、隣国の事だと言うのによくそれだけの情報を得ているな。何か情報源となるモノでもあったりするのか?」
「”私独自の調査”という事にしておいて下さい」
「これでも若い頃はやんちゃをしていまして、その名残なのですよ」と溢すマルシャル院長に、「分かった。なら、そういう事にしておこう」と私は深く追及することをやめた。
下手につついて藪から蛇どころか虎や竜が出てきたら目も当てられないからだ。
「しかし、それでも分からない事がある。繰り返す様だが、どうしてクーリィはこの孤児院に?話を聞く限りでは『グレフェン王国』は福祉事業も『エクセシリア教』と協力して手広くやっていたのだろう?であれば、国内には他の派閥が運営する孤児院もあった筈。ワザワザ国を跨ぐ必要も無い筈だが・・・」
「ええ。貴女の言う通り、本来であればあの子は国内にある他の孤児院へと移される筈でした。ですが、彼の孤児院が置かれていた状況がそれを許してくれなかったようなのです」
”置かれていた状況”という言葉を耳にした私が「どういう事だ?」と問い掛けると、彼女は「ここだけの話にしてほしいのですが」と前置きを置いて続きを語り始めた。
「十分な資金が得られなくなってしまってから二ヶ月が過ぎた頃、この状態が続けば孤児院の運営を維持する事が難しいと考えたジュライオ神父は、一時的に孤児院の子供達を別の孤児院へと移そうと考えていたそうです。資金の節約という面もあったそうですが、なによりもこのままでは子供達を飢えさせてしまうから、と。・・・それから彼は自身の持つ伝手を使い、派閥を同じくする幾つもの孤児院へ子供達を受け入れてくれる様に頼む手紙を出したそうです」
ちなみに、『グレフェン王国』の王都内に存在する男神『フレゴル』を崇めている派閥に属する孤児院はジュライオ神父が運営する所しかなかったらしく、同派閥の孤児院の下へ向かう為には、王都の外へ出る必要があったようだともマルシャル院長は語った。
「そして各孤児院から了承の返事を貰った後、彼は町と町を行き来する複数の旅商人の商隊に子供達を運んでもらうよう手筈を整え、見送ったそうです。―――ですが、そこで彼にとっても予想していなかった事が起こりました」
移す予定だった孤児院へと向かう途中で盗賊による襲撃があったのだと、マルシャル院長はそう語りながら顔を俯かせ、悲しげな表情を浮かべた。
「それにより、旅商人の商隊はその約半数以上が殺され、子供達は・・・!しかも、襲撃が起こったのは一度だけではなく、彼が頼んでいた商隊全てに同様の襲撃があったそうなのです・・・!」
「それは・・・」
「ええ。この言い方は少しあれですが、一度だけであれば偶然だと、運が悪かったのだとそう思えたでしょう。しかし・・・」
「各方面へと旅立った商隊が同時期に、しかも全てだなんて、タイミングが良すぎる。いや、出来過ぎている。まるで初めから計画されていたように、か?」
「はい」
マルシャルが院長言おうとしていた言葉を察して私が先に言うと、その通りだと彼女は頷いた。
「ジュライオ神父もまたその事に気付き、王都の外に子供達を出すのは危険と判断して、王都内にある他の派閥に所属する孤児院へと子供達を預けようとしたそうです。ですが・・・・・・」
マルシャル院長は話している途中で顔を少し伏せ、目を瞑りながらフルフルと首を横に振る。
「預ける予定だった孤児院から受け入れられないと断られたそうです。その理由は収容人数や金銭的な問題といった部分もあったそうですが、一番の理由はそれ等とは別の要因によるものらしく・・・・・・」
「どうやら圧力が掛けられた様なのです」とマルシャル院長はそう言った。
「これは後の調査によって判明したことなのですが、どうやら彼の孤児院の活動費及び資金援助が止められた要因にグレフェン王国の貴族が関わっている可能性がある様なのです。他の派閥に属する孤児院が受け入れを断ったのも、おそらくは・・・・・・」
「なに・・・?」
別の国にいながらそこまでの情報を得ているマルシャル院長の情報収集能力に、私は驚いて思わず瞠目したが、しかしそのすぐ後に「だが、そこまで分かっているのなら・・・」と口を開こうとする。
「その貴族が誰なのかという事については黙秘させてください。飽く迄も現段階では可能性があるだけ。確証を得られている訳ではありませんので。―――その貴族の親族には国の上層部だけでなく教会関係者もいると言えば、お分かりになられますか?」
「・・・・・・・・・」
『グレフェン王国』という一つの国からだけでなく『エクセシリア教』の各派閥から圧力が掛かってくる可能性があるという事を言外に示唆したマルシャル院長に、私はそれ以上何かを言うことなく口を噤んだ。
「話を戻しますが・・・それによって子供達の受け入れを断られたジュライオ神父は、残された子供達を連れて王都を離れる決断をしたのです」
だが、続いて発せられたマルシャル院長のその言葉には思わず口を出さざるを得なかった。
「・・・ん?ちょっとまて、なんでそのジュライオ神父はそんな決断をしたんだ?王都の外は危険だと分かっていたんだよな?」
「ええ。それを承知の上でだったそうです」
「分かっていてやった、と・・・?―――いや待て・・・まさか、先程の話に出ていた例の貴族のせいか?」
「察しが良いですね。ええ、ご推察の通り。―――彼の孤児院が何者かの襲撃を受けたらしいのですよ」
マルシャル院長が言うには、他の孤児院から受け入れを拒否された数日後にジュライオ神父の孤児院が何者かによる襲撃を受けたらしいとのこと。襲撃者に関してはジュライオ神父の手によって全員討ち倒すことはできたそうなのだが、しかしその襲撃によって彼の孤児院は完全に崩壊することになってしまったのだそうだ。
「なるほどな・・・。資金不足だけでなく住む場所まで無くなり、更に再び襲撃が起こる可能性があったからこそ、そういう決断をしたんだな・・・」
「その通りです。そのまま王都にいれば自分の、そして残った子供達の命も危険だと判断した彼は、子供達を連れて王都を出たのです。―――いえ、少し違いますね。この場合はそれしか選択肢が無かった、と言うべきでしょう」
そう話しながら嘆息するマルシャル院長。
その表情は悲しそうに歪んでいて、ジュライオ神父の決断がどれだけ重いモノだったのかに思いを馳せている様でもあった。
「そして彼は此処『アルゴノブル王国』を目指して旅立ちました。子供達と、護衛を依頼した冒険者達と共に」
どうしてこの国だったのか、という理由に関しては二つの理由があったそうだ。
一つはジュライオ神父の知り合いであるマルシャル院長が『アルゴノブル王国』のライファ領にいるから。そしてもう一つが追手の追跡を撒く為に、だ。
「ご存じの通り、『アルゴノブル王国』の周囲は魔物が蔓延る山岳地帯に囲まれています。低地であれば下位種の魔物ぐらいですが、通るルートによっては上位種が出てくることもあります」
「つまり、追手への足止めに魔物を利用したってわけか・・・」
「ええ。実際その考えは上手く行き、彼等は追手を振り切ってこの交易都市ライファへと辿り着きました。―――ジュライオ神父とクーリィだけが」
そう語ったマルシャル院長に、私は「まさか・・・」と呟く。
「流石に国を跨ぐ様な長旅は幼い子供達には無理があり過ぎたのだと、ここまで辿り着いたジュライオ神父は言っていました」
旅の道中で出会う魔物に関しては、ジュライオ神父と護衛の冒険者達によって問題なく退ける事が出来ていた。だが満足に休めない環境に子供達は一人、また一人と倒れていってしまったのだという話をジュライオ神父から聞かされたと、マルシャル院長は語った。
「そのせいもあったのでしょう。この孤児院に来た当初のクーリィは酷く落ち込んだ様子で、毎晩横になりながら泣き腫らしていました。半年が経った頃にはある程度立ち直ってきてはおりましたが、それでもやはり夜中には涙を流しているのは変わりませんでした。―――ですがそれも、貴女方と出会った事で変わりました」
これまでの悲しそうな表情から一変して、マルシャル院長は安心したような笑みを浮かべ始めた。
「今までの塞ぎがちで陰鬱とした雰囲気を纏っていたあの子が、この孤児院に来てから今まで一切我儘を言おうとしなかったあの子が、一変して瞳の中に決意の炎を灯らせ、貴女の弟子になりたいなんて言い出した時は本当に驚きました」
そう言った後で「事件に巻き込まれた後、というのが気になるところですがね・・・」という言葉を付け足していたが。
「ですがそれでも、切っ掛けが何であれ、前を向き始めたという事は喜ばしい事です」
「クーリィが求めたモノが戦う力であったとしてもか?」
「それがあの子の望んだことであれば、私はその背中を押してあげるだけですよ」
そう答えたマルシャル院長の表情は柔らかい笑みを浮かべていた。
その笑みを真正面から見た私は疲れた様な溜め息を吐いた後、困ったような苦笑を溢した。
「・・・はぁ。なるほど。さすがは神に仕える者、と言うべきかなのかな?」
「ほほほっ。そこは子供達を守り育てる孤児院院長だからこそ、と呼んで欲しいですわね」
「・・・いや、仮にも神に仕える者がそれを言っていいのか?」
「構いませんわよ。私達が崇める神々は、特に木と成長を司る神『ライード』様はこの程度の事で目くじらを立てる事はありませんわ。それどころか、そのままで構わないと仰るでしょうね」
「ほほほっ」と笑うマルシャル院長の姿を見た私は思わず「それでいいのか・・・」と呟きながら頬を引き攣らせた。
「―――まあ、話は分かった。だが何故、その話をわざわざ私に・・・?」
「貴女がクーリィの師であるからですよ。あの子の望みに応え、あの子を鍛えてくれる貴女にだからこそ、お教えしておく必要があると私は判断したのです。―――まあ、敢えて今それを語ろうと思ったのは、この手紙が届いたからこそなのですが・・・」
マルシャル院長そう言いながらテーブルの上に置かれていた木箱を手に持った。
「この中に入っていたのは、先程の話に出ていたジュライオ神父が此処から立ち去った後の、知り合いの冒険者に頼んで調べて貰った彼の足跡が子細に書かれた報告書です」
「足跡ってことは、やはりジュライオ神父はこの孤児院にはいなかったんだな・・・」
「姿が見えなかったから、ずっと疑問に思っていたんだ」と私が呟くと、それを耳にしたマルシャル院長はその通りだと頷いた。
「ええ。ジュライオ神父は私にクーリィを預けた後、自分達が狙われた理由を調べるためにこの孤児院から立ち去りました。その後の彼の足取りはこの領地の北方、『アルゴノブル王国』の王都を経由し、そしてそこから見て東にある山岳地帯を通って『グレフェン王国』に入ったと報告書には書かれておりました。・・・ですが、『グレフェン王国』の西にある領地。『ディスラント領』と呼ばれる場所で姿が確認されたのを最後に、そこから先の足取りは途絶えてしまったようですが・・・」
「いったいどこに隠れたのやら・・・」と頬に手を当てて嘆息するマルシャル院長。
彼女のその様子は、彼の身の心配をしているというよりも、何か変なことをするのではないかと、どちらかと言えばそちらの方の心配が強い様子であった。
「命の心配はしていないんだな」
「ええ。彼はあれで結構な腕前の持ち主ですからね。そうそう死にはしないでしょうから」
「上位種の魔物とも十分に渡り合えるだけの実力はある人ですし、機会が巡れば勝手に出て来るでしょう」と言うマルシャル院長。
その言葉に私は「そうか・・・」と苦笑を溢した。
「まあ、私は件のジュライオ神父に会ったことはないからな。彼の知り合いである貴女がそう言うのなら、それでいいさ。・・・それで?他に話しておくべき事は何かあるのか?」
「そうですね・・・・・・ああ、そうだ。あと一つだけ、貴女に言いたいことがあったのです」
他に話はあるのかという私の問いに、マルシャル院長は少しだけ目を瞑る。
そして閉じていた瞼を開けるとゆっくりと私に向かって頭を下げた。
「―――フェルヌスさん。どうか、クーリィの事をよろしくお願いします」
その姿は、まるで親が自らの子を託さんとしている様にも見え、その声音は慈愛の感情が色濃く感じられるものだった。
そんな彼女の姿を目にし、その言葉を耳にした私は、返す様に柔らかな笑みを浮かべながらこう応えた。
「―――ああ、マルシャル院長。私の出来る範囲で面倒をみてやるさ」
次回投稿は4/16です。
2023年2月23日に内容の一部変更を行いました。




