第1話 無能テイマー、森に再就職する
新連載です。
魔物を従えるのが苦手なテイマーが、追放された先で「魔物一匹」ではなく「森そのもの」と心を通わせていくお話です。
追放、ざまぁ、開拓、もふもふ……ではなく、森・沼・川・国境まで懐いてくる少し変なテイマーもの。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
「レオス。お前、今日でこのパーティーを抜けろ」
王都から北へ三日。
魔族領との国境に広がる黒い森――通称、死の森。
その入口で、勇者アランは俺にそう告げた。
風が吹く。
死の森の木々が、ざわざわと嫌な音を立てた。
俺は一瞬だけ黙った。
それから、背負っていた荷物を地面に下ろす。
「理由を聞いても?」
「役に立たないからだ」
アランは迷いなく言った。
勇者らしい綺麗な顔。
白銀の鎧。
腰には聖剣。
まるで神殿の壁画から抜け出してきたような男だ。
その後ろには、剣士のガルド、魔術師のリリア、聖女ミレーユが並んでいる。
俺はこの勇者パーティーのテイマーだった。
いや、今この瞬間に、元テイマーになったらしい。
「テイマーなのに、魔物一匹まともに従えられねぇからな」
ガルドが馬鹿にしたように笑った。
「前のダンジョンでもそうだ。ゴブリンには逃げられる。狼には吠えられる。スライムですら戦わせられない。何のためにいるんだよ、お前」
「戦闘で役に立っていないのは認める」
俺はそう答えた。
そこは否定しない。
実際、俺は魔物を命令通りに動かすのが壊滅的に下手だった。
契約陣を使っても、従魔術の基本通りにやっても、魔物は俺の命令を聞かない。
小型の魔物が寄ってくることはある。
だが、攻撃命令を出すと逃げる。
防御命令を出すと首を傾げる。
スライムに至っては、俺の靴の上で寝た。
おかげで俺はずっと「無能テイマー」と呼ばれてきた。
ただ。
「でも、確認しておきたい。俺が抜けた後の野営計画は?」
「は?」
ガルドが眉をひそめた。
「水場の位置、把握してるか? 死の森周辺は見た目が澄んでいても瘴気が溶けた水が多い。腹を壊すだけならまだいい。魔力酔いを起こしたら戦闘どころじゃない」
「そんなもん、現地で見れば分かるだろ」
「分からないから俺が見てたんだよ」
俺は淡々と言った。
怒鳴りたい気持ちはあった。
だが、感情で話すと損をする。
前世で学んだことだ。
俺には前世の記憶がある。
日本という国で、会社員として働いていた記憶。
会議の前に資料の数字を合わせる。
上司が怒る前に取引先へ根回しする。
誰も気にしない備品を補充する。
炎上しそうな案件の火種を消す。
目立ちはしない。
褒められもしない。
でも、誰かがやらないと現場は止まる。
そういう仕事ばかりしていた。
異世界に転生してからも、結局俺は似たようなことをしている。
野営地を選ぶ。
水場を見る。
魔物の縄張りを避ける。
毒草と薬草を分ける。
休憩のタイミングを決める。
リリアの魔力切れが近ければ進路を緩め、ミレーユの足に豆ができていれば早めに夜営する。
派手な戦果はない。
だが、旅はそういう小さな調整で成り立っている。
「それから、荷物の分配も確認する。薬草袋は俺が管理していた。うち三割は俺が採取した分だ。持っていく」
俺は荷袋から薬草を分け始めた。
ガルドが顔を歪める。
「おいおい、追い出される立場でずいぶん偉そうだな」
「追い出すのはそっちの都合だろ。俺の私物と採取分まで置いていく理由にはならない」
「レオス」
アランの声が低くなった。
「この状況が分かっているのか?」
「分かってる。だから冷静に精算してる」
俺はアランを見た。
「俺を役立たずだと判断するのは構わない。リーダーはお前だ。ただ、ここは死の森の前だ。王都まで徒歩三日。周囲には魔物がいる。追放するにしても、最低限の安全確保と報酬の精算は必要だ」
リリアが気まずそうに視線を逸らした。
ミレーユは小さく唇を噛んでいる。
アランだけが、まっすぐ俺を見ていた。
「……銀貨十枚を渡す。保存食も三日分持っていけ」
「水筒は二つ。あと、地図の写しももらう」
「地図はパーティーの共有財産だ」
「だから写しでいい。ここで揉めて時間を使うより、俺をさっさと切り離した方が合理的だろ?」
少しだけ沈黙が落ちた。
アランは舌打ちこそしなかったが、明らかに不快そうだった。
それでも、地図の写しと保存食を渡してきた。
俺は受け取り、荷物をまとめ直す。
手は震えていない。
意外だった。
もっと情けなく取り乱すと思っていた。
もちろん、傷ついていないわけじゃない。
腹も立っている。
だが、それ以上に頭が冷えていた。
ここで泣いても、彼らの評価は変わらない。
なら、生き残る準備をした方がいい。
「最後に一つ」
俺は死の森を指差した。
「今の時間から森に入るなら、三百歩ほど進んだところで左へ曲がれ。右側は湿地だ。足場が柔らかい。鎧を着たまま踏み込むと沈む」
ガルドが鼻で笑った。
「まだ役立つアピールか?」
「忠告だよ。聞くかどうかは任せる」
「必要ない」
アランが言った。
「俺たちは魔王を倒すために選ばれた。湿地ごときで足を止めるわけにはいかない」
「そうか」
俺は頷いた。
「じゃあ、ここまでだな」
それ以上は言わなかった。
俺は荷物を背負い、彼らに背を向ける。
「レオスさん……」
ミレーユが俺を呼んだ。
俺は振り返る。
彼女は迷うように視線を揺らしていた。
「その……お気をつけて」
「ありがとう。ミレーユも足元には気をつけて。昨日から右足をかばってるだろ。無理して歩くと、明日には腫れる」
ミレーユが驚いた顔をした。
気づいていなかったのか。
いや、気づいていても黙っていたのかもしれない。
勇者パーティーの聖女は、弱音を吐きにくい立場だ。
俺はそれ以上何も言わず、南へ向かって歩き出した。
背後でガルドの声が聞こえる。
「最後まで世話焼きかよ。だから荷物持ち扱いされるんだ」
返事はしなかった。
ただ、心の中で線を引いた。
もう戻らない。
助けを求められれば考える。
でも、無条件で尽くすことはしない。
俺はもう、あいつらの荷物持ちじゃない。
勇者パーティーと別れてから、十五分ほど歩いた。
街道へ戻るには、まず森沿いの細道を南へ進む必要がある。
地図によれば半日ほどで古い砦跡に着く。
そこで一泊し、翌朝に街道へ出る。
悪くない計画だ。
問題は、周囲の空気が妙に重いことだった。
「……変だな」
俺は足を止めた。
死の森から吹く風に、鉄のような臭いが混じっている。
血ではない。
もっと人工的な臭い。
薬品に近い。
俺は森の方を見た。
黒い木々が揺れている。
近づくな。
普通ならそう感じる場所だ。
だが今は、少し違った。
森が、こちらを見ている。
そんな気配がする。
「疲れてるのか?」
自分にそう言い聞かせ、歩こうとした。
その時、足元でぷるんと何かが跳ねた。
「うわっ」
小さな緑色のスライムだった。
半透明で、手のひらに乗るくらいの大きさ。
グリーンスライム。
最弱魔物の代表だ。
俺の靴先にぶつかったスライムは、逃げるでもなく、その場でぷるぷる震えている。
「悪い。踏んでないか?」
俺はしゃがみ込んだ。
こういうところが、テイマーとして舐められる理由なのかもしれない。
普通の冒険者なら、魔物を見つけた時点で剣を抜く。
でも俺は、どうにもそれが苦手だった。
敵意のない相手まで、敵として扱いたくない。
スライムは俺の指先に体を寄せてきた。
ひんやりしている。
その瞬間、頭の奥で鈴のような音がした。
ちりん。
【接続対象を確認しました】
「……ん?」
視界の端に薄い文字が浮かんだ。
【個体名なし:グリーンスライム】
【接続深度:微弱】
【周辺環境との連結を確認】
【生態系単位での同調が可能です】
俺は目をこすった。
文字は消えない。
「ステータス表示……じゃないよな」
この世界にはステータス確認の魔法がある。
俺も何度か見たことがある。
職業、魔力量、身体能力、スキル。
だが、こんな表示は初めてだった。
生態系単位での同調。
聞いたことがない。
「お前、俺の言葉が分かるのか?」
試しに聞いてみる。
スライムはぷるんと震えた。
「右に跳ねてみてくれ」
ぽよん。
右へ跳ねた。
「左」
ぽよん。
左へ跳ねた。
「……できるじゃないか」
思わず笑ってしまった。
今まで、俺の命令は魔物にほとんど通らなかった。
なのに、今はあっさり通じている。
いや、違う。
命令を聞いているというより、こちらの意図を読み取っている。
従っているのではない。
協力してくれている。
そんな感覚だった。
「なるほどな」
俺は小さく息を吐いた。
「俺の力は、命令する使い方じゃなかったのかもしれない」
その言葉を口にした瞬間、また鈴の音が鳴った。
ちりん。
ちりん、ちりん。
感覚が広がる。
スライムの体温。
湿った土。
草の根。
木の皮。
地中を這う虫。
枝の上にいる鳥。
遠くの水音。
それらが、ばらばらではなく一本の糸でつながって感じられた。
俺はゆっくりと森を見た。
死の森。
誰も生きて帰れないと言われる魔境。
その森の浅い部分が、まるで一つの巨大な生き物のように脈打っている。
俺は今、その鼓動に指先だけ触れている。
そう感じた。
「……すごいな」
怖さより先に、わくわくした。
今まで自分がやってきたことが、急に一本の線でつながった気がした。
野営地を選ぶとき、なぜか安全な場所が分かった。
水場を見たとき、飲めるかどうか直感で判断できた。
魔物の縄張りも、地図にない獣道も、なんとなく読めた。
経験だと思っていた。
勘だと思っていた。
違ったのかもしれない。
俺はずっと、周囲の声を聞いていた。
ただ、それを能力だと知らなかっただけだ。
ぞくり、と背筋が震えた。
嫌な震えではない。
何かが始まる予感だった。
その時、茂みの奥から低い唸り声が聞こえた。
灰色の狼が三匹、木々の間から姿を現す。
額に短い角。
口元から漏れる黒い瘴気。
ホーンウルフ。
Dランク冒険者なら、一匹でも苦戦する魔物だ。
「検証には少し相手が強すぎるな」
俺は短剣を抜いた。
勝てない。
正面から戦えば、十秒もたない。
だが、不思議と頭は冷えていた。
逃げ道は南。
風は森側から街道側へ流れている。
足元はやや湿っている。
狼の足運びを見るに、三匹のうち一匹は右後脚を痛めている。
使えるものを使え。
前世でも、異世界でも、それだけは変わらない。
「お前、隠れてろ」
俺はスライムを草むらへ押した。
スライムは嫌がるようにぷるぷる震えた。
「大丈夫だ。俺も死ぬ気はない」
一匹目のホーンウルフが飛びかかってくる。
その瞬間、俺は強く思った。
足場を崩せ。
命令ではない。
お願いに近かった。
次の瞬間、狼の着地点だけが泥のように沈んだ。
ホーンウルフは前脚を取られ、勢いのまま地面に転がる。
「本当に動いた……!」
感動している暇はない。
二匹目が横から回り込む。
俺は森に意識を伸ばした。
草。
蔓。
枝。
鳥。
虫。
全部が近くにいる。
「悪い、少しだけ力を貸してくれ」
草むらから細い蔓が伸び、二匹目の足首に絡んだ。
頭上の枝から黒い鳥が飛び立ち、三匹目の視界を遮る。
地面から小さな虫が一斉に這い出し、狼たちの足元を乱す。
殺してはいない。
傷つけてもいない。
ただ、追い払うために動いている。
【局所生態系が応答しています】
【危険因子:ホーンウルフ三体】
【推奨対応:追い払い】
「同意だ」
俺は短剣を構え直した。
「殺す必要はない。ここから離れてもらう」
森の奥から、低い咆哮が響いた。
実際に大型魔獣がいるのか、それとも木々が音を真似たのかは分からない。
だが、ホーンウルフたちは明らかに怯えた。
三匹は尻尾を丸め、森の奥へ逃げていった。
残された俺は、短剣を握ったまま大きく息を吐いた。
「……勝った、でいいのか?」
草むらからスライムが跳ねてきた。
俺の靴に体当たりする。
褒めているのか、心配しているのか。
たぶん両方だ。
「助かったよ。ありがとう」
俺がそう言うと、スライムは嬉しそうにぽよんと跳ねた。
【初回同調に成功しました】
【局所生態系:死の森・浅層部】
【親和度:極めて高】
【死の森が、あなたを認識しました】
森がざわめいた。
その音が、今度ははっきり声に聞こえた。
――いたい。
俺は動きを止めた。
――くるしい。
――きらわれた。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
それは怒りではなかった。
殺意でもない。
泣き声だった。
巨大すぎるせいで誰にも気づかれなかった、森の泣き声。
「お前……ずっと苦しかったのか?」
俺が問いかけると、風が止まった。
森全体が息を潜めたように静まり返る。
足元のスライムが、俺の靴にすり寄った。
ぷるん。
まるで頷くみたいに。
俺は森を見上げた。
死の森。
人間から忌み嫌われる魔境。
地図には黒く塗りつぶされ、立ち入り禁止と書かれている場所。
だが、今の俺には分かる。
ここはただ人間を憎んでいるわけじゃない。
傷ついて、怯えて、誰にも助けを求められないまま、黒く濁ってしまった場所だ。
「俺は医者じゃないし、聖人でもない」
俺は森に向かって言った。
「でも、話くらいは聞ける。何が痛いのか教えてくれ」
地面から細い蔓が伸びてきた。
俺の手首に、そっと触れる。
縛るのではない。
握手のようだった。
【契約条件を確認】
【対象:死の森・浅層生態系】
【契約種別:共生】
【あなたは、この生態系の声を聞きますか?】
俺は迷わなかった。
「聞く」
その瞬間、世界が広がった。
地面の湿り気が地図のように浮かぶ。
鳥の視界が頭上から降ってくる。
虫が感じる振動が足裏に伝わる。
枯れかけた木の渇き。
傷ついた魔獣の息遣い。
毒に濁った泉。
腐った根。
森の奥に打ち込まれた、黒い杭。
情報の波に、膝が折れそうになる。
「ぐっ……!」
多すぎる。
重すぎる。
だが、俺を壊すための情報じゃない。
森は必死に伝えようとしているだけだ。
助けて。
ここが痛い。
ここから腐っている。
俺は地面に片膝をつき、息を整えた。
「大丈夫だ。一個ずつやろう」
前世でもそうだった。
炎上案件を前にして、全部を一気に片づけようとすると潰れる。
まず原因を分ける。
優先順位をつける。
今日やること、明日でいいこと、誰かに任せることを決める。
森の痛みだって、同じだ。
巨大な問題ほど、最初の一手が大事になる。
「まずは浅層部の安全確保。それから水場の確認。次に黒い杭の場所を特定する」
俺がそう言うと、森が小さく揺れた。
驚いているようにも、喜んでいるようにも感じる。
「あと、お前」
俺は足元のスライムを見た。
「名前がないと呼びにくいな」
スライムは、ぷるんと震えた。
「ポル。今日からお前はポルだ」
ポルはその場で何度も跳ねた。
気に入ってくれたらしい。
俺は少し笑った。
追放されたばかりだというのに、さっきよりずっと息がしやすい。
勇者パーティーでは、俺の仕事は雑用だった。
でも、この森では違う。
誰かが気づかなかった小さな変化に気づくこと。
声にならない声を拾うこと。
場を整えること。
それが、そのまま力になる。
「悪くないな」
俺は立ち上がった。
「無能テイマー、森に再就職だ」
その時、頭の中に鳥の視界が流れ込んできた。
森の浅い場所。
泥に足を取られたガルド。
紫の花粉を吸って咳き込むリリア。
顔色の悪いミレーユ。
苛立った様子で聖剣を振るうアラン。
あいつらだ。
俺が忠告した湿地に、見事に踏み込んでいる。
「……本当に右へ行ったのか」
俺は額を押さえた。
早い。
別れて一時間も経っていない。
森から感情が流れ込んでくる。
不快。
警戒。
拒絶。
踏まれた。
折られた。
傷つけられた。
森は怒っている。
それでも、俺の判断を待っていた。
殺すか。
追い返すか。
見逃すか。
俺は少し考えた。
あいつらは俺を切り捨てた。
でも、死ねばいいとまでは思っていない。
それに、ここで見殺しにすれば、俺自身が嫌なものを抱えることになる。
ただし、助けに戻って頭を下げるつもりもない。
俺はもう、あいつらの便利屋ではない。
「森」
俺は静かに言った。
「殺さなくていい。南へ逃げ道を作って、追い返してくれ」
木々がざわめく。
「ただし、これ以上奥に入ろうとするなら止めていい。あいつらが森を傷つけるなら、森を守る方を優先する」
その瞬間、勇者パーティーの周囲で霧が動いた。
紫の瘴気が奥への道を塞ぐ。
代わりに、南へ向かう細い獣道が開く。
森は彼らを殺さない。
だが、歓迎もしない。
出ていけ。
そう告げている。
頭の中の映像で、アランが悔しそうに歯を食いしばるのが見えた。
ガルドが何か叫んでいる。
リリアが咳き込み、ミレーユが足を引きずっている。
少しだけ胸が痛んだ。
けれど、俺は動かなかった。
「これで貸し借りなしだ」
俺は呟いた。
「次に入ってくるなら、自己責任で頼む」
ポルが俺の足元で小さく跳ねた。
まるで、それでいいと言っているみたいだった。
【称号を獲得しました】
【死の森の聞き手】
【生態系テイマーとしての権限が解放されます】
【現在の契約領域:死の森・浅層部】
【領域拡張条件:森の痛みを一つ取り除く】
俺は表示を見つめた。
「森の痛みを一つ、か」
次の瞬間、鼻の奥に嫌な臭いが広がった。
鉄。
腐敗。
薬品。
そして、人間の魔力。
頭の中に映像が浮かぶ。
黒い杭。
杭に刻まれた王国の紋章。
そこから染み出す紫の毒。
枯れていく根。
苦しむ小動物。
その近くで笑う兵士たち。
俺は目を細めた。
「魔族の仕業じゃないのか」
死の森は、魔族領との国境にあるから危険なのだと聞かされていた。
魔族の瘴気で汚染された森。
人間に害をなす呪われた土地。
そう教えられてきた。
だが、今見えた杭に刻まれていたのは、王国の紋章だった。
つまり、この森を壊しているのは魔族ではない。
人間だ。
「面倒な話になってきたな」
そう言いながらも、不思議と嫌ではなかった。
むしろ、胸の奥が熱い。
自分の能力が分かったからではない。
誰かに必要とされたからでもない。
俺が今まで積み上げてきた、地味で、目立たなくて、雑用と呼ばれたもの。
それが、この森を助けるために使えると分かったからだ。
俺は短剣の柄を握る。
「よし。まずは現場確認だ」
森が左右に分かれた。
黒い木々の間に、一本の道が生まれる。
誰も生きて帰れないと言われる死の森が、俺のために道を開けた。
俺はポルを肩に乗せ、ゆっくりと森の奥へ踏み出す。
怖さはある。
不安もある。
だが、それ以上にわくわくしていた。
俺は王様になりたいわけじゃない。
勇者になりたいわけでもない。
ただ、俺の周りくらいは、ちゃんと息ができる場所にしたい。
それだけだ。
【死の森・浅層部があなたに同行します】
【国境線の一部が、あなたの進行を見守っています】
「国境線?」
俺は思わず立ち止まった。
森の奥で、古びた石柱がかすかに震えた。
王国と魔族領を分ける国境標。
それがまるで、尻尾を振る犬のように、こつん、こつんと地面を叩いている。
「……いや、さすがに国境は生き物じゃないだろ」
俺がそう言うと、森全体が楽しそうにざわめいた。
ポルが肩の上でぽよんと跳ねる。
どうやら、この世界は俺が思っていたよりずっと広くて、ずっと変らしい。
追放された無能テイマーの新しい職場は、死の森。
最初の仕事は、森に刺さった毒の杭を抜くこと。
そしてなぜか、国境まで俺に懐き始めている。
「……まあいいか」
俺は笑った。
「どうせなら、働きやすい職場にしてやるよ」
木々が道を開ける。
風が背中を押す。
死の森はもう、ただの魔境ではなかった。
俺の声を聞き、俺の声に応える、巨大な相棒だった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
レオスのテイムは、魔物を力で従わせるものではなく、声を聞いて関係を結ぶ力です。
ここから死の森の開拓、勇者パーティーの失速、そして国境まで巻き込んだ少し変わったテイマー生活が始まります。
面白い、続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけるととても励みになります。




