Pt-1
夜空を見上げながらファミレスの裏口から出た。
大学に入学し、二週間が経った。段々と慣れてきた大学生活は順風満帆そのもので、友達もできたし、バイトも始めた。
「お疲れー、玲奈!」
この女の子、美香ちゃんが一番仲のいい友達だ。バイト先も一緒で、今はバイトの上がり際だ。
「お疲れ美香ちゃん。ちょっと電話するね」
「毎回毎回、ホントラブラブで羨ましいわー。過保護すぎる気もするけど。はー、あたしも早く彼氏欲しいなー」
あたしが隅に寄って通話アプリを立ち上げていると、美香ちゃんはため息をつきながら言った。
「大丈夫だよ。美香ちゃん優しいし、美人だし、スタイルもいいんだから」
「でも彼氏はいない」
むくれる美香ちゃん。
「そのうちできるよー。あたしだって、3年越しの恋だったんだから」
高校生だった頃を懐かしみつつ言った。
「えっ、マジで!? 気になる! 今度聞かせて! むしろ今!」
グイグイと聞いてくる美香ちゃん。
「それは構わないけど、電話繋がったからちょっと待っててね」
相馬さんが通話に出たのを確かめて携帯電話を耳に当てた。
「もしもし相馬さん? 今バイト終わったよ」
『おお。気を付けて帰れよ』
何度聞いても相馬さんの声を聴くだけで嬉しくなる。
「うん。そうだ、次のデートいつにする?」
「んー、そうだなあ。新年度でバタバタしてるからしばらくは難しいなあ。ああでもゴールデンウィークがあるな。旅行でも行くか?」
「りょ、旅行!? ま、まあいいけど……」
恋人同士で旅行ってなると当然そういうことも……
「おいおい、何想像してるかは知らんが、日帰りだぞ。何度も言うがハタチにもなってねえ小娘に手なんか出せねえからな」
諭すように先生は言った。
「むう……じゃあ、ハタチになったらその時は──」
「ああ、連れて行ってやる。一緒に酒でも飲もう。酒は慣れてないとすぐ酔い潰れるからな。恋人がどっかの飲み会で潰れて何かされるなんて最悪だ。俺が許可を出すまでは俺の前以外では飲むなよ」
「はあい。そういえばハタチだと煙草も解禁だけど……」
相馬さんのいつも吸っている白い煙草を思い浮かべながら言った。
「ダメだ。あんなもん吸わないで済むに越したことない。吸うなよ。いいか、絶対だ」
相馬さんが珍しくキツい言い方で言った。
「分かった、吸わない」
あたしが答えると、
「それでよし。んじゃ、俺は仕事がまだあるから今日はこの辺で。気をつけてな」
「うん。お仕事頑張って」
あたしの言葉で通話は途切れた。そしてそれを待っていたかのように美香ちゃんは話しかけてきた。
「旅行行くの!? てかお仕事ってことは社会人!? 高卒とか? それとも年上?」
「もう、質問は一つずつにしてよ。旅行は日帰りで、相手は年上。これでいい?」
矢継ぎ早に質問してくる美香ちゃんに若干苦笑しながら答えた。
「なんだ、日帰りかあ。つまんないの」
とても残念そうに美香ちゃんは言った。
「何を期待してたか知らないけど、向こうはあたしがハタチになるまで待つんだってさ」
と言うと、
「へえ、ちゃんとしてるんだね。それで、年上って話だけど何の仕事してるの?」
「……先生。高校の」
相馬さんはあれから塾の講師をやりつつ最近高校教師に返り咲いた。それからは時間の融通があまりきかなくなってしまい、デートの回数は減り嬉しいような悲しいような。それでも、あたしが好きになったのは学校で勉強を教えてる相馬さんだから。喜びの方が勝っている。
そしてあたしが歯切れ悪く答えたのをしっかり聞いていた美香ちゃんは、
「もしかして玲奈の先生だった……とか?」
ニヤニヤと笑いながら美香ちゃんはあたしの脇腹を肘で突いた。
「……うん。いい先生だよ」
それから駅まであたしと相馬さんの複雑な経緯を説明したのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
今日は3月10日。あたしの誕生日だ。もっと言えば、ハタチになる日。相馬さんと約束をして待ち合わせの最中だ。
「おっす、待たせたな」
待ち合わせより5分遅れて相馬さんは現れた。これはいつも通り。
「ううん、そんなに待たなかったよ。今日はどこに連れて行ってくれるの?」
事実、大して待っていない。相馬さんが遅れることを加味して待ち合わせ場所には時間ギリギリに到着していた。
「まずは居酒屋だな。その後はバーにでも連れてってやるよ」
バー。大人っぽい響きだ。それにしても、
「なんで最初に居酒屋に行くの? 直接バーじゃダメなの?」
と、疑問を口にした。
「胃が空の状態で飲むと悪酔いするんだよ。これは胃より腸のがアルコールの吸収効率がいいことから来てるらしい。だからある程度居酒屋で腹を埋める必要があるわけだ。すまんな、ロマンチックさに欠ける場所で」
「大丈夫。でも、相馬さんが『らしい』なんていうのは珍しいね」
いつもは断言するのに。
「ああ。専門外だからな。間違ってる可能性がいくらかある。だから、『らしい』っつった」
「なるほど。でも相馬さん、やっぱり博識だね」
胃と腸の話なんて知らなかった。
「こんなことは酒飲みは皆知ってるさ。さて、行くか」
◇◆◇◆◇◆◇◆
先生に連れてこられたお店は居酒屋というには少し綺麗めでお洒落な印象のお店だった。
「綺麗なお店だね」
あたしが思ったことをそのまま口にすると、
「恋人連れて小汚い場末の居酒屋なんか来れるかよ。俺なりに気ィ使ってんだ」
と相馬さん。
恋人……もう何度か口にして言われてはいるが、いつまで経っても慣れないで赤くなってしまう。
「ほら、赤くなってないで行くぞ。あ、予約の五十嵐です」
先生はあたしの手を取って店に入り店員さんに声をかけた。
席に着くまで手は繋がれたままで、それがなんだか気恥ずかしくて顔の赤みは引かないままだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「で、何飲む?」
席に着くなり相馬さんはメニューを見せて聞いてきた。
「えっと……何がいいんだか分んないや」
様々なお酒の名前の載ったドリンクメニューを見ても何も分からない。精々ビールとワイン程度だ。
「そうだな……最初はビールとかがいいんじゃねえか? 最初の一杯の定番だ」
顎に手を当てて相馬さんは言った。
「じゃあ、それでお願いします」
「オッケー。生中二つ!」
「かしこまりましたー!」
あたしの返答を聞いて、相馬さんは飲み物を注文した。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「生二つです!」
ドンと机に置かれたのはテレビ等で見る泡の載った黄色い液体。
これが……お酒。
「飲んでみな」
相馬さんは言葉と手で飲むよう促した。
「い、いただきます」
少しドキドキしながら重たいジョッキを両手で持って傾けた。
「えほっ、えほっ……に、苦いねビールって……」
口の中に広がる苦みに表情を歪めつつ言った。
「ビールってのはなあ、舌で味わって飲むというより喉鳴らしてゴクゴク飲むもんなんだよ」
相馬さんはそう言うと一息でジョッキの三分の一程を飲み干した。
「炭酸そんなに一気に飲めないよ……」
炭酸はどちらかと言えば苦手な部類だ。
「まあ俺みたいに飲めとは言わんが、喉で飲むのがコツってことだ」
ははは、と笑いながら相馬さんは言った。
「じゃあ、もう一回……」
今度は喉で飲んでみた。炭酸の刺激が直接喉に来る。
「けほっ……うーん、ビールはあんまり合わないかな……」
炭酸にむせつつ正直な感想を告げた。
「そうか。んじゃ残りは俺が貰おう。ワインなら炭酸はないがどうだ? あ、無理はするなよ。気分が悪くなったらすぐに言うんだぞ?」
あたしのビールのジョッキを自分の下へ引き寄せつつ相馬さんは言った。
「うん、分かった。ワインってどんな感じ?」
「うーん、難しい質問だな。銘柄によるとしか言えん。俺自身ワインをそこまで飲まないのもあるが。赤は渋いのが多い印象だな。白はスッキリした味が多いイメージか」
腕を組んで眉を寄せる相馬さん。
「まあいいや、頼んでみよ! 相馬さんの話なら、白のがいいかな」
あたしが言うと、
「分かった。すいません、グラスで白を二つ。それとこれとこれを」
相馬さんはフードメニューを指さしてなにやら注文した。
「何頼んだの?」
「肉の盛り合わせとポテトフライだ。ビール一杯くらいならいいが、他も飲むなら腹を満たさんとな」
「なるほど。ありがと相馬さん!」
気遣ってくれるのが嬉しい。
「年長者として当然のことだよ。もちろん、恋人としてもな」
相馬さんは微笑んで言った。
「相馬さーん、もっと言ってー」
もっと恋人って、好きって言って欲しい。
「うん? 何をだ?」
見当がつかないといった様子の相馬さん。
「好きとかー、愛おしいとかー。もっと言って欲しいなってー」
あたしがねだると、
「玲奈お前……この量のビールで酔ったのか。かなり弱いな」
額に手を当てる相馬さん。
「強いよ! 相馬さんがついてるもん!」
相馬さんがいなきゃ弱いあたしだけど、相馬さんと一緒なら最強だ。
「そういう話じゃなくてだな……」
渋い顔をして相馬さんが言うと、
「グラスワイン二つとポテトフライお待たせしましたー。お肉はもう少々お待ちください」
店員さんが飲み物とポテトフライを持ってきた。
「これがワイン?」
実物は初めて見たかもしれない。
「ああ。だがもう飲む──ってああお前」
さっき言われた通りに喉でワインを飲んだ。美味しい。そして、
「没収だ」
相馬さんにグラスを取り上げられてしまった。
「このままじゃ十中八九吐くぞ。恋人の前でそれは嫌だろ?」
脅すような口ぶりで相馬さんは言った。
「それは……嫌だけど」
美味しい飲み物は飲みたい。
「はぁ。金輪際酒は飲まない方がいい。玲奈、お前は酒にめっぽう弱い。どうしてもってんなら俺の前だけにしてくれ」
心配そうな表情の相馬さん。
「うー……分かった。今日はこれでおしまいにする」
なんだか眠くなってきた。睡眠不足ではないのだけど。
「はぁ。弱いかもしれないと思っちゃいたがここまでとは。参ったな」
相馬さんの声がだんだん遠のいていく。この日の記憶はここで途切れていた。




