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先生とあたしの恋愛化学方程式  作者: 角 秋也


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Au-1

 あれから五日が経った。私は家から一歩も出ていない。誇らしかった解答をチラリと見てはしまい、教科書を開き、眺めてはしまう。そんなことを、繰り返していた。結局、ヒトは私の努力を評価はしないらしい。それどころか努力をしたことを要因にして、あんなことまでする。それならば、努力なんてするだけ無駄だ。

「はぁ」

 今日アプリで読める漫画は読みつくした。この先どうしようか。考えるのも億劫で本棚のフォッシルブレイブを取り出してパラパラとめくった。パパの香りがした。先生、会いたいな。

 いい加減、引きこもるのも飽きた。今日は……あ、木曜日。シャンプの雑誌の新しいのが出る日だ。でもなあ。お金は無いし、近くに立ち読みできるお店も無いし。一応、定期は切れてないから、学校の近くまで行けば美生堂で立ち読みできるけど。……行きたくないなあ。終業式、いつだっけ。鞄から予定表を取り出して確認した。昨日で一学期は終わってる。うーん、行こうかな。話分かんなくなっても嫌だし。

 夕ご飯を食べて、適当に洋服を選んで家を出た。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 駅から学校への道を歩く。憂鬱だ。それこそ、今日学校に来る生徒は部活をやっているヒトだけだから、アレに遭遇することはないだろうけど、それでも憂鬱。ため息が出る。でもまあ、漫画のため。下を向いて歩いていたら、例の路地の前に着いた。前に先生には通るなって言われたけどなんとなく路地の方を選ぶ。五十嵐先生、会いたいな。きっと、世界で唯一私の味方。

「よっ」

 手を上げて誰かが私に呼びかけた。

「……え?」

 喫煙所に、先生がいた。いつもの匂いを身に纏って。なんで? たまたま?

「もうこの道は通るなって言っただろ」

「……ごめんなさい」

 なんとなく、目を合わせづらくて視線を下げたとき、灰皿が目に入った。全体が白い、少し特徴的な煙草の吸い殻がいっぱい。まるで同じ人がずっと、吸ってたみたいな。そういえばパパの煙草も白かった。先生が咥える煙草も、白い。

「先生、もしかして……ずっといた?」

 思えば、一言目は私が来ることを知っていたかのような言い方だった。もしくは、待っていたかのような。

「んなワケあるか。たまたまさ。仕事帰りに、一服な」

「でも、灰皿……」

 白い煙草でいっぱいの灰皿を指さした。

「……たまたま、だ」

 先生は不機嫌そうに目を逸らした。こういう時の先生は、大抵嘘をついている。

「ふうん」

 少し。いや、かなり嬉しい。先生に会えたのもそうだし、先生が来るかもわからない私のために、待っていた。やっぱり、先生は味方だ。

「んで、夏浦。最近来てなかったみたいだが、何かあったか?」

「……あった」

 浮き上がった気分が沈み込む。あまり、思い出したくない話題だ。

「嫌じゃなけりゃ話、してくれねえか?」

 心配そうな声で先生は言った。やっぱり、優しいな。

「先生なら、いいよ」

 あの日、あったことを少しづつ話した。まず、ズルを疑われた事。化学室の前で、後藤先生の声を聞いた事。そして、テストが破られた事。

「……そんなことが」

 先生の眉間に、皺が寄る。これは私じゃなくても分かる。怒っている。

「まず、すまん。後藤先生には俺から言っておく。それで奥村の件だが──」

「いいよもう。私、高校もう行かないから。アレを懲らしめて欲しい気持ちはあるけど、そんなことのために先生が大変な思いすることない」

 もう、諦めた。頑張っても無駄みたいだし。

「そんなこと、なんて言うな。夏浦が傷ついたって事柄は、そんな言葉で片付けていいことじゃない。学年主任には俺から言っとく」

 先生は厳しい顔で言った。

 先生の事、好きだなあ。こんなに親身になってくれる人、他にいない。ああでも、そっか。

「高校辞めたら、先生ともう会えないね……」

「……まあ、そうなるな。嫌か?」

 先生は少し困った表情で聞いた。

「うん、嫌。すごく。ねえ、先生?」

 私はようやく自分の中の気持ちに気付いて、気付くと言葉を発していた。

「……なんだ?」

「先生はさ、私のこと、好き? 私は、好き。ずっと一緒にいたい。付き合いたい。でもこういうのは、ダメ……なのかな?」

 先生は、更に困った顔をした。

 私、好きな人を困らせてる。きっと、先生の中は今、私の事でいっぱい。いけないことだけど、少しだけ、嬉しい。

 私が目線を下げた時、先生が声を発した。

「……確かに、付き合ったりとかは、できねえ。だがまあ、なるべく一緒にいてやることはできる。だから、学校に来い。別に無理に授業に出るこたねえ。他の生徒が少なくなる放課後だけ来るとかでも構わん。時間がある分は使ってやる。俺はあくまで教師だから、夏浦のためにできることは勉強を教えてやることくらいだ。そういう形でなら、一緒にいてやれる」

「……分かった。学校、行くね。夏休みの間ってさ、行ってもいいの?」

「もちろん。自主的に勉強しに来る生徒を追い出す学校なんかねえさ。教師の許可さえあればいくらでも来ていい」

 分かりやすく笑って頷く先生。私は分かった、なんて言ったけど、心から納得した訳じゃない。本当は、もっと近づきたい。でも、それはできないから。仕方のない事。でもやっぱり、この笑顔、好き。でも、もっと好きなのは、テストを返してくれた時のあの笑顔。あれをもう一回、見たいなあ。

「先生のとこ、行ってもいい?」

「ああ。そう約束した」

「先生、教えてくれる?」

 先生の声が聴きたくて。安心したくて。何度も聞いてしまう。

「当然だ」

「じゃあ明日から、行くね」

 すごく嬉しい。声を聞くだけでも安心するし、受け入れてくれる台詞で、更に安心する。まるで子どもの頃みたいな、幸せな気持ち。

「おう。待ってるぜ。……そろそろ、消してもいいか?」

 先生は煙草を持つ手を軽く上にあげて言った。

「大丈夫。先生、私が煙草の匂い好きって、覚えてたんだ」

 好きな人が自分の事を覚えてくれてるって、こんなに嬉しい。初めて知った。

「そりゃあなあ。こんな匂いが好きなんていうのは、結構印象的な話だ。この道歩いてたって事は、漫画か?」

 先生は煙草の火を消しながら言った。

「うん。新しい話の出る日だから」

「立ち読みについては何も言わんが……この道を歩くのはやめろ。特にこういう時間は」

 先生は少し眉を怒らせて顔を近づけて言った。煙草の匂いが強まる。

「心配……してくれるの?」

「当たり前だ。教え子が悪いことに巻き込まれるなんつーのは最悪だ。そんな可能性は低けりゃ低い程いい」

 「教え子」。その言葉に、胸がチクリと痛んだ。「付き合えない」という拒絶を再度突きつけられたようだ。だが同時に、その言葉は先生の「守るべき領域」の中に私がいることを意味し、言いようのない安心感も与えてくれた。この距離が、先生と私の限界距離なのだと、自分に言い聞かせた。

「……分かった。でもさ、やっぱり先生の匂い好きだし、たまに来たいな。一緒になら、いい?」

「あー……そうだな。まあ、たまたま一緒の時間に学校を出て、たまたま同じ道を歩く分には、いいんじゃねえか?」

 頬を掻きながら言う先生。

「……うん」

 私と先生の距離だと、ここが限界らしい。少し不服だけど、頷いた。

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