第壱話
不安一杯のまま本編、開始します……!
「旅費が尽きそうです」
休憩がてら入った酒場で、グレンは連れの少女にそう告げられた。
「は? いやいやカレンちゃん。意味がよく分からないんだけど」
黒いコートに黒いズボン、黒いブーツに黒い鞘に収められた長剣を身に付けた、黒髪のまさしく黒ずくめの男である。紅蓮の名を冠しながらも赤色の要素は一つも表れていない。だが唯一、その瞳だけは黄金月のような金色である。
「ですから、旅費が尽きようとしています」
グレンの反対側の席に座った少女は、座席だけでなく全てが正反対だった。旅には向かないであろう少女趣味のワンピースや、それに似合わぬ安全靴や腰に差された太刀、そして腰まで伸びた柔らかそうな髪の全てが純白である。そしてその瞳は深い瑠璃色であり、その名の通り可憐な顔立ちと相まって、雪の精霊のような美しさがあった。
カレンは未だに何を言っているのか理解できていない旅の連れに告げる。
「具体的に言いますと、今現在の私達の所持金は銀貨一枚と銅貨十枚です。このままだと二日後には野宿が決定します」
「いやいやカレンちゃん。この前の大仕事の時の報酬はどうした?」
「ああ、前々回のサンドワーム駆除の事ですか」
「そうそれ。わざわざ辺境の砂漠地帯まで行って馬鹿でかいヘビみたいなあの化物を十頭も倒したじゃないか。一頭につき金貨五枚の大収入だったじゃないか」
「ええ、そうですね。あの仕事のおかげで私達の元には金貨五十枚の史上最高額の収入が入りました」
「なのに何で今は銀貨一枚と少ししかないんだよ」
「いえ、グレン……あなたはいつの話をしているんですか」
カレンはその凍った水底のような瑠璃色の瞳をグレンに向けた。
「サンドワーム駆除の依頼を受けたのは半年以上も前のことですよ」
「……………………」
「その間、あなたは碌に働きもせず、飲酒に勤しんでいたではありませんか」
「……で、でもよ! 一回だけど仕事はしたじゃないか!」
「砂漠から帰る時についでに受けた荷車の護衛ですか? 確か報酬は銀貨五枚でしたね」
「……………………」
「つまりグレン。あなたはこの半年、金貨五十枚の収入のほぼ全てを飲酒に使用していたのです」
「いやいや。いやいやカレンちゃん」
グレンは首を振る。その表情は軽く硬直していた。
「そっち方面はカレンちゃんに全部任せていたろ。俺は金銭管理関係が苦手だからって。そんなヤバイ状況になる前に止めてくれたら良かったじゃないか」
「まあそう言われれば私の責任でもあるのですけどね。まさか朝起きて宿のベッドにあなたの姿が無いと思ったら、早々に酒場に行っていたとは思いもしなかったので。それも半年間、欠かすことなく」
「……………………」
さすがに言い訳をする事も出来なくなり、グレンはただただ押し黙った。
二人旅を続けて月日は大分経つが、口で勝てた例は一度も無かった。と言うか、普段は優しい光を湛えているあの瑠璃色の瞳に、凍るような光が宿った瞬間、基本的にグレンの負けが決定する。
旅の連れにして仕事の相方である白い少女は、完全にお怒りだった。
気のせいか、青筋が浮いている様にも見える。
「まあ一度は痛い目に遭っておいた方が良いと思って放って置いたのですが、さすがにこれ以上は私の生活にも支障を来たす所だったので報告しました」
「は、はは……」
「とりあえず、暫くはこの町に腰を据えて簡単な仕事を請けましょう。今日生きていくだけでも精一杯な状況ですから。余裕が出てきたら遠出の必要がある依頼へと内容を変更していきます。宜しいですね?」
「りょ、了解……」
大方の予想通り、グレン敗北。
だがグレンが素直に頭を下げると――正確には力無くテーブルに額を打ち付けると――カレンの瞳に優しさが戻ってきた。
「それでは出発前にリストを確認しましょうか。案外獲物は近くにいるかもしれませんからね」
「獲物ねえ……。ぱっと見の判断だと、この町はずいぶんと平和な雰囲気があるけどな」
呟きながら、グレンは足元に置いていた麻袋から、一冊の分厚い辞書のような本を取り出した。
本のタイトルは――『全国指名手配犯リスト』とあった。開くと、そこにはびっしりと人相画と特徴、そして報奨金が記されている。
「あー、やっぱこの周辺では大した獲物はいないようだな。せいぜい食い逃げの常習犯が一人なかなか捕まっていないくらいか」
「何とも平和な指名手配ですね」
「報奨金は現行犯捕縛のみ銀貨三枚」
「はした金ですね」
グレンはリストをパラパラと捲っていくが、どれもこれも大した収入にはならないらしく、次々と却下していく。
「あら……?」
と、リストを覗き込んでいたカレンが声を上げ、次のページに進もうとしたグレンの手を止めた。
「この辺りでは『自啓団』を名乗る盗賊が出没しているそうですね」
「ん? ああ、でもこいつらが最後に町を襲撃したのは一月前だろ? もうさすがにこの町近くにはいないんじゃないか?」
「そうかもしれませんね。窃盗、放火、強盗に殺人の常習犯が一箇所にそう何日も居座るとは思えませんし――」
「全員動くな!」
と。
酒場に野太い怒号が木霊し、そうかと思えばどやどやと恐ろしい体躯の大男が何人も酒場に雪崩れ込んでくる。
誰も彼もが皮のベストに帯剣し、手には大仰なナイフが握られている。そして何故か全員、頭を剃り上げており、あらわになった頭皮に罵詈雑言な単語を刺青していた。
「俺達は自啓団だ! 全員金目の物を出しな! 素直に出せば命だけは助けてやる!」
リーダーと思しき大男が唾を撒き散らしながら怒鳴り込む。
その場にいた酒場の店主を含む全員がその迫力に震え上がっていた。女子供は悲鳴を上げ、男達も身を竦ませている。
いや、二人を除いて、だ。
「……いましたね」
「まーだこの辺りうろちょろしてたのか……」
その二人、グレンとカレンは涼しい顔でグラスに入った酒と水を口にしていた。慌てる素振りすら見せない。グレンに至っては、ニヤニヤと楽しそうに笑ってすらいた。
そんな二人の態度が幸か不幸か目に入ったリーダー格は、ギョロリと険しい視線を投げかけた。
「おいテメェら! 何、澄ましたツラしてんだゴラァ!」
巻き舌で怒鳴りつつ、ダンダンと無駄にでかい足音を立てながら近づいてくる。
「さっさと金目の物を出しやがれ!」
「断る!」
グレンがいっそ清々しいといえるほど、キッパリと要求を却下した。
まさか即答で断られるとは思っていなかったのであろうリーダー格は一瞬、阿呆のように呆けたが、すぐに顔を真っ赤にして怒りをあらわにした。
「ふざけてんのかテメェ!」
「ふざけるも何も、俺達に金はない!」
あなたのせいでね、とカレンが呟いたがグレンは軽く無視した。
「だったらその腰に差してる剣を出しやがれ!」
「もっかい断る! 金がない上に剣まで失ったら食い扶持が消え失せるだろうが!」
「だあっ! うるせえ黙れ! ゴチャゴチャ言ってねーでさっさと……」
と、そこまで捲くし立てたところでリーダー格はグレンの反対側に座っていた白い少女に目をやった。
「……いいだろう。だったらこの女をもらっていく」
「は?」
「はっ! テメェがさっさと金やら剣やら出さないのが悪いんだぜ? 剣士の癖にこんな別嬪を侍らせやがって、ムカつくなあ!」
ニヤニヤと笑いながらリーダー格はカレンに手を伸ばす。
その動作をカレンは碌に抵抗もせずに見守り、対してグレンは、はあと溜息をついた。
「まあ別嬪って表現はともかく、カレンちゃんが綺麗だってことは認めるが――」
「あぁ?」
すでにカレンを拉致した後の行為を想像していたらしく、緩んだ表情で振り向いた。
「――ご愁傷様」
リーダー格のぶっとい指先が、カレンの華奢な肩に触れた瞬間、
「ぅごあぁっ!?」
奇妙な悲鳴と共に、その巨体が華麗に宙を舞った。
リーダー格は鼻から鮮血を噴出し、口からは欠けた前歯を吐き出し、ゆうに二秒もの間宙を舞ってドシャリと嫌な音を立てて床に叩きつけられた。
店内の全員が、拳を振り上げたままの姿勢の白い少女に注がれた。
「全く……」
ワンピースのポケットからやけに綺麗なハンカチを取り出し、リーダー格に触れられた肩と握ったままの拳を拭った。
「汚らわしい手で触らないで頂きたいですね。私に触れてもよい殿方は一人と決めていますのに」
カレンは一頻りハンカチで拭うと、適当に床に投げ捨てた。
捨てるんだ、それ……。
グレンを含め、その場の全員がそう思った。
「――テメェ!」
そしてようやく自分たちの頭が潰されたことを理解した下っ端達が怒号を上げる。
「いい加減にしねぇとぶっ殺すぞオラァ!」
「やれるもんならやってみな」
スッとグレンは立ち上がり、ギイと軋むような笑みを浮かべた。そして腰の長剣の柄を掴もうとして、すぐに首を横に振る。
「……いや、別に抜く必要もないか」
そう言っておもむろにポケットに手を突っこみ、トントンとその場で軽くステップを踏む。
「はーい、人質の皆さーん! ちゅーもーく! 今からこいつらを一掃しますので、下手に動かないでくださーい!」
下っ端はもちろん、客達もグレンが一体何をするつもりなのか全く分からなかった。グレンが長剣を抜く気配すらないことに下っ端達は完全に舐めきっていたし、客達も未だ人質となっていたため思考力が働かなかった。
そして。
「ぃやっはあぁっ!!」
喚起の如き雄叫びと共に、グレンは跳躍した。そして店内のテーブルを飛び石のように所狭しと跳び巡り、鞭のように撓る脚で下っ端達の顎や鳩尾を蹴り抜いていった。
「ぎゃあっ」「ぐふっ!?」「がはっ!」「ごふっ」「げえぇっ!!」
次々と上がる悲鳴。その度に大男達は床に突っ伏して痙攣する。誰一人として、グレンの動きに追いつけないばかりか抵抗のしようがなかった。
それほどの実力差が、グレンと下っ端達の間にあったのだ。
「オラオラどうした! 指名手配喰らってるっつーからどんなもんかと思ったら、この程度か!」
嬉々として暴れまわり、着々と仲間達の意識を刈り取っていく黒衣の剣士に、ようやく下っ端達は自分達の敵う相手ではないことを悟った。その異様とも言える光景に、その場の全員が石像のように動けなくなった。
「うわあああぁぁぁっ!?」
そしてついに下っ端の一人が情けない声を上げながら店の入り口に駆け出した。
「逃げろ!」「こ、殺される!」「助けてくれぇっ!」
それを皮切りに、無事だった数名が次々にナイフも剣も捨てて走り出す。
だが。
「――逃げられるとお思いですか?」
そこには、実ににこやかな笑みを湛えた白い少女が立っていた。
「ひぃっ!?」
再び下っ端達が硬直した。
「先ほどグレンが言ったでしょう? 私達にはお金がないのです。あなた方を確保して相応の機関に引き渡せばしばらくの生活に困ることはなくなるのです」
そう言ってカレンは腰の太刀に手を伸ばす。
「くそっ! おいお前ら! 助太刀しろ!」
下っ端の一人が店の外に呼びかけた。
「残念ですが」
カレンはゾッとするほど綺麗な笑みを浮かべた。
「外にいた見張りの方々は、あなた方がグレンに気を取られている間に私が伸しておきました。あと小一時間は目覚めませんよ」
「…………!」
「さて、それでは――」
「――覚悟を決めてもらおうか」
背後にもう一人、異様な気配が立った。振り向かなくとも、その人物が誰なのかは嫌というほど分かってしまう。
「ち、チクショウ……!」
下っ端の一人が擦れるような声を絞り出した。
「お、テメェら、一体何者だ……!」
その問いに、黒と白の剣士はこう答えた。
「傭兵ギルド《レジェンド》第一部隊『神龍』所属№4〈影獣〉のグレン」
「同じく傭兵ギルド《レジェンド》第一部隊『神龍』所属№6〈白刃〉のカレンと申します――以後、お見知りおきを」
そして不安一杯のまま、第弐話へと続くのです……!




