第55話
さくっとメイロを購入して、ガレットの屋台のおっちゃんのところまで急いで戻る。
「坊主、ちゃんと戻ってきたのか」
おや、坊主扱いか。ま、仕方がない。こっちもおっちゃんとかおやじ呼びだもんな。このぐらいの年齢の中年男に対しては。
「まずは手を洗って…」
「お、水魔法持ちか。いいな」
「おっちゃんもちゃんと手を洗ってる? 水出すよ?」
「出してくれるんならこっちの桶の水を入れ替えるから、これに頼む」
ちゃっかりしてるなーと思いつつリクエストに応えて桶の水を入れ替えてやる。
「さ、説明しながら始めるよ」
「おぅ、やってみろ」
ボールにはそば粉と水、塩を加えてよく混ぜ、一晩寝かせた生地が用意されていた。油を伸ばして熱した鉄板に生地を流し入れ、こてで薄く延ばす。
「ほう、うまいもんだ」
別のボールに割りほぐした卵液を流し入れ、これも薄く延ばす。程よく焼けて来たらひっくり返し、さっと火を通したら再びひっくり返して皿の上へ取り出しておく。ガレットの方の生地の表面の状態を見て、こちらも生地だけのガレットを焼き終えたら一度皿の上へ取り出す。
調味料の醤油とクスクー、日本酒は手に入らなかったから代用としてエールを加えて別の鍋でひと煮立ちさせる。
「そりゃ、なんだ?」
「これ? 舐めてみたらわかるよ」
醤油を掌に落とす。…醤油、醤油、これは醤油。
「ん? 醤油だな」
よっしゃー。これで俺が醤油と発音していても、相手にはヒスミスと自動変換される。こちらの世界で大豆代わりのヒスミと麦と塩を発酵させた調味料が醤油にとても似ていたのだ。俺の中では醤油と呼んでいたので、これでひと安心だ。
「で、さらに加えたのがこれ」
みりん、みりん風調味料…みりん…
「みりんだな」
おぉー。上書きが出来るのか。これでクスクーがみりんに自動変換できた。おっちゃんありがとう!
「さらに安いエールを加えてひと煮立ちさせるとおいしい調味料が出来る」
エールにもランクがあり、安物だとすべてが薄い。苦みが少なく香りが弱いなんて、調理用酒にもってこいだ。
「エールを? もったいないことをするなぁ」
「まあまあ、試しに舐めてみてよ」
先にタレだけを舐めさせる。
「なんじゃこりゃ、初めての味だが甘いし酸っぱい? だが、旨い」
「でしょ? これをガレットに薄く掛けて、伸ばして、焼き卵を載せたらこれをちぎって載せて…」
レタス、レタス。木の葉っばはレタス。
「本当にレタスを入れるのか」
よっしゃー。おっちゃんありがとう! 今後はメイロではなくレタスでOKになったぞ。
「食べやすくするためくるくるっと丸めて…これで完成。さ、食べてみてよ」
「おう…」
自分でも食べてみたくなり、同じものをもう1枚素早く作る。生地はおっちゃんのものだが、それ以外の材料は俺の持ち込みだ。
「うまいな、これ。レタスの触感もいい」
「でしょ?」
「肉が入ってないのに、旨い。売れるな、こりゃ」
「売れると思うよ。俺なら買うね」
「もう一つくれ」
「分かった」
完成したばかりのガレットを差し出す。仕方がないからもう一度作ろう。
3つ目に作ったそれはおっちゃんにとられずに済んだ。
さすが、俺。完璧だと自画自賛していたら、おっちゃんが真剣な声で言った。
「おい坊主。約束だから好きな串焼きを1つ、いや2つやる。その代りといっちゃ悪いが…坊主のこのレシピ、使わしてくんねぇか?」
「いいよ。どんどん作って売って。材料は増えたけど、この照り焼きソースに合うものは他にもあるから、いろいろ試してみてよ」
「そうなのか、他にもおいしい組み合わせがあるのか。あと、このソースって照り焼きソースというのか」
「今までの…そうだな兎肉と絡めても旨いよ」
おっちゃんのところから兎肉をもらい、ちゃっちゃっと照り焼きソースと絡めて差し出す。
「なんだこれ! 旨すぎるぞ!」
そうだろそうだろ。辛いだけじゃ飽きが来るって。甘辛い肉の虜になるといい。
「おい、旨そうな匂いをさせているなぁ。俺にもくれ」
照り焼きソースの焼けた匂いが客寄せになってしまった。
「あっと…その、すまん。新商品の開発中でまだ売りもんじゃねぇんだ」
「そうなのか? 残念だな。すごくうまそうなんだが…」
冒険者風の男はとても残念そうに鉄板の上の肉を見ている。
「すまん。売り物になったらまた来てくれ」
「仕方ないな…次は売ってくれよ」
そう言って男は名残惜しそうにしながら立ち去った。遠巻きに見ていたらしい数人の視線も仕方なさそうに外された。あの男に売っていたら、わっと客が集まっていたかもしれない。
「おい、坊主…時間あるか?」
ひそっと声を掛けられる。
「まあ、帰って寝るだけなので…あると言えばあるけど、あまり遅くなると困る」
せっかくお気に入りの食堂を見つけたのだから食べ損ねたくないし、出来れば混む前にササっと食事を済ませて帰りたい。
「分かった。急いで片付けちまうから、ちと待ってくれ」
照り焼きソースを使ってもいいと言ったことに関する話だろう。分量はかなり適当に作ったが、料理スキルさんがいい仕事をしてくれて完璧だった。店仕舞いを待っている間にレシピを紙に書いて渡しておけば喜ぶかな。
「おっちゃん。邪魔にならないよう、少し離れたところにいるから」
「おぅ、すまん」
この世界の紙は貴重品だったりする。そして、読み書きが出来ない人も意外といたりする。紙にレシピを書くことはやめて、ガレットのレシピについて考えてみる。
俺だったらデザート系も作るんだけど、この世界だとジャムが貴重品だしな。砂糖が高価だから仕方がない。甘くないクリームはもはやクリームじゃない気がするし…。
あ、ハチミツはどうだ? この世界に養蜂家はいるのか?
俺の疑問に世界基本知識さんが応えてくれた。
※養蜂家はいません。基本、森の奥に行かないと採集できないものですので、冒険者に採集依頼するのが一般的です。
そっか…冒険者の仕事なのか。そして、やっぱり蜂はこの世界にもいて、ハチミツを作っているのか。…そうすると、ハチミツも高いよね?
※販売価格は砂糖以上です。
あー、そうか。そうだよな。俺のいた世界でも砂糖より高級品だったものな。
「待たせたな」
気がつけば、おっちゃんの屋台は移動可能な状態に片づけられていた。
「落ち着いたところで話がしたい。わしの家まで7分ほどだ。付き合わせた礼はするから、頼む」
「別に構わないよ。美味しいものが食べられる店が増えれば嬉しいので…お礼はなくてもいいし」
「ホントかっ? …いや、すまん。実は持ち合わせが…あまりない。というか、借金があってな」
おっちゃんは歩きながら身の上話を始めた。
それによると奥さんと二人で小さな食堂を経営していたらしいが、3年前に奥さんが病気で亡くなってしまった。料理を作ること以外のすべてを奥さんに任せていたおっちゃんの店は瞬く間に傾き、借金が出来てしまい…とうとう手放さざるを得なくなったそうだ。
「いまは婆さんとふたり暮らしで、今更店をやりたいなんてたいそうな夢は持っちゃいないが…屋台の売り上げでは、ふたりきりの生活も維持するのが大変でな」
「そうなんですね…」
「他の奴らと同じことをしていても客を取り合うばかりだと、ばあさんの故郷の料理だってガレットで勝負しようと先月から頑張っちゃいるんだが…」
「難しいんですか?」
「期待したほど売り上げが伸びなくて焦っていたところに…坊主が来た」
「そうですか…」
おっちゃんの必死さは、もうひしひしと伝わってきている。
「俺で役に立てることがあれば、少しくらいは力になりますよ」
「ホントか。ありがてぇ! もう、坊主のあのソースにすがるしかねぇと思うんだ」
「確実に売り上げが伸びるかどうかは分かりませんが、他の屋台はどこも似たり寄ったりで買うのに悩むこともあるので、そういう客が俺の他にもいると思いますよ」
歩いて7分は実際には10分ほどだった。
「ここだ」と案内された家は一軒家ではあったが狭くて古めかしかった。
「ボロ屋だが、ここは手放さずに済んだ。…おぉい、ただいまー」
おっちゃんは屋台を玄関横の空きスペースに置くとドアを開けた。
「婆さんの耳は少し遠くなっているから…遠慮せず入ってくれ」
返事がないままに室内に入らせてもらう。家のなかは狭くても温かみのある、とても落ち着く空間だった。掃除も行き届いているのか、埃っぽくない。一緒に暮らしているというおばあちゃんが家の中を居心地よく、綺麗に保ってくれているのだろう。
「おや、お客さんかい」
腰がやや曲がったおばあちゃんが奥から出てきた。
「おばあちゃん、こんにちは」
俺は田舎の祖母にそうしていたように、顔が見える位置まで近づきやや腰を落とした。
「急に来てごめんね。お邪魔します」
ゆっくりと聞き取りやすいことを意識して大きめの声で話す。するとおばぁちゃんは笑顔で顔をくちゃくちゃにしてくれた。めちゃめちゃ可愛い。ホント田舎のばあちゃんみたいだ。
「よう、来たねぇ。何もないところだが、ゆっくりしていくといい。もう、ご飯は食べたのかい? 食べて行かないかい?」
「そうだな。すぐに用意する。待っててくれ」
さすが元料理人だ。おっちゃんがキッチンに立つらしい。
「おっちゃん、いいのか? 急に増えても」
「ああ、そのぐらいは大丈夫だ」
にこやかに言うおっちゃんを少し考えて追いかける。
「少しだけど材料の差し入れくらいはさせてよ。俺、冒険者やっているし」
マジックバッグからワニ肉の塊を出す。塊状態だから、黙っていたら分からないだろう。
「気を使わせたかな…悪いな」
「いや…そうだ。せっかくだからあのソースをふたりで作ろう。おっちゃんの練習にもなるし、おばあちゃんにも食べてもらいたい」
「お、いいのか。そうだな…そうしてもらえるとありがたい」
「いいよ」
こちらも時間短縮にもなる。
俺は一度おばあちゃんの近くまで戻って、声を掛けた。
「おばぁちゃん待っててね。おっちゃんが美味しい料理を作ってくれるって。新作メニューだよ」
「ほうか、ほうか。新作かい。そりゃ楽しみだねぇ」
男ふたりでキッチンに入る。まずは材料…いや、その前に手洗いだ。
「坊主、済まんがこの甕にも水を頼む。井戸まで汲みに行かずに済んで助かる」
「この水道は?」
「魔石の交換が出来なくてなぁ」
「あー。ちょっと見せてみて」
確認すると魔石自体の寿命は来ていない。単なるエネルギー切れだ。
「おっちゃん、内緒にする約束、できる?」
「なんだ、何のことだ?」
「いいから、約束して。俺のこと誰にも言わないって」
「……なんだか、訳ありっぽいな」
「絶対に内緒だよ。悪い人に目をつけられたくないんだ」
おっちゃんはじっと俺の顔を見てからしっかりと頷いた。
「分かった。仮にも世話になろう…いや、恩人になるかもしれん坊主の言うことだ。わしも約束は守る」
「絶対だよ」
「ああ、絶対だ。約束する」
おっちゃんの顔は覚悟を決めた男の顔だった。
「借金が出来た後な、それまで友人だと思っていた奴とも疎遠になっちまった。向こうも困っただろうが、こっちも付き合いずらくなってな。…だから、というわけじゃないが、金がすべてだとは思いたくないんだ。確かに、金に困った生活しているから偉そうなことは言えないが…」
「分かった。おっちゃんの借金返せるぐらい、照り焼きソースで稼ごう。おっちゃんならできるよ、きっと」
頑張る気力がない人には何を言ってもダメだ。でもおっちゃんは諦めていない。おばあちゃんとふたりきりの生活だけでも守りたい。安定した人生を送りたいと努力している。その表れがガレットの屋台だ。他の店にはないもの、他の店とは違うものを選んで頑張ってる。少しぐらい後押しをしたっていいじゃないかという気になった。
俺はささっと魔石に魔力をチャージし、水を出すとにっこり笑って見せた。
「さ、手を洗って始めるよ」
おっちゃんはぽかんとして、俺と水が出ている蛇口を何度も見て…くしゃっと泣きそうな顔をした。
「すまん、恩に着る。いつか、いつかきっと返す。この恩は忘れない」
「なに言っているの、おっちゃん。俺に恩を返したいなら、ガレットの屋台を繁盛させればいいんだよ。俺に美味しいものを食べさせてくれれば、それでいいんだよ」
うわー。いい歳したおやっさんに泣かれるとこっちももらい泣きしそうになってしまう。急いで雰囲気を変えないとやばい。泣きそう…。
「ほら、お腹空いたから急ごうよ。おっちゃん。始めるから、作り方一度で覚えてよ」
カツを入れるとおっちゃんは慌てたように俺の手元を見た。
「分量だけど、おっちゃんにはおっちゃんの味があるだろうからきっちりしたことは言わない。でも、大体のバランスはあるから…見て、感じて覚えて欲しい」
基本は教えるけれど、そこからの発展というかオリジナルの味は元料理人の勘とセンスに頼るからな。頑張ってみて欲しい。
「分かった。わしも一緒にやる。まずは醤油をこのぐらいだな」
ふたりで鍋に調味液を測り、入れて火に掛ける。コンロの方の魔石はまだ魔力が残っていたが…あとでこっそり満タンにしておこう。
時々味見もしながら分量を決め、それぞれ煮詰めていくとソースのいい匂いがしてきた。
「寝かせるのも味が馴染んでいいと思うけど、夏場はソースでも腐りやすいからそれだけ気をつけて」
「そうだな。その辺は用心しつつやってみる」
「おばあちゃん、お肉大丈夫? これ、わりと柔らかいやつだけど…」
「ん? これ、なんだ? わしでもこれまで扱ったことない肉だぞ」
あ、バレた。さすが料理人、誤魔化せなかったか。
「ワニ肉」
「はっ?」
「だから、ワニの肉」
おっちゃんはぎょっとしたように目を見開き、少し飛びずさった。
「おまっ…信じられん奴だな、高級肉をサラッと出してきやがって…」
ほーワニって高級肉なのか。
「あー気にしないで。タダ食材だから」
「んなわけあるか!」
「だから、俺冒険者だって言ったでしょ」
「あ…なんだ、その…つまり狩ったっていうのか…そのガキみたいななりで」
「ガキみたいななりで悪かったね」
ぶいっと顔の向きを変え、おばあちゃんのためにお肉に隠し包丁を入れ、さらにそれを焼き過ぎない程度に、でもしっかり火が通るくらいの焼き加減で焼く。照り焼きソースを絡め、レタスを食べやすい大きさにちぎって肉とともに皿に盛りつけた。
「おばぁちゃーん、完成したよー」
おっちゃんに背を向け、俺は皿を手におばぁちゃんが待つテーブルへ向かう。
「おやおや、まあまあ…おいしそうだこと」
おばあちゃんが焼肉に見入っているすきに、アイテムボックスからパンの乗った皿ときのこスープの入ったカップも取り出した。
ささっと3人分用意して、「おっちゃーん!」と声を掛ける。
「俺の分のお肉、まだー?」
「分かった…いま持ってい……」くと言いかけていたおっちゃんの目は、俺が用意したパンやスープに釘付けだ。
「おまっ…それ……」
どこから出した? と言いたいんだろう。俺は黙って、にっこり笑いかけてやった。
「だぁーっ!」
「トルドス。なんて声を出すの?」
おばぁちゃんに叱られ、おっちゃんの名前がここで判明した。ふぅん…トルドスっていうのか。
「ご、ごめん母さん」
いくつになっても叱られるんだよな。うんうん。俺の父さんや母さんも、おばあちゃんやじいちゃんから時々叱られていたっけ。
「いいから早く座りなさい。冷めてしまうわよ」
「わ、分かった…」
おっちゃんは俺と自分の分の肉を載せた皿を運んできてくれた。さすが料理人。焼き加減がいい。旨そうだ。
「おばあちゃんのは俺が用意したから、食べてみて」
「まあまあ…それは楽しみね。いただきましょ」
「おっちゃん、飲み物は?」
それも俺が出してしまえばサービスが過ぎるだろう。
「分かった。何を飲むんだ? エールか? エールだな?」
「麦茶ないの?」
「可愛くないやつだな」
俺はわざとおばあちゃんに聞いてみた。
「おばぁちゃん、俺、可愛くない?」
「可愛い、良い子だねぇ。私もご飯の時は麦茶を飲むのよ。肉の脂っぽさが洗われるようだからね」
「だよねー。お肉には麦茶、合うよね」
「ちくしょう。わしも麦茶にすればいいんだろ、麦茶に…」
拗ねたように言って、おっちゃんは麦茶を用意しにキッチンへ飛んで行った。
「優しくて、いい息子さんですね」
おばあちゃんに聞こえるぐらいの声で話しかけてみたから、もしかしたら本人にも聞こえたかもしれない。この家の狭さだと内緒話が出来ない。秘密なんてない関係がいいのかも…。
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいわ」
おばあちゃんはにこにこ笑っている。
「いつも一生懸命ないい子なの。ぜひ仲良くしてやってね」
分かりました、というように俺は黙って頷いておいた。
食堂で相席するのと違って、今夜のテーブルは暖かくて…居心地が良かった。




