第57話
「こんにちはー。冒険者ギルドから屋根の掃除の依頼を受けてきました。ヒロヤと言います。どうぞよろしくお願いします」
生意気そうなガキだね! と凄まれても俺がにこにこ笑っていたからか、気味の悪いものでも見ている目つきをされた。
「中庭にお邪魔してもよろしいですか?」
「よろしくないよ! ちょっと待ってな!」
そう言って身を翻すお婆ちゃんの手にタオルがあったのを俺は見逃さなかった。
「待ってろって言っただろうが!」
おばあちゃんの背を追いかけるようにして、俺は中庭に踏み込んだ。
「エミナルお婆ちゃん、洗濯物干していたんだよね?」
「煩いね! 出てお行き!」
「あれって、お婆ちゃんの背にはちょっと高くない? ああ、踏み台を使っているんだ」
中庭には井戸があり、その横には洗濯物を干す物干し台もあった。竿に洗濯物を通した後、Yの字になった棒で上の位置まで上げて干す…というスタイルなのだが、小柄なお婆ちゃんの背丈には合っていない。
「煩いね! 余計なお世話だよ!」
「お婆ちゃん、俺も手伝うからちゃちゃっと片づけてしまおうよ。そしたら屋根掃除の現場に案内してね。早く仕事したいんだ、お願い」
最後にお願いとつけたからなのか文句を言いかけていた口が一度閉じた。
「お婆ちゃんの手があかないと、俺の仕事に取り掛かれないから…お願い、手伝わせてよ」
じっと俺の顔を見ているエミナルお婆ちゃんは口をへの字に曲げて、不機嫌を表情で表そうとしているみたいだった。でも目の表情は別。戸惑うように少し揺れていた。
「ね。俺がこの竿を持っているからお婆ちゃんが洗濯物を掛けていってよ。レディの洗濯物には絶対に触らないから安心して」
「…何がレディだぃ。おべっかを使うんじゃないよ!」
ふんっとそっぽを向いてから「そんなに手伝いたいんなら手伝わしてやるよ!」と言ってくれた。よし、しめた。
「うんうん、手伝いたい。ありがとう、エミナルお婆ちゃん」
すっかり毒気が抜けた、とまではまだいかない。だが、反発するだけではなくなったことで一歩前進だ。
素早く洗濯物を掛けていくお婆ちゃんの手つきや足運びなどを見ていると、見た目の年齢から想像するよりもずっと元気そうだった。
「ついでに花に水やりをするから、井戸から水を汲んでおくれ」
「うん、いいよ。でも水魔法で水やりしたらダメ?」
「ダメに決まっているだろうが! 庭を壊す気かい!」
「分かった。水を汲む桶に、何杯くらい?」
「3杯は要るね。ちゃきちゃきと汲みな」
3杯も花にかけるのは多くないだろうかと思いつつ、井戸から桶で水を汲み上げる。がっちゃんポンプぐらい普及していても良さそうなものだけど…ないみたいだ。宿でもこの釣瓶タイプの井戸だった。
「エミナルお婆ちゃん、この花は何って名前?」
如雨露はないのか、おばあちゃんは柄杓を使って水やりをしていた。
「サクラソウだ」
よしよし、サクラソウに翻訳完了。この調子で…と花の名前を尋ねていたら「いちいち、聞くんじゃないよ! うっとおしい!」と叱られた。
「ごめんね。でも俺、植物とか薬草に興味があるんだ。向こうのレモングラスは俺も知っているよ。ハーブティーにするとすっきりした清涼感がいいよね」
「…あんた。植物に興味があるのかい」
「うん。出来れば野草や薬草採集専門になりたいんだ」
おべっかで花の名前を聞いていたんじゃないと分かったからか、少し雰囲気が穏やかになった。
「あんた、ハーブティーも飲むのかい?」
「うん。料理も趣味なんだ。ハーブ入りのクッキーも作るよ」
マジックバッグからクッキーを3枚入れた小袋を取り出す。
「良かったら、どうぞ」
お婆ちゃんは俺の顔をじっと見ているものの、一向に受け取る気配がない。
「あ、そうか。知らない人からもらったものなんて気持ち悪くて食べられないよね。ごめんなさい」
クッキーの袋はカバンに戻しておく。
「えっと、それで俺の仕事場はここの屋根でいいの?」
「……ついてきな」
お婆ちゃんはちらりと俺の後ろにいるサーリャを見た後、歩き出した。そのあとに続くと中庭を抜けて隣の敷地に入った…と思ったらどうやらここもおばぁちゃんの持ち家…というよりアパートみたいだった。
「ここの屋根だ。水魔法を使うんなら絶対に壊すんじゃないよ。雨漏りがしたら後で修繕費を請求するからね!」
俺は3階建ての屋根を見上げた。
この辺は雪が降り積もるような環境ではないらしく、街でよく見かける屋根の傾斜は緩やかだったり、平坦でほとんど傾斜がない家もある。
この集合住宅もレンガ造りの3階建て。真四角に近いシンプルな外観で、下から見ると屋根は水平に見えた。日本家屋によく見られる雨樋はないが、周囲から雨水を集めて壁に掘られた縦溝で地上まで落として排出するようになっている。つまり、下からは水平に見えても実際には屋根にも緩やかな傾斜が作られているという事だ。
「屋根の上に上がる設備は?」
「そんなものはないよ。自分で考えな!」
なるほど…。
フローティングボードを使えば3階どころか数百メートル上空だろうが飛び上がれるが…今回は使えない。というか使っては不味いことになる。地上から水魔法を使ったふりをして洗浄スキルを使うと、本当に綺麗になったのかどうかと疑われそう。屋根に上って作業をしたふりをしても、そこは下からは見えないはず。
「エミナルお婆ちゃんに確認してもらうためにも、お婆ちゃんが上がれる方法を考えないといけないんだね」
「あたしゃ上らないよ!」
ぎょっとしたようにお婆ちゃんが叫んだ。
「こんな年寄りを屋根に上がらせるなんて…殺す気かい!」
「え…でも、そうすると確認は? まさか、自己申告?」
きちんと掃除が出来ているかどうか確認しなくてもいいのだろうか? そう思いつつ、お婆ちゃんを見るが視線を合わせてくれない。監督役のサーリャさんをみても思い切り視線を逸らされた。
あれ? 本当に自己申告だけ?
だとしたら、やったふりをしている人がいても分からないじゃないか。
「冒険者ギルドから派遣されたんだろ! 出来る奴を寄越しなと言ってあるんだ。きっちりやってもらうよ!」
それはまあ、きっちりやらせてもらいますよ。俺はね。でも、他の冒険者のことまでは知らないからな。
「エミナルお婆ちゃん?」
くるりと背を向けたお婆ちゃんがどこへ行くんだろうと思って声を掛ける。俺が作業をしているところも見て行かないのか?
「煩いね! あたしゃ暇じゃないんだよ。あんたはきっちり言われたことをやればいいんだよ!」
はぁ…と思っている間にお婆ちゃんは自宅の方へ戻って行った。
「本当に見て行かないんだ」
ぽつりと呟くと、これまで無言を貫いていたサーリャが感心したように呟いた。
「よくあの婆さんと話をしようという気になるね」
「え?」
「すぐ怒るし、すぐ怒鳴るし、すぐ叱りつけてくるし…やりにくくて皆に嫌われているのに…」
そうかな。君江ばぁちゃんと比べたら悪いけど、可愛いじゃないか。いや、君江ばぁちゃんも可愛んだけどね。
「なんで、にこにこしているの? 意味わかんない」
「え…だって、エミナルお婆ちゃん、可愛いよ? 俺の育ての親は、あんなもんじゃないし、慣れているんだ」とここはちょっぴり嘘を交えておこう。
「慣れているって? 確かに、平気そうだったね」
「うん、平気。お花を大切に育てているひとに悪い人はいないよ。それに、屋根の掃除とかも俺たち銅クラスの冒険者にって仕事をくれている優しい人だと思う」
「優しい? 安くこき使うってみんな陰口をたたいているの、知らないの?」
「優しいと思うけど…? 定期的に掃除の仕事を依頼してくれているんでしょ?」
定期的に仕事が来ているから若い冒険者たちの間ではエミナルおばあちゃんのことがよく広く知られている、ということだ。
「あんた、ずっと思っていたけど…変わっているわ」
そうかな? と首を傾げた。
「そんなことより、どうするの? 屋根に上がる手段がどうしても思いつかないようなら、助けてあげるわよ」
そう言われて、ようやく少女が背に弓を背負っている理由に気が付いた。 なるほど。弓でロープをかけるつもりなのか。でもそうすると、どこかに射ることになって穴が開かないか?
歴代の先輩冒険者たちがそうやっていたとしたら、屋根の上にはところどころ穴が開いているかもしれないぞ。例え屋根までレンガ作りだとしても、穴から大きなひび割れになったらどうするんだよ。
これは何としても屋根の上に上がる必要がある。
「大丈夫です。ところで、先輩は屋根の上に上がりますか?」
「先輩はよしてよ、サーリャでいいわ。ランクは違うけど、歳もそんなに変わらないんでしょ?」
「ありがとう、じゃあ…サーリャで呼ばせてもらう。…で、上がる? 上がらない?」
「ヒロヤが上がって欲しいなら上がるわ。でも上がって欲しくないなら上がらない」
俺は思わず肩をすくめた。
「それで、報告できる?」
「出来るわよ。下から見ていたって、さぼっているか仕事をしているかぐらい分かるもの」
「了解。じゃあ、俺一人で上がるよ。ひとりで作業した方が楽だし、サーリャが屋根から落ちないかどうか心配する必要がないから」
馬鹿にしないでみたいな目で笑われたが、俺にしたら一人で作業できるのは正直有り難い。
「じゃ、行ってくる」
俺は縦溝とレンガの隙間に触れて、指先がわずかにかかることを確認すると重量経験スキルを発動し…するすると3階まで登った。屋根の端に手を伸ばして指先、腹筋背筋すべての筋肉を駆使してよじ登る。これは向こうの世界でボルダリングをやっていた時も出来なかった超人業だ。アクションスターになったような気分だ。
さて、と。ざっと見ただけでも屋根の上にはところどころ穴が開いている。予測通り、ロープを掛けるために弓で射られて空いた穴だ。
まずは水魔法で汚れを落とす。もちろんこれで終わりにはしない。こっそり洗浄スキルも発揮して、落とせる汚れはすべて落とし、錬金術スキルで穴も塞いでしまう。屋根の上は広い。端の方で作業をしていれば下からでも見えるが、中央へ寄れば寄るほどサーリャには俺が何をしているのか見えなくなる。
「…あぁ、いい景色だな」
ふと、周囲を見回した。異国情緒たっぷりならぬ、異世界情緒たっぷりだ。海外旅行をしたこともない俺が、外国の前にまさか異世界を訪れることになるなんて…ホント、分からないものだ。
早すぎても不審に思われるだろうが、5分以上も水魔法で洗っているフリをし続けるのも違和感があるだろうと判断し、切り上げることにした。
「終わりましたー」
下にいるサーリャにそう叫ぶと「ロープを掴んで! 金輪に通したら降ろして! 上がる!」と叫び返された。
何だ、やっぱり上がってくるのか。錬金術で修復した場所を戻す隠蔽工作をする間もなく、ロープを繋いだ矢が飛んでくる。仕方なくそれを掴んで、屋根の隅に埋め込まれていた輪に通して、矢が付いたままのロープを落とす。
よし、この隙に…。サーリャがロープで上がる前に修復した傷跡をへこみ程度に戻す。
「引っ張ってー」
ヘルプを頼まれ、ロープごとサーリャを引っ張り上げてやる。
「ありがとう。頼りないみたいに見えても、さすがに男の子ねぇ」
頼りないは余計なお世話だ。と思いつつも、反論は出来ない。ギルドで日々見かける先輩冒険者たちの体格の良さは俺も嫌というほど見て知っている。筋骨隆々を越して、ゴリラかよと思うような男たちと比べられたら、俺なんてヒョロヒョロのがりがりだろう。
「へぇー。綺麗なものねぇ。水魔法で洗浄したの?」
俺は黙って肩をすくめてみせた。
「さっきも何かしていたみたいだけど、何をしていたの?」
「水の流れを確認していたんだよ。穴が開いているようなヒビがあれば大変だからね」
「大丈夫だった?」
「多分…」
「そう。…せっかく上がってきたんだから、一周してみるわ」
サーリャはそう言って、屋根の上を端から端まで歩き回った。
足元を一通り見て気が済んだのか、今度は遠くの景色を見始めた。さっきまで俺がそうしていたみたいに目を軽く細めている。
「ここから、ギルドが見えるわね」
「ホントだ…」
気が付いていたが、そう言ってサーリャの横に並んだ。
このあたりは2階建ての建物が多く、3階以上の建物はギルドや大商会の店舗、ランクが上の宿屋ぐらいだ。
「ちゃんと仕事、終わってるみたいね。あまり時間かかっていないけど、どうする?」
「どうするって?」
「戻ってギルドに報告してくれたら、私も別の仕事を受けられるから助かるんだけど…」
「じゃあ、そうするよ」
「ありがとう。助かる」
「ロープを使って降りるのは出来る?」
「それは大丈夫。登りほど大変じゃないから」
サーリャが降りるのを確認してから、金輪に結んでいたロープを解いて落とす。俺は重量軽減スキルをオンして上ったのとは逆に屋根の端にぶら下がってから、片腕を伸ばし、縦溝に指先を掛けた。さすがにボルダリングでは下りの練習などしたことがない。少しヒヤリとしたが重量軽減スキルのおかげで落下は免れた。スパイダーマンになった気分で素早く、するすると降りる。自分でもサルみたいな動きだなと思いつつ、地上に降り立つ。
「身軽ねぇ。森育ちなの?」
「そうだよ。森が深い田舎から出てきたんだ。サーリャはセルセラの街育ち?」
「まさかぁ、違うわよ。セルセラの街は冒険者の街と言われるほど冒険者が多いけど、この街で生まれ育った人が冒険者になるのは少ないみたい」
「へぇ、そうなんだ」
「全くいないわけじゃないらしいけど…そりゃそうよね。こんなに住みやすいいい街に生まれていたら、冒険者にならなくてもいい仕事はいっぱいあるものね」
俺たちは来た道を戻ってエミナルお婆ちゃんの家の中庭へ戻った。
「私は玄関先で待っているから、仕事の完了のサインをもらってきて」
「分かった」
俺はひとりでお婆ちゃん家の勝手口のドアをノックした。
「エミナルお婆ちゃんー。屋根掃除の仕事終わりましたー」
しばらくして、お婆ちゃんがドアを開けてくれた。
「本当に終わらせたのかい?」
「はい。確認されますか?」
「あたしゃ屋根の上には登らないと言っただろ!」
「屋根の上に上がらなくても確認できますよ」
「ほぉ…どうするってんだい?」
お婆ちゃんの指先は白くなっていた。パンでも焼く準備をしていたのかな。
「俺が水魔法で屋根の上から雨代わりの水を流しますから、雨が落ちる縦溝から出てくる水の色を見て確認していただければいいと思います。コケや落ち葉があれば流れてきて、まだ掃除が終わっていなかったと分かりますし」
「……なるほどね。それじゃあ、見せてもらおうか」
俺はエミナルお婆ちゃんとともに現場へ戻り、屋根の上から優しく、しかししっかりとした流れが出るほどの量のウォーターシャワーを地上から降らせた。
「ほぅ…なかなか、器用なものだ」
しばらく排水の状態を確認してから、お婆ちゃんは俺に向かって手を出した。
「出しな。サインしてやるよ」
「ありがとうございます」
俺はカバンに入れていた仕事依頼書をお婆ちゃんに渡した。エプロンのポケットから取り出したペンでさらりとサインをくれた。
「ほら、とっととこれを持って帰んな」
押し付けるように渡し、エミナルお婆ちゃんは身体の向きを変えた。すたすたと歩き去るお婆ちゃんに聞いてみた。
「他にも何かお手伝い出来ることがあれば、後で来ます」
お婆ちゃんはくるりと振り返り、睨んできた。
「仕事の押し売りは要らないよ」
「仕事じゃないとお手伝いできませんか?」
じろっと睨まれた。
「なにが目的だい?」
「目的…んー、亡くなった育ての親に似ている…というのは理由になりませんか?」
俺の返事は思ってもみなかったことらしく、目から険しさが消えた。
「すみません。勝手に懐かしさを感じてしまいました」
懐かしさを感じたのは本当だ。君江ばぁちゃんは俺のばぁちゃんの隣に住んでいる婆ちゃんだけど…夏休み期間をばぁちゃん家で過ごしているうちに、もうひとりの婆ちゃんと感じるぐらいに仲良くなった。
「ギルドへの報告があるので、一度戻ります。今日はありがとうございました」
ぺこりと一礼してから、サーリャの待つ玄関先へ出る。




