第1章第13話 ~邪なる嘲笑する竜 後編~
遠くからフェルヌスと紫水晶のドラゴンとの戦いを見ていた僕は、言葉を失くして絶句していた。
一対一の技の応酬。フェルヌスさんが持つ斧槍から放たれる一撃に、ドラゴンの体全体を使った質量攻撃。
それはまるで”龍虎相搏つ”といった光景であり、それを目にしていた僕は「自分だったら―――いや、自分じゃなくても普通の人間であれば、掠っただけで即死する事は間違いない戦いだろう」と思った。
なにせ、一人と一体が互いに繰り出す一撃一撃が凄まじい破壊力を有しており、攻撃の度に余波として発生する衝撃波だけでも土砂と共に大量の木々を吹き飛ばし、大地は陥没と隆起を繰り返して無数の凹凸が出来ていき、辺り一帯が瞬く間に焦土へと変えられていくのだ。フェルヌスさんが物凄く強い事は、これまで遭遇し、戦ってきた魔物達との戦闘の様子を見て察してはいたが、しかし今自分の目の前で行われている戦闘の規模はそれらの比ではない。
その光景を目にした僕は内心で恐怖の感情を抱いていた。ブラッドグリズリーを瞬殺して見せた紫水晶のドラゴンもそうだが、そんな存在と互角に渡り合う事が出来ているフェルヌスさんの姿にもだ。
「・・・ううん、違う。僕が怖いと思っているのは、決して彼女に対してじゃない」
だけど、僕はそこで首を横に振った。
そう、違うのだ。確かに自分はドラゴンという存在と互角に渡り合うフェルヌスさんの姿を見て恐ろしいという感情を抱いてはいるが、しかしそれは飽く迄彼女の持つ力に対してだけであり、彼女の存在そのものに対してではなかった。
なにせ、フェルヌスさんは自分にとっては恩人に当たる人だ。自分の家族以外で優しく接してくれた人だ。だからこそ僕は、彼女の事をあまり怖いとは思っていなかった。むしろどちらかと言えば、あの紫水晶のドラゴンのせいでフェルヌスさんが殺されてしまうのではないかという事に対してこそ、不安と恐怖を覚えていた。
だが、その気持ちは次第に治まっていき、徐々に安心感の方が強くなっていくのを感じていた。
それは一対一の戦いの中で、紫水晶のドラゴンよりもフェルヌスさんの方が有利になって行く光景を目にしたからだ。
「す、凄い・・・!あのドラゴンの硬そうな鱗を壊すだなんて・・・!?」
フェルヌスさんが紫水晶のドラゴンの強固そうな胸、肩、顔に強烈な一撃を叩き込み、破壊していく光景を目にした僕は、驚きと興奮を覚え、彼女なら勝てるかもしれないという期待を抱いた。
「あぁっ・・・!?フェルヌスさん・・・!?」
しかし、その期待はフェルヌスさんが紫水晶のドラゴンが反撃として振るった尻尾によって吹き飛ばされ、更には七発の火球と複数の黒い斬撃が追撃として放たれた光景を目にして、焦りと心配に変わった。
「・・・ッ!?」
まさしく必殺と呼ぶに相応しいと思える攻撃がフェルヌスさんへと殺到する。
しかし、そんな攻撃を前にしても彼女は慌てる事なく冷静に対処していった。
七発発射された火球の内二発は食らってしまったようだったが、それ以降は体勢を整え、その手に持つ斧槍を振るうことで、迫り来る残りの火球と黒い斬撃を全て迎撃して見せた。
「す、すごい・・・!!」
僕は思わず感嘆の声を上げた。なにせそれは、両親から聞かされていた寝物語の英雄譚にでも出てきそうな光景だったのだから。
もし自分があの場所にいれば、そのまま消し炭になるか、もしくは細切れの肉片になっていたのは間違いないだろう。
だからこそ、それらの攻撃を全て迎撃して見せたフェルヌスさんの姿を見た僕は「本当に凄い・・・!!」とそう思った。
「―――ッ!?」
そうして、フェルヌスさんと紫水晶のドラゴンの戦闘に見入っていた僕は―――そこで唐突に、ゾワリッ!?と背筋が粟立つのを感じた。
【危険感知】による警告だ。それが紫水晶のドラゴンがいる方向から感じられた僕は、そちらへと恐る恐る視線を向ける。
「・・・ヒッ!?」
その瞬間、僕は悲鳴を上げた。
何故ならそれは、先程までフェルヌスさんとの戦闘に集中していた筈の紫水晶のドラゴンが僕の事をジッと見つめていたからであり、そして半開きとなっている口の中で渦を巻くように燃え盛る黒い炎が、今にも僕に向かって放たれようとしていたからだった。
エビルモークドラゴンは苛立っていた。それは自らの体とプライドを傷つけたフェルヌスという存在を殺すどころか、まともなダメージも与える事すらできていなかったからだ。
最初、エビルモークドラゴンはフェルヌスの事を、これまで自身に対して歯向かってきたモノ達と同じように、小さな虫でも潰すかのように殺せるものだと思っていた。
だが、現実はそうはならなかった。これまでフェルヌスに向けて自身が放ってきた様々な技―――”火属性の火球のブレスを発射する”という魔技である『バーストフレイム』は容易く迎撃され、ならばと状態異常を付与して弱らせようと考えて放った《ダークウェポン》で強化した《ネイルショット》も全て防がれてしまった。
「グルゥゥッ・・・!」
苛立ちから思わず唸り声を上げてしまう。
どうすればあの小娘を殺せるのか?そう思案していたエビルモークドラゴンは、そこで丁度良さそうな存在を視界に捉えた。
それはフェルヌスと共にいた、彼女よりも更に矮小で儚そうな存在である人間種の少年―――アルクだ。
自身が視線を向けただけで恐怖で体をガタガタと震えさせる彼の姿を目にしたエビルモークドラゴンは、まるで良い事を思い付いたとでも言うかの様に、その口端を笑みの形に引き攣らせた。
その脳裏にはフェルヌス達と初めて出会った時の光景が思い出されており、その時にエビルモークドラゴンが目にしたのはアルクを守ろうとするフェルヌスの姿であった。
おそらくこの少年に対して攻撃を行えば、あの小娘は命の危機に瀕した彼を守ろうと助けに入り、自ら肉の壁になるだろう。よしんば来なかったとしても、小娘が守ろうとしていたモノを目の前で殺してやれば、彼を守れなかった事に絶望して打ち拉がれる事だろう。
その様を想像し、そうなれば多少気分がスッキリするだろうと考えたエビルモークドラゴンは、その思いつきを実行に移そうと口を軽く開き、口腔内に魔力を収束させつつ黒い炎へと変化させ始めた。
「あ・・・ああぁぁぁ・・・・・・!?」
殺意に塗れた瞳をこちらに向け、さらにはブラッドグリズリーを一瞬で消し炭にした黒い炎を今にも吐き出そうとしているドラゴンの姿を目にした僕は、恐怖のあまり後ずさりしようとして―――しかし足に上手く力が入らずに尻餅をついてしまった。
「(逃げ、逃げなきゃ、逃げなきゃ・・・!じゃなきゃ、死ぬ。死んじゃう・・・!)」
必死になってドラゴンから遠ざかろうとするも、その意思に反して僕の体は動いてはくれない。両腕だけは何とか動かす事はできたのだが、しかしその速さはまるで亀の歩みの如くであり、ハッキリ言って逃げるどころかまともな移動にすらなっていなかった。
このままでは死ぬ。殺されてしまう。
そう思った僕は目尻に涙を溜めながらドラゴンの姿を唯々呆然と見上げ―――
「―――あっ・・・・・・」
―――その時だった。走馬灯の様なモノを自分が目にしたのは。
最初に目にしたのは自分が生まれ育った故郷の村だった。
あの頃は本当に幸せだと思える日々だった。『祝福の儀』で自分が勇者に成れる資格を持っていると分かるまでは大好きな両親と一緒に暮らしたり、幼馴染である二人の少年少女と仲良く遊んだり、知り合いの村人達にも優しくされるなどして、ただの村の子供の一人として過ごす事ができていたのだから。
その光景を目にした僕は、懐かしさを覚えて思わず頬を緩め―――しかし、次の瞬間に切り替わったエプーアの町での日々の光景を目にした途端、その感情は絶望へと塗り替わった。
暴力、恐喝、騙し、裏切り。
まさに地獄に等しいとさえ思えたその町で自分が頻繁に受けていた仕打ちを映像として見ていた僕は、そこでふとある事を思い出した。
それは何度も何度も思い浮かびながらも、しかしその度に心の奥底に押し込んでいた自身が抱いていた望みだった。
死にたかった。
終わりたかった。
そして、もう休みたかった。
終わらない苦しみ。尽きない絶望。地べたを這いずりながらでも必死になって生きてきたのは、初めは勇者になるという夢を追いかけてだった。
でも、その夢は時が経つにつれて朽ちて行き、ほんの僅かに心に抱いていた希望すらも腐り落ちて無くなっていった。
それでも生きていたのは、ただ単に自分に勇気が―――死ぬという選択肢を選ぶ勇気がなかったからだ。『始まりの森』で崖の上から落ちて死にかけた時には、「ああ、これでようやく楽になれるんだ」と内心では安堵の様な感情さえ抱いたりもした。
けれど何の偶然か、僕はフェルヌスさんと出会い、そして彼女の手によって救われた。
命だけではない、心さえもだ。
彼女と出会ってからの数日間は、僕がとっくの昔に失くしていたと思っていた気持ちを、夢を、再び思い出させるものだった。
彼女が作ってくれた料理を食べた時は、とても美味しくてどこか懐かしさを感じさせ、飢えだけでなく、ずっと心の中で抱いていた空虚ささえも満たしていった。
洞窟でゴブリン達と遭遇した時は、彼女の手によってゴブリン達は瞬殺されてしまったけれど、でもその時に僕は、どうして自分が勇者を目指そうとしたのか、その理由を思い出すことができた。
そして、自分の過去をフェルヌスさんに語ったあの夜の日。後になって恥ずかしさを覚えはしたけれど、どこか母親の様な姉の様な、そんな雰囲気を纏うフェルヌスさんに甘えていたあの時、僕は安心感を覚え、幸せを感じていた。
僕にとってはあのエプーアの町で過ごしてきた数年間よりも、フェルヌスさんと過ごした数日間の方がよっぽど輝いている様に思えてならなかった。
だからこそ、僕は思わず呟いてしまったのだ。「―――ああ・・・もう少し、生きてみたかったな」と。
「・・・ガァァァアアアアアアーーーッ!!」
その瞬間だった。ドラゴンが燃え盛る黒い炎を僕に向かって放ったのは。
轟音を上げながら地面を舐める様に走る業火。それが自身に迫り来る光景を目にした僕は、己の死を覚悟し、ゆっくりと瞼を閉ざそうとして―――
「―――ふざけるなぁっ!!」
―――次の瞬間、目の前で走った一筋の赤い閃光によって黒い炎が切り裂かれる光景を目にして、閉じかけていたその目を大きく見開いた。
森の中を駆け抜け、あと一歩でアルクの元に辿りつける位置にまで来ていた時、そこで私は彼が浮かべた透明感さえ感じさせる笑みを見て、そして彼が口にした言葉を耳にして、ギリッ・・・!と歯軋りをした。
「ふざけるな・・・・・・」
その表情がどういったものなのかを私は知っていた。
それは己の死期を悟った者が浮かべる顔だった。
生きることを諦めた者が浮かべる顔だった。
「ふざけるなっ・・・!」
その言葉の意味がどういったものなのかを私は気付いていた。
それは死ぬことを拒む言葉だった。
もっともっと生きていたいという生を望む言葉だった。
「―――ふざけるなぁっ!!」
そんなアルクの姿を目にした私は、己の頭の中が一瞬真っ白になる感覚を覚え、続いて苛立ちが、悲しみが、そして怒りが、己の喉元にまで一気に込み上げてくるのを感じて―――ブチ切れた。
「―――《封魔剣》!」
技名を叫びながら、右手に持つ斧槍に魔力を込める。
その瞬間、斧槍の斧刃部分を包み込む様に青み掛かった黒い霧が発生して渦を巻き始める。
そして地面を一際力強く踏み込んでアルクの前へと飛び出した俺は、両手で持った斧槍を上段に構え、そのまま眼前に迫り来るエビルモークドラゴンが放った黒い炎に向けて振り下ろした。
「ぶった切れろぉぉっーーー!!」
その瞬間、実体がない筈の黒い炎が真っ二つに断ち切られ、左右に裂ける様にして分かたれた。
「ハッ、やっぱりあの黒い炎は魔技に属する技だったか・・・!!」
地面に着地しながらその光景を目にした俺は、エビルモークドラゴンが放った黒い炎のブレスが自身の予想通りの技―――”広範囲の対象を焼き、更に”腐食”の状態異常も付与する”という魔技である《ダークフレイムブレス》であった事に内心で笑みを浮かべた。
どうしてそれが分かったのかと言えば、それはブラッドグリズリーが焼失していく過程を目にしたからだ。
あの時、エビルモークドラゴンに黒い炎を掛けられたブラッドグリズリーの体は焼かれながらボロボロと崩れ落ちていった。・・・がしかし、普通に燃えただけではあんな現象は起こりえない。いくらなんでも崩れ落ちていくスピードが早すぎる。火属性に特化したドラゴンのブレスでも、真っ黒に焦げはしても形は保たれている焼死体が残るのだから、余計にそう思ったのだ。
俺が持つ知識の中でそんな現象を起こすモノに該当するのは一つだけ。”腐食”の状態異常だ。
”腐食”とは、基本的には武器や防具を腐らせてその耐久度を加速度的に下げていき、それに加えて肉体すらも腐らせ、時間経過で『VIT』の数値を下げていくという効果の状態異常だ。『VIT』の数値がゼロを超えてマイナスにまで突入した場合、『VIT』の代わりに『HP』の最大値を徐々に下げていくという仕様もある為、数ある状態異常の中でも一番受けたくない状態異常トップスリーの一つに数えられているモノでもある。
そして、”腐食”の状態異常を付与する効果のブレスは、俺の知る限りでは《ダークフレイムブレス》という技しか知らない。
もう一つ付け加えて言えば、竜種が放つブレスは二通りのパターンが存在しており、一つは体内にある器官から放射される物質型。もう一つが魔力を用いて放たれるエネルギー型だ。
《ダークフレイムブレス》は分類上は後者に当たり、だからこそ《封魔剣》―――”所持している武器に魔法を掻き消す霧を纏わせる”という、剣と名前が付いているが実際には魔技に該当している技でもって対処する事ができたのだ。
「・・・・・・ッ!」
「うぇっ・・・!?」
そして《封魔剣》の霧を纏わせた斧槍を横に切り払い、辺りに散っていた《ダークフレイムブレス》の残り火を完全に掻き消した俺は、怒りの感情を込めた鋭い視線を、ギンッと肩越しにアルクへと向けた。
その視線を受けたアルクはビクリと反射的に体を震わせながら、思わずと言った風に後ろへ一歩下がる。
その様子は助けられた事に関しては素直に嬉しいとは思っているものの、どうして俺に睨まれているのか分からず困惑している、と言いたげな感じだ。
「たった十年ぽっちしか生きていないガキが、何を一生分生きたような顔して死のうとしてやがるっ!!」
そんなアルクの様子を目にした俺は、己が胸中に更なる怒りが滾るのを感じながら振り向き、開口一番にそう怒鳴った。
俺は怒っていた。
それはアルクを殺そうとしたエビルモークドラゴンに対して?
・・・いいや、違う。俺が怒っていたのは、まだたった十年しか生きていないのにまるで自分の人生に満足した老人の様に達観し、笑みを浮かべながら死ぬことを受け入れようとしたアルクに対してだ。
「ふざけるな!ああもう、マジでふざけるなクソッタレが!!」
己の胸中に怒りや悲しみ、憎悪に悔しさ。他にも色々な負の感情が入り混じり、まるでマグマの様にグツグツと煮え滾って沸き立つのを感じる。自分でもいったいどれが今の自分が抱いている感情なのか分からなくなる程に。
だがそれでも、そんな風に複雑に入り混じった感情の中でも一つだけ共通する部分があった。
”気に入らない”。
それが現在進行形でブチ切れている俺が抱いている思いであり、答えであった。
「俺は、お前のそんな顔を見るために助けたわけじゃねぇ!お前を死なせるためにここまで連れて来たわけでもねぇ!」
抑える事の出来ない感情の爆発。その影響は自身の表情と口調に如実に表れていた。
普段の落ち着いている私の姿と比べれば、激情のままに叫ぶ今の俺の姿は、完全に真逆だと言えよう。
「気に入らない、気に入らない、気に入らない!お前がそんな顔をすることも、お前にそんな顔をさせる奴等も、何かもが気に入らないっ!!」
目元がより鋭く吊り上がり、縦に細くなった瞳孔が怒りの感情をありありと感じさせ、獣の様に歯を剥き出しにして唸る。
ギシリと軋む音が鳴る程の力で、右手に持つ斧槍の柄を強く握り締める。
「だから・・・!そう、だから!お前にそんな顔をさせる元凶全てを、俺がブッ倒すッ!!!」
エビルモークドラゴンへ鋭い視線を向けると同時にそう宣言した俺は、斧槍を肩に担ぐと、自身の左手を地面に着けてクラウチングスタートに近い体勢を取る。
その姿は、傍から見ればまるで今にも獲物に飛び掛からんとする肉食獣の様にも見えた事だろう。
「覚悟しろよ、テメェ・・・!ブッ潰して、ブッ壊して、ブッ殺してやるぞ、このクソトカゲがぁっ!!」
そして、俺は憤怒と憎悪と殺意が色濃く混じった咆哮を上げると同時に一歩踏み出し、そのままエビルモークドラゴンへ向かって駆け出した。




