C8H7N3O2-2
「いやあ、美味かったなあ。立派なトコに店構えてるだけあるぜ」
お店から出て伸びをしながら先生は言った。
「うん! この後、どうしよっか?」
水族館に行くのは決めていたけれど、その後はフリーできっちり決めてはいなかった。
「そうだなあ……夏浦の好きなトコでいいぞ」
ぼんやりと空を見つめながら先生は言った。
「そうは言っても……先生がお金出す以上、先生の行きたいところにも……」
自分の行きたい所ばかり行って支払いはお任せなんていうのは流石に……
「まあそうか……おっ、ボウリング屋があるぞ。ボウリングは昔結構やっててな。自信があるんだ。どうだ?」
ボウリングのピンが目印の多目的遊戯施設を指さして先生は言った。
「ちゃんとやったことないけど、先生と一緒なら。優しく教えて?」
ボウリングなんて自分で玉を持てないくらいの年頃の時に両親と行ったっきりだ。
「……おう」
何故か顔を反らして仏頂面で先生は答えた。
「じゃ、じゃあ行こ!」
こっそりスカートで手汗を拭ってからおずおずと先生の手を取ってボウリング屋さんに向かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「うん? ここビリヤードもできるのか。少しやってもいいか? ボウリングよりも更に得意なんだ」
建物に入って料金表を見るなり先生は言った。
「そうみたいだね。ビリヤードってどんなルールなの?」
なんか玉を細長い棒で突くらしいという事しか知らない。
「んー、色々あるが……ごく簡単に説明すると、番号順に玉を穴に落っことすんだよ。んで、入れた番号と同じ点がもらえて、点の高い方が勝ちだ」
「よく分かんないけど、ちょっと見てみたいかも」
多分実際に見た方が早いだろうし。
「そうか。んじゃ、少しだけ」
カウンターで先生は店員さんと少し話すと、あたしに付いてくるように合図してビリヤードのコーナーまで歩いていった。
「おお、喫煙所もちゃんとある。ありがてえ。夏浦、悪いが少し待っててもらっていいか? そろそろニコチン切れでな」
喫煙所のマークを見て嬉しそうな声をあげる先生。
「それならあたしも連れてって!」
久しくあの匂いは嗅いでいない。
「ダメだ。喫煙所は未成年入室不可。夏浦なんかどう見ても未成年なんだから連れてけねえよ」
少し厳しめの声であたしをたしなめる先生。
「はあい……」
そりゃそうだよね、仕方ない。そんな思いを込めて返事をした。
「んじゃ、行ってくら。大人しくしててくれ」
言うや否や喫煙所に直行する先生。ヘビースモーカーの先生だ。本当は水族館にいたときから吸いたかったんだろう。それは分かるのだけれど少し、
「はあ」
近くにいるのに一緒に入れないのはなんだかもどかしくて……でもまあ、煙草を吸う所も含めて好きだから、文句は言えないか。
なんて考えていると、
「ねえキミ一人? 良かったら一緒に遊ばない?」
後ろから見知らぬ声がかかった。
「え、えと……一人じゃないです」
振り返ると見るからに遊んでそうな大学生くらいの男性が二人。
こういう人たち、苦手だなあ。
「あ、お友達も一緒? 金なら俺たち出すしさ、いいじゃん! ね?」
あたしの肩に手を伸ばし無理矢理あたしを引き寄せるナンパ。
「ちょっと、やめてください! 今日は特別な日で、特別な人と来てるんです!」
あまりに無作法なナンパを突き飛ばして言った。
「おおっと。なんだ、男連れかよ。それなら最初からそう言って欲しかったなあ」
不機嫌そうに言うナンパ。
「待たせたな夏浦。……っと、何やら穏やかじゃねえな」
喫煙所から戻った先生は剣呑な声で言った。
「ん? 特別な人ってコイツ? おっさんじゃん。ウケる」
手を叩いて嫌な笑い方で笑うナンパたち。
「人の勝手でしょ! いいからもうどこか行ってください!」
あたしが怒気をはらんだ声で言うと、
「てかさ、結局これパパ活ってヤツじゃねえの? そんなにくれるんだ、このおっさん。金持ちにゃ見えねえけどなあ。でもま、そりゃ特別な人になるわけだ」
「この……!」
あたしたちの関係を馬鹿にされてあたしの怒りが最高潮に達した時、
「まあまあ落ち着け夏浦。そういう訳なんでお二人さんもご退散願えますか」
腰を低くしてあたしたちの間に割り込み情けなく言う先生。初めて先生に失望した、と思ったら、
「てなコト言うとでも思ったかガキが。この子の純粋な気持ちを馬鹿にすんじゃねえ。ぶっ飛ばすぞ」
ナンパの胸倉を掴んでキツく睨む先生。
やっぱり、あたしは好きだ。この人のことが。
「な、なにすんだこのおっさん!」
若干怖気づいた様子で強がるナンパ。
「言葉で失せろって言われねえと分からねえか?」
キツい目のままナンパを突き放す先生。
「チッ。分かった、失せますよっと。パパ活もほどほどにしとけよな」
ナンパはそう言い残し建物を後にした。
やっぱり世間的にはそう見えるのか……
「はあ。何とかなってよかったぜ」
ふう、とため息をつく先生。
「そしたら、ビリヤードするかー」
◇◆◇◆◇◆◇◆
その後しばらくビリヤードとボウリングを楽しみ、施設を出た。
「さて、そろそろ解散にすっか……」
「えー! まだ早いんだしさ、何かしようよ!」
まだ日も落ちていない時間だ。解散するには早い。
「何かってなんだよ」
「じゃあ……そうだ! カフェ入ろ! で、化学教えて!」
「……そんなんでいいのか?」
拍子抜けした顔で先生は言った。
でもいいんだ。だってこれは、
「うん!」
あたしたちを繋いでくれた事だから。
「まあ、夏浦がいいなら俺は構わんが……」
首をかしげて先生は言った。
「じゃあ、早く行こ!」
先生の手をしっかりと握ってカフェへと急かした。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「いやあ、優秀になったもんだ」
日も暮れてカフェで食事も済ませた帰り道。先生が送ってくれると言うので二人で暗くなりかけの道を歩いていた。
「だって、頑張ったもん!」
素直に褒めてくれる先生に笑顔で応えた。
「おう、偉いな、よく頑張った。他の教科はどんな調子だ?」
先生は穏やかな顔で言った。
「チャットで話した通り、順調だよ! まだ模試の判定はBだけどね」
「今の段階でBなら十分すぎるくらい優秀だ。だが油断はするなよ。勉強はサボると影響が顕著に出るからな」
「うん……でもね。あたし、この成績、お母さんに言えてないんだ」
「なんでまた」
言おうとするといつも『無理しなくていい』って言われちゃうから。ねえ、先生?」
「なんだ?」
「あのさ、ギュッとして? そしたら、これからも頑張れるから」
家が近づくにつれて育ってきた寂しさが家の前に付いて最高潮になって、つい甘えた声を出してしまった。
「それは……」
困ったように頬を掻く先生。
「もうあたしの学校の先生じゃないんだしさ、ちょっとでいいから。お願い」
今日は本当に楽しかった。だからこそ、今この別れが辛い。
「あー……少しだけだぞ?」
観念したように言って、先生はあたしを抱き寄せた。
「お前なら絶対上手く行く。これからも精進しろ」
頭を撫でながら先生は言ってくれた。
「うん……あのさ」
もう一つ、おねだりをしたくなってしまった。
「……付き合うとかはできないぞ」
先回りしてあたしの進路を塞ぐ先生。
「それは、なんで? あたしが高校生だから?」
先生の顔を上目遣いで見つめて言った。
「……そうだな。一番の理由はそれだ」
あたしと目を合わせずに言う先生。
「じゃあ、卒業したら? 大学生とでもダメ?」
あたしが一歩踏み込むと、
「そうだな……夏浦の気持ちがその時まで残っていれば、少しは考えてやる」
先生は渋々というように答えてくれた。
「やった! 約束だよ?」
あたしが嬉しくてピョンピョン跳ねると、
「考えるつっただけだ。そんなに期待しないでくれ」
困ったような呆れたような顔で先生は言った。
「でも嬉しい! 見ててね! あたし、頑張って大学受かるから!」
「おう。楽しみにしてる」
優し気に微笑んで先生は言った。
「じゃあ家ここだから。ありがとね、送ってくれて」
「ああ。これくらいなんともない。夏浦に夜道を歩かせるわけにいかないからな」
先生は悪戯っぽく笑って言った。すると、
「玲奈、その人は?」
「お、お母さん!? なんで!? いつももっと遅いのに!」
気づくと後ろにお母さんが立っていた。
先生とくっついていたのを見られていないか不安になりつつ声を上げた。
「え、えー、コホン。お母様でしたか。私は高校教諭を務める五十嵐と申します」
狼狽しているのか、若干上ずった声で、それでもなるべく落ち着いた態度で先生は挨拶をした。
「そうでしたか。見知らぬ男性と娘がいるのを見て少し驚いてしまいました」
幸いくっついていたところは見られていなかったのか微笑んでお母さんは言った。
「それでは私はこれで」
そそくさと先生が退散しようとしたその時、
「少し待っていただけますか?」
若干鋭い口調でお母さんは先生を呼び止めた。
……これは。
「五十嵐先生、でしたか。娘と抱き合っていたように見えたのですが、これはどういう経緯で?」
先程の微笑みはどこへやら。鋭い眼で先生を睨んでお母さんは言った。
「お母さん違うの! あたしがお願いしただけだから! 先生はむしろ渋ってたんだから!」
あたしが思わず先生を庇うと、
「……そう。でも、気軽にそんなことしちゃいけないわよ、玲奈。それにしても、今日は随分とお洒落ね。今日はこの先生と一緒に?」
眉をひそめてお母さんは言った。
「う、うん」
あたしが恐る恐る頷くと、
「それで、一緒に何を?」
お母さんの声は相変わらず冷たい。
「ええと……勉強、教えてもらってた……」
そうあたしが言うと、
「別に怒らないから本当の事を言って、玲奈? あなた勉強は苦手でしょう? いいのよ、無理しなくても。あなたが挫折するのは、もう……嫌だから」
お母さんのそのセリフが一番辛い。あたしを気遣っているようで、結局は『もうあたしには期待してない』という諦めへの肯定だ。パパの病院を一人で守っているお母さんの苦労を知っているからこそ、言い返せない。この一言があたしたちには、痛い。
「勉強、化学を教えていました。彼女たっての希望です。お母様。玲奈さんは今頑張って獣医学科を目指しているんです。貴方と貴方の病院、そしてお父様のために。彼女は勉強が苦手なんかじゃない。むしろ今の成績は難関大を目指せるレベルです。問題があったのは環境。どうか、彼女を諦めず、その頑張りを正面から受け止めてほしい。これが担当している教員としての言葉です」
先生がいつになく真面目な声で言った。
「……それは、本当ですか?」
驚いた顔をするお母さん。
「ええ。帰ったら校内試験や模試の結果を見てやってください。きっと驚きますよ。それでは私はこれで」
一礼して先生は駅の方向へ立ち去って行った。
「……あの先生の事、好きなの?」
先生の姿が見えなくなったのを確認してからお母さんは小声で聞いてきた。
「う……うん。あたしの中で一番輝いてる人。あ、でもね! 先生はちゃんとしてるから、付き合ったりとかはしてないよ! だから大丈夫!」
あたしが慌てて繕うと、
「……まあ、実の娘があれだけ年上の人と付き合っているなんてなったら心配だけれど、玲奈の言葉が本当なら、見た目に反して誠実そうだし、私としては問題なしよ。それよりごめんね、私、あなたのことを全然見て無かったかもしれないわ。それと、試験の結果が良かったっていうのは本当?」
「うん! えっと、家入ったら出すね」
「ああ、その前にこれ、食べましょう。折角のクリスマスだからと思ってケーキ、買って来たの」
「本当!? ショートケーキある!?」
「あるわよ。昔から好きだものね」
この後、お母さんとの確執が溶けていくのを感じながら今までの分を取り戻すように話をした。




