91話
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セルセラの街を離れる日も快晴だった。激しい雨風で大きく天候が崩れたのは、あの虹の花を見つける前日だけだった。
それを考えると、あのタイミングで虹の花を見つけたのは良かったのか悪かったのか。凄い確率だと思うが偶然は偶然にすぎないわけで…
「お婆ちゃん、忘れ物はない?」
「ないよ」
「中庭の方も、最後に見ていかなくて大丈夫?」
洗濯物を干す台とその周辺、ちょっとした花壇があるだけの中庭だが…長くここに住んできたお婆ちゃんには、きっと思い出が詰まった中庭だと思う。小さな息子さんたちと駆けまわったり、のんびりしたりして過ごした時間が詰まっていると思う。
「そうだねぇ、少し見てくるよ」
お婆ちゃんが思い出を回収するために中庭へ向かった隙に、家の中に残っていたあれこれをマジックバッグに詰めていく。
セルセラに新居を見つけるのか息子との同居になるのか分からないが、マジックバッグ1つに入っているだけなら邪魔にはならないだろう。必要になったときに好きなタイミングで出してもらえたらいい。
昨日はお婆ちゃんから貰ったプレゼントとして、お婆ちゃんが置いていくものは全てこの家に残しておこうと思ったのだが…一部だけを貰うことにして、息子であるキリジャに届けようと思った。
「お婆ちゃん…」
家の鍵を掛けて、玄関から中庭に回る。
「…ヒロヤ。ありがとう。もう、行こうかね」
最後に中庭と家の外観に別れを告げたお婆ちゃんはほのかに微笑むと、背を向けた。
もうここの鍵を持っているのは俺だけ。この家は俺の家になった。だからお婆ちゃんは中庭から外へ…もう振り返ることなく玄関先に回った。
「ヒロヤ、長い間…世話になる。ありがとうね」
隣に並ぶと、お婆ちゃんは俺を見上げた。
それがこれからの移動の旅のことか、この家の今後のことか分からなかった。両方なのかもしれない。
「任せて。…手を繋がなくて、大丈夫?」
ふふっと笑ってお婆ちゃんは小さく首を振った。
「まだまだ足腰はしっかりしているよ。…ヒロヤに借りたあの魔道具のおかげで夜はぐっすり眠れたし、ここ最近にないぐらい元気さ」
渡したペンダントの祝福もいい仕事をしているのかもしれない。
「冒険者、ヒロヤだな」
うげぇ。こんな朝早くから、しつこいな。
門近くの広場で張り込んでいた男に呼び止められた。お婆ちゃんと一緒だから認識阻害は使えない。マップさんのアドバイスで待ち伏せには気づいていたが、一本道では逃げようもなく…そ知らぬふりで回避しようとしたがダメだったか。
ようやく捕まえたぞ! というような勢いでわらわらと駆け寄ってきた男たちにうんざりする。
「誰ですか?」
初めて見る顔もいる。商会の使いだとやってきた男たちより上質な服を着ていた男が他の男たちを押しやって前に出てきた。
「タルドラ男爵がお呼びだ、すぐに来い」
タルドラ男爵はここの伯爵と領地を接している土地の領主、下級貴族の名前だった。この周辺の貴族の名前くらいは世界基本知識さんから学んでいる。
「見て分かりませんでしょうか。護衛任務で出かけるところです」
「護衛任務など後回しにしろ!」
「タルドラ男爵様から正式な面会のご依頼を、冒険者ギルドに届けていただいておりますでしょうか?」
「なっなんだと!」
「護衛依頼を途中で放棄するよう強制された場合、違約金を男爵さまへ請求させていただきます。あなたの責任において、男爵様から即時一括で支払っていただきます。まずは貴方の身分を明らかにしたうえで一筆書いていただけますか? もちろん、冒険者ギルドで正式な書類にしていただきます」
「なっ、な…」
「違約金をいただいてもこちらの実績にはなりませんので、損害を賠償金の形で上乗せにしていただきます。もちろんこのくらいのことはお分かりのことと思いますが…それも一筆書いてくださいね?」
俺を連れて来いとは言われていても、この男はタダの使い。お金を支払うだなんだのと責任がとれるようなことをこの男が判断も決定もできる身分ではないと分かっている。
「そ、その依頼が終わってからでいい」
「正式な依頼ではありませんが、そちらにおいでのイルドア商会、マルムク商会の方からもあなたと同じ声掛けをいただいていますし他にも数件の面会希望を求められています。順番に対応させていただくのでよろしいでしょうか?」
「なっ、いいわけないだろ! 商人など後にしろ!」
「では今ここにいらっしゃるイルドア商会とマルムク商会にはタルドラ男爵様より順番をお譲りになる詫び金をそれぞれにご用意いただくようお伝えください。私が黙っていても、横やりが入ったことはどこからか漏れるものです。ご注意ください」
身分は下でも商人の情報網や影響力は侮れないぞ。
「いや、待て…私では判断つきかねる。まずは確認がいる」
逃げるように、男は後ろに下がった。
「そうですか、では急ぎますのでこれで…」
こちらから会いに行くとも行かないとも言わない。男爵の使いが下がったからか、商会からの使いたちも俺を呼び止めることはなく、戸惑うような顔をしたまま俺を見送った。
不安そうにしていたお婆ちゃんの肩を抱くようにして、歩き出す。
「行きましょう」
「ヒロヤ…」
「変なのに絡まれて、ごめんね」
囁くようにして、謝罪する。
不安そうにしていたのに、俺がまったく気にした様子がないと気づいたお婆ちゃんの持ち前の気の強さが表に出てきた。
「貴族の使いがなんだっていうんだね。大きな顔をするんじゃないよ。まったく」
「ホントだね」
マーク済みの監視者は他にもいる。このまま行方が分からなくなるのは困るということだろうが…朝早くからご苦労なことだよ。残業手当、出ているのかな。いや、ここは異世界だからそんなものは出してもらえないのかも。大変だね、と同情はするが頑張ってねとエールを送ることはしない。
馬車乗り場でハウバール町行きを探す。幌つきの荷馬車で最低12人集まったら出発というアバウトさ。午前中はだいたい2時間おきの7時9時11時出発の3本。季節やら馬車を運航している店側の都合で出発時間は簡単に変わるらしい。元の世界じゃ考えられないけど、こんなのは異世界じゃあ当たり前のことなのかも。
運良く7時出発に席があったため、2人分の料金を払って乗り込む。マーク済みの監視者もふたり、それぞれ別なのか依頼者が同じなのかは分からないが乗り込んできた。
彼らは黙って乗り込んできたが、だいたいの乗客は「こんにちは」とか「おはよう」などの簡単な挨拶をして、空いていた席に座る。ハウバール町へ働きに行く人か、ハウバール町へ戻る人か。狩りで出かけるのか冒険者のグループもいた。
「出発しますー」
8分ほど出発を待ったところで最後の2人が乗ってきて、定員いっぱいに。ようやく幌馬車は走り出した。
門を通るときに幌馬車に門兵がひとり乗り込んできて一人ずつ検問を受ける。定期便の御者は顔パス。冒険者はギルドカードを見せるだけであっという間に終わる。市民権のあるエミナルお婆ちゃんが一番長くかかったぐらいだ。
「分かりました。息子さんを訪ねる旅なんですね。遠くまで大変でしょうが、充分に気をつけてください」
すぐ横にいる俺がお婆ちゃんを護衛する冒険者だと分かっているので、チラチラとこちらにも視線が来る。既に俺が紫ランクだということをギルドカードで確認させた後なので、こんな子供と…と侮る視線ではなかったが…それでも長旅なので心配になったのだろう。
紫ランクの威力って、凄いんだなぁ。多分、紫でなかったら「そんな遠くまで行くのは考え直した方がいい」とかなんとか引き止められていたかも。
「出発しますー」
検問が終わり、幌付きの馬車が門を潜って走り出す。しばらくしたところでお婆ちゃんが窓から後を振り返った。
少しずつセルセラの街が遠くなっていく。お婆ちゃんはじっと、小さくなっていくセルセラの街を…黙って見つめていた。
*
馬車の中で朝食のサンドイッチを食べた後、揺れで馬車酔いするかと心配したがお婆ちゃんも俺も大丈夫だった。他の乗客も平気そうで、お尻と腰が痛くなった他はトラブルもなく予定通りの時間にハウバールの町に着いた。
「お疲れ様でしたー」
やれやれやっと着いた…という感じでみんなが馬車から嬉しそうに降りていく。出入り口に近いところから降りていくため、俺たちが一番最後だった。
「お婆ちゃんなんだかお腹すかない? でも先に船の予約をしてこなきゃ。あ、足は痛くない?」
「ああ、大丈夫だよ」
この街の治安が分からないからお婆ちゃんをひとりにはできない。
旅装のマントの下にマジックバックもマジックポーチも隠してもらっているが、油断はできない。
「船着き場は、向こうだね」
狭い町だしマップさんのおかげで初めて来たところでも困らない。ホント有り難い。
エックルの町行きの船は今日の14時出発に空きがあった。これを逃すと明日の8時か14時になるところだったから、ラッキーだ。
船代はお婆ちゃんが出してくれた。ここまでの幌馬車代もお婆ちゃん持ちだ。
冒険者ギルドを経由しない直接依頼だったとしても、護衛依頼を受ける前にこの辺のことを確認しておくのは当然だそうだ。けど、今回は個人的な事情も加わって好都合だと受けたもの。
だから自分の分は自分で出すよと言ったのだが、お婆ちゃんに叱られたのだ。運賃や宿泊代、食事代は依頼者負担になっているのが普通だよ! 護衛の仕事を甘く見るんじゃないよ! と。
ここでゴネてもなーと「分かりました」と承諾して出してもらう形にした。
船室は4人で1部屋のものと8人で1部屋の2種類しかなかった。相部屋になる相手がいた方が3日間の旅の話し相手になるかもしれない。でも、相手は選びたいので「旅慣れないお年を召した方の護衛依頼を受けている」とこそっと話しつつ、ちょっとしたお願いとともにチップを渡してそれとなくお願いしてみた。すると窓口で対応してくれた女性係員はにこっと微笑んで、老夫婦と一緒の部屋にしてくれた。
相変わらずついてきている監視の男や、今は無関係でも商人だったら俺の名前を知って絡んでくる可能性もある。そんな奴らとの同室は絶対パスしたいと思ってお願いしたのだが、お婆ちゃんと同世代の人達と一緒にしてもらえた。ひと安心だ。
船着き場近くには食堂もあった。出港を待っている人たちもここで食事を摂ったり、のんびりしているみたいだ。お婆ちゃんは飲み物だけ、俺は軽い軽食を食べて休憩してから食堂を出た。
出港までまだ時間はある。これから乗る船に荷物を運び入れたりして慌ただしく働いている人たちを物珍しく見る。俺もお婆ちゃんも初めての船旅た。船に興味津々だった。
「おや、さっき一緒になった冒険者だねえ」
お婆ちゃんの声に見てみると、同じ幌馬車に乗り合わせた冒険者たちが港の倉庫近くにいる。忙しそうにしている商人達がいて荷馬車が3台あることから、ここからどこかへ向かう護衛のためにこの港まで来たようだ。
「ホントだね。護衛任務みたいだね」
「ヒロヤも護衛の任務中だね」
「でも彼らと違って、俺のは楽しい護衛だよ」
「楽しいかい? そりゃよかった」
笑いあっていると、船に次々と客が乗り込んでいく様子が見えた。出発は12時だが1時間前から乗船可能なのだ。俺たちが乗る船も13時から船に乗れると聞いている。
「お婆ちゃん、先にお昼ご飯を食べておこうか? 船着き場から少し離れているけど、向こうに行列が出来ていた店があったから美味しい店かもしれないよ」
「そうかい? ヒロヤは目もいいんだねぇ」
ちょうど客の入れ替わりに滑り込めたようで、待ち時間なく食堂に入ることが出来た。料理は期待通り美味しかったのだが、人気店らしく客の入れ替わりが激しくて落ち着かない。のんびりできる所の方が良かったかな、と反省しつつ食堂を出た。
行きには素通りした、船着き場までにある店や露店をのんびりと見て回る。特に欲しいものはなかったが、あれこれ話しながら商品を見ているだけで楽しかった。
「お婆ちゃん、もう船に乗る? どうする?」
「そうだねぇ、先に入って部屋を確認してみるとするか」
「そうだね」
もしも部屋に不備があったら、早く連絡しないと交換してもらえたり修理したりしてもらえなくなる。
「乗船の方ですか? 予約の木札を見せてください」
「はい、これです」
お婆ちゃんの分も預かっていたので二人分の木札を係の物に見せる。
「はい、ありがとうございました。こちらは船を降りるまでお持ちください」
返してもらった木札をマジックポーチにしまう。マジックポーチだけだと荷物が少なすぎるので肩掛けのマジックバックもお婆ちゃん同様、マントに下に隠して身につけている。錬金術師さんの剣ではまだ無相応なので、冒険者ギルドの購買でも買える汎用品の剣だけを装備している。
「お婆ちゃん、少し揺れるから、手を引くよ」
甲板へと上がるステップはふたりがギリギリ通れる狭さ。よくこんなところを嵩張っていたり重そうだったりする荷物を持って通るなと、きびきび動く船員たちを見ながら感心する。
「えーと…」
船を予約したときにもらった木札で部屋を探す。




