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先生とあたしの恋愛化学方程式  作者: 角 秋也


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4/20

N2-2

「おう、来たな」

 次の日も、私は化学室に行った。ちょっと面倒くさかったけれど、先生の匂いを嗅いだらその気持ちも晴れた。懐かしい煙草の匂いと、新しい薬品の香り。昨日の授業の後に漫画の話をした時は、楽しかった。人と話すのって、久しぶりな気がした。先生は、大人だけどちょっと子どもっぽい。怒られるのが嫌なところとか、漫画が好きなところとか。先生や大人というもののイメージがちょっと変わった。こういう変な大人は、ちょっと好きかもしれない。

「うん。化学やる」

 ゲイルウィンドは昨日帰りに読んだし、今日は何もない。

「その意気だ。教科書、持ってきたか?」

「一応。でも、先生のがいい」

 機械の字は、読む気にならない。

「仕方ねえなあ。昨日言った通り、補習中くらいは貸してやる。その代わり、夏浦の教科書見せてくれ。教科書の内容はある程度把握してるが、一応な」

「……先生って、もしかしてすごい?」

 一つ、すごいかもしれないことに、気付いた。

「というと?」

「昨日は、教科書見ないで授業したんでしょ? それって、すごい」

 どれだけ努力したら、教科書が頭にスッポリ入るんだろう。きっと、それは大変だ。

「あー……まあ、一応これでも教師だからな。補習授業くらいなら教科書なしでもそれなりにこなせるさ。だが、少しばかり不親切な授業になっちまう。できれば、教科書確認しながらやりたい」

 先生は私の教科書を受け取るために手を差し出して言った。

「分かった。はい、教科書」

 親切な授業の方が、私にとってもいいはず。

「サンキュー。ほれ、俺のだ」

 先生は昨日と同じように教科書を渡してくれた。

「その通り。んじゃ、授業始めるぜ」

 腕まくりをして先生は授業を始めた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


「先生、これありがと。見辛いけど、普通の教科書見るより分かる」

 授業が終わって、先生と教科書を交換した。

「夏浦も、教科書をノートにする勉強法が合ってるのかもしれねえな」

「教科書って、文字書いてもいいの?」

 落書きして怒られてからは、あまり教科書に書き込んだことはない。

「関係ない落書きはどうかと思うが、関係ある事を書き込む分にはむしろ褒められることだと思うぜ。事実、教師である俺がしてるんだ。生徒に同じことをするな、なんつーのは言えないだろ」

 確かに、先生がやってることの真似をして怒られるのは、おかしいかも。

「なるほど。じゃあ、私もやる。先生、もっかい教科書貸して」

「ん? 別に構わんが……」

 差し出された教科書を開いて、自分の教科書も開く。今日習った範囲のページに先生のメモを書き写した。

「先生、これってどういう意味?」

 途中で、分からないメモについて聞いた。

「これか? この式はだな──」

 授業は終わったのに、先生は丁寧に教えてくれた。この人はきっと、いい人だ。他のヒトとは違う。

「っつーワケだ。理解できたか?」

 先生は、手についたチョークの粉を払って言った。

「うん。じゃあ、こっちは?」

「あー、そうだな。明日教える」

「……面倒くさくなった?」

 先生は窓の外を眺めて言った。やっぱり、私なんかの相手は、嫌だったのかな。

「いや、そういうワケじゃねーんだが、時間が遅えからな。あまり遅くなると親御さんにも心配かける。今日のところは帰った方がいいと思っただけだよ」

「……別に、お母さんは仕事で帰ってこないし、大丈夫」

 家に帰っても、誰もいない。

「家の事情は分かったが、それでも夜道を歩かすワケにもいかんしな。今日は帰れ。明日たっぷり教えてやる」

 先生は少し笑って言った。

「分かった。楽しみにしてる」

「楽しみ? 勉強、嫌いじゃなかったのか」

 先生は意外、という顔をした。

「勉強は嫌いだけど、先生の補習は好きかも。手で書いた文字ならたくさんあっても読めるし」

 それに、授業も丁寧だ。

「……なるほど。ま、生徒が自分の授業を好きっつってくれるのはありがてえこった。こっちもやった甲斐がある」

 今度は分かりやすく笑う先生。

「先生は、なんで私に補習しようと思ったの? テキトー教師、なんでしょ?」

 わざわざ私なんかのために、補習を開くなんていうのは、面倒くさそうだけど。

「んー、そうだな。正直に言えば、最初は仕方なくだよな。自分の受け持つ生徒が赤点取ると、教師っつーのは怒られるんだよ。後はまあ、夏浦とはこないだ話をしたしな。興味があった。そんなトコだ」

 悪びれもせず先生は言った。こういう裏表がないところ、好きかも。

「ふうん。興味、あったんだ……」

 すごく、意外。私に興味があるなんて、珍しい。

「おう。さーて帰るぞ。夏浦も電車だったよな?」

「うん。も、ってことは先生も?」

「ああ。今日はもう特にやることもねえし、俺も帰る。一緒に行くか?」

「うん。行く」

 頷いて、荷物をまとめた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


「先生、変わってるよね」

 学校からの帰り道。なんとなく口を開いた。

「そうか?」

「うん。大人なのに子供みたいなこと言うし、私なんかに構うし」

 とても変。

「そう見えるか。ま、ガキっぽいっつーのは否定できん。そういう言動をした。だが……夏浦に構うのが変、っつーのはどういうこった?」

「だって……皆あんまり私に興味ないみたいだし。皆がそうなのに先生だけ構うんだと、それは変って言うんじゃないの?」

 変っていうのは、他のヒトとか違う、って意味のはず。

「それなら、他の奴らが変だ。夏浦と話したりするのが変とは決して思わねえぞ、俺は。一人の人間に興味持つのが変なんつー話は違う」

「……そうなんだ。じゃあ、皆本当は私に興味あるの?」

 そうは、見えないんだけど。

「多い少ないの差はあると思うが……全くない、ってヤツはそういねえんじゃねえかと思うぞ。人間、大抵は他の人間に少しは興味あるってモンだ」

「私無いよ」

 そうなると、私が変なのかな。

「本当に?」

「うん」

 ヒトに興味は無い。

「俺にはあるんじゃねえのか?」

「……確かに、ある。でも、それは先生がちょっと特別なだけ」

 先生は人だから。

「ふーむ。まあ、一部の人間にだけ興味を持つヤツもいるか。だが、夏浦も他人への興味が0じゃねえってワケだ。0とちょっとでもあるっつーのは大きく違う」

「そうなんだ」

「ああ。んじゃ、今日はお疲れさん。じゃあな」

 先生は改札に定期をかざして駅の奥へ消えていった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


「うし、来たな。今日で補習はラストだ」

 放課後。化学室に入ると、先生は既に準備をしていた。

「……そっか」

 結構先生のこと、気に入ってきたんだけどな。

「んな悲しそうな顔すんな。別に、補習が無いときちゃいかんってワケでもねえ。来たけりゃこれからも来ていい」

 先生は、少し笑って言った。いつも仏頂面の先生だけど、一週間毎日放課後教わったら、細かい表情の変化も分かるようになった。

「ホント!?」

 すっごく嬉しい。

「ああ。とりあえずは授業だ。今日はラジオアイソトープについて解説する。質量数と原子番号についてはもうやったよな?」

「うん。原子の重さとどの原子か、っていう番号」

 最初の方にやった。

「その通り。んで、大体の場合コイツらは変わらないんだが、勝手に変わるヤツがいる」

「勝手に?」

 変な原子もあるものだ。

「ああ。時間経過で質量数が減ったりする。これが、ラジオアイソトープ。んで、これの性質が面白いんだ」

「面白い性質」

 面白い性質ってなんだろう。ちょっと、興味が湧く。

「コイツらは基本的に外の環境に関わらず、一定の時間で一定割合変化する。ラジオアイソトープが減る、とも言えるな」

「それのどこが面白いの?」

 どうでもいい気がする。

「結論から言うとだな、木製のものがいつ頃作られたものなのか分かったりする」

「え、なんで?」

 今までの話と繋がりが見えない。

「空気中には質量数14の炭素が常に一定割合存在する。コイツはラジオアイソトープだ」

「うん」

「んでもって、植物は二酸化炭素を吸収する。すると、生きてる植物の中には継続的に14の炭素が入ってくるわけだ。ここで問題。その植物が死んだとき、14の炭素は入ってくるか?」

「死んだら二酸化炭素は入ってこないし……炭素も入ってこない」

 死んだら、空気と何かやりとりはしないはず。

「その通り。んで、ラジオアイソトープは勝手に減る。じゃあ、植物の中の14炭素は?」

「……減る?」

「そしてその減り方はどんな状況でも一定。となると?」

「えーと……あ。どのくらい減ったかでその植物がいつ死んだか分かっちゃう」

「ご名答。優秀じゃねえか。当然、歴史的な時間の見方だと、棺に使われる木なんてのは使われる直前に死ぬワケだ。つまりは木の中の14炭素を調べて計算するだけで、その棺がいつ頃作られたか分かるっつーワケ。な? 結構おもしれーだろ?」

 優秀。私に似合わない言葉を先生は使った。

「うん。すごい便利」

 頷いて、答えた。

「というのがラジオアイソトープ。少なくとも概念は理解できたはずだ」

「化学って、役に立ってるんだね」

 なんのためにあるのか、よく分かってなかった。

「そらそうだ。何も学生の頭の良さを計るためだけのモンじゃねえ。高校生に化学を教えるのは未来の化学研究者を育てる意味もある。単純に化学知識が仕事に必要な職種もあるしな」

 先生は人差し指を立てて言った。

「例えばどんな?」

 化学が仕事で必要になることなんて、あるんだ。

「そうだな……身近なトコだと、薬剤師とかだろ。薬は化学でできてるからな」

「ふーん。お母さんも、化学勉強したのかな」

 それと、パパも。

「何の仕事してるんだ?」

「獣医」

 獣医はお薬を自分で処方するんだ、って昔パパも言ってた。

「そいつはすげえな。それならしてるだろうよ」

 先生は、頷いて言った。そうなんだ。やっぱり、パパとお母さんは、すごいなあ。私とは大違い。

「へえ。……ねえ、先生?」

 ふと疑問が湧いてきて、聞いてみる。

「なんだ?」

 不思議そうな顔で先生は聞き返した。

「私って、獣医になれるかな?」

 本当は、なった方がいいんだろうけど。そもそもなれないのなら諦めもつくし。

「うーん……やってやれねえことは無いと思うぞ。今の成績は散々だが、まだ高校一年の一学期だ。巻き返しはきく。それに、夏浦は勉強すれば結構スジがいい。だからまあ、頑張り次第だが、全然いけると思うぞ」

 先生は笑って言った。

「……そっか」

 嬉しいような嬉しくないような。なんだか複雑な気持ち。

「じゃ、先生。これからも化学教えて」

 とりあえず、化学は結構面白い。お得を掴もう。

「おう、任せとけ」

 先生は、はっきりと分かる笑みを浮かべた。


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