第陸話
集合時間になっても来る気配がないノエルを探しに行こうと提案したのは、意外なことにグレンだった。
もっとも、それは彼女の安全を気遣ってのことではなく、
「せめて死体ぐらい埋めてやらんと寝覚めが悪い」
という血も涙もない判断の元によるものだった。
「なぜノエルさんが亡くなっている事を前提に話を進めようとしているのですか」
「いやー、ぶっちゃけ俺、あのクソガキの力量なんてこれっぽっちも信用してないし」
「……………………」
血や涙どころか、この男には人としての魂すら宿っていないのかもしれない。
「と言う訳で捜索に行く。お前も来るか?」
「一人で待っているのも暇ですし、同行させていただきます」
半ば諦めつつ、カレンは首肯する。
そんなやり取りをしつつグレンは歩みを進めた。
もうすでに日はどっぷりと暮れ、東の空には蒼白月が青白い月光を地表に降り注いでいた。四つの月の光の中で、蒼白月は黄金月の次に明るい。グレンはその光の中でノエルが残して行ったのであろう足跡を辿っていった。
「よく見えますね」
「ま、ガキの頃はシカ狩りで飯食ってたし。山ん中の足跡探しとか、どっちかと言えばこっちが本職だ」
「さらりとそれっぽい嘘を吐かないでください。あなたの幼少期はスラムのギャングだったでしょう。前に教えてくれたじゃないですか」
「実はそっちの方が嘘なんだ」
「というのも嘘でしょう」
どうでもいい雑談を繰り広げつつ、グレンは実のところ途中からノエルの足跡なんて辿ってはいなかった。
カレンも気付いているようなのであえて触れなかったが、風に混じって獣の血の臭いが混じっていたのだ。それほど時間は経っていないが、その量が尋常ではない。
まさかノエルが一人でやったとは露ほども思っていないが、一応確認する必要があると判断した。
「それにしても……」
歩を進めるために血の臭いが強くなっていく。
「この先で何があった……?」
「急いだ方がいいようですね」
「だな」
ダンッ。
二人は同時に地面を蹴った。それは昼間にノエルに見せたものよりも格段にスピードが違っていた。
ものの数分で現場に到着する。
「んなっ!?」
そこでさすがのグレンも、驚愕の声を上げた。
それは辺りに散らばった無数のグレーウルフの骸に対してであり、その中心でぐったりと気絶している赤い少女に対してであり――今まさに少女の細首に牙を突き立てようとしていた男に対して上げられた。
「これは……!」
そしてその男が、指名手配中で今回のターゲットであるジョン・ドゥであることに対しても、十分に驚愕に値した。
「うん……?」
突如現れた闖入者に、ドゥは至極面倒臭そうに視線を巡らした。
「……今宵は邪魔が多い」
ドゥは呟く。
「せっかくオオカミ共で小腹を満たそうと思えば小娘に邪魔をされ、伸した小娘を頂こうとすれば黒と白に邪魔をされ……。全く、人肉は踊り食いから徐々に殺して喰らうのが一番旨いというに」
「……ジョン・ドゥだな?」
分かってはいつつも、グレンは訊ねる。
「いかにも」
ドゥは大して興味もなさそうに頷く。
「手前が『自啓団』を率いし者――ジョン・ドゥだ」
「そこ動くなよ。今捕縛してギルドに引き渡してやる」
「何かと思えば賞金稼ぎの傭兵か。傭兵――特に男は好かん。無闇やたらに鍛えおって、肉が硬くて食えたものじゃない」
だが、とドゥはグレンの隣、カレンに目をやった。
「女――特に少女は傭兵だろうと何であろうと実に好ましい。むしろ鍛えて引き締まっていた方が歯応えがあって手前の好みだ」
「……………………」
カレンは無意識に眉を顰める。生理的嫌悪感が理性を上回ったのだ。
「とりあえず男の方は殺そう。女の方は気絶させよう。この女を喰らうのはそれからでもいいであろう」
「遺言は自分の好き嫌いだけか?」
グレンはギイと軋むように笑った。
そしてドンッ! と破裂音を立てるように駆け出し、ドゥと肉薄する。
「ぬっ」
ドゥは顔を顰め、一歩引いてグレンが繰り出した右拳を寸での所でかわした。青白い頬にミミズ腫れが奔る。
その傷とも言えない傷は、一瞬で何事もなかったかのように消え去った。
その異様な回復力が、この男が人間をやめた証でもあった。
「ウヌは――なかなか強い」
「今さら気付いたか!」
グレンは呼吸を乱すことなく、さらに連続で拳を繰り出す。だがその全てがドゥには紙一重で届かない。
「ちっ」
だがそれはドゥにとっても同じだった。
グレンの攻撃があまりにも速く、鋭いため避けるだけで反撃に出れないのだ。
「……これでは埒が明かぬな」
ピタッと、ドゥの動きが一瞬止まる。グレンはその意図が掴めず、無防備になった脇腹に裏券を叩き込もうとして、
「うっ!」
二歩三歩と引き下がった。
ドゥが脚を蹴り上げて落ち葉を撒き散らしたからだ。
目潰しである。
「こんなんで動きを封じれると思うな!」
「もちろん思ってはおらぬよ」
グレンが退いたその一瞬の隙を突き、ドゥは聞き取れない声で呟く。
「Summon」
「げっ」
ドゥの唱えたルーンに呼応するように、彼を中心とする半径三十メートル以内にいくつもの魔法陣が浮かび上がった。
「魔法まで使えんのか!」
「使えぬと誰が言った?」
不気味に笑い、ドゥは指を弾いた。
「出て来い」
その言葉に答えるように、魔法陣から腐臭が溢れ出す。ズルズルと引き摺るような音が周囲に響き、何やら唸り声まで聞こえだした。
「……何体いるんだよ」
魔法陣から現れたのは大量のゾンビだった。それも小動物から猛獣、人間や小型のドラゴンのものまで多種多様だった。
「手前の食べ残しだ。手強かった者や思い入れのある者はこうして残しておくのが、もう一つの趣味でね」
「最っ悪の趣味だな!」
グレンは叫び、改めて周囲を見渡す。大小合わせて五十近いゾンビが犇めき合っている。カレンと気絶したままのノエルはギリギリでゾンビの群れに囲まれてはいないようだ。
どうやらグレンだけは本気で殺すつもりらしい。
ドゥのそんな意図が読めても、グレンは全く慌てる様子を見せない。
むしろこの状況を楽しんでいる節すらある。
相変わらず軋むような笑みを浮かべている。
「……何を笑っている」
そんなグレンの態度が気に食わないのか、ドラゴンゾンビの肩に乗ってグレンを見下ろしていたドゥは不機嫌そうに訊ねた。
「何を笑っている」
もう一度訊ねる。
そしてグレンは笑って答える。
「ははっ! これが笑わずにいられるか。久しぶりだ! ここまで強い奴と出会えるのはな! かはっ! 肉弾戦でも俺と引けをとらず、さらにはこんなにウジャウジャと一片に召喚できる魔法の使い手!」
最高だ!!
グレンの嬉々とした声が夜の山に木霊する。
「ようやく、こいつを抜けるだけの相手に出会えた!」
グレンは、黒い鞘に収められた長剣の柄に手を伸ばした。
そしてそれを一気に抜き放つ。
ズラアアアァァァッ!
グレンの笑みの如し軋んだ音と共に、その刀身が姿を現す。
「さーて、久しぶりに暴れようぜ【紅蓮】!」
その刀身は、毒々しいほどに紅く、鮮血のごとき光を湛えていた。




