第玖話
一度だけ、シエルと話す機会があった。
カレンの予想以上にノエルは筋がよく、面白いようにその力量は上昇していった。聞けば剣術は全て生きるために我流で会得したのだという。グレンでさえ、もっと早くきちんと戦闘術を習っていれば『肩書き持ち』になっていても不思議ではないと、彼にしては珍しく素直に褒めていた。
だがグレンが教えていたのはあくまで戦闘技術であって、基礎の方は手付かずだった。
いわば小手先だけを鍛える事に専念したのだ。もちろん一朝一夕で基礎体力が簡単に上がるわけがないという判断の元だったが、ノエルはそれでも自前の体力で、グレンの鬼のような朝から晩までの訓練メニューに付いて行った。
それでも限界というのは必ず来る。
四日目の昼、ついにノエルは疲労が原因でぶっ倒れた。
さすがにやりすぎたかと反省したグレンはしばしの休憩を兼ねてノエルを寝かしておいた。ついでに自身の食事も済ませようとカレンに頼んで軽食を買って来てくれるよう頼む。
そしてギルド経営の訓練場に戻る廊下で、シエルと出くわした。
「うふふ♪」
相変わらず何が楽しいのか、喰屍鬼は意味もなく笑っていた。
「……今日はいきなり襲い掛かってこないんだな」
「まあね。アタシ、と言うかボクは疲れてるからね。上手く体が動かないんだ。それにご飯は夜だけって決めてるの」
「だったら大人しく寝てろ」
「アタシは君に用事があるんだから。ノエルが起きてると話なんて出来ないしね」
「……何だよ」
「何でボクを鍛えてるの?」
「そいつがドゥと戦いたがってるからだ」
「それは建前じゃないの?」
「そう思いたいなら勝手にそう思ってろ」
「そう? じゃあそうする。でも不思議は不思議なんだよねー。君の性格からしてアタシがノエルの中にいるって分かった瞬間に斬って捨ててもおかしくないと思うもん」
「俺は悪魔じゃない」
「そうかな。まあでも君の気まぐれだとしても、わざわざ鍛える意味が分からないんだよね。君は傭兵でアタシは喰屍鬼。アタシが喰屍鬼である限りアタシは君達人間を食べる。そうすればいつかアタシは君達傭兵に狙われる。その時にアタシが更に強くなっていたら面倒だよ?」
「……………………」
もちろんグレンの思惑など知る由もないシエルは延々と疑問をぶつけてきた。グレンとしては「たまには化物との問答もいいだろう」という程度のノリでシエルの話を聞いていたに過ぎないので、途中で飽きてだんまりを決め込んだ。
それが気に入らないのか、はたまた彼女も飽きてしまったのか、シエルは溜息をついた。
「まあ君が何を企んでいるのか知らないけどさ。でもアタシら喰屍鬼を、そう簡単に御しれると思わない方がいいよ」
じゃあね、とシエルは手を振った。
「そろそろ戻るよ。ボクが目を覚ましそうだ。目覚めたら君と談話中とか、不自然極まりないからね」
「……………………」
ん~んんん~、と。
喰屍鬼は鼻歌を歌いながら立ち去った。
グレンは相変わらず、黙ってその赤い背中を見送った。
そして。
そんなやり取りが三日前におきて。
今夜は紅蓮月の夜。
三人はアカシア共同墓地につい先ほど到着した。
「準備はいいな?」
「もちろん」
頷くカレンの手には、一束の鎖が握られている。
対モンスター用の捕縛鎖である。これで縛り、動きを封じればドラゴンですら身動きが取れなくなるという傭兵ギルド《レジェンド》御用達の一品だ。
「そっちも準備はいいな?」
「……………………」
「おい」
「……………………」
「聞いてんのかクソガキ」
「あだっ!?」
頭をぶん殴られ、その場にしゃがみこむノエル。
「何すんのよ!? 痛いじゃない!」
「よかったな。痛いって事は生きている証だ」
「不吉なことを言うな!」
「緊張を解そうとしてやってんのに、無碍なお子様だ」
「ウザッ! お子様ってウザッ! クソガキのほうがまだマシだ!」
「元気そうで何より」
「ウザーーーーーッ!!」
叫ぶノエル。
だが他愛のない雑談が功をそうしたか、ノエルの緊張はどこかへ飛んでいった。
そして大分夜が更けた頃。
「……来る」
カレンが呟いた。
その瞬間、そいつは現れた。
現れる、というよりも出現、と表した方がいいかもしれない。
「……!」
ドゥは初めからそこにそうしていたかのような異様なほどの自然さで、グレン達の目の前に立っていた。
「よう化物」
「何だ化物」
グレンの呼び掛けにドゥは面白くなさそうに呟き返す。
「正直、一人で来るとは思わなかったぞ」
「手前は手前の手下共を信用してはいるが、それでもウジャウジャといられると邪魔なのでな」
深く息を吐き、ドゥは夜空を見上げる。
そこには煌々と紅い月光を降り注いでいる紅蓮月があった。
「……調度良い時間だ。始めよう」
それを合図に。
グレンの目の前から赤い少女が姿を消した。
いや、消したように見えたのだ。
異様なスピードで駆け出したノエルはすぐさまドゥに肉薄する。
「何っ!?」
グレンが来ると予想していたのだろうドゥは、完全にノーマークだったノエルのナイフに左肩を抉られた。
よろめきながらもノエルとの距離を離すドゥ。
「どう言うことだ!」
「アンタの相手はボクって事さ!」
そしてすぐさまノエルは懐に手を突っ込み、細長い金属片をいくつも取り出し、投擲する。
「ぬうっ」
ノエルの手から放たれたそれはドゥの体に深々と突き刺さる。それをドゥは抜こうとするが、むしろその傷は深くなる。その上逆にドゥの指が切断された。
「何だこれは!?」
「カレンさん考案の特製投擲用ナイフ! 刃に返しが付いてる上に柄も刃になってるから刺されば絶対に抜けない!」
さらに、とノエルは叫ぶ。
「Flame!」
「ぐおっ!?」
ドゥの体に突き刺さったナイフが、音を立てて燃え上がる。生き物の肉が焼ける不快な臭いが辺りに立ち込める。
「ナイフにルーンが刻まれてるからね! 魔法が使えないボクでも、始動語を唱えるだけで発動する!」
そして再びノエルの姿が掻き消える。
そして気付けばドゥの体から血飛沫が何度も噴出していた。ノエルの手元が見えなくなるほどの速度でナイフが振るわれる。
「ぬうぅっ……!!」
徐々に追い詰められるドゥ。この調子でいけば捕縛まであっという間だろう。
いや待て。
グレンは違和感を覚えた。
「ドゥが追い詰められている……?」
それはそのまま、ノエルが圧倒していると言うことだ。
「グレン、どうしました?」
「おかしい! ドゥは紅蓮月の元でこそ本領を発揮するんじゃなかったのか!?」
その割に圧倒的に弱い。ノエルがここ数日で実力を上げたとしても、本来ならドゥに敵うはずがないのだ。そもそもが油断させておいて勝つ作戦なのだから。
「ぐはぁっ!」
赤く照らされた墓地にドゥの声が響く。
見ればノエルが四本のナイフでドゥの四肢を地面に縫い付けるように突き立てていた。
「カレンさん! 捕縛鎖!」
「あ、はい!」
言われて慌てて手にしていた捕縛鎖を投げ渡す。
受け取ったノエルはドゥを後ろ手で縛り、さらに余った鎖で全身をグルグル巻きにした。
「自啓団首領ジョン・ドゥ! 確保!」
声高らかに、ノエルはそう叫んだ。
「えへへっ! やったよ!」
振り向き、ノエルは笑ってブイサインを向けた。
グレンの作戦は崩れた。
だが本命であったドゥの捕縛には成功した。
「……あぁ。よくやった」
まあいい、とグレンは内心で呟いた。
今はシエルをどうするかよりも、ノエルを褒めてやるべきか。
「よくやったなノエル」
そうグレンも笑いかけて。
ドサリ。
「え……?」
ノエルが地面に突っ伏した。
「え……?」
何が起きたのか分からず。
「え……?」
グレンもカレンも、ノエル本人も呆然とした。
だが捕縛鎖で縛られ、地面に転がされていたドゥだけが笑っていた。
「ウヌら、人が好過ぎるな。なぜ手前のような喰屍鬼の話を信じる? なぜ手前のような盗賊団のトップがノコノコと傭兵共の前に現れたのか?」
突っ伏したノエルの背中には、何本もの矢が刺さっていた。
「二百人以上の手下がおれば、二人や三人くらいは夜でも正確に矢を射れる名手が混じっているものだ」
近づいてくる大勢の足音。それも十人や二十人ではない、もっと大勢の足音。それこそ、二百人近くの大部隊の足音のような騒々しさ。
「本来は黒と手前が戦い、手前がわざと破れ、油断したところで黒を射殺し、残る白と赤を喰らう計画だったが――まあよい。二人と二百人ではさすがのウヌらも手も足も出まい」
ドクンドクンと、グレンの心臓が激しく鼓動する。
その金瞳は、動かなくなり空ろな視線を宙に漂わせるノエルに向けられていた。
そしてあっという間に、墓地は禿頭に罵詈雑言の刺青を彫った男達で埋め尽くされた。
「――やれ!」
ドゥの掛け声と共に、自啓団の下っ端達は各々の得物を構えた。
対してグレンはあくまで静かに、動かぬ少女を見守っていた。
そしてギイと、軋むような笑みを浮かべた。
「……調子に乗るなよ」
ズラアアアァァァッ!
躊躇いなく【紅蓮】を抜剣する。
「ぅおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっーーーーー!!」
それは獣の如き雄叫びだった。
爛々と輝く金瞳。
そして【紅蓮】を無造作に構え、残像すら残さぬスピードでグレンは自啓団の中に突っ込んで行く。
「グレン!」
カレンは叫ぶが、その黒い背中には届かない。
グレンの駆けた跡には倒れこむ男達と【紅蓮】の紅い軌跡のみが浮かんでいた。
「くっ……! 相変わらず聞く耳持たず、ですか!」
〈影獣〉と化したグレンに言葉は通じない。それは分かっている。
だが今はグレンの心配よりも自分の身を案じる方が優先だった。
カレンもまた抜刀し、彼女に襲い掛かる下っ端達を迎え撃つ。だが峰打ち程度では男達は倒れることなく次々に起き上がり、再び襲い掛かってくる。
さすがにこの人数を素手で殴り飛ばして気絶させるのには無理がある。
「仕方ありません」
フウと溜息をつき、カレンは太刀を一度鞘に戻す。
「……手加減は出来ません。死んでも私達を恨まないでください。悪いのは普段のあなた方の行いなのですから……!」
そう前置きし、カレンは音も聞こえなくなる程の速度で、太刀を居合抜いた。
瞬間。
カレンを取り囲んでいた下っ端達の腕の肘から先が地面に落ちた。
「ぐあああぁぁぁっ!」
一斉に悲鳴を上げ、腕から鮮血が飛び散る。
だがすでにその場にカレンの姿はなく、間をすり抜けて再び居合抜きの構えを取っていた。
その白き姿には、一滴の返り血も飛んでいなかった。
「逃げるなら追いません。来るなら斬ります。選ぶのはあなた方です」
瑠璃色の瞳を細め、カレンは呟く。
そしてカレンの手元が霞んだ。
……そろそろ連載の終わりが見えてきました。




