表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
先生とあたしの恋愛化学方程式  作者: 角 秋也


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/20

Ag2O

「先生、来たよ」

 化学室の扉を開けて言う。ここ最近で慣れた、少し煙草の匂いが混じった薬品の匂い。安心する。

「おう。考えたんだが、夏浦には教科書を作ってもらうことにした」

「教科書を……作る?」

 どういうことだろう。私は化学が分からないからここに来たのに。

「ああ。活字、苦手なんだろ? それなら俺の教科書を写せ。それだけで勉強になるはずだ。分からないことがあればいつでも聞いていい」

 椅子を引いて座る場所を示しつつ先生は言った。

「なるほど」

 いい考えだ。教科書を読む気になれば、成績も上がりそう。

「つーことだ。教科書にガンガン書き込め」

 先生はほら、と教科書を私に差し出した。

「どこからやればいい?」

 私が聞くと、先生は顎に手を当てて考える。

「そうだな……どうせだから最初からがいいんじゃねえか。これ全部写すだけでもかなり勉強になるしな。ま、強制じゃねえからやりたくなきゃいいが」

「うーん。でもまあ、暇だし。先生、お喋りもしてくれる?」

 黙々とはやる気にはならないけど。先生が一緒なら、やる気も起きる。

「まあいいぞ。どうせいるなら手は止めないで欲しいが」

「はーい。じゃあ、何か喋って」

 メモを写しながら先生に言った。

「そういう形かよ」

 先生は呆れた声で言った。

「だって、私の話なんて、興味ないでしょ?」

 興味のない人の話なんて聞きたくないはずだ。

「んなことねェさ。そうだなあ……夏浦は獣医になりたいのか?」

 少し真剣味の増した声色で、先生は聞いた。

「……分かんない」

 家を継いだ方がいいんだろうけど……なりたいかというと、微妙。でも、なれるならなってみたい気持ちもあるし。

「ふむ……分かった。話題を変えよう。動物は好きか?」

「あんまり。犬とか、怖い」

 大型犬とかは、可愛さより怖さが勝つ。そういう意味でも獣医は向いてなさそう。

「じゃあ、行きたい場所とかあるか?」

 先生は手のひらを上に向けて聞いてきた。

「水族館。特に、沖縄の大きいところ」

 キラキラした記憶を頭に浮かべながら、答えた。

「指定するからには理由があるのか?」

「うん。昔パパとママと一緒に行ったの」

 あの頃が、一番良かった。

「そうなのか。仲が良さそうでなによりだ」

「……昔はね」

 今は全然。とても、悲しい。

「……悪いことを聞いた。すまんな」

 目を伏せて先生は言った。

「いいよ、別に。あ、先生。ここ分かんない。やったっけ?」

 よく分からない書き込みが出てきた。

「ん? あー、やってねえな。というか、そこの前もやってねえだろ」

 先生は前のページを指して言った。

「うん。でもなんとなく分かるしいいかなって」

 かみ砕かれた内容は読めば分かるものも多かった。

「それが本当なら相当スジがいいぜ。いいじゃねえか、今度確認問題作ってきてやる。やるか?」

「それって、テスト?」

 テストって、嫌い。勉強できないのが分かりやすく形になるから。

「まあな。だが気負う事ァねえ。今までの頑張りを確認するだけさ。成績には反映しねえし、最悪0点でも怒りゃしねえ」

「でもなあ」

 気が進まない。

「この先のお得さ、確認したくねえか?」

 先生は、悪戯っぽく微笑んだ。

「……ちょっとしたい」

「じゃあ決まりだな。んで、そこなんだが──」

 この日は長い時間先生が解説してくれた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


「あ」

 お昼休み、お弁当を忘れた事に気づいた。ついでにお財布も。参ったな、お金を借りられる相手なんて……ああ、一人いるか。

「木村、ちょっといい?」

 あんまり木村のことは好きじゃないんだけれど、背に腹は代えられない。

「ん? どうした?」

 事情を話してお昼代を貸してくれと頼むと、木村は少し考える素振りをしてから財布を開いて1000円札を渡してくれた。そして、

「折角だし一緒に食べる?」

 と、誘ってきた。

「あー、いいかな。私、他のヒトの事よく知らないし」

 そう私が断ると、

「あっそ。とりあえず明日返してくれよな」

 興味なさげに木村は言った。

「分かった。ありがと、それじゃ」

 軽く手を振って購買へ向かおうとした時、ふと視線を感じた。見ると、この間木村の連絡先を教えた奥村さんが、こちらを睨んでいた。私、何か恨まれるようなことしたっけかな。

 それはそれとして昼休みもそう長くはないので急いで購買へ向かった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 あれからしばらく。 私は毎日化学室に通っていた。教科書作りも進んだ。そして、期末テストも終わって、今日は化学のテストが返ってくる日。結構頑張って手応えも良かったからちょっぴり楽しみ。こんなのは初めてだ。

「うっす。テスト返してくぞー」

 五十嵐先生が教室に入ってきた。ワクワクする。

「荒木ー」

 先生は出席番号順に名前を呼んでテストを渡し始める。

「夏浦ー」

 私の順番がやってきた。急いで教卓の前に向かう。

「よく頑張った。満点だ」

 いつも仏頂面の先生は、くしゃっと笑ってテストを手渡した。

 嬉しい。すっごく。満点なんて初めてだし、それ自体も嬉しいけど、先生に頑張ったって言われたのが、とても嬉しい。

 努力の結晶を胸に抱えて、席へ戻った。しばらくテスト返しをした後、先生はテスト問題の解説を始めた。満点を取った私にとっては、暇な時間。でも、とても誇らしい時間だった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


「ねえ、夏浦ちゃん?」

「? えっと、何?」

 授業が終わってHRの前。クラスの女の子が3人で話しかけてきた。話しかけてきたヒトの名前は確か……奥村さん、だったか。クラスの中心的なヒトだ。他のヒトの名前はよく知らない。何の用だろう。

「化学満点だったらしいじゃん! すごいね!」

「! う、うん!」

 褒めてもらうのは、嬉しい。このヒトはいい人かもしれない。

「でさあ。どんなズルしたの? やり方教えてよ」

「…………勉強しただけ」

 一転、すごく嫌な気持ち。なんでこんなこと言うんだろう。やっぱり、ヒトは嫌い。

「とぼけなくてもいいよー。普通、赤点から急に満点なんてあり得ないし。別に言いつけたりしないしさー。ただ、ちょーっと方法を教えて欲しいな、って」

 にこやかに、そして決して私の頑張りを認めずに、奥村さんは近づいてきた。

「ズルなんて、してない」

 私が呟くと、彼女は鼻で笑った。

「あ、もしかして言い辛い内容? 色仕掛けとか? 毎日化学室行ってたらしいしねー。五十嵐先生に、ナニかしたの? あの先生も結構変態なんだねー。女子高生に手、出すなんて」

「してないって言ってるじゃん! 先生の事悪く言うのもやめて! 嫌い!」

 先生との補習で毎日頑張った、あの努力が、一瞬でゼロにされた。それが、一番嫌だった。

 涙が溢れないように堪えながら、教室を飛び出した。気が付くと、化学室の前にいた。入ろうとした時、中から声が聞こえてきた。

「ないですよ。個人的に教えはしましたけど、満点を取ったのはあの子の実力です」

 五十嵐先生の声。個人的に教えたっていうのは……私のことかな。ないですよ、っていうのは何のことだろう。

「不正はない、と。少し信じがたいですけどね。普段の態度を見るに、真面目に勉強する生徒には見えませんし」

 担任の後藤先生の声が言った。先生も、ズルしたって思ってるんだ。……酷い。

 静かにその場を去った。教室に戻ると、奥村さんが私の鞄を漁っていた。

「……何、してるの」

 勝手に人の鞄いじるなんて、非常識にも程がある。

「ん? あ、夏浦ちゃん、戻ってきたんだ。ズルの証拠でもないかなー、って」

「勝手に見ないでよ!」

 奥村から鞄をひったくった。

「おっと。乱暴だなあ。んー、一応答案は埋まってる。ねえ、これ合ってるの?」

 奥村はいつの間にか持っていた私の答案を眺めて言った。

「返して!」

「ヤだ。んー、なんかムカつくなあ。そうだ、採点するから預かるねー」

 そう言って、奥村は体の後ろに答案を隠した。

「返してよ!」

 咄嗟に答案を掴む。引っ張り合う形になり、たった一枚の答案は、簡単に破れてしまった。

「あーあ。破れちゃった。言っとくけど、私のせいじゃないから」

 酷い。酷すぎる。溢れてやまない涙を隠すこともできずに、私は答案をしまって教室を飛び出した。

「おおっと」

 あまり前を見ていなかったのもあり、人にぶつかってしまった。尻もちをついてぶつかった人を見ると、とても大きな体つきの男子生徒だった。

「ご、ごめんなさい」

 私が謝って足早に立ち去ろうとすると、

「ま、待って!」

 腕をつかまれて止められた。

「ええっと、何?」

 私が聞くと、

「いやその、泣いてたから。少し、気になって。夏浦さん、だよね?」

 私の名前を口に出す男子生徒。こんな大きいヒト、クラスにいたっけ。

「う、うん。同じクラスじゃ……ないよね? なんで私の名前、知ってるの?」

 更に私が問うと、

「いやその……前から気になってたっていうか。俺、山野 剛。その、何かあったんなら、聞くけど、どうかな?」

 どうやら慰めてくれるらしい。

「ありがとう。気持ちだけ受け取っておく。私、もう帰るから、じゃあね」

 でも、私は先生以外に慰められても嬉しくないし、断った。山野君の言葉で多少は救われたものの、この悲しみの深さの前には焼け石に水だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ