第51話
場所を変え、俺はギルドの奥にある解体場に案内された。広い空間はややひんやりとしていて、血の匂いと皮の匂い、脂の匂いが混ざっていてすごかった。うっと吐き気が込み上げてきそうになったのを、奥歯を強く噛み締めることでぐっと我慢する。
「おぅ、その子がビギナーズの坊主か」
撥水加工されたエプロンを身につけた体格のいい男性が俺に声を掛けてきた。結構歳はいっている感じで、髪は白く薄くなっていたが若かりし頃はすごいハンサムだったのだろうと分かる…声も見た目もシブいイケ親父だった。
「はじめまして、ヒロヤといいます。どうぞよろしくお願いします」
お辞儀はないが、この世界も会釈はある。小さく頭を下げると解体担当の親父はセルビナさんを見て、俺を見て、またセルビナさんを見た。
「お前さんの教育か?」
「いやだわ、ミンダオさん。ヒロヤ君は初めから優秀な子なのよ」
このイケ親父はミンダオという名前なのか。ほかにも数人解体作業中の男たちがいるが、彼らの視線は主にセルビナさんをチラチラ盗み見している。殺伐とした職場に美人が来たら、見たくなるのは男なら当然かもしれない。
「そか…ま、さくさくとやっちまうか。坊主、じゃなかったヒロヤ。解体用のナイフは持っているか?」
俺は頷いて、肩掛けカバンの中から解体用のナイフと昨日買ったばかりの血抜き用ナイフを取り出した。
「ほぉ…登録したてだっていうのに、もうマジックバッグ持ちか」
容量は30しかない安物だが…見る人が見ればすぐに分かるもんなんだな。ってか、シンプル過ぎて定番スタイルの肩掛けカバンをわざわざ使っていることですぐに分かるか。
「ヒロヤ、実際に使ったことはあるか?」
「血抜き用のナイフは昨日、店で見つけて買ったばかりです。解体ナイフの方はあります」
「よしよし。何を捌いた? 兎か? ネズミか?」
「…どちらも経験ありません」
「リスか? まさか、イノシシか?」
これは答えるまで追及されそうだな。仕方ない、か。
「ワニです」
「なんだって?」
だって仕方がないじゃないか。哺乳類は…いきなり毛皮のある生き物はハードルが高すぎた。両生類のワニはその点、魚の延長みたいで忌避感が少なかったのだ。
「ヒロヤ君、ワニってどこで…いえ、別に答えなくてもいいんだけど…斜め上の答えだったわ」
「ワシの耳が可笑しくなったわけじゃなかったのか」
二人して、笑わなくてもいいじゃないか。
「それじゃあ、試しにカエルをやってみるか」
俺のアイテムボックスの中にいるのとは違って、可愛いサイズのカエルが用意された。可愛いと言っても15センチくらいはある。
「こいつの売り物はどこか分かるか?」
「フタツコブカエルの皮は靴や手袋などの素材。表皮のぬめりが撥水材の材料のひとつに。毒腺が麻痺薬の材料や弱毒の材料に。肉は食用になります」
「……確かに、優秀だな」
「サレーナが1時間で合格を出したって言っていたけど…すごいわね」
「あのサレーナが? 1時間で合格って…そりゃ凄い」
二人が話している間にこっそり解体スキルをオンにする。深呼吸をしてスキルに身を任せる準備を整える。
「ミンダオさん、ナイフ以外の道具をお借りしてもいいですか?」
「おう、好きに使え」
俺は解体テーブルの上に解体後の各部位を入れるための皿がないことを確認し、少し離れたところにある棚を見に行った。仕切りのついた皿や小壺、ピペットや毒腺切りハサミ、肉を入れておくのだろう袋などひととおり用意してから解体テーブルに戻った。
「では、始めます」
直接触っても大丈夫なものは素手でいく方がいいのだろう。ヘラに似た道具で丁寧に表皮からぬめりをとり、一度皿に集める。集めたぬめりをピペットを使って小壺に移し、蓋をする。ぬめり取りが終わったカエルをひっくり返して解体ナイフをさくっと入れて、皮を薄くはぐように動かす。解体スキルさんがいい仕事をしてくれるから、どこからどうすれば良いのか分かって助かる。
皮を剥ぐともうおいしそうな肉の塊に見えてくる。頭を落とす前に首の下あたりにある毒腺を破らないよう慎重に毒線切りハサミで切り分ける。切り分けた毒袋を破らないようピンセットで優しくつかみ、慎重に蓋つきの瓶に入れる。
手の汚れが気になるが、ここで洗浄スキルを使うわけにはいかない。ミンダオさんが使っているのだろう手拭きタオルをちらりと見ると「使え」と言ってくれた。
有り難く使わせてもらって手を拭き拭きしてから、今度は食べられる部分の肉を切り取って分ける。全てを終えるのに10分近くかかっただろうか。時間がかかりすぎだな。
「…以上です」
呟いて、もう一度手を綺麗に拭き拭きさせてもらう。
「ミンダオさん、合格ですよね?」とセルビナさんが尋ねた。
「おぅ、カエルに関しては文句のつけようがない。合格をやってもいい。だが…」
だろうなあ。
「討伐対象の獲物から角やら耳などの証明部位を切れなきゃ仕事にならん。まず兎の角をやってもらおう」
「…はい」
兎を捌けと言われなかったが…そろそろ俺も自分で肉の調達が出来るようになっておく必要がある。冒険者となったら、兎や鳥ぐらいは…うん…頑張ろう。毛皮や羽むしりがどうのこうのなんて言っていられない。
ゆっくり深呼吸して、ミンダオさんが用意してくれた二角兎を見る。解体スキルをオンにしていなかったら、死んだ状態のものを見るだけで動揺していただろう。
「そういや、血抜きナイフの使い方、分かるか?」
「いえ…教えていただけると助かります」
「こいつはすでに血抜き済みだから、手順だけ教えるな」
そういってミンダオさんは太い血管がある場所を丁寧に教えてくれた。これはウサギに限らず四足の獣や魔物の場合は、大体共通しているらしい。
「二本足の鳥の場合はここ…」と言いつつミンダオさん自身の体でナイフを入れる場所を教えてくれるから分かりやすい。
「肉が売れる獲物の場合は出来るだけ早く血抜きをした方が高く売れるし、自分で食べても旨い」
料理…これは食材…これは調薬の材料…自分で解体できなきゃ…料理のため…薬作りのため…自己暗示が良かったのか、それとも解体スキル様のおかげか、泣くことも吐くこともなく兎の角を切り取ることが出来た。むしろ簡単にできてしまって、ホッとした。
「よし、切り口も綺麗だし合格だな」
「ありがとうございます」
「おめでとう、ヒロヤ君。少し休憩してから次の講習ね」
「ありがとうございます」
休憩させてもらえるのか。ありがたい。
「…先に、手を洗ってきます」
解体場の隅にはちゃんと洗い場がある。魔石に魔力を流せば蛇口から水が出るようになっているし、肉を冷やすためなのか氷水の入った桶も用意されていた。
手洗い用なのか石鹸もある。使ってもいいよな? と思いつつも振り返ってみると、ミンダオさんが頷き返してくれた。良かった。使わせてもらおう。
「お待たせしました」
「では、ミンダオさん、ありがとうございました」
「ミンダオさん、ありがとうございました」
「おぅ、早く自分で狩った獲物を持ち込めるようになれよ」
「はい、頑張ります」
解体場を後にして、独特の匂いが消えると思わず深呼吸してしまう。
「よく我慢できたわね。ビギナーズの子の中には吐いちゃったり泣き出したりする子もいるの」
「こればかりは、慣れるしかないですよね」
「そう、何事も慣れよ。でも、奪うことばかりに慣れてしまわないで感謝の気持ちも忘れないようにして欲しいわ」
命をいただき、生きていること。リスやウサギといった小さな生き物の命だろうと、命を軽く考えることがないように…という事だろう。
「分かりました。この日のことは忘れないようにします」
「ヒロヤ君…ありがとうね」
「こちらこそ、ありがとうございます。セルビナさん」
2階の小部屋でセルビナさんが麦茶を用意してくれた。よく冷えたそれを飲むとホッとした。
「セルビナさんー。そろそろ終わった? …お、休憩中?」
ドアをノックもしないで入ってきたのは、ひょろっとした体格のギルド職員の男だった。
「セレストさん、いつもドアを開ける前にはノックをお願いしますと言っていますよね」
「あ、あれ…? おかしいな、したつもりだったんだけど…」
「聞こえませんでしたし、ノックの後に私の応答を待ってもいませんよね」
下手な言い訳はせず、セレストと呼ばれた青年は肩を小さくした。
「次からはちゃんと、お願いしますね」
分かった、と黙って頷き返す青年職員の様子を見ていると、セルビナさんが職員の中でも特に強いのは間違いなかった。
「ハーシュさん、用事が出来たから講習を先に進めといてくれって。えっと…ヒロヤ君だったよな」
「あ、はい」
「俺が攻撃の講習を担当するセレストだ。よろしく」
「どうぞよろしくお願いします」
よく見るとひょろりと細身だが、ちゃんと筋肉はついている。背が高いという事は腕は長いし、足も長いという事だ。素直に羨ましいぞ。
「基本動作を見た後、攻撃用の人形を相手に打ち込み。そのあと実際に俺に向かって打ち込んでもらう。冒険者にはスタミナも必要だから、毎日の体力作りも継続して頑張るんだよ」
「はい」
最近は柔軟体操もさぼり気味だから体が硬くなっているかも…。手っ取り早く合格して早く独り立ちしたいから剣術スキルのお世話になるけど…地道な体力づくりのトレーニングも続けるようにしよう。
休憩を切り上げ、セレストさんの案内で地下へ降りる。地下には広い練習場があった。
「ここは誰でも好きな時間に利用できる練習場として開放されている。ほら、向こうにいるのが君と同じビギナーズの子だ。確か1週間ほど先に登録した子だったかな」
気合の声を上げつつ、剣を振っている少年はなるほど、俺と同じぐらいの年齢に見えた。
「一人で練習するのもいいし、練習相手をここで見つけるのもいいと思うよ」
俺はただ、黙って軽く頷くだけにした。
「さて、俺たちはこっちだ。先に予約を入れておく必要はあるが、他の人の目を気にしたくない場合などはこちらの小部屋を利用するといい。もちろん、ここも使用料などはかからない」
こちらの部屋もなかなか広くて、リングのあるボクシングジムを連想した。のは、ロープのようなものが四角く張られているスペースがあるからだ。
「この中は特別な空間になっていて、魔法を使っても周囲に被害が出ないようになっている」
おぉー。結界みたいなものか。
「今回は君の剣ではなく、こちらが用意した剣を使ってもらうよ。勝手が違うかもしれないけど、この練習用の剣は刃が潰してあるから当たっても打撲程度で済む」
なるほど…。と、いうことは攻撃だけじゃなく防御の時も同じ配慮がされているのかな。
「えぇ、その通りよ。安心した?」
俺の考えたことがちゃんと伝わったようで、セルビナさんににっこり微笑まれた。
まだお手柔らかに、と言うのは早い気がした。まずはセレストさんが相手だからだ。
「えーと、籠手もつけていいですか?」
つけた状態での動きを確認したい。邪魔と感じたり左右のバランスが悪いと感じるようなら、つけない方がいいかもしれないと思った。
「あるならつけていいよ」
許可を得て左手につけた。セレストさんもセルビナさんも特に何も言わなかった。
「さ、まずは剣の持ち方からいこう。既に知っているかもしれないけど、おさらいだと思って付き合ってもらうよ」
「よろしくお願いします」
俺とセレストさんはリングの中。見学中のセルビナさんはリングの外に用意してあった椅子に座っている。
剣の持ち方に続いて剣の素振り、足の運び方などからきちんと習う。スキルでズルをしている俺には、初歩の初歩、入門編から改めて始められるのはありがたい。掛け声に合わせて剣を振ったりバックステップで仮想の敵を躱したりしているとじわじわと汗が出てきた。
「体幹を意識して。そう、そうだ…腕の振りがとてもいいよ。そのまま続けて…人形相手はもう良さそうだな。少し早いけど、俺を討伐対象だと思って切りかかってこい」
人を相手にする戸惑いがあるかと思っていたが、刃を潰してあるという安心感からか思い切った攻撃が出来る。
「おっと…」
俺が振り下ろした剣を受け、軽くいなしてからセレストさんは後ろに下がる。俺はすかさず前へ出た。どんどん意識が広がっていく気がした。集中すればするほど意識が広がるなんて逆のような気がしたが、目の前のセレストさんだけでなく、見学しているセルビナさんの視線も感じていた。
「これ…本当にビギナーズか?」
セレストさんの足運びはもちろん息遣い、視線、肩の動き…すべてが次の動作、さらにその次へ繋がる動きとなって表れてくる。
手加減してくれているのが分かるから、思い切って切りかかれる。俺の動きを誘導するように動いてくれるから、追いついて追い詰めることが出来る。一種のダンスを踊っているように楽しくなってきた。踏み込む、フェイントの動きを織り交ぜ、こちらも誘導して突く。当たった。次は右と見せかけて左へ甘く。いなす動きを絡めとるようにして、押し込み、相手の息遣いに合わせて視線を抜く。素早く下から切り上げると、きちんと受け止めてくれる。また剣を押し合い、視線を読み…
「終了ーっ!」
セレストさんの大きな声に驚いた。
「え?」




