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先生とあたしの恋愛化学方程式  作者: 角 秋也


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Au-2

 夢を見た。小さいころの夢。まだパパが生きてて、家に帰ってベランダで煙草を吸いながら私の話を聞いてくれていた。その後は私と遊んでくれて、宿題も教えてくれて。いつの間にかパパの顔は先生の顔にすり替わっていて。ああ、そうか。パパと同じなんだ、先生って。煙草臭いけど優しくて、私のことを思ってくれる。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


「おはよ、先生」

 朝。普段授業のある日より早くに登校して化学室に直行した。

「あぁ。早いな」

 あくびをしながら先生は答えた。目が半分閉じている。

「眠そう。夜更かしでも、した?」

「いや……どうにも朝は弱くてなあ。少し待ってくれ」

 先生は鞄からペットボトルを取り出して、中身をゴクゴクと飲んだ。真っ黒な液体。

「コーヒー?」

 そういえば、パパも好きだったっけ。私は小さい頃に一口飲んで以来だけど。

「ああ。朝の日課だな。起きたら煙草とブラックコーヒー。煙草のニコチンとコーヒーのカフェインはまとめてアルカロイドって称されるんだが、どうも俺はアルカロイド中毒らしくてな」

 先生は苦笑いしながら言った。

「アルカロイド……それも化学?」

 聞いたことない名前だ。教科書には載っているのかな。少なくとも、私の作った教科書にはまだ、書かれていない。

「すまん、化学オタクの悪い部分が出た。化学は化学なんだが、高校化学の範囲じゃねえ。ま、聞き流してくれて構わない内容だ」

「一応、教えて。知りたい」

「知りたいっつーなら教えるが……」

 先生は指を空中で回しながら上の方を眺めて説明し始めた。

「えー、アルカロイドっつーのは窒素原子を含む、天然由来の成分で、大抵は毒性を持つ。いくつかの種類は、薬としての作用だったり、幻覚作用だったりを持つ、って感じだ」

「毒性……体に悪いの?」

 もしそうなら先生は毎朝毒を摂取しているということだ。ちょっと心配。

「あー……まあ、煙草が体に悪いのは、言わずもがな。事実、ニコチンは強い中毒性を持つしな。んで、カフェインはというと、こっちは一概に悪いとも言えん。それこそ、緑茶に入ってるくらいだし、薬に使われたりもするくらいだ。まあ、分かりやすい作用としては、覚醒作用と、利尿作用。今時はエナジードリンクなんかにも入ってる辺り、覚醒作用は分かりやすいな。目が覚める。利尿作用は……言わなくても分かるか」

 先生は特に何も見ずにすらすらと説明した。

「先生、すごいね」

 私が言うと、先生は当たり前のように言った。

「大学で化学を学べば、自然に入ってくる知識だしなあ」

「そもそも大学に入ってる時点ですごいし、何も見ずにあれだけ説明できるの、すごい」

 私にもできるようになるかな。

「んー、まあそう見えるのか。ま、興味があるのはいいことだ。化学オタクの才能がある」

「才能……」

 初めて才能がある、なんて言われた気がする。なんだか、嬉しい。

「それじゃ、化学オタクの育成を始めるとすっか。とりあえず、前と同じで教科書を作るってことでいいか?」

 先生は少しだけ柔らかい表情になって言った。

「うん」

 私が頷くと、先生は教科書を差し出した。

「分からんことがあったら遠慮すんな。なんでも聞いてくれ。化学の事なら大抵分かる」

 先生は自信ありげな顔で言った。やっぱり、少し子供っぽい。

「分かった。ありがと、先生」

 少し微笑んで、私は言った。先生といると、自然に笑える。

「いいってことよ」

 さっきと変わらない子供っぽい表情で、先生は答えた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


「さーてと。そろそろ帰る時間だぞ」

 部屋のカーテンから夕焼けのオレンジが漏れ出した頃、ノートパソコンを閉じて先生は立ち上がって言った。

「……もうそんな時間なんだ」

 なんだか、寂しい。楽しい時間が過ぎるのは早いって、本当なんだな。

「そんな顔すんな。来週も来ていいんだぜ」

「でも……」

 土日は会えない。

「あー……そうだ、宿題を出してやる」

 先生は、さもいい考えだ、なんて風に言った。

「えー、宿題……?」

 あんまり、嬉しくない。

「まあ物は考えようさ。宿題とは言ったが、別にやってもやらなくてもいい。少しだけやる、というのも全然いい。暇なときに時間を潰すのに使えばいい、って程度だよ。やってきたら、やってきた範囲の確認問題を出す。今の夏浦は、化学の実力がかなりあるはずだ。勉強っつーのは、できないとつまらんが、できると意外と楽しいもんでな。頑張ったものが形になるってのは、結構嬉しい現象だろ?」

「それは……そうかも。でも、せっかく頑張ってもあれじゃ……」

 満点は、嬉しかった。けれど、もうあんな思いはしたくない。

「そう暗い顔すんな。……初めての満点がああなっちまったっつーのは酷い事だ。でもな、満点を取った事実は変わらん。俺が覚えてる」

 先生はまた、私を慰めるような笑顔をする。この顔も好きだけど、本当はあの時の笑顔が見たい。

「んで、更に満点を増やそうって話だ。そう悪い話でもねえと思うんだが、どうだ?」

「……先生はさ。また満点取ったら、あの時みたいに笑ってくれる?」

「もちろん。夏浦が成長するのは、俺だって嬉しいからな」

 今度は、さっきより表情は動いてないけど、あの時に近い笑顔。好きな顔。

「分かった。宿題、やってくるね」

「んじゃ、範囲を指定するか。ええと、ここまで写したっつーことは、問題集のこの辺か……んー、どれがいいかな……」

 先生は化学の問題集とにらめっこしながら、なにやら呟いている。真剣な顔。これは、私のための顔。頼もしくて、ずっと見ていたいような、そんな顔。

「んじゃ、問題集のこの問題と、この問題。それと──」

 先生は問題集を開いて指さしで問題を示す。

「先生、待って。問題集出すからさ、書き込んで」

「うん? それくらい……いや、分かった。知っての通り、俺の字は割と雑だが、構わんな?」

 先生は不思議そうな顔をした後、頷いて私に聞いた。

「うん。先生の字、好きだよ」

 好きな人のものは、なんだって好きだ。先生の手書きの文字は、暖かい。

 鞄から問題集を取り出して、先生に渡した。

「それはどうも。んじゃ、書き込ませてもらうぜ」

 先生は問題の番号部分に丸をつけて、月曜日の日付を書き込んだ。全部の問題に、一々日付を書き込む。少し汚いけど、見慣れた字。

「ありがと、先生。宿題、大切にするね」

「大切って……まあいい。やってきたら、褒めてやる」

 頷いてから、まだ仕事が残っているという先生を残して学校を後にした。少し寂しいけど、私は家までワクワクして帰った。

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