80話
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「エミナルお婆ちゃん! エミナルおばぁちゃーん!」
ドアをノックして、しばらく待つ。家の中にお婆ちゃんがいることはマップで確認済みだ。
閂を外す音がして、ドアが開いた。
「ヒロヤ…来てくれたのかい」
「うん、来たよー。息子さんから連絡が来たんだって?」
「そうなんだよ、もう、嬉しくてねぇ」
お婆ちゃんは本当に嬉しそうにニコニコだった。
「話がしたいから入っとくれ」
「はい。お邪魔します」
家の中に入り、閂をかけてから居間へ。一足先に居間に入ったお婆ちゃんはそのまま台所へ行ってしまったみたいだ。居間のテーブルの上には一人分のコップが置いてあったから、俺の分のお茶を入れに行ってくれたのだろう。
「いま、お湯を沸かしているからね」
「ありがとう。それより、息子さん…キリジャからの手紙は?」
「ああ、読むかい?」
「うぅん、話を聞かせてもらえるだけでいいよ」
キリジャからの手紙にはいろいろなことが書いてあったらしい。
まず、長男である兄が病死したということを知らなかったらしい。エミナルお婆ちゃんが2年前に出した連絡はやはり本人には届いていなかった。だからお婆ちゃんの手紙を見てびっくりしたらしい。
キリジャの近況も書いてあった。冒険者を引退してアイラさんという女性と結婚し、彼女と両親が経営している【フクロウの止まり木】という宿で働いているということ。そして、なんと…彼女との間に赤ちゃんが出来たことがつい最近分かった…らしい。
「赤ちゃんが!」
「そうなんだよ! 私の孫だ! 嬉しいねぇ!」
お婆ちゃんは涙をぬぐってから「お湯を見てくる」と言って席を離れた。
いや、とっくに沸いていたよね。きっと…と思いつつ席を立つタイミングにちょうど良かったと思うことにした。
「ちょっと沸かし過ぎたみたいだねぇ」
あ、やっぱり。
「いいよ。水魔法が使えるから飲み頃に出来るし」
「おや、そうなのかい。便利だねぇ」
お婆ちゃんは向かいの椅子に座り「それで…」 と切り出した。
「ヒロヤに相談、というか。お願いしたい買い物なんだがね」
「あ、うん」
本当に買い物に行きたかったのか。
「ここからハイセイの街までどのぐらいかかるか調べて欲しいのと、必要になるものの買い出しを頼みたい」
「必要なもの? もしかしてハイセイの街に…会いに行くの?」
「会いたい。ずっと会えなかった息子に会いたい。孫が生まれるのだったら、余計に会いに行きたいんだ」
「…そっか」
旅をする危険はお婆ちゃんにも分かっているハズ。例え旅の途中で危険な目に遭っても、どうしても会いに行きたい。そんな、覚悟を決めたような顔をしていた。
「そうだね。ずっと会いたくて、でも会えずにいた息子さんが見つかったんだものね。…でも、キリジャは元冒険者だよね。彼の方から会いに来てもらうことはできないの?」
お婆ちゃんは首を振った。
「相手の…私にとっても義理の娘になるその人がひどい悪阻で、会いに来られないと詫びてあった」
「ああ…」
そうか。妊娠した女性の体調がひどくなるという、あれか。親戚のお姉さんがめちゃくちゃしんどそうだった。食べ物が受け付けられなくなったり匂いだけで吐いたり…。おばあちゃんちに里帰りしていたお腹の大きな妊婦さんにその時初めて接していろいろ驚いたことを思い出した。
「宿の方でも新しい料理人を探したりで忙しいらしく、今は迎えに行けないけれど、必ず迎えに行くから待っていて欲しいと書いてあった」
だが、待っていて欲しいと言われても…待てないのだ。お婆ちゃんは今すぐにでも会いに行きたいのだろう。
「分かった」
「分かってくれるかい。子供が生まれるまでどれほど連れ合いが大変か。そして生まれた後でも、子供が小さいうちは目が離せないんだよ。私も三人の息子を育てた母親だ。分かるのさ」
「エミナルお婆ちゃん」
「だから私が、会いに行く。私が会いたいんだ。私が会いに行かないと…もう二度と会えない気がする」
お婆ちゃんはそう言って泣き出した。
手紙をもらってから、何回おばあちゃんは泣いたのだろう。
嬉し泣き。悲壮な思い。必死の決意。
「寂しい…ずっとずっと寂しかった。連れ合いを亡くしてから悪意を隠して近寄ってくるやつもいたから警戒しているうちに疑り深くなって、そうこうするうちに誰にも相手されなくなって…3人いた息子がひとりもいなくなってからは…みんなが私を嫌うばかりだった」
お婆ちゃん…。
「特にユルシャが病気で死んでしまってから、いいことなんて…ひとつもなかった。最後に残ったキリジャまで…生きているのか、死んでしまったのか、分からないまま…2年以上が過ぎてしまって…もう、もう私一人残してみんな死んでしまったかと…」
嗚咽混じりの言葉に、俺の胸も痛くなる。もらい泣きしそうだった。お婆ちゃんの寂しさが伝わってくるから。
「………」
一人でこの世に取り残されてしまったような…そんな恐ろしさと、潰されそうな孤独感が俺には分かる。自分のことのように。
この世界に少しずつ馴染んできているとは思う。知り合いも増えたし、行く先々でいろんなことがあって…それなりに楽しく過ごしている。でも、ふとした瞬間に寂寥感にさいなまれる。
なんで、俺はたった一人でこんなところにいるんだろうと…
突然この世界に来て、両親や妹、お婆ちゃんや友達とも遠く離れたところに一人。もう決してみんなとは会えないかもしれない。二度と会えないかもしれない。このままこの世界で一生を過ごすしかない。
その思いに、押しつぶされそうになったことは何度もある。塞ぎこんだこともある。
森に逃げ込み、ひとりだけで隠れ住みたい思いが消えないのは、まだ…自分自身のことを異物だと思っているからだ。異世界に紛れ込んでしまった異分子。
価値観や考え方の違いから違和感が拭えず、たった一人でこの世界を生きていくという決意が定まらない。街に行って多くの人に囲まれて笑顔で話していても…知り合いが増えて楽しい時間を過ごしていても、ここで一生生きていくという決意が定まっていないから迷っている。戸惑っている。ふとした瞬間に逃げ出したくなる。俺のいる場所はココじゃない、と。
「お婆ちゃん、手伝うよ。どうすればいいのか、今すぐには分からないけど…手伝うから、会いに行こう」
「ヒロヤ…」
「うん、会いに行こう。たった一人の家族だもの。会いに行かなきゃね」
会いに行けるなら…会えるなら……家族だもの一緒にいた方がいい。
「ありがとう、ヒロヤ。ありがとう…キリジャが生きていること、教えてくれて…ありがとう」
エミナルお婆ちゃんにはキリジャがいる。息子さんと結婚した奥さんもいる。子供も生まれるし、おかみさんや親父さんだってエミナルお婆ちゃんの新しい家族だ。
「ねぇ、おばぁちゃん…」
ふと、疑問に思った。
「会いに行って…子供が生まれるまでハイセイにいるの? それとも…しばらく住む?」
もしかしたら、そのまま移住する?
「それは…」
エミナルお婆ちゃんも口ごもった。
うん、すぐに決められないよね。お婆ちゃんの年齢だと、遠くまでの旅はとても厳しい。隣町へ向かう馬車に揺られるのだって、疲れてしまうかもしれない。街から街へいくつ街を経由していくことになるか。ハイセイからここまでカケルで飛んできた俺には、ここまでの旅がどれほど過酷なのか分からない。
調べる必要がある。お婆ちゃんにも頼まれていたし…。一般的な旅のプランをたてて、予測を立てて、旅の準備を整えなければいけない。
思いだけで突っ走るわけにはいかない。安心安全な旅行はこの世界にはない。でも、つかみ取りたい幸せがあると分かっていたら…
「それは…向こうがいいと言ってくれたら、近くにいたい」
やはり、エミナルお婆ちゃんの思いはもう…ハイセイに飛んでいるんだ。この街を後にしたら、帰らない…それほどの決意。
そしてキリジャなら…年老いた親が会いに来たことを喜びこそすれ、ひとりで暮らせとセルセラに追い返すことなんてしないだろう。
おかみさんとアイラさんの性格からも、歓迎してくれるに間違いない。
「分かった。じゃあ、押しかけていく方向で計画しようよ。キリジャさんが何と言うかは分からないけど、宿の女将さんの性格は俺も知っている。奥さんになった女性の性格も分かっているから、絶対に迎え入れてくれるよ」
「……大丈夫、かい?」
「大丈夫だよ。自分が悪阻だろうが、こっちは心配せずに迎えに行けと尻を叩きそうなぐらい豪快な女性だよ」
「そんな、豪快な女性なのかい」
「少なくとも、おかみさんはそんなタイプだよ。母娘ともタイプがそっくりだったから、キリジャも安心して入り婿になったんだと思うよ」
ぽかんとしてから、エミナルお婆ちゃんは笑い出した。
「なるほど、あの子の性格をよく理解している。間違いないね、あの子は昔から頼りになるタイプの女性に弱かった。そうか、そうだね。…親子ともども頼りにさせてもらうとしよう」
「ね、お婆ちゃんは隣のアパートの大家さんだったよね。この家のこともあるし、すぐには決められないかもしれないけど…どうするの?」
売却してから旅立つか、誰かに処分を任せて向こうに住んだ後で口座に売却金を振り込んでもらうか…。ハイセイに行った後、エミナルお婆ちゃんがセルセラに戻ってくる未来は見えない。フクロウの止まり木のみんなと楽しく一生を過ごす、そんな未来しか見えないからこの家は不要になる。
「ここを離れた後、ギルドに任せることも考えてみたけれどね。わずらわしくなるのがおちさ。この家も隣のアパートも売り払って、処分していくさ。向こうで新しい家を買わなきゃいけないかもしれないし、旅の費用のこともある。金はいくらあっても困らない」
エミナルお婆ちゃんがひとりで部屋を借りることはなさそうな気もする。一緒に住まないかって誘われると思う。
でも、ただお世話になるんじゃなくこの街でしていたように大家になりたいならアパートの購入資金を持っていくのはいいかも。あの町はそれほど大きくないし、空き家があるかは分からないけど…観光客が増えて発展しそうな気がするから、働く意欲があれば楽しく過ごせる気がする。
「ちなみに、この街で家を買うことが出来る人って、この街の住人じゃないとダメ?」
セルビナさんには信用がないからダメだと言われた。ランクでいえば紫鉄になっているか、一年ぐらい住んでいる必要がある、と。
「ん? どういうことだい?」
「売るとしたらこの家、いくらぐらいなのかな?」
「おかしなことを聞くねぇ」と言った後、何かに気がついたかのように驚いた。
「もしかして、この家を買いたい、とか…まさかね」
まだこの街に来て2カ月にもならないのに、ってことだよね。
「お金なら、多分あるよ。でも、俺は冒険者だからこの街の住民じゃない。だから、その辺りはどうなのかな…分からなくて」
エミナルお婆ちゃんはじっくりと考えているようだった。慎重に吟味しているようなときに下唇を舐める癖があることにこの時気がついた。
「この街は冒険者が多い街だからね。冒険者に家を売ってはならないという法はないよ」
「じゃあ、俺でも買える?」
「条件次第では売ってもいい」
「条件? …分かった、条件を聞かせて」
「その前に、今回の依頼を頼むよ。家を売る条件は明日以降に話す」
ああ、依頼。依頼ね。
「了解。 …ここからハイセイの街までどのぐらいかかるか調べるのと、必要なものの買い出しだったね」
買い出し…買い出しかぁ。
「どのぐらいの日数と料金がかかるのかはこれから調べるけど、買い出しは後にしない? 持っていく荷物のことを考えるとマジックバッグが必要になるよね。それを今日明日に買うっていうのは、大きな買い物だから…まずは順番に一つ一つ片付けていこうよ。先に旅の計画を立てる。それから必要なものを用意する。…どう?」
「……それでいいよ。依頼表を貸しな」
エミナルお婆ちゃんは 買い出しの手伝いと依頼内容が書かれた用紙を見て頷くと、石板に何やら書き始めた。
「これを頼むよ」
書いてあったのは肉屋で兎の肉を1包、小さいのを買ってくること。パン屋でパンを4つ買ってくること。市場で牛乳とジャガイモ6個と人参3本を買ってくることだった。シチューの材料かな。
「私はやることが出来たから、ひとりで行ってきておくれ」
あれ? あ、そうか。今回の買い物代行の指名依頼は簡単に終わる『買い出し』で終わりにするんだね。ハイセイまでの移動行程とルート決めを指名依頼にするとすぐに達成にならなくて報酬が渡せない、ということなのだろう。
「分かった」
購入代金に、と大銅貨を3枚渡された。
「買い物籠はそこにある。お釣りがあるようなら果物でも適当に見つくろってきておくれ」
「マジックポーチがあるから買い物籠はいらないよ。じゃあ、行って来ます」
お婆ちゃんの家を後にして、きちんとお使いクエストを済ませて戻る。
「ただいま」
「早すぎだよ。ま、入りな」
そりゃ、現役の冒険者ですから。お婆ちゃんの歩く速度とは違いますよー。
「あ、いい匂い」
野菜が煮込まれているいい匂いがしていた。
「買ってきたものとお釣りは?」
テーブルの上に並べて、きちんとお釣りまで返した。
「果物まで買ってきて、お釣りが出たかい。なかなかの買い物上手だね」
それはまあ、裏技がありますから。
大量買いすることで値引きしてもらった分で予算内に納め、なおかつ果物も買ってきた。自分の分も買えたから、お婆ちゃんにとっても俺にとってもいい買い物が出来たというわけだ。
「ベーコンを焼いたら夕食にするよ。…多く作り過ぎたから、食べていきな」
作り過ぎなんていうのは優しい嘘だ。
「…嬉しいな。お腹すいていたんだ」
「帰る前にサインするから…食べ終わってもすぐ帰るんじゃないよ」
「分かった。…お手伝いしようか?」
「いらないよ。大人しく座って待ってな」
「はーい」
こんな会話を息子さんと一緒に暮らしている時も交わしていたんだろうな。
料理が完成するのを待つ間に、俺はマップさんに頼んでハイセイからセルセラまでのおすすめルートを提示してもらっていた。
やっぱり、船を使うのが良さそう。
セルセラ近くのハウバールの町から、河を下れば港町リノアドが最終地点になる。逆に河を遡ればエックルの町が最終地点。この先も河は流れているが船では行き来が出来ないらしい。陸路で街道を行くとして、効率よく回れるのは…
途中、いくつもの町がある。もちろん町と町の間には平原がある。地図には表示されていないが道のアップダウンもあるだろう。どこで野営をして、何日かかるのか…
これはセルビナさんにも相談してみた方がいいかもな。
「待たせたね」
「美味しそう…」
お婆ちゃんが用意してくれたのはポトフそっくりの煮込み料理だった。干しキノコの旨味とベーコンの脂の甘みがいい相乗効果になっていて、柔らかく煮込んだ野菜に優しく染み込み、食べると身体と心がポカポカした。
もっと食べなと勧められて、お替りまでした夕食が終わるともう帰ってもいい、ということなのか。エミナルお婆ちゃんは依頼書にサインをしてくれた。
「ごちそうさまでした。とりあえず、明日から調べてみるよ。明後日の仕事終わりに顔を出すようにするね」
「仕事終わりなら、また夕飯時においで」
「いいの? じゃあ、7時か遅くても8時までには来れるかな」
「分かった。気をつけるんだよ」
「うん」
「ケガなんかしてきたら承知しないからね」
「気をつけるよ」
「おやすみなさい、エミナルお婆ちゃん」
「……おやすみ」
エミナルお婆ちゃんは玄関先に出てまで見送ってくれた。
「怪我するんじゃないよ!」
もう一度、そんな声が聞こえた気がした。




