第拾壱話
夜も深く更け、怪しい赤光を放つ紅蓮月がやけに目立った。
夜空に散らばる星すらなく。
ただただ赤い月光が大地に降り注いでいる。
人々が寝静まり、辺りには人影が全くない。
紅蓮月が満月の夜はいつもこうだ。
蒼白月の青い月光の元では生きることへの喜びを噛み締め。
翡翠月の緑の月光の元では大地の恵を感謝し。
黄金月の黄色の月光の元では明日への希望を謳う。
だが紅蓮月の満月の元では死への恐怖に怯えるのだ。
ゆえに陽気に歌う人々も、この夜だけは全員が日の入りと共に床に着く。
いや。
この夜だけは違った。
その人影は何を思ったのか、ただでさえ不気味な夜の墓地に来ていた。
「ん~んんん~……」
そんな鼻歌を奏ながら赤く照らされた墓地を進む。
夜の墓場には不釣合いなほど妖艶な赤い燕尾服を纏い、頭には白い羽の付いた赤い帽子を被っている。
その体躯は小さく、また顔付からも少女の域を抜け切れない女であることが分かった。
「ん~んんん~……」
少女は鼻歌を続けながら赤い墓地を歩む。
「ん~んんん~……………………あら?」
不意に歩みを止めた。
「あら? あらあら?」
そして一つの墓に不自然なほど顔を近づける。
スンスン、と鼻を鳴らす。
「あらあら。調度、埋葬されて三日と言う所かしら……。うふふ、今夜はここで決まりね」
そう口にし、にっこりと笑い――
「いただきます♪」
――手にした大仰な鋤を振り上げた。
だが。
「動かないで」
少女の背中に冷たく、鋭い感触。
白刃煌く太刀が押し当てられていた。
「あらあら」
少女は口元に笑みを浮かべながら視線を向ける。
白い髪と白い少女趣味なワンピース。それらに負けない色白な肌に純白の太刀。
白い少女が瑠璃色の瞳を細め、睨むように見据えていた。
「まさか本当に現れるとは思いませんでした。ノエルさん……いえ」
白い少女は首を振り、改めて目の前の赤い少女に目を向ける。
「シエル」
「……………………」
喰屍鬼の少女は無言で笑みを浮かべていた。
「空腹にはさすがに耐えられないだろうとグレンが言うのでここで見張っていたら、本当にノコノコと現れましたね」
「……………………」
喰屍鬼は答えない。
「あなたは最初から自啓団……と言うよりはジョン・ドゥとグルだったのではありませんか? より確実に食料を得るために、あなた方は手を組んだ」
「……………………」
喰屍鬼は答えない。
「しかしアカシアに私達が来た。しかもドゥとまともにやり合えるだけの力を持った私達が本格的にドゥ捕縛に乗り出したことで、今まで順調だった計画が崩れるのを恐れたあなた方は、ノエルさんを利用した」
「……………………」
喰屍鬼は答えない。
「グレンが改めてノエルさんのMIDカードを調べました。そしたら面白いことが分かりました。ノエルさんのご家族は確かに二年前、とある喰屍鬼に襲われてお亡くなりになられています。ですが彼女の実の双子の姉――シエルさんは行方不明となっているだけです」
「……………………」
喰屍鬼は答えない。
「シエル。あなたはノエルさんのもう一つの人格でもなんでもない。ただの双子の姉にして喰屍鬼です。そしてノエルさんのご家族を襲ったのも恐らくはあなたなのでしょう? ノエルさんはそれを知っていたからこそ、あそこまで喰屍鬼を嫌悪していたのです」
「……………………」
喰屍鬼は答えない。
「そうなると、いつあなたはノエルさんと入れ替わっていたのか? これは恐らくあの山で初めてドゥと遭遇した時でしょう。あの時すでに、ノエルさんはノエルさんではなく、双子の姉にして外見がそっくりのあなたと入れ替わっていたのでしょう。口調を似せれば見分けなどつきませんしね」
「……………………」
喰屍鬼は答えない。
「そして恐らくは初めにドゥとグレンが衝突した時にグレンを始末するつもりだったのでしょう。そして動揺した私をノエルさんになりすましたあなたが始末する。そんな計画ではなかったですか? ですがグレンがドゥを圧倒し、計画がまたしても崩れた」
「……………………」
喰屍鬼は答えない。
「そこで急遽、あの決闘に似せた罠を思いついた」
「……………………」
喰屍鬼は答えない。
「そこで生じた問題は、ノエルさんであるあなたが死ななければならない事。ですがこれはそもそも問題ではなかったでしょうね。そもそも生きているのか死んでいるのかよくわからない死霊であるあなたが、死んだフリ程度のことが出来ないはずがありませんしね。それこそ、心臓を止め、脈を止める事くらいは出来るでしょう」
「……………………」
喰屍鬼は答えない。
「生じた問題はと言えば、ドゥ率いる自啓団が私達を始末しきれるかと言うこと」
「……………………」
喰屍鬼は答えない。
「結果は散々。〈影獣〉と化したグレンに自啓団は壊滅状態。まあ私も、まさか彼がほとんど一人で二百人近い人数を片付けるとは思いもしませんでしたが」
「……………………」
喰屍鬼は答えない。
「そこであなたはそのまま死んだフリを続けた。捕縛されたドゥが逃走し、ノエルさんの遺体を喰らって行ったかのように見せるために。そしてドゥが私達に復讐するという旨のメッセージを残した。それを見た私達はドゥを探しに再び動き出す。そこで完全にノーマークであるあなたが闇討ちでも何でもすれば、グレンのような非常識な存在であっても勝機はあります」
「……………………」
喰屍鬼は答えない。
「ですが私達はこうしてシエル、あなたの前にいます。ほとんどがグレンの推理ですが、こうして私達はあなたの背後に立っています。なぜだと思いますか?」
「……………………」
喰屍鬼は答えない。
「あのメッセージ、ドゥが書いたにしては違和感があるのです。ドゥは自分のことを『手前』、私達のことを『ウヌ』と呼んでいました。日常会話でそのような偏屈な呼び方をする者が、メッセージで『我』や『貴様』などと書くでしょうか? 違和感を覚えたグレンは徹底的に調べ上げ、そして現在に至るというわけです」
「……………………」
喰屍鬼は答えない。
「つまり今回の一連の真相は、何と言うことはない、使い古された双子トリックというわけです」
「……………………」
喰屍鬼は答えない。
「そうなると気になるのは、消えたノエルさんとドゥですが……これは悩むべくもありませんね」
「……………………」
喰屍鬼は答えない。
「あなた……食べましたね? 入れ替わる以上、ただの邪魔な存在となったノエルさんと、ことごとく計画を失敗させたドゥを」
「……うふふ♪」
喰屍鬼が――嗤った。
「美味しかったよ」
そう喰屍鬼は嗤った。
「一緒にこの世に生まれてきた妹のお肉はとっても美味しかった。ほっそりとした腕も、滑らかな脚も、艶のあるお尻も、張りのある頬も、色白な首も――ぜーんぶ美味しかった」
そう言って。
喰屍鬼は手にしていた鋤を振りかざし、白い少女に振り下ろした。
「くっ」
とっさにそれをかわし、白い少女は飛び退った。
喰屍鬼は嗤う。
「でもあの馬鹿は美味しくなかった。やっぱり無能な男はお肉もダメね。一応骨も残さず食べるのがアタシの心情だから無理やり呑み込んだけど、後でその辺の山で吐いて埋めたわ」
鋤を構えて、凄惨に嗤う。
「ねえねえこの帽子、似合う? あの子がアタシの誕生日に買ってくれたの♪ あ、アタシがまだ真っ当な人間だった時の話ね。もうアタシ嬉しくって! お礼にアタシと同じ燕尾服をあの子にもプレゼントしたの。そしたらあの子も大喜びで! もう本当にいい妹だったのよ♪」
嗤い、喰屍鬼は舌なめずりをした。
「だからきっと、あんなに美味しかったのね」
「……狂っていますね」
「アリガト♪ それ、アタシにとっては褒め言葉」
改めて鋤を構え、喰屍鬼は本当に楽しげに白い少女を見つめた。
「さて傭兵さん。そこまで分かっていてアタシを待ち伏せていたんだから、ここから先は言葉はいらないんじゃない? どっちが生きるか死ぬか、それだけでしょう? あ、アタシが生き残ったら、君のお肉も食べられるからそれだけじゃないか。まあいいわ。でもねー、一つ分からないな」
喰屍鬼は辺りを見渡す。だがそこに自分の求める人影がいない事が分かると、溜息をつく。
「何であの黒い人がいないの? 出来れば彼も食べてみたかったなー。だって彼の強さは本物だもん。アタシ、強い人は大好きだからね。一口でいいから味見したかったな」
「調子に乗らないで下さい。彼は私の物です」
「あらあら♪ 言ってくれるじゃない。妬けるわー」
でもね、と喰屍鬼は嗤った。
「正直な話、君一人でアタシを倒せるとは思えないなー。確かに君も傭兵ギルド《レジェンド》の……えーと、何だっけ? 『肩書き持ち』? だっけ? まあとりあえずかなり上位の腕前なんでしょ? でもね――この紅蓮月の満月が浮かぶ今夜に限っては無用心よ。あの馬鹿が言ったでしょ? 紅蓮月の紅き月光の元でこそアタシ達、喰屍鬼の本領は発揮される!」
叫び、喰屍鬼は構えた鋤を振りかぶり、白い少女の頭上目掛けて振り下ろす。
だが。
「それがどうした化物」
「えっ!?」
脇腹に、鋭い激痛が走った。まるで剣で貫かれたかのような痛み。だが白い少女は、太刀こそ抜いてはいるものの直立不動の姿勢を保っていた。
見れば右の脇腹から鮮血が滴り、赤い燕尾服をさらに赤く染めている。
いやそれよりも。
「今の声……!」
あの口調そのものは間違いなく、あの黒い男のものではあった。だがその声音は明らかに目の前の白い少女のものであった。
白い少女の口から、あの黒い男の言葉が発せられた。
「一体……どう言う……!」
脇腹を押さえながら、喰屍鬼は白い少女に目を向ける。
するとそこには、ギイと、軋むような笑みを湛えた――白い少女がいた。
「俺はここにいる」
白い少女は、黒い男のように語る。
「そもそも、グレンという人間はこの世に存在しない。俺はこのカレンちゃんの影から生まれた。カレンちゃんが自分の影を媒体にして、グレンという化物を創ったんだ」
影。
喰屍鬼は白い少女の足元を見る。
そこには直立不動の姿勢をとった白い少女の影は無く、代わりに長剣を構えたコートの男の影が伸びていた。
「俺は影そのもの。影を支配する獣。俺が影で影を斬れば、それはそのまま本体へのダメージとなる。さっきも、お前が近づいた瞬間にお前の影を斬ったんだ」
そう黒い男は白い少女の口を使って語り、再び影を構えた。
「理解して頂けましたか?」
白い少女が語る。今度の口調は彼女そのものだ。
「卑怯などと言わないで下さい。私達はそもそも一人だったのですから」
「俺達は一人で二人。お前が二人で一人と言っていたのと同じようなものだ」
「ですがあなたは」
「己の半身を喰らった」
「二人でようやく一人前だったのが」
「今や半身しか残っていない」
「一人で二人の私達に」
「勝てると思うか?」
そう順々に言って。
白い少女と影は、別々に構えて走り出した。
「くっ!」
ギリギリのところで喰屍鬼は鋤で太刀を受け止める。だが視界の隅で、影の長剣が今まさに喰屍鬼の腹を穿とうとしていた。
それを間一髪のところで後方に跳んで回避する。
だが次の瞬間には目の前に太刀の切先が迫っていた。
それを首を傾けてかわし、横に薙いできた長剣を鋤の影で受け止める。
「ほう、やっぱり俺が直々に鍛えたことはある」
「もっと激しくしても問題ありませんね」
そう白い少女が口にした途端。
「うっ!?」
今までが遊びだったのではないかと疑うほど、太刀筋と剣筋が鋭く、速くなった。
喰屍鬼はそれらを紙一重でかわす。だが何度かかわし切れずにその切先が皮膚を切り裂いた。
掠り傷程度ならばすぐに回復する。
だが初めに受けた傷は予想以上に深かったらしく、未だに激痛が奔っている。
太刀を避けよう体を捻ると、塞がりかかった傷が再び開く。
「っつ……!」
その痛みから、体勢が崩れる。
「そこです!」
白い少女は叫び、太刀を下段から振り上げてくる。
対して影は、長剣を喰屍鬼の胸に突き立てようと半身を捻っていた。
避け切れない。
だがここで警戒すべきは影の方だ。影は確実に急所を狙ってきている。
だったら腕の一本ぐらい、くれてやる。
「もらった!」
影が叫び、長剣を突き付ける。
「ぐっ……!」
それを喰屍鬼は鋤の影で受け止める。そしてその柄から左手を離し、迫り来る太刀の刀身を受け止める。
「ぐぅっ!」
左手の平の半分ほどの深さのところで、太刀が止まる。激痛と共に鮮血が飛び散るが、何とか受け止めた。
まだアタシは生きている!
喰屍鬼はニヤリと不気味に嗤った。
そう思っていた。
ズブリ、と。
喰屍鬼の胸から紅い長剣が生えた。
「え……?」
いや、長剣が生えたのではない。
背後から長剣で貫かれたのだ。
「ゲームオーバー」
そう、背後から声がした。
「え……ウソ……?」
喰屍鬼はゆっくりと首を回す。
そこに、いた。
黒コートに黒髪金瞳の男が、紅い長剣を喰屍鬼に突き立てていた。
「いつ……の間に……!?」
影に目を落とす。
だがそこには、さっきまで不自然な動きをしていた影は無く、白い少女と同様の姿勢をとった影があるだけだった。
「君は……影の中に……いたんじゃ……?」
ゴプッと、喰屍鬼の口から血が洩れる。
その様子を黒い男は大して興味もなさそうに見ていた。
そして呟く。
「あ? お前、さっきのあんな説明、信じたの?」
「え……」
「人間が影から生まれるわけねーだろ。常識的に考えろ」
喰屍鬼の赤い目が見開かれる。
「え、じゃあ……さっき影が勝手に動いてたのは……」
「Illusion」
白い少女が答える。
「幻術の魔法です。長いルーンが必要なのですが、先ほど私が長々とあなたのトリックを解説している間にグレンが掛けました。グレンのセリフはただの私の声真似です。似ていましたか?」
「最初の影の一撃は俺が物陰からBladeの魔法で狙っただけ。後は別に何にもしてない。お前も警戒していたみたいだし、別に当たってなかったろ?」
「ぅうっ……ぐぅ……!」
唸る喰屍鬼。
そしてすぐにその赤瞳からポロポロと涙がこぼれる。
白い少女は不審に思ってそれを見つめる。
そして喰屍鬼の口から言葉が洩れる。
「……酷いよ……グレン。ボクだよ……ノエルだよ……?」
「……何を言い出すかと思えば」
黒い男は不愉快そうに金瞳を細める。
「ノエルは死んだ。お前が殺した。その行為は俺の怒りを増長させるに過ぎないんだよ。そもそも、心臓を貫かれてんのに未だにのうのうと話ができる時点で、お前は人間ですらねーだろ! 化物がノエルを騙るな!」
叫ぶ。
それは魂から絞り上げるような叫びだった。
それを聞き、喰屍鬼は何かを諦めるように小さく笑った。
「あーあ……最後の嘘も失敗か……♪」
「ふん。俺と嘘の吐き合いで勝てるとでも思ったか」
「……うふふ♪ そうだね」
喰屍鬼は赤瞳を細める。さすがにその視線は空ろになり、何を見ているのかも分からなくなっていた。
「君はとっても黒々しいくせに……とっても白々しい。……この嘘吐き♪」
「……それがどうした」
黒い男は全く悪びれる様子も無く。
「そんな事、俺が一番知ってるよ」
己と同じ銘を冠する長剣を、横に薙ぐ。
赤い化物の半身が、ゴトンと音を立てて地に堕ちた。




